横屋でスペイン語圏の女の子と同宿、ぼくの英語のページを見せるとこれから先の宿を全部レクチャーすることになってしまいました。彼女にもカミーノへ行くべきよ、と言われてしまいました。言葉なんてどうにでもなると言うけれど、ぼくは彼女のようなタフな精神を持ち合わせていない。重いザックを担ぐのが何より苦手でもあるし。まだ四国でやることもいっぱい残っているます。管理人の加藤さんと話していたら佐藤さんの予約が入っていると教えてくれました、日付を 確認、会えそうな場所が大体解りました、竹下さんのFacebookの投稿で当りをつけていた通りでした。
佐野から登る山道は倒木が10ヶ所以上、かなりしんどい状態、岡田に到着すると部屋に『四国遍路文化』活き活きプロジェクトのチラシがあって、クラウドファンディングやふるさと納税で雲辺寺道の補修を行うようです。来年の秋には歩く予定、それまでになんとかなっているといいのですが。岡田の同宿は男性4人、女性2人、お遍路初めての人は4人、皆さん、こんな楽しい宿はなかったと頻りに言います。ぼくも楽しんでいる皆さんを見ていてとても楽しい。二日間素泊まりでパンばかり食べていたからご飯もすごく美味しい。雲辺寺の逆打ちは滅茶苦茶しんどかったけれどその疲れがいっぺんに吹き飛ぶようです。
宿の近くの端岡駅から坂出駅まで電車に乗って坂出駅から歩き始めました。国分寺から坂出までは1周して最終日に歩きます。今日の歩きは昨日に続いて上々でした。78番から72番まで全部の区間でベストタイでした。78番から77番まででベストタイが出るのは10年ぶり以上かもしれません。時間の余裕があったので捨身ヶ嶽禅定にも登って来ました。春は雨で写真がほとんど撮れなかったので全部撮り直して来ました。もちろん崖登りもしました。ぼくが登る前にちょうど上から降りてきた男性としばらく話ができました。彼は赤札ですが歩きは今回が初めて。
16時12分、お遍路ハウス三条に到着しました。あまり期待していなかったのですが、予想に反して非常によいお宿です。ホームページでは二段ベッドのドミトリーだったのですが和室の個室に入れてくれました。お風呂もあるしWi-Fiもあります。コーヒーも無料です。部屋にテレビはありませんが共用のリビングにあります。今ラグビーの準決勝を見ています。場所は遍路道から3Kmほど離れているのですが、ぼくにとってはそんなに悪くない、次回の逆打ちでも使いたいと思っています。なんといっても2500円でこれだけの内容はあり得ないでしょう。
Facebookの公開グループ「お遍路さん」に耳寄りな情報が寄せられていました。どのページにも載っていない古民家に泊まったという外国人の情報、大宝寺の20km手前というだけでどこにあるかはっきりわかりません。それが確かであれば突合の近く、大洲駅の近くに泊まる多くのお遍路さんが望んでいる場所です。看板には「京の森」とあるし携帯電話の番号もあるのですが場所が分からない。
改めて調べてみると分かりました。移住体験・交流処 京の森、場所は大福旅館とふじや旅館の中間あたり、国道から道の駅の手前、橋の手前で右折して300m。突合からちょうど4km、大瀬の館からちょうど10km、ときわ旅館から31kmです。1日1組4人まで1棟貸し、素泊まりのみで4000円、TEL=0892-52-3008,090-9546-3729。ここから真弓トンネル、農祖峠経由で癒しの宿八丁坂まで25kmくらいです。
熊野古道伊勢路でワープしてしまった波田須駅から熊野市駅まで3年ぶりの歩き直しです。
駅から海が見える、
駅から2分ほど急坂を登ると古道の本線に合流します。
合流ポイントの道しるべ、
波田須の道は全部舗装道、
波田須の入江、
合流する国道のガードレールが見える、
本線ではないところに史跡があってそちらにも矢印があるからちょっと迷ったりする、
国道が近い、
駅から11分で国道に合流、
大吹峠の登り口か、と思いきや、
違いました。
大吹峠の登り口ではないようです。
登り口まで250m、
国道に入って7分、登り口のようです、
間違いなし、
登り口までちょっとの間舗装道、
向こうに見えるトイレの手前で右に上がっていく、
なつかしい新宮までの距離表示、
ここが本当の登り口、波田須駅から20分でした、
登り始めは急だったけれど、すぐ緩やかな道になります、
01/14 この道しるべも懐かしい、
ここも石畳、伊勢路の峠道山道にはもれなくといっていいくらい、中辺路はもっと歴史があるけれど古いだけに石畳の山道は少ない、伊勢路の石畳は江戸時代になって西国巡礼が急増したために整備されたと言われています、日本有数の雨の多い地域だから必要不可欠だったともいえる、中辺路から熊野三山を巡る観光客が圧倒的に多いようですが、熊野古道は伊勢路を歩かないと本当に味わったことにはならないと改めて思います。
大吹峠まで250mと書いてあります、
登り口から12分峠に到着したようです、
間違いなく峠でした、
国道から500mだから時速は2.5km、朝の7時過ぎだけどひどく暑くてたっぷり二汗かきました。季節のいい時に歩けばさほどきつい山道ではありません、
この時点では台紙を持っていないのでスタンプは押せません。21年の春には戻ってきて伊勢路の完歩を目指したい、
下りも当然石畳、
下りの方が大分距離はある、
400mを7分かかっているから時速は3.5km、昨日の雨で石畳が滑りやすくなっているからそろりそろりです。
苔むしているから余計慎重に、
距離があるのでフラットなところも、
本当に中辺路とはまるで違う、
まだまだ大分ある、
向こう側の登り口です、峠から20分かかっています、
ふつうの人は1時間、ぼくは32分。ぼくの持っているガイドブックは55分でした、
大吹峠越え終了、
下りの時速も2.4kmほど、
まだ本当の下界ではないみたい、
ここが本当の下界、
先ほどの登り口からここまで400mほどあって4分ほどかかっています、
すぐ国道に合流です、
次は松本峠です、
大泊の浜が見えました、
国道を離れて防波堤に上がっていきます。
防波堤の上が歩道になっています。もちろん昔の道ではありませんが現在の西国古道の本線です。
カニ!
防波堤は終わり目の前の橋を渡ります、国道はさらに向こう、
橋を渡る手前、
橋を渡ります、
2分ほどで国道に合流していきます、
合流するとすぐ右側に松本峠の登り口です、
200年前には1年に3万人、現在の四国歩き遍路の10倍近い、サンチアゴデコンポステーラのような賑わいだったということか、
鎌倉時代の石畳も残っているようです、
登ります、
登り始めはごく新しい石段です、
峠まで500m、
新しい石段、
古い石段、
松本峠は伊勢路の中では小さい峠ですが、それでもこれだけ趣深く味わいがある、
なんともいえない、
峠に到着しました、登り口から15分、時速2kmでした、大吹峠は標高200m、松本峠は135mしかないのにこちらの方が少しきつかった、帰ってから調べると大吹峠の登り口の標高がすでに100m、ぼくの感覚は間違っていなかった、
峠から左折してしばらく行くと展望台があるけれど、行かない、時間より体力的にしんどい、
スタンプもあります、17か月後を楽しみにしましょう、
展望台への分岐点。向こうの登り口まで600m、時間の余裕はだいぶあるけれど、
展望台への道、
熊野市へ降りていく、
峠から4分で06/07、こちらの下りはだいぶ短い、
平たいところに出ましたがまだ下界ではありません、
まだ高いところにいます、
意外なところにお大師さん、
鳥居とお大師さん?
反対側から来ると二又で迷うから有効な矢印です、
まだまだ下ります、
町が見えてきました、
下界に到着、峠から16分、下りの時速は2.4km、
峠の道しるべと距離が200mも違う、駅まであと10分、
この橋を渡ると熊野市の街中です、
ここを右折、
右折したところ、海岸と並行に南下(正確には南西の方角)しています、
この交差点が前回ワープしたところの合流点です、これでなんとか熊野古道伊勢路が全部つながりました、本線を外したところはいくつかありますがそれは仕方ないでしょう。
本線はここから左折して海岸に出ます、
今回はつながったので右折して駅に向かいます、
交差点の道しるべ、
熊野市駅に到着、松本峠から32分、波田須駅から2時間3分でした。ここから電車で新宮に向かいます。
10時21分、新宮駅に到着、3年前に来たときは新宮市内の熊野古道があることはガイドブックを見て把握していたのですが、とにかくタイトなスケジュールだった(1日で熊野市駅前から那智大社まで全部歩く)ので国道を斜めに行く近道を歩いてしまったのでした。日傘さんのブログを見るとぼくは本当に新宮を全部ワープしていたのだと恥ずかしくなって今回のやり直しになったという次第、
新宮駅前には「はとぽっぽ」の歌碑があります。作詞した東くめが新宮の人です。一般によく知られている「鳩ぽっぽ」ではなく、そのもとになったと考えられている曲です。作曲は滝廉太郎、文部省唱歌は作詞作曲者が判っているとまずいということで詩も曲も書き換えられたと考えられています。
この歌は初めて口語体で書かれた、そこに歴史的価値と意味がある。
鳩ぽっぽ はとぽっぽ
ぽっぽぽっぽと 飛んでこい
お寺の屋根から おりてこい
豆をやるから みな食べよ
食べてもすぐに 帰らずに
ぽっぽぽっぽと 鳴いて遊べ
これは17年前に撮影した東京、浅草寺境内にある鳩ポッポの歌碑です、
昭和37年に造られた、お寺の屋根は浅草寺の屋根だった、
これから向かう神倉神社の矢印、
ここから右上の赤丸「神倉神社」右下の赤丸「熊野速玉大社」左下の赤丸「阿須賀神社」左上の赤丸「高野坂」の順番で巡ります。3年前は速玉大社以外は全部スルーしてしまった。
新宮市役所の向こうの交差点を右折する、
右折したところ、向こうの山の上に神倉神社がある、
国道を横断する、
突き当たって左折、
左折してすぐ右折、この100mが100mではないことは承知しているつもり、
右折したところ、
橋を渡れば神倉神社の境内です、
神倉神社は世界遺産です、そのことも知らなかった、帰ってからつい先日放送されたNHKの熊野古道のドキュメンタリーを見てその意味を知る、
熊野三山の始まりともいえる、
鳥居をくぐる手前からものすごい石段が続く、写真でみえなくなっているあたりから勾配はさらにきつくなって大げさではなく60度はあるのではという感じのところもある。
一番急激なところを終えて振り返ったところ、すぐ後ろが見えなくなっているくらい急な傾斜。この下りは四国のすべての崖下り、捨身が嶽やせり割行場、建治寺、さらに小豆島の笠が滝よりも恐ろしい、なにしろ手すりも鎖もないから。
これで大分緩やかになったところ、
下から見ると神様が降り立ったという岩の全容が全く捉えられない、NHKのドローンの映像は本当に見事というしかない、
やっぱりよく分からない、
熊野川河口方面、
上がって社の前でお参りします、
社の前から新宮市街、
崖の下りは本当に怖かった、これ以上に慎重になったことはないくらいゆっくり降りてきました。降りてきたところに外国人カップル、地元の人と何やら歓談中。
神倉神社を出てすぐ左折、水路沿いの道を北へ向かう、
速玉大社まで300m、
10分で速玉大社に到着、神倉神社で30分も滞在したのでお参りはしません。
速玉大社から海岸に向かって8分、左手に新宮城が見えてきました、時間が読めないのでこちらも立ち寄りません、
登り口です、
思った以上に立派な石垣、
ちょっとだけクランクの交差点を横断、
すぐ突き当たって右折、
地面に道しるべ、
右折の後左折してまもなく阿須賀神社に到着、速玉大社から18分、
こちらも世界遺産です、
阿須賀王子跡です、
阿須賀神社を出るとすぐ突き当たって右折、
500m進んでまた突き当たって左折、
さらに500m進んで橋を渡る、
渡ってすぐ右折、
二又は左へ、
この二又も左、地面に道しるべがあります、
ありがたいのだけれど、道路工事があればまたやり直しにならないのかと思ったり、
次は右、
ちゃんとあります、
ここは左、
二又にはもれなくあります、
ここも左、前の杜は王子神社、
阿須賀神社から17分で浜王子に到着、
浜王子が明治時代に王子神社になった、
浜王子から海岸へ、古道は県道の下を抜けて浜辺を歩きますが、歩きにくくて時間が読めないので県道を行きます、
県道に上がります、
県道を南へ、
余裕があれば歩きたいところですが、
この先を左へ入る、浜王子から20分、
県道を左折するところ、浜辺を歩く人は少ないようです、
現代の古道です、
県道から5分で高野坂の入り口です、右はトイレ、
登り口で17分ほど休憩して12時49分登り始めます。
高野坂は峠ではないので大した登りはないようです、
石畳も部分的にあります、明治以降の感じはしますが、
登りは少ない、
分かっていればここで休憩していた、
ちょっと下っている、
こちらの石畳も新しい感じ、
24分で向こう側の登り口に到着、
三輪崎駅まで500m、
前回歩いた道に合流、
三輪崎駅前、
三輪崎駅から17分で新宮佐野郵便局、中で休憩させてもらいました。
佐野郵便局から1km、
佐野王子です。熊野古道伊勢路には新宮まで王子はないけれど、新宮からはあります。新宮までの伊勢路は平安時代の都人のルートに含まれていなかった、江戸時代のお伊勢参りから熊野へ向かう庶民のためのルートであった。
佐野王子から1km、宇久井駅前です、ここから1km先で国道を離れて小狗子(こくじ)峠に向かう。高野坂の後那智駅までは古道は小狗子峠と大狗子峠だけ、3年前来た時ここもスルーせざるを得なかった、
予定の道より少し早く国道を離れる道に矢印が、
これだけはっきりした案内板なので従います、
右折したところ、
踏切を渡る、
すぐ突き当たって左折、
矢印に従って左折、
左折したところ、撮影があるので追いつけない、
突き当たって右折、予定の道はここを左から来るはずだった、
右折したところ、すぐ先を左折する、
ここを左折、
左折したところ、ここから山に入っていく、
左折するところの矢印、
突き当たって右折、
右折したところ、
山道に入ります、
昔は小串峠だった、
スタンプがありますが、ぼくのもらったスタンプ帳にはここのは含まれていません、新宮の手前で満願、
ここもしっかりした古道です、伊勢路はもれなく苔むした石畳が見られます、
そろそろ峠かというところ、登り口から5分ほどでした、
さらに3分、
同じところ、
国道が見えました、峠から6分、
前の看板にも国道に出てから大狗子峠へ行くように書いてあったけれど、地図を見ているとこの少し手前で入っていく道があってそちらの方が自然な感じがする、ぼくが調べた伊勢路のルートもそちらに赤線があった。トンネルの横から登るのは大変な坂だったと日傘さんが書いていたことからして本当の古道は手前の道だと思われる、バスの時間がギリギリになってきたので今回も大狗子峠は回避することにしました。時間もそうだけど暑くて思った以上に体力を消耗して気力がなくなってしまった。
国道に出ます、3年前来た時この出口は確認していた、
正面が大狗子峠、大した山越えではないけれど、とにかく気力がね、
国道に出てから30分弱で那智駅に到着、
那智駅からは前回歩いたのでバスに乗って滝前まで、今回は那智大社でも青岸渡寺でもなく滝が第一の目的です、
300円払ってさらに近い展望台へ、
20分ほどしぶきをあびました、時間が許せばもう1時間くらいは居たかった。
紀伊勝浦駅前のhotel&rent-a-car660,素泊まり5000円、3年前来たときはいろいろ探して最安値がパルスインの5400円だった。このホテルは見つけられなくて日傘さんのブログで知ることになりました。大浴場もあってとても快適でした。
紀伊勝浦7時20分発に乗って紀伊田辺で40分の乗り換え待ち、10時15分に南部駅に到着しました。
3年前岩代荘で出てきた多くのごちそうの中で梅干しの天ぷらが最高に美味かった。本当に日本一だとぼくも思っています。
3年前迷いに迷った千里王子の前後の道を歩き直します、
駅から1km前回とは違う道に矢印があったのでそちらの道に入ります、赤線の方が少しだけ近道、千里王子までは熊野古道の赤線と西国古道の赤線が大分違っています。今回も基本的に西国の赤線を歩きます、
川の土手に上がっていく、
川を渡る、ここは共通の道、
西国の赤線は橋を渡ってすぐ国道を離れて左の方に入っていきます、矢印もありますが、熊野古道はもう一つ先で左へ折れます、こちらは西国の道、ちょっとした丘を越えていきます、
丘を越えると海が見える、西国の赤線はここを右だけど、前回その通りにしたら山道に入っていきどまりだった、それが躓きの始まりでひどい目にあった、
矢印は左折でこれが正解、西国の赤線は歩けなくなっている道が時々あるので矢印に従うのが迷わないコツ、1000km歩いて分かったけれど初めて来たときはなかなか思うようにはいかない、
左折するとすぐ道なりに右折、
すぐまた右折、矢印があります、
10分ほど歩くと海岸に出ます、前回ここまで来たときに砂浜を歩くのが嫌で反対側の方に登っていった、それが大きな間違いで迷いに迷って、千里王子には何とか辿り着けたものの、その後がまた大変で結局諦めて国道を行くことになった。
水門の右から砂浜に出ます、景色は最高だけど当然歩きにくい、
砂浜を9分ほど歩いて千里王子に到着、砂浜を歩くと向こうに線路の下を抜けるトンネルが見えています、前回こちらからきていれば普通に迷わず赤線の道に入れていた、たった8分のことだったのに。
千里王子です、前回はここまでは来ていました、
花山院の歌碑、
千里王子からさらに砂浜を歩いてトンネルに到着、西国の地図は微妙なな感じでこんなに離れているとは思わなかった、
トンネルを抜けるとすぐ矢印、
ここまでの登りがかなりきつかった、何しろまだ夏だしこの天気、
ここからは下り、
千里王子から35分で岩代駅に到着、岩代王子はまだ少し先、
国道をくぐる手前で左折、
左折したところ、
線路を越えるとすぐ岩代王子です、
これにて夏の旅は終了、前回歩けなくて心残りのところは大体やり直せたのですが、まだまだコンプリートとは言えない、少なくともスタンプ帳は埋めたいという気持ちは強くなっています。
ひらめき
10月になってから新しいシューズをおろして、ソウルがまだフカフカで跳ねるように快調にイオンの中を歩く、四国でもベストタイが当たり前のように次々に出そうな勢いです。今回は納経帳を持たないし88ヶ所以外のお参りもしないのでちょっとだけスピードを意識しようかと考えています。イオンの中でスピードを意識して歩いていると思いもよらないことが頭の中をよぎることがあります。家の中で机の前で何日も何十日も練りに練った計画が一瞬にして否定されてしまうことがある。無意識に降ってくるようで、頭の中ではセロトニンがバンバン出ている状態だから簡単に無視することはできない。
ということで、小豆島から四国に入るのはやめて普通にマリンライナーでいくことにしました。小豆島から行くとハードルがいくつもあってどれかに引っ掛かりそうな感じがどうしても抜けきれない。初日から躓くというのはどうしても避けたいのでまたまた安全策です。
さらに来春の坂東33観音ですが、今の状態ではとても気持ちよく歩けそうにないので延期することにしました。ニュースで聞いているだけでも、巡礼コースの東松山、足利、佐野、栃木、常陸大宮、大子で河川が氾濫している、50以上の河川で溢れたというから半年くらいではとてもすべてが元通りということにはならないだろう、
来春は新四国曼陀羅霊場の通し、に加えて36不動のうち22ヶ所、番外霊場21ヶ所を巡ることにしました。春と秋で36不動と番外霊場も満願を目指します。