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ハンガリー王アンドラーシュ2世妃 ゲルトルード

2010-08-28 22:15:03 | ハンガリー王妃
出る杭は打たれる・・・
アンドラーシュ2世妃 ゲルトルード


1185~1213/在位 1204~1213

幼いラースロー3世から王位を奪って即位したアンドラーシュ2世ですが
彼を焚き付けていたと言われているのが、最初の妃ゲルトルードです。

ゲルトルードはメラニア公ベルトルド4世の公女でした。

メラニア公は公女たちを最大限に利用しようと考えていまして
長女へドヴィクをポーランド王家ピアスト家のシロンスク公ヘンリク1世に
美しいと評判だったアニェスをフランス王フィリプ2世妃に、それぞれ嫁がせています。

        

ゲルトルードは、アンドラーシュが王になる前には結婚していました。

彼女はアンドラーシュに対してものすごく影響力があり
実兄イムレとの争いを促していたようです。

抗争が失敗に終わってアンドラーシュが捕らえられた時には故郷に帰りましたが
和解が成立すると戻って来たみたい…
ラースロー3世からの王位奪取を煽ったのもゲルトルードじゃないのかなぁ…

しかし、アンドラーシュが妻の言うなりになって戦っている時に
ゲルトルードは自分の親戚にハンガリーの領地を与えていたらしいのね。
また王妃になってからは宮廷でも家族や親類を優遇していたので
ハンガリー貴族に妬まれました。

イムレがアンドラーシュと壮大な兄弟ゲンカを繰り広げていたせいで
ベーラ3世の時代に上り坂だった国力は衰えをみせます。

そんな中でもゲルトルードは独裁者ぶりを発揮していたようです。
たぶんすごいかかあ天下だったんじゃないかしら?

せっかくアンドラーシュのために戦った貴族にしてみたら我慢なりませんね。
そんなわけでゲルトルードは、1213年狩猟中に毒殺されてしまいました。

私は、最後まで地位や権力を守り抜いた悪女は、それはそれで偉い!と思うんだけど
彼女の場合強欲で傲慢なだけで詰めが甘い…と申しましょうか、
計算高さが足りないですねぇ、まだまだですね

(参考文献 Wikipedia英語版)

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