まりっぺのお気楽読書

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ボヘミア公スピチフニェフ2世妃 イーダ

2017-10-10 20:50:22 | ボヘミア王妃
                Jarmily Haldovéさん作
実家でも嫁ぎ先でも…気が休まりませんね
スピチフニェフ2世妃 イーダ・ヴェッティンスカー


1031〜不詳/在位 1055〜1061

ブジェチスラフ1世の後を継いだスピチフニェフ2世の妃は
下ラウジッツ辺境伯ディートリヒ2世の娘イーダです。
        
イーダの父親は、母マティルダの兄マイセン辺境伯エッケハルト2世に殺されました。
たぶんイーダが幼い頃ではないかと思われます。

スピチフニェフ2世が1061年に亡くなると、すぐに子供二人とともに追放されました。
どこにかはわからないんだけど、たぶん実家に帰ったんじゃないかなぁ?


               
                Jarmily Haldovéさん作
完全に政略結婚でした
ヴラチスラフ2世妃 アデレージャ・ウヘルスカー


1040〜1062/在位 (公妃)1061〜1062

兄スピチフニェフ2世を継いだヴラチスラフは、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世のおかげで
初代ボヘミア王ですが、一代限りで世襲はしませんでした。

結婚は3回していて、ひとり目のマリアというお妃はさっぱりわかりません。
二人目の妃が、ハンガリー王アンドラーシュ1世とアナシュタシアの王女アデレージャです。
この結婚により、ハンガリーとの同盟を結ぶことができました。
         


               
後継ぎがいても苦労は絶えず
ヴラチスラフ2世妃 スヴァタヴァ・ポルスカー


1046〜1126/在位 (公妃)1062〜1085 (王妃)1085〜1092

ヴラチスラフ2世の三人目の妃は。ポーランド公カジミェシュ1世と
マリアの娘スヴァタヴァです。
        
だんだん “ 中欧三つどもえ状態 ” が激しくなってまいりましたね。

ヴラチスラフ2世は、スヴァタヴァの兄ポーランド王ボレスワフ2世との
友好な関係を表していましたが、国境線ではもめてました。

1092年にヴラチスラフ2世が亡くなった時、成長していた王子は3人…もめそう…
後に三人ともボヘミア公になってますけどね。

スヴァタヴァは、下の二人の不和をやわらげようと苦労したみたいです。
この当時の王家の皆さん、家族(兄弟)力を合わせて!!っていう概念がなさそう。
親からでも兄弟からでも権力を奪おう! という発想はどこからでてくるんだろう?
母親も大変ですよね、ただの兄弟ゲンカじゃないんだもの。  

末子ソビェスラフがボヘミア公になったのを見届け、1126年に亡くなりました。

                
              Jarmily Haldovéさん作スヴァタヴァ

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
少女時代が5人に… あぁスヨン… INFINITEは6人になっちゃったし、BEASTはHIGHLIGHTになっちゃったし
それ以外にもいろいろと気が休まらないKポ界
そう考えるとSHINHWA(神話)ってすごいわ! このままずーーーっとSHINHWAでいてほしい


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