L'ATELIER DE MARIE CLAIRE
1920年 マルグリット・オードゥー
渋谷古本市で買った『孤児マリー』 の続編です。
ページがポロポロとれてきてしまうほどのバッドコンディションでしたが
そんなことなんのその!前作同様の良い物語でしたよ
素朴な羊飼いの少女はパリの喧噪に毒されること無く、素直に成長していました。
腕の良いダリニャック夫妻が経営する仕立て工場が舞台になっています。
マリーは語り手となって、彼女の目に映る主人夫妻と女工たちの実直で勤勉な日常と
ささやかな喜び、容赦ない現実などを描きだしています。
未婚の母サンドリーヌは、相手の男性ジャックが他の女性と結婚してしまい
その上肺を患いますが子供たちのために休むわけにはいきません。
ベルジュネットは毎日のように夫と喧嘩をし、時には殴られることがあります。
マドモアゼル・エルミニーは70歳を過ぎた未婚の女性。
働かなければならないのにからだが言うことをききません。
ガビエルは誰の子か分からない子を宿した後もギリギリまでミシンを踏みます。
ブルドックは食べさせなければならない祖母を抱えています。
待遇が良いと言われるダリニャック夫妻の工場でさえ
枯渇期には暇が出され、皆が仕事を求めてさまよわなければなりません。
厳しい時代の風は経営者をも襲います。
上流婦人たちは、オーダーメイドで作った美しいローブの代金をなかなか払いません。
行き詰まったマダム・ダリニャックは大量生産の縫製に方向転換しますが
そのデザイン料も値切られ、搾取されてしまいます。
主人のダリニャックは病になって静養をすすめられても妻の側を離れず
マダムも夫が良くなると信じて看病を続けます。
“ ラブストーリー ” と銘打つ物語はたくさんありますが、情熱的なばかりが愛じゃない。
若くもないし熱い抱擁もありませんが、この物語のダリニャック夫妻ほど
深い愛を感じさせてくれるふたりは、そんなにいるもんじゃありません。
最後に…マリーはクレマンと結婚しちゃう?
やめた方がいいのでは? と老婆心ながら思っております。
日雇い労働が当たり前だった時代。
簡単に首を切られ、保障もなくて、運が悪ければパンが食べられないという日々を
どうしてこんなに軽やかに表現することができるのでしょうか?
まるで嘆きや苦悩が喜びと同じもののように、穏やかに書かれています。
ゾラは圧倒的な力で押してくることで、貧困の中にある人間の醜さを
訴えるようなところがあって、それはそれで嫌いではないのですが
オードゥーのアプローチはまったく逆で、引き気味に表現することで
健気に見える人たちの裏にある困難を勘ぐりたくなってしまいます。
オードゥーにすっかり魅了されてしまったわたくしですが
2冊とも読み終えてしまいました。
他にも彼女が書いた物を読んでみたいので探してみようと思っています。
1920年 マルグリット・オードゥー
渋谷古本市で買った『孤児マリー』 の続編です。
ページがポロポロとれてきてしまうほどのバッドコンディションでしたが
そんなことなんのその!前作同様の良い物語でしたよ
素朴な羊飼いの少女はパリの喧噪に毒されること無く、素直に成長していました。
腕の良いダリニャック夫妻が経営する仕立て工場が舞台になっています。
マリーは語り手となって、彼女の目に映る主人夫妻と女工たちの実直で勤勉な日常と
ささやかな喜び、容赦ない現実などを描きだしています。
未婚の母サンドリーヌは、相手の男性ジャックが他の女性と結婚してしまい
その上肺を患いますが子供たちのために休むわけにはいきません。
ベルジュネットは毎日のように夫と喧嘩をし、時には殴られることがあります。
マドモアゼル・エルミニーは70歳を過ぎた未婚の女性。
働かなければならないのにからだが言うことをききません。
ガビエルは誰の子か分からない子を宿した後もギリギリまでミシンを踏みます。
ブルドックは食べさせなければならない祖母を抱えています。
待遇が良いと言われるダリニャック夫妻の工場でさえ
枯渇期には暇が出され、皆が仕事を求めてさまよわなければなりません。
厳しい時代の風は経営者をも襲います。
上流婦人たちは、オーダーメイドで作った美しいローブの代金をなかなか払いません。
行き詰まったマダム・ダリニャックは大量生産の縫製に方向転換しますが
そのデザイン料も値切られ、搾取されてしまいます。
主人のダリニャックは病になって静養をすすめられても妻の側を離れず
マダムも夫が良くなると信じて看病を続けます。
“ ラブストーリー ” と銘打つ物語はたくさんありますが、情熱的なばかりが愛じゃない。
若くもないし熱い抱擁もありませんが、この物語のダリニャック夫妻ほど
深い愛を感じさせてくれるふたりは、そんなにいるもんじゃありません。
最後に…マリーはクレマンと結婚しちゃう?
やめた方がいいのでは? と老婆心ながら思っております。
日雇い労働が当たり前だった時代。
簡単に首を切られ、保障もなくて、運が悪ければパンが食べられないという日々を
どうしてこんなに軽やかに表現することができるのでしょうか?
まるで嘆きや苦悩が喜びと同じもののように、穏やかに書かれています。
ゾラは圧倒的な力で押してくることで、貧困の中にある人間の醜さを
訴えるようなところがあって、それはそれで嫌いではないのですが
オードゥーのアプローチはまったく逆で、引き気味に表現することで
健気に見える人たちの裏にある困難を勘ぐりたくなってしまいます。
オードゥーにすっかり魅了されてしまったわたくしですが
2冊とも読み終えてしまいました。
他にも彼女が書いた物を読んでみたいので探してみようと思っています。