夫を告発、その結末は?
グスタフ1世妃 カタリーナ・アヴ・サッシェン=ラウエンブリ
1513~1535/在位 1531~1535
王様のような摂政ステン・スチューレの家系とも繋がりを持つグスタフ・バーサは
反カルマル同盟派の父親と叔父を“ストックホルムの血浴”でクリスチャン2世に殺されました。
ひとくち情報… “ストックホルムの血浴” とは、すごく簡単にいうと
デンマーク王クリスチャン2世が、カルマル同盟反対派のスウェーデン貴族たちを晩餐会だといって招き
大広間に集めて虐殺しちゃったという事件です …おわり
一時は避難していましたがスウェーデンに戻り、デンマークとカルマル支持派を相手に戦い
勝利して1523年に国王に即位しました。
独立の英雄と言えるかもしれませんね。
でも若くて美しい女性には恐ろしい存在かも…
グスタフ1世は3回結婚しています。
最初の妃は、ザクセン=ローエンブルク公マグヌス1世の公女カタリーナです。
二人は最初からあまりうまくいかなかったみたい…
カタリーナはスウェーデン語を覚える気がなかったんですね。
ドイツ語は公用語とまではいかなくても大陸の各王宮で使用されていたので
「ドイツ語を使いなさいよ!」ってことだっんでしょうか?
しかしグスタフはドイツ語が苦手でした。
てなわけで、王と王妃はあまり一緒にいませんでした。
いくら愛は言葉じゃないといってもコミュニケーションがとれないとね…
せめて覚えようとする姿勢があればよかったかもしれませんね。
カタリーナはふさぎがちですぐに気が変わる女性で、宮廷でも不人気でした。
いつもグスタフの妹マルグレーテの夫ホヤ伯ヨハンに夫の悪口を言ってたらしいです。
ホヤというのはドイツのザクセンの都市です。
同郷人ならわかってもらえると思ったんですかね?
カタリーナの姉ドロテアの夫デンマーク王クリスチャン3世の訪問を受けた時には
「グスタフがデンマーク王を殺そうとしている!」と告発したとか… これは噂です。
舞踏会でクリスチャン3世と踊っている時に転んで二人目の子供を流産してしまいます。
そして2週間後、クリスチャン3世が帰国してすぐに亡くなりました。
カタリーナはすぐにウプサラ大聖堂には葬られなくて
グスタフが亡くなった後になってしまいました。
「王妃は王の命令でハンマーで殴り殺された」という噂がたてられて
かなり本気で信じられたみたいですが、20世紀に入って遺骨の調査をしたところ
骨にはなんの損傷も見あたらなかったということです。
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)
余談です
おかげさまで再就職が決まり、時間が無くなるんで…と思って草刈りをしたら
(鎌を握っていた)手の震えがとまりません。 明日は筋肉痛になると思います。
まめにやらないからこんなことに…
グスタフ1世妃 カタリーナ・アヴ・サッシェン=ラウエンブリ
1513~1535/在位 1531~1535
王様のような摂政ステン・スチューレの家系とも繋がりを持つグスタフ・バーサは
反カルマル同盟派の父親と叔父を“ストックホルムの血浴”でクリスチャン2世に殺されました。
ひとくち情報… “ストックホルムの血浴” とは、すごく簡単にいうと
デンマーク王クリスチャン2世が、カルマル同盟反対派のスウェーデン貴族たちを晩餐会だといって招き
大広間に集めて虐殺しちゃったという事件です …おわり
一時は避難していましたがスウェーデンに戻り、デンマークとカルマル支持派を相手に戦い
勝利して1523年に国王に即位しました。
独立の英雄と言えるかもしれませんね。
でも若くて美しい女性には恐ろしい存在かも…
グスタフ1世は3回結婚しています。
最初の妃は、ザクセン=ローエンブルク公マグヌス1世の公女カタリーナです。
二人は最初からあまりうまくいかなかったみたい…
カタリーナはスウェーデン語を覚える気がなかったんですね。
ドイツ語は公用語とまではいかなくても大陸の各王宮で使用されていたので
「ドイツ語を使いなさいよ!」ってことだっんでしょうか?
しかしグスタフはドイツ語が苦手でした。
てなわけで、王と王妃はあまり一緒にいませんでした。
いくら愛は言葉じゃないといってもコミュニケーションがとれないとね…
せめて覚えようとする姿勢があればよかったかもしれませんね。
カタリーナはふさぎがちですぐに気が変わる女性で、宮廷でも不人気でした。
いつもグスタフの妹マルグレーテの夫ホヤ伯ヨハンに夫の悪口を言ってたらしいです。
ホヤというのはドイツのザクセンの都市です。
同郷人ならわかってもらえると思ったんですかね?
カタリーナの姉ドロテアの夫デンマーク王クリスチャン3世の訪問を受けた時には
「グスタフがデンマーク王を殺そうとしている!」と告発したとか… これは噂です。
舞踏会でクリスチャン3世と踊っている時に転んで二人目の子供を流産してしまいます。
そして2週間後、クリスチャン3世が帰国してすぐに亡くなりました。
カタリーナはすぐにウプサラ大聖堂には葬られなくて
グスタフが亡くなった後になってしまいました。
「王妃は王の命令でハンマーで殴り殺された」という噂がたてられて
かなり本気で信じられたみたいですが、20世紀に入って遺骨の調査をしたところ
骨にはなんの損傷も見あたらなかったということです。
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)
余談です
おかげさまで再就職が決まり、時間が無くなるんで…と思って草刈りをしたら
(鎌を握っていた)手の震えがとまりません。 明日は筋肉痛になると思います。
まめにやらないからこんなことに…