横須賀と言われると皆様最初のイメージは何だろうか?巷で売りだされているのは「海軍カレー」であろうか。そう、古くから海軍の街である事は有名である。電車でも横須賀駅に近づくと、あちこちに軍艦の姿が見えてくる。
Wikipedia「横須賀市」
古くからここは戦略的に要衝であった。地理的に東京湾を扼する位置にある事が最大の理由である。何と言っても、横須賀と対岸の房総半島との間は7km程度しか離れていないのだ。江戸時代にはすでに浦賀に奉行所がおかれ、幕末のペリー来航の舞台となっている(来航が浦賀、上陸地点は久里浜でどちらも現在の横須賀市内である)。幕末には横須賀製鉄所が作られ、後にこれが海軍の造船所に発達する。戦前には横須賀海軍工廠は日本の代表的な海軍工廠の一つとなり、特に日本の航空母艦の多く、例えば「飛龍」、「翔鶴」、「信濃」など--ちょっとマニアックであろうか--、を建造することとなった。
戦後は米軍の第7艦隊の本拠地となると共に、海上自衛隊の基地がおかれている。先の横須賀海軍カレーなるものも、艦内で栄養バランスの取れた食事を取らせるため、毎週金曜に具を沢山入れたカレーを作っていた(現在の海上自衛隊でもそうらしい)事に由来している。駅から降りると、すぐに海が広がりそこに軍艦が何隻も見えてくる。晴れた日だったせいか、海の色がとびぬけて青い。
Wikipedia「横須賀市」
古くからここは戦略的に要衝であった。地理的に東京湾を扼する位置にある事が最大の理由である。何と言っても、横須賀と対岸の房総半島との間は7km程度しか離れていないのだ。江戸時代にはすでに浦賀に奉行所がおかれ、幕末のペリー来航の舞台となっている(来航が浦賀、上陸地点は久里浜でどちらも現在の横須賀市内である)。幕末には横須賀製鉄所が作られ、後にこれが海軍の造船所に発達する。戦前には横須賀海軍工廠は日本の代表的な海軍工廠の一つとなり、特に日本の航空母艦の多く、例えば「飛龍」、「翔鶴」、「信濃」など--ちょっとマニアックであろうか--、を建造することとなった。
戦後は米軍の第7艦隊の本拠地となると共に、海上自衛隊の基地がおかれている。先の横須賀海軍カレーなるものも、艦内で栄養バランスの取れた食事を取らせるため、毎週金曜に具を沢山入れたカレーを作っていた(現在の海上自衛隊でもそうらしい)事に由来している。駅から降りると、すぐに海が広がりそこに軍艦が何隻も見えてくる。晴れた日だったせいか、海の色がとびぬけて青い。