熱帯夜
今朝の姫路の最低気温は25.1℃、今年初めての熱帯夜です。初めての熱帯夜が6月だったのはぼくが記録をとっているこの9年の間では7年前の1回だけです。その年は6月27日が最初の熱帯夜で、梅雨明けは7月8日と異常に早い年でした。7月18日から5日ほど戻り梅雨の感じになりましたが、その後は平年以上にしっかり暑い夏になりました。姫路ではあまりない猛暑日も4回記録しています。
今朝の姫路の最低気温は25.1℃、今年初めての熱帯夜です。初めての熱帯夜が6月だったのはぼくが記録をとっているこの9年の間では7年前の1回だけです。その年は6月27日が最初の熱帯夜で、梅雨明けは7月8日と異常に早い年でした。7月18日から5日ほど戻り梅雨の感じになりましたが、その後は平年以上にしっかり暑い夏になりました。姫路ではあまりない猛暑日も4回記録しています。
今日の姫路の最高気温は30.9℃、今年初めての真夏日になりました。いつものようにイオンまで散歩してきたのですが、イオンの中はクーラーがたっぷり効いていて中休みができるので往復の炎天下はさほどこたえません。今年の夏は青春18きっぷの年なので、丹原町で16kmほど、日和佐で18km、金比羅さんにも登るので、意識しながら真夏の散歩を続けます。
1日目 福田港~86~87~88~12~11~9~8~7~2~1~3奥~3~
4~きらく荘 21.1km
2日目 きらく荘~6~5~10~13~14~20~18~17~16~15~21~
19~22~23~24~25~小豆島ユース 27.9km
3日目 小豆島ユース~27~26~28~29~30~31~34~32~33~
40~41~42~35~39~38~中央病院 24.4km
4日目 中央病院~36・37~43・45~44~47~48~46~74~49~
50~51・52・54~55~56~58・58奥~59~60~
61~62・63~ホテルニューポート 25.1km
5日目 ニューポート~総本院~64~57~53・65~66~68~67~69~
70~71~72奥~72~73~75~76奥~77~76~
番外藤原寺~バス停小海 20.2km
6日目 バス停小海~78~79~80~81~82~83~84・85~福田港
22.5km
へんろ地図には札所間の距離が全部記されていますが、地図を印刷するついでに全部計り直してみました。微妙に違う所が20ヶ所以上ありました。
3日目はひろきや旅館に送迎して貰います、5日目はなかや旅館までバス移動の予定です、
年初にはこの秋は坂東33観音に挑戦するつもりで賀状にも書いたのですが、坂東は一旦とりやめて先ずは小豆島に行くことにしました。
今年の四国でも何人かのお遍路さんに小豆島の魅力について教えて貰ったし、帰ってからは佐藤さんから小豆島の宿の情報もいただきました、そして神戸のSさんは小豆島区切りの真っ最中、昨日のブログであと1日か2日で結願と投稿されていました。
小豆島の地図は大分前に買ったのですが、A4の横開きで持って歩くのはきびしいので、全部自分のパソコン地図で印刷し直します。A4を二つ折りにするので白衣のポケットにきっちり収まります。
6日間の行程で、一番長い日で27.7km、短い日で21.6km。距離は問題ないにしても札所の数が1日18ヶ所、そちらの方が心配ですが、正反対の西国めぐり、30km歩いてやっと札所がひとつ、に比べるとずいぶん楽しく歩けるだろうと期待はしています。
切幡寺の本堂の左から階段を登って大塔の前までやってきました。
大塔の前を進んでいくと奥の院の道しるべがありました。
扉には鍵はかかっていません、
扉を抜けて50m進むと道は右に折れて急な山道、
大塔から100m足らずで難なく八祖大師堂に到着。
密教がインドで起こり、中国を経て空海に伝えられ、日本で独立した宗派として真言宗を開くまでに八祖を経て伝えられたとする伝承がある。
第一祖 龍猛、 第二祖 龍智、第三祖 金剛智、第四祖 不空
第五祖 善無畏 第六祖 一行、第七祖 恵果 第八祖 空海
お堂には八祖の肖像画が並んでいました。
お参りを終えて八祖の前からの眺望、もう今日で終わるかと思うと気分も沈みがち、
納経はもちろん切幡寺、こちらでも、切幡寺の納経と字の感じが全然違っておもしろい。
2018年5月3日、参拝
13番大日寺の奥の院は建治寺ですが、もう一つの奥の院があります、日本語のへんろ地図には載っていませんが、英語の地図には載っています。日本語の地図では2010年の第9版以後のものにはバス停国中寺前の記載はあります。大日寺から県道21号を1.2km西へ進んだところです。
ぼくは逆打ちなので一の宮橋を最後まで渡って突き当たって右折しました。左折するのが近道ですが地図を持っていなかったので当てずっぽうで右折、その先に郵便局があったので百円玉を下ろすついでに尋ねることにしました。この先の信号のある交差点を左折すると佐々木クリニックがあって、さらに進むと国中寺のの看板が出ている、ぼくが、こくちゅうじ、と言うと、くになかじですかと聞き直されました。大日寺の納経所でも同じようにくになかじと言われました。地図では kokuchuji とあるし、お寺は基本的に訓読み、でも地元ではくになかじで通っているようです。
佐々木クリニックから200mほどで看板が見えました、四国霊場第13番新奥の院、建治寺と区別するためか気を使ったか、
階段を上がっていきます、
てっきり本堂だと思いましたが
御本尊は波切不動、こちらの上に本堂があったかもしれません。
こちらは観音さま、
納経は大日寺、中央は大日寺の十一面観音を意味する大悲殿
2018年5月1日、参拝
14番常楽寺の奥の院は慈眼寺、別格3番の慈眼寺とは全く違うお寺です、順打ちで行くと、常楽寺から150mほど先、遍路道から少し左に上がったところにあります。遍路道と並行して少し高いところに奥の院直通の道もあります。境内からトイレの横の階段を下りたところに奥の院への矢印がしっかりあります、順打ちだと納経を先にして貰うことになりますが、問題ありません。
上の写真は逆打ちで遍路道から境内へ上がっているところの案内板です。
少しだけ高いところ、
本堂です、線香ろうそくもできます、
大師堂です、
本堂の反対側に生木地蔵堂、
納経は常楽寺です、この墨書もかなり気に入っています。
2018年5月1日、参拝
立江寺の奥の院は取星寺(立江寺から4km)が知られていますが、こちら清水寺も奥の院です。日本語のへんろ地図には載っていませんが英語の地図には載っています。立江寺を出て600mのところで遍路道をはずれて右に入っていくのですが、思ったより奥にあって、地図を確認していなくて迷いそうだったので諦めて引き返してきました、来年改めて報告します。
読み方は、せいすいじ、京都の清水寺も元々はせいすい寺、と言っていたようです。
平等寺を出て3km(順打ちで)県道を短絡するところにあるのが月夜御水案、歩き遍路の全てがこの前を通るので改めて紹介する必要もありませんが、
この前を通る日はたいてい42kmは歩く日だったので、いつも風のようにすり抜けていくだけ、こうして立ち止まってじっくり拝むのは初めてのことです。
月夜御水大師、という言い方もあるようです、
弘法大師お手植杉
立派すぎてとても全体を捉えることができません、
納経は以前は金林寺でしてもらえたようですが、現在はしていないようです。
順打ちの場合かねうちのヘンロ小屋④から国道を右折して入っていきますが、ぼくは逆打ちなのでヘンロ小屋の1km南から入っていきました、写真は国道を離れて1.4kmそろそろ奥の院の入口が見えようかというところです。
舗装道から上がっていくところに道しるべがあります、
舗装道から2分もかからず境内に上がっていきます。
こちらが本堂です、比較的新しい建物です、
本堂に郵便受けがあってその中にお札が入っていました、封筒の裏には納経をしてくれる真光寺の住所と電話番号が記されています。お札は持ち帰ってよいと書いてあったのでいただきました。
へんろ地図ではいやかんのんとふりがながありますが、いやだにかんのんが正解のようです。
お参りを終えてヘンロ小屋に向かっていたら、舗装道を離れて谷へ下りていく方に保存協力会の矢印が、これは何かの間違いか、行けたとしても下って登ることになるからかなりの遠回り、無視した方がよいと思います。
橋を渡って国道に合流していきます。真光寺に向かいます。
阿波福井駅の150m先(北)で右折して国道を離れて踏切を渡ります、すぐ先に鳥居が見えています、舗装道をそのまま行く方法もありますが、理容室の人は鳥居をくぐって山道に入った方が分かりやすいと言いました。山道を100mほど登ると舗装道に出ます、舗装道は右の登りの方へ進みます、くの字に折れる形になるので最初は下ってしまいました。
登っていくと右手に金比羅神社が見えてきます、写真ではよく分かりませんが左に木立のトンネルがあってそちらに入って左の方に真光寺がありますが、ぼくは神社の前まで入って向こうの道に出て左折しました、
ようやく真光寺に到着、弥谷観音から40分ほどかかりました、住職は不在、携帯に電話をかけたのですが、午後からでないと帰れないということで、またの機会ということになりました。
今年の夏、18番と23番の奥の院といっしょに来ることになります。
2018年4月29日、参拝
やり直しの納経は2018年9月10日
木岐から薬王寺までの道はおなじみの道なので写真は撮りませんでした。朝食の後すぐ歩き始めたので身体がやや重く、あまり調子が出ず、103分もかかってしまいました。ゆき荘から歩いたときでも106分だったから、ほとんどのんびりの歩きです。
8時40分だから歩きの人はいない時間ですが、境内に一人、山門を出てきたところに一人それらしい人がいました。声はかけませんでした。
昨日はかも道が歩けなかったので、写真の少ない1日でしたが、今日は初めての道、薬王寺の奥の院に向かいます。
薬王寺を9時13分に出発、国道55号を北側に、つまりは逆打ち方向に500m戻って、ローソンの交差点を左折します、写真は左折して2kmくらい来たところ、舗装道ですが昔の巡礼道の雰囲気が感じ取れます。車も人もほとんど通りません。
人工物があまり目に入らないのがいい。
さらに700mほど来たところ。
さらに2.5km、この雰囲気、
さらに1km、薬王寺から70分で分岐が見えてきました。7.2kmだから時速6kmで力をあまり入れずにゆったり歩いてきました。
真っ直ぐと右折の矢印、右折して奥の院まで行って、またここまで引き返してきて真っ直ぐの道で国道に合流していきます。
右折するとすぐ橋を渡ります、奥の院まで2.1kmだけど、ただの2.1kmでないことは覚悟しています。
700m進むと、右の方へ行く橋を渡ります。
橋の手前に矢印、
めちゃくちゃ古い矢印、
分岐から13分、1.3kmほどで山道が始まります。800mほどの山道です。
海部ロータリークラブの矢印です、ロータリークラブの人たちがこちらの道を歩いた記録をネットで見たことがあります。そのとき遍路札の設置も兼ねていたようです。
道ははっきりしていますが足場はごろごろしたところが多くてちょっと登りにくい、
道しるべは絶え間なく出てきます。
登り始めて2分で、七丁石、距離は合ってます。
急な山道が続きます、
ゴロゴロ石で傾斜もきつく、かなりハード、
道ははっきりしているし、道しるべもいっぱいですが、足場は良くない。
少し落ち着いたところに出てきました。登り口から10分です。
ようやく一息つけます、でも長くは続きませんでした。
あと275mということは登り口から525mほど来たことになります。15分かかっているから時速は2.1kmほど、しっかりした山道です。
表土が流されるままかのような荒れた道、
最後になってもまだまだ急坂、
登り口から20分、ようやくそれらしき建物が見えました。
と、思ったら、建物の右上に続く道があって、そちらの方にロータリークラブの矢印もありました。でも、確かにお堂は下にあるしさらに上に進んでどうするのだと思い返し、引き返しました。
引き返して正解、こちらが泰仙寺でした。
間違いなく本堂です。手前の小さな四阿の中にはお地蔵さんがいます。見るからに新しい作りで、無人のお寺ではありますが世話をしている人たちはいる感じです。
本堂の前の石段はこういう感じですが。
帰ってから英語の地図をみていたら、この上に赤線が続いていて岩屋、そしてお寺のマークがありました。ロータリークラブの矢印は間違っていませんでした。でも日本語の地図だけみていたら、あの上にはちょっと進めない、目的地、終点がそこに見えていて、さらに上にたとえ矢印があっても先が見えないのでは行く気にはなりません。
本堂の前で初日に買っていたビスケットで昼食、2日目焼山寺で食べるつもりで買ったのですが、4日続けて昼食はお接待して貰ったので、やっとのことで開きました。
11時17分、泰仙寺を出発、13分で下りてきました。
11時42分、分岐まで戻ってきました。
分岐から2分ほど進むと、文化財の道しるべがありました。
表側の文字はよく読めないのですが、
裏側にははっきり大正三年七月の文字が読みとれます。
当時は奥の院にお参りするのが普通だった、というよりこちらがメインの遍路道であった時代があったのだと想像します。日和佐トンネルのない時代、よここ峠を越えるよりはこちらの川沿いの道を楽に歩いて奥の院にお参りというのが、地図をみていても自然に感じられます。
国道方面へ矢印は指しています、
矢印の裏側には国道方面から来た人のための道しるべ、地図を見る限りトンネルを通っても国道から来る方が少し遠回りのような、
2017年4月21日 参拝
納経は 2018年9月9日
大日寺の山門を抜けて階段を上がったところから納経所の方向に奥の院があります、
納経所のさらに奥です、
道しるべはばっちりだし一本道でもあります、
ちょっと登っていきます、
山門から3分足らずでお堂が見えてきました、
階段の上が奥の院です、
本堂の前からかわいいお大師さんを撮影、
納経は大日寺でして貰います、奥の院らしさがあって、しかも距離が短くて、一番うれしい感じの参拝でした、納経所の横のお接待所でコーヒーをいただいてこれまたうれしい。
2018年4月25日、参拝
善楽寺を出て10分、間もなく高知市から南国市に入るところ、この日は朝から宿に着くまでしっかり降られました。1日中雨だったのは今年はこの日だけでした。
南国市に入って300m、佐川急便のところで右折して県道を離れるのが普通の遍路道ですが、奥の院はそのまま県道を行きます。佐川急便から500m進むと上の写真、左折の案内板が見えます。右が縁切り寺、左の縦長が毘沙門の滝、毘沙門堂。
毘沙門の滝まで800m、
左折したところ、傘をさしながら頑張って撮影しています、
右斜めに橋を渡ります、
ホテルの方に向かって、
ホテルを過ぎると間もなく縁切り寺が見えてきました、
お寺の手前で左折、
お寺と川の間の道を行きます、
この階段を上がったところに毘沙門堂がありますが、
こちらの橋を渡ります、
橋の上から毘沙門の滝を撮影したのですが、傘をさしているのでぶれてしまいました、この滝の大きさ迫力の10分の1もとらえられませんでした、神戸の布引の滝の倍以上の迫力がありました。遠回りするだけの価値は十二分にあります。
滝そのものが御本尊のはずだからここでお経を上げさせて貰いました。
納経は国分寺です、順打ちの人でも先に納経してもらえます。
2018年4月24日、参拝
竹林寺の奥の院は境内にあります、山門に登っていく人はみんな外国の人、高知市内に入っていくと急に外国の人が多くなりました。
奥の院は本堂と大師堂の間の広場から、山門とは逆の方向に50mほど入ったところ、右側にありました。
船岡堂の正面です、
左の方から、
納経はもちろん竹林寺、奥の院では一番手間のかからないパターン、こういうのはほとんどありませんが。88所の納経帳にも五台山と書かれたのですが、字体が全然違います。ほかの札所でも奥の院は手本の墨書を見ながら丁寧に分かりやすい字体で書かれることが多かったです。
2018年4月23日、参拝
33番雪蹊寺の奥の院は日本語のへんろ地図には載っていませんが英語の地図には載っています。雪蹊寺のすぐ西側の道を北上して県道34号に合流してそのまま県道を北へ2.5km進んだところが上の写真、左にローソンのある大きな交差点です。
信号のある交差点を横断して60m、二つ目の信号のちょっと手前を左折します。
左折したところ、正面の山の中にあるはずです、
左折して60mほど来たところ、
ここが入口、信号を渡ってから150mほどです、この雰囲気だと正面の道を登っていくと誰もが思います、登っていくと行き止まりで何もありませんでした、
右折してこちらを登るのが正解でした、矢印が欲しいところだけど訪れる人も少ないことでしょう。
道は半分に
左折したところ、
登りやすく整備されています、
登り口から3分で、到着、鳥居ですが額には聖観音とあります。
こちらが中谷観音堂です、
左の方にもお堂があるようです、
楠瀬神社
同じ道を引き返して雪蹊寺で納経して貰いました。右側の32番の奥の院も日本語の地図には載っていなくて英語の地図にはあります。納経は禅師峰寺ではなく薬師寺でして貰うことになっています。
2018年4月23日、参拝