まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
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ポーランド公ヴワディスワフ3世妃 ウツェヤ

2013-07-03 23:41:09 | ポーランド王妃
               こちらはコンラト1世妃アガフィア

けっこう長生きなのにエピソードひとつだけって・・・
ヴワディスワフ3世妃 ウツェヤ・ルギシュカ


生没年不詳/在位 1202~1206、1227~1229

ミェシュコ3世の二人目の妃エウドクシャの子で贔屓されてたらしいヴワディスワフの妃は
デンマーク王クヌート5世の孫娘にあたるウツェヤです。
           
1186年に結婚しているのですが、亡くなるまでに残っているエピソードは
ヘンリク1世と聖ヤドヴィカの末っ子の洗礼式に夫婦揃って出席したということ、ただひとつ。
(聖ヤドヴィカはこれから登場します)
お子様もおりませんので、母親としてのエピソードもありません。

夫婦で公の場に出たのが1回だけ? まさかね…
ヴワディスワフ3世は愛妾がたくさんいたらしいので夫婦仲が悪かったんですかね?

没年は不詳ですがヴワディスワフよりは長生きしたそうで、1131年頃だといわれています。
墓所も不明… 当時としてはけっこう長生きだと思うのですが
存在感が無い人だったんだろうか?

で、最高公が入れ替わり立ち替わりの合間に1210年から1年だけ最高公になった
ミェシュコ4世の妃ルドミワは、父親も不明なので割愛します。
ルドミワ(ルドミラ)という名はボヘミア系で、当時この名の女性がいたのは
プシェミスル家だけだったそうですが、キエフから嫁いできたって説もあり…



夫の信頼を失墜させた妃
コンラト1世妃 アガフィア・スヴァトスワヴナ


1190~1248/在位 1229~1232、1241~1243

ブワディスワフ3世の後を継いだコンラト1世妃はリューリク家の流れをくむアガフィア。
ということはキエフ方面ですかね?
ものすごく良い家柄とも思えないが、悪くもなさそうです。
       
もはや国内は敵だらけ…国外に味方を見つけようとするポーランドの継承者たちを
周辺の大国がほっとくわけないですよね?

アガフィアの父親はコンラトの兄レシェク1世の味方で
さらにポーランドにくい込もうとしていました。
そんなわけで二人は1207から1210年の間に結婚しました。

お子様も10人生まれ、結婚生活は順調だったようですが
1239年、一家に暗雲がたちこめました。

コンラトとアガフィアの公子カジミェシュは、ヘンリク2世の公女コンスタンチアと
結婚したのですが、これに対し、長年一家に尽くし、子どもたちの家庭教師もしていた
ヨン・ハロン(?)がいい顔をしませんでした。
さらにはコンラトの統治にも不満を表すようになります。
さてはコンスタンチアが好きだったの? ま、まさかカジミェシュのことが…?

ハロンはどうやら謀反をおこしたみたいで、有罪になります。
拷問 → 公開縛り首という、The 中世な刑が行われたわけですが
判決から処刑、さらに処刑後のアガフィアの行動がすごかったみたい。

あまりの酷さにグニェズノ大司教はコンラトとアガフィアに破門を言い渡しました。
二人はミサにも行けず、国内での宗教行事にも参加できませんね。
当時の王侯貴族にとって破門ほど恐ろしいことはありません。

コンラトは信頼も人望も失ってしまいました。
困り果てたのか、グニェズノまで出向き赦免を手に入れています。

それでなくても敵の多いポーランドの君主継承権争い…
夫が暴走したら諌める方にまわらなければならないのに、夫より目立っちゃダメね。

10人の子どものうち5人は公子ですが、誰ひとり最高公についていません。
さてはこの件で後援者を失ったか?

没年は不詳ですがコンラトよりは長生きしたそうです。

良いエピソードではありませんが、少しは存在感がある妃がいて良かったです。
そうじゃないとずーっと、エピソードが無いって書き続けなければならないからね。
それはそれでつらい…

(参考文献 Wikipedia英語版)

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