WALKER’S 

歩く男の日日

4月11日 4日目 土佐民宿大平(土佐清水市)~はたご(大月町)

2014-05-26 | 14年四国の旅


 大平の朝食です。今年も納豆が出ました。昨年3つの宿で納豆が出て、どれもとても美味しくて、ついに家でも買って食べるようになってしまいました。食後のコーヒーも味わい深くてうれしい。2食付き7000円、昨年より500円の値上がりですが、これは仕方のないところでしょう。すぐに10%に上がるのであれば、この機会に500円上げてしまうのは普通のことでしょう。
 今日歩く距離は40km以下で札所もないので、ゆっくり7時ちょうどの出発です。今回は「来年も来ます」とは言いませんでした。来年は納経帳を持って巡るのでできるだけ遠回りは避けて、中村=足摺=三原村=愛南町、という効率重視のルートになってしまいます。



 宿を出て100mちょっと、国道に合流するところに新しい宿ができていました。魅力的な価格なのですが、ここを利用するお遍路さんは多くないでしょうね。


 宿から2kmほど行くと海の駅が見えてきました。この中にビビる大木さんが名誉館長を務めるジョン万次郎資料館があります。宿からもう少し近ければ昨日のうちに行くことも考えたけれど、往復4km以上となると負担が大きすぎます。もちろんこの時間には開いていません。


 3kmちょっと歩くときれいな夫婦岩が見えてきました。そういう名前が付いているかどうか分かりませんが、
 足摺はいつの間にか国立公園になっていました。54年前に発行された足摺国定公園の記念切手にはお遍路さんの姿が描かれています。ぼくがその切手を購入したのは発行されてから10年以上後のことですが、その頃にはまさか自分がお遍路さんになって足摺岬灯台を眺めるなんて思ってもみませんでした。





 8時18分、本日最初の休憩ポイント、道の駅めじかの里土佐清水に到着しました。8年前来たときと同タイムでした。9年前にも来たけれど、その時はここまでのタイムはとっていませんでした。

 この休憩所は8年前にはありませんでした。トイレの前にあったベンチで休んでいたら、隣に来た女(ここで働いている)がたばこを吸って大いに迷惑だったのを未だに忘れられません。


 道の駅から1600mほどで観光地竜串の町へ入っていきます。民宿とさやは10年前に泊まりました。応対も設備も良かったけれど、遍路宿にしては値段がちょっと高く、お風呂の石けんも有料だったのにはまいりました。遍路宿ではなく観光地の宿だから仕方ないのかも知れないけれど。次の日は下益野まで引き返して今ノ山峠越えで三原村に入り、延光寺まで行って門前の嶋屋旅館に泊まりました。2巡目でほとんど知識もなにもなく行き当たりばったりでした。


 足摺海洋館の前にある観光案内板です。見残し海岸は遍路道から2km以上離れているから初めから諦めていたけれど、これによると、観光船で行くみたいです。観光の時間も含めて往復で1時間と書いてあります。船に乗らなくてもいける竜串海岸、大竹小竹はそんなには離れていないけれど、大部行き過ぎてしまったので、もう戻れません。ここから行けるのは弘法大師見残し展望の跡だけのようです。


 案内板から少し西に来ると、ちゃんと道しるべがありました。一安心、距離も250m、手頃です。


 遊歩道が整備されています。この海岸もなかなかのものですが、見残しはもっとすごいということなのでしょう。


 大師のように見残しを展望します。どのあたりが見残し海岸かよく分からないのですが。




 ということだそうです。こちら側の道はもう最後になるかなあ、とこの時点では思っていたのですが、見残してしまったし、また泊まりたい宿も、会いたい人もいるので、再来年にはもう一度来てみたいという気持ちになっています。


 見残し展望の跡から1.5kmほど歩くと本日最初のトンネル、下川口トンネルが見えてきます。竜串から大月町に入る手前まではトンネルの道でもあります。


 下川口の集落を抜けてさらに1kmほど行くと、片粕トンネルです。昔の遍路道はトンネルの入口の所からぐるりと海岸線を巡る道があります。江戸時代にはその道さえなく山を越えていたのかも知れません。この過酷な海岸線を避ける近道が下川口から三原村へ向かう県道28号で、遍路地図にも赤線が付いています。この道はまだ歩いたことがありません。今ノ山峠越えより遠回りになりますが、峠の標高は250m、今ノ山峠は646mもあるから時間的にどれくらい遠回りになるかよく分かりません。県道28号から県道344号に入り、その道が三原村に入って1.5km、仁井田神社の近くに新しい農家民宿NOKOもできています。


 片粕トンネルの出口から歯朶ノ浦トンネルが見えています。


 歯朶ノ浦トンネルを抜けて1km先に貝ノ川トンネルです。


 貝ノ川トンネルの出口から叶崎トンネルの手前の大津大橋が見えています。


 叶崎の集落に入っていく手前に二つの民宿の看板がありました。ぼくは8年前に叶崎に泊まりました。このとき出た魚が最高に美味かった。料理を食べて声を上げそうになったのは後にも先にもこのときだけです。部屋やトイレ、洗面、お風呂は△なのですが、奥さんの人柄の良さと抜群の魚のおかげでぼくの中では「絶対また泊まりたい宿」の評価です。再来年、足摺の宿からここまで歩くとしたら33kmくらいなので、観光船で見残しを見学することも可能です。


 大津大橋から叶崎灯台が見えます。8年前は民宿に泊まるために、この橋は通らなかったので、この光景を眺めるのは初めてです。


 橋を渡り終えると叶崎トンネルです。入口の手前で2回目の休憩をとります。大平から19km、時間は10時31分、本日の中間ポイントです。


 灯台の方へは遊歩道があってそちらまで行けばベンチもあるのですが、手前の駐車スペースの地べたにへたり込みます。こちらの猫はやや用心深くてなかなか近づいてきてくれません。


 叶崎では24分の休憩、10時56分に出発です。叶崎トンネルを抜けたところからまた叶崎灯台を眺めます。8年前この道は通ったけれど、雨が降っていたし振り返るだけの余裕があったかどうか。灯台を見たか見なかったかはっきりした記憶は残っていません。


 叶崎トンネルを抜けて500mで西叶崎トンネルです。出口が見えているほど短いトンネルです。


 西叶崎トンネルの出口から脇の川トンネルが見えています。


 脇ノ川トンネルを抜けて500mで本日の宿がある大月町に入ります。土佐清水市の道は3日に渡って64km歩いたことになります。一つの自治体としては最も長い距離になります。


 大月町に入って2kmほど歩くと、大きな道路標識がありました。遍路シールを探すまでもありません。国道を離れます。昨年ここまではバスで通ったけれど、ここからは本当に8年ぶりの道です。その時は、この少し手前で先に出た同宿の男性を追い抜きました。


 大浦の集落を抜けるとちょっとした山越えの道が待っています。このみちはあまりきつくなかったという印象が残っています。


 山越えというよりは山の脇を巡ってくる道で標高は50mまでで全く問題ありませんでした。そして、何となく覚えている道がほとんどでした。やはり楽な道は記憶に残っていることが多いようです。あっという間に自動車道に出てきたという感じです。


 遍路道は自動車道を横断してまた山道へ入るのですが、今回はこの道は歩きません。前回は最後の方でよく分からなくなって、無理矢理自動車道にはいずり出てきたという苦い経験があるので、今回はすっきり舗装道を歩いてどちらがどれくらい遠回りになるかも確かめておきたいのです。


 ここからはしばらく初めて歩く道です。アップダウンもあまりないようです。


 遍路小屋がありました。こちら側の道には赤線が付いていないけれど、こちらを歩く人もいる、むしろ多いのかも知れません。


 そして、この光景です。歩きやすいということ以上に値打ちです。
 遍路道が自動車道に合流してくる道はちゃんとありました。しかも、かなり広くてしっかりした道でした。ぼくが無理矢理下りてきたであろうポイントとそんなに離れていませんでした。もう少ししっかり探せば本当の道で最後まで行けたようです。でも雨が降っていて傘もさしていて、初めての道で最後の方は半分パニックでした。




 12時04分番外霊場月山神社に到着しました。叶崎から70分、8年前より3分ほど早かったようです。最後の山道は1300mほどだから、そこでは4.8km/hほどで歩いていたことになります。
 昼食休憩は35分ほど、108円のビスケット一袋のみゆっくりいただきます。docomo携帯(ガラケー)は圏外になっています。


 月山神社を12時40分に出発、800mほど来たところに赤泊の浜へ下りていく分岐点が確認できました。8年前、ぼくが持っていた遍路地図(第4版)では姫ノ井小学校の近くに下りていく自動車道に赤線があって、赤泊の浜に下りていく道には赤線はありませんでした。その前の白黒の地図でもそうでした。しかも、赤泊へ下りていく道もこの近道ではなく大きく折れ曲がる遠回りの道しか書いてありませんでした。
 だから8年前来たときには、全く意識せずに歩いたし、そんな道があったという記憶も残っていなかったので少し心配だったけれど、分かりやすい道しるべがありました。


 この道しるべは2008年に建てられたから前回ぼくが来た2年後です。2007年に出た第8版の地図からは展望台経由のこの近道にのみ赤線が付いています。遠回りの大きく折れ曲がる道には赤線はありません。その頃この道が整備されたのでしょうが、昔の遍路道は遠回りで赤泊へ下りていく道ではなかったかと、首を傾げながら展望台へ向かいます。


 登ると書いてありますが、大したことはありません、高さも距離も苦にならない程度。他にも、地元の小学生が作ってくれた道しるべがいくつかありました。


 自動車道の分岐から赤泊の浜までは地図を見る限り1km弱というところですが、ほとんどが下り坂だったにもかかわらず20分もかかりました。焼山寺や横峰寺の登りと同じくらいのスピードしかでなかったことになります。後半のつづら折りの下りはかなり膝に負担がかかり、且つ慎重に下りなければなりませんでした。そして一番すごかったのがこの浜の手前の部分です、ゴロゴロとした大きな石や岩が敷き詰めていて、気をつけないといつでもどこでも捻挫できるという感じです。こんな所で挫折するわけにはいかないので、細心の注意を払いながらそろりそろりと浜に下りていきます。浜に下りてもご覧のようなゴロゴロで思ったように進めません。ここから脱出できるのか一瞬途方に暮れそうになるくらいです。


 何とか無事に浜の上の道まで上がってくると、地元の人20人くらいが大宴会の真っ最中でした。桜は完全に終わっているし、平日だし、いったい何なのかという感じですが、恒例の行事だと言っていました。ぼくが山道を下ってきたというと、感心して、「お接待させて」とラップに包んだ炊き込みご飯のおにぎり2個と500ccのペットボトルのお茶を持ってきてくれました。険しい道を乗り越えてきたばかりなので、ご褒美を頂いたような気持ちになりました。本日の宿は朝食がないので、おにぎりは明日の朝いただくことにします。


 赤泊の浜から1800m、探していた家がやっと見つかりました。


 元善根宿、西田家です。四元さんがこの家で江戸時代、明治時代のおびただしい納札を見せて貰っていました。むかしのお遍路さんの多くがこちらの道を歩いていたことを知ってびっくりしたのを覚えています。昔は、おそらくあの自動車道はなかったのでしょう。そして、自動車道ができてみるとこちらの道よりは大分楽で時間も短縮できるということで、遍路地図では赤線が付いてしまったのでしょう。
 ここで、初めてチェ・サンヒさんの遍路シールを確認しました。2年前くらいに貼られたはずなのに色落ちが激しいようです。ここまでは本当に見事なまでに見ることはなかったです。


 昨年バスの中から眺めるしかなかった姫ノ井郵便局にようやく戻ってきました。この中に入るのは8年ぶりです。また来たいと思いつつ、こちら側の道は下ノ加江方面へ打ち戻るよりも14kmは遠回りになるので、これだけの歳月を要してしまいました。


 8年前ここに来たときは朝からずっと雨で、月山神社を出た後、休めそうな所が全然なくて、ようやく見つけたこの郵便局で休ませてもらいました。そのとき太龍寺の黒豆茶をごちそうになり、このタオルもいただきました。以来、07年、08年、09年の通し、12年の別格区切り打ち、そして昨年今年とずっとこれ1本で巡っています。当時、ぼくは白衣も着けず、金剛杖も菅傘も持たなかったので、お遍路だと気がつかれることも少なく、自然お接待を受けることもほとんどなかったので、この郵便局で休ませてもらったときのことは心に沁みました。それを忘れないようにこのタオルを大事に使い続けてきたのです。
 もう一度、局長さんに会いたかったのですが、仕事で外出中だとのこと、残念だったのですが、8年前のことを女性局員さんにお話しして、ブログのアドレスを書いた納札を渡してもらうようにお願いしたので、すっきりしました。でもまた、このタオルを持って来られたらいいな、とは思っています。


 事情を話して納札を差し出すと、少し待ってくださいと、局員さんが奥に入っていって、この、ごっくん馬路村を持ってきてくれました。本日2回目のお接待で感激です。郵便局のすぐ横に新しい遍路小屋ができていて、そこで本日3回目の休憩です。


 郵便局の横では20分ほど休憩し、14時20分に出発です。宿まであと7km弱だからちょうどいい時間です。郵便局から4900m、道の駅大月には45分で到着、時速6.5kmですから十分すぎる速さですが、8年前はそれよりもう少し速かった。


 15時30分、本日の宿はたごに無事到着しました。8年ぶりにこちらの道に戻ってくることができて大満足の1日でした。


 お刺身三種盛りで量も十分、キビナゴとハマチと白身(名前は分からなかった)、これで今回泊まった土佐の4つの宿のお刺身は全部種類が違ったことになります。ありがたいことです。ご飯は大抵3杯は食べるのですが、2杯でも十分なくらいおかずの量はたっぷりでした。
 ご主人は感じのいい方で。お遍路の話をたくさんしてくれました。普段はお遍路さんはあまり通る道ではないけれど、大型連休の時はご多分に漏れず満室で(3室)で断るのが大変だといってました。今日は金曜なので釣客二人連れが二組で満室です。部屋は隣との間仕切りがふすま1枚で丸聞こえ、おとなりさんは12時近くまで缶ビール缶酎ハイで盛り上がり、寝たと思ったら大いびき。ぼくはいったいどれくらい眠ったのだろうという感じでした。5年前までなら腹の一つもたてたかも知れませんが、今回は、そういうこともあるでしょう、という感じで、寝ころんで目をつぶっているだけでも十分という開き直りができました。1日中歩いて、風呂に入って、夕食をたっぷり食べて、ということで、本当に熟睡感はなくても、疲れはとれていて朝はいつも通りという感じでした。
 夕食付き4000円、素泊まり2500円、朝食はありません。
 部屋はテレビもなくそういう感じですが、月~木曜だと釣り客もなくお遍路さんもあまり来ないので一人で静かということが多いと思います。そうであれば、この食事でこの値段ですから、当然◎の評価をする人が多いと思います。ぼくはたまたま運が悪かったということで、評価は○ということにはなりますが。

4月10日 3日目 民宿いさりび~38~土佐民宿大平

2014-05-17 | 14年四国の旅


2日続けての、見事な太平洋からの日の出です。奇跡というほどではないにしても、なかなかの確率でしょう。もしかしたら、これが今回のお遍路の序曲だったのかも知れません。


 朝食は撮り忘れません。

 お接待の焼きおにぎりとキャンディです。足摺のジョン万次郎の前で頂くことにします。
民宿いさりびは2食付き7000円、500円値上がりしていました。
 本日は歩く距離が短いので、ゆっくり7時10分の出発です。


 足摺自動車学校の入り口に5年前にはなかった看板がありました。新しい風景には自然とカメラを向けたくなります。
 出だしの調子はあまり良くありません。というのも、腰の筋肉と背筋の下の部分がかなり痛んでいるからです。理由は分かっています。ザックのベルトを絞りすぎたのです。荷物の位置を上げれば軽く感じると信じていたけれど、上げすぎて筋肉が窮屈な感じになってしまって、昨日、一昨日はタイムが出なかったのでした。ベルトを元に戻したのですが、痛みが残ってまだベストの歩きができていないようです。


 短絡路を抜けて大岐マリンの前に出てきました。ちょっと見えにくいのですが、奥の車の前に赤ちゃんを抱いたご主人が出てこられました。元気に挨拶すると笑顔で返してくれました。ぼくは大岐マリンに泊まったこともないし食事をしたこともないけれど、ご主人の顔は、神戸のSさんのブログで見知っていたのでした。
 大岐マリンから1.5kmほど歩くと民宿岡田があります。玄関の横におばあちゃんが椅子を出して腰掛けていました。おはようございます、と言って通り過ぎようとしたのですが、あっと、思い直して、声をかけてしまいました。女将さんは交通事故に遭って宿は休業状態だとネット情報で見ていたのでした。身体はもう大丈夫ですか、と訊くと、にこにこうなずきながら、大丈夫ですよ、と優しく応えてくれました。ぼくはこの宿に泊まったことはないのだけれど、自然にそんなことになってしまいました。椅子の横には杖が立てかけてあって、まだ不自由な部分があるのかも知れないけれど、元気そうでした。営業しているかどうかは訊けなかったのですが、しばらくお話しして、なにかうれしくて元気が出てくるような感じがしました。


 いさりびから6.3km、幡陽小学校の前のバス停にやってきました、5年前は久百々のバス停で休んだからここでは休まなかったけれど、それまではいつもここで休んできました。今回も朝イチでこの距離なのでもう少し先まで休みません。


 5年前はまだ工事中だった土佐清水市街へ向かうバイパスが開通しています。でも昨年乗った路線バスはこの道を通れない。前の道の途中にいくつかバス停があるから無視するわけにはいかないのです。


 星空の看板が残っています。数年前休業の情報が流れたけれど、今は再開している模様。


 9年前お世話になった民宿星空、四万十の渡しで一緒だった神奈川から来た女性お遍路さんと同宿だったこと、洗濯はお接待だったこと、朝食に出た納豆は食べられなかったこと、38番を打ち戻ってきたときコーヒーをご馳走になったこと、そのとき「ぼくのじいちゃんは30日で1巡したと言ってたなぁ」と思い出話を伺ったこと、忘れられないことはいっぱいあります。
 星空のすぐ前から国道を離れて以布利港へ下りていくのが遍路道(近道)だけれど、今回はそのまま国道を歩きます、以布利トンネルのすぐ手前で左折して県道を歩きます。この遠回りがどれくらい遠回りになるか調べるためです。こんな遠回りの道をだれが歩くのかと思われる向きもあると思いますが、山道の大嫌いな家田荘子さんはもっぱらこの遠回りの道を歩くそうです。


 県道に入る少し手前の短絡路です。この部分国道はすごいヘアピンカーブの坂道でかなりの近道にはなりますが、勾配もすごい。打ち戻りの時に2回ほど歩いた覚えはあるけれど、上りで歩くのはたぶん初めて。なぜ、たぶんかというと、最初の時以布利港へ下りていく道を知らなくて、こちらの道を歩いたのは覚えているけれど、この短絡路に気づいたかどうかまでは覚えていないのです。
 近所のおばちゃんとすれ違って挨拶はしたけれど、ちょっと怪訝そうな顔をされました。ここを歩くお遍路さんは滅多にいないのでしょうね。打ち戻りでも、近道の東海岸を歩く人が圧倒的に多いのかも知れません。3kmほど近道になりますから。


 県道の入り口です。ここからは見えないけれど、左折ポイントまで行くと以布利トンネルの入口が見えます。最初ここに来たときトンネルを出てくるお遍路さんの姿が見えました。もう11年も前のことなのに妙に忘れられない映像です。


 海岸から上がってくる本来の遍路道が合流してくるポイントです。5年前のタイムと比較すると14分の遠回りでした。地図を見るとそれほどの距離の差はないので意外でした。5分以下ではないかと思っていました。


 次の近道の入り口です。もちろんそのまま県道を歩きます。県道はウサギの耳なのでこちらの方が遠回りになると思っていました。


 近道が合流してくるポイントです。ウサギの耳は地図で見ているよりずっと長く感じました。ちょっと後悔しそうなほどでした。でもタイムは5分の遠回り、全体の長さがそれほどでもないので思ったほどの差にならなかったようです。合計で19分の遠回り、来年以降は歩きません。


 2番目の近道が県道に合流すると、すぐ目の前に3番目の近道の入り口があります。5年前、一旦入りかけた家田荘子さんが引き返したところに出くわしました。そのときは全く意味が分かりませんでした。
 ここも入らずそのまま県道を歩いたところ、近道と同タイムでした。県道は途中でいい景色の所もあったから、来年以降も県道を行くことにします。


 窪津の街が近づいてきました。この1kmほど手前で二人の歩き遍路さんを追い抜きました。時間からすると大岐マリンか大岐の浜から来た人だと思われます。そしてこの少し前に打ち戻りの若い人とすれ違いました。足摺からだと三原村の一番近い宿でも40km、その手前だと安宿の25kmだから、そこまでということはないだろう。あるいはその中間で野宿をするのか。
 目の前の山越えの近道は回避しません。家田さんはこの道さえ無視して県道をそのまま歩いてました。ぼくも最初の時は近道を知らなくて県道を歩いたけれど、県道の方が辛かったような記憶があります。


 本日最初の休憩ポイント、窪津小学校の前までやってきました。遠回りした分を差し引くとベストタイムとほぼ同じでした。出だしに比べて身体がほぐれていい動きができています。5年前までは校門を出たところにほったて小屋のようなバス停があって腰掛けもあったけれど、完全に消滅していました。今日は晴れているからいいけれど、雨の日には別のポイントを考えなくてはなりません。


 校門を出たところで休もうとしたら、車が校庭に入っていき、中から出てきた先生か事務の人が、中で休んでくださいと促され、校庭の脇にあるベンチで休ませてもらいました。しばらくして入ってきたのは移動図書館。
 窪津小学校では20分ほど休憩、10時04分に出発です。金剛福寺まで写真は撮らなかったのですが、一つだけ5年前にはなかった風景がありました。短絡舗装道がまたできていました。11年前からいくつかのきれいな短絡路ができてきていたのですが、また一つ増えて少し歩きやすくなりました。でも、このようにして昔の人が歩いていた道がだんだん無視されていくというのも味気なく感じてしまいます。
 小学校から1kmほど先の茶屋で男性お遍路さんが地図をチェックしながら休んでいました。もちろん、打ち戻りかこれから足摺に向かうのか分かりません。でも、足摺までは6kmほどだから打ち戻りではないと思われます。
 そこからしばらくして、小学校で休んでいる間に追い抜いていった、窪津の前に追い抜いた男性に再び追いつきました。知らぬ間に追い抜いていたのでちょっとびっくりされました。しばらく一緒に歩いて話しました。
 さらに2kmほど行くと今度は打ち戻りの人に出会いました。いさりびで同宿で車で送ってもらった人でした。食堂では眼鏡がなくてよく分からなかったけど、部屋に戻って見たら、とてもよくできた有用な資料だったと、改めてお礼を言われました。


 11時15分、38番札所金剛福寺に到着しました。今回の旅最初の札所であり、1番札所霊山寺から最も遠い札所でもあります。小学校からの歩きは快調でベストタイでした。


 水屋の亀さんがいなくなっていました。これも5年の歳月です。少し肩を落としながら初めてのお参りに向かいます。


 予定通り万次郎の前で昼食です。万次郎の写真は敢えて撮らず、遊びに来てくれた猫を撮影、観光客やお遍路さんが多いせいか、そんなに人見知りではなく、女性の観光客が近づいて身体中をなで回しても為されるがままで気持ちよさそうにしていました。
 宿まであと15km、2時間半ほどで着いてしまうので、たっぷり45分の休憩、12時15分に出発です。


 金剛福寺から5km、松尾小学校の前までやってきました。ここまでは8年前とほとんど景色が変わっていなかったのですが、ここへ来て、あっという感じです。ここは、確か最初来たとき(11年前)は工事はしていなくて、その翌年から工事が始まっていたような記憶です。その関係で山道へ入っていく道がちょっと違っていたはずです。ただ、そのときは何の工事か全く分からなかった。まだ穴は全く空いていなくて手前の部分の整地が始まりかけていただけでした。最後にここに来たのは8年前、そのときもまだ分からなかったけれど、8年経てばというところでしょう。いつ開通するのか分からないけれど、そうなればこれから歩く山道もだれも歩かなくなってしまうのでしょうか。


 トンネルの横から、県道を短絡する山道が始まります。最初来たときはこの手前ももっと情緒のある道だったような気がします。トンネルは1200mくらい(新伊豆田トンネルよりちょっと短い)になるようです。このトンネルができると清水の街から足摺まで一番の近道でかつ細かいカーブが少なく高低差も少ない便利な道路になります。
 山道は今まで4回歩いたけれど、完全に忘れていました。想像していたより遙かに長くきつかったです。そして平坦で広い道に上がってくると途端に記憶がよみがえってくるのです。辛いことから記憶が飛んでいく、というのは本当に本能なのだと思います。


 短絡路の山道が県道に合流してしばらく行くと、全く見たことのない光景が飛びこんできました。トンネルの出口は少し高いところで県道はその下をくぐり抜けて、この先で合流するようです。8年前は全く工事は始まっていなかったから、あまりの違いにびっくりです。
 大浜の街へ入っていく手前、3巡目(9年前)のときは台風で防波堤が破壊されてその工事中で大浜トンネルを歩くしかなかったことなどが思い出されます。大浜の道も3回歩いているので、何となく見覚えのある景色です。




 大浜の街を抜けて中浜の町に入ってくると、万次郎の記念碑がパティオの中に立っています。このすぐ前の建物にベンチもあったので休憩します。ここまでのタイムは一度もとったことがないので比較はできないのですが、あまりいい感じではありません。山道の登りで相当消耗してしまいました。昼食が不十分だったということもあると思います。
 時間は14時06分、土佐清水の街まであと4kmほどです。




 防波堤に万次郎の生涯が紙芝居のように描かれています。これも、確か8年前にはなかったと思います。ひとつひとつしっかり見たいとも思ったのですが、そこまでの精神的、体力的余裕はほとんどありませんでした。
 記念碑の前では20分休憩、中浜の街を抜けて県道に上がってきたところがタイムチェックポイントであり、短絡山道への分岐点でもあります。
 1巡目は短絡山道の存在そのものを知らなかったので、県道を歩きました。2巡目の時は山道を歩くつもりだったのですが入り口が分からず不本意ながらまた県道を行きました。3巡目4巡目は山道を歩きました。今回は10年ぶりに県道を歩きます。というのも、1巡目2巡目はここからのタイムをとっていなかったので県道がどれくらい遠回りになるか分からなかったのです。


 県道に上がって7分ほど歩くと本日の宿がある土佐清水の市街が見えてきました。ただし、湾をぐるりんと大回りにするので、これからが長い。まだ4km以上残っているはずです。県道は歩きやすいけれどこのはがゆさがあるのです。


 土佐清水の市街の入口にあるスーパー、サニーマートに到着です。時間は15時02分、宿まで1300mだからちょうどいい時間です。短絡路の分岐点から38分、山道を歩いたときと全くの同タイムでした。次に来たときはちょっと迷うかも知れません。
 いつものように、明日の昼食と明後日の朝食を調達します。明日の宿は朝食がないし遍路道沿いにスーパーやコンビニを見た記憶がありません。


 レジを出たところにちょっとした休憩所があるので一休み。これも過去4回と同じ、夕食まで今しばらく時間があるのでアイスを頂きます。税込み111円、コンビニより安いです。


 364日ぶりにプラザパルの前に戻ってきました。バスではなく98km歩いて戻ってきました。昨年チェックインの時間まで6時間近くこの中で過ごした。歩けなくなるとじっと我慢するしかない。歩けることがいかにありがたいことか、つくづくと眺めてしまいます。


 15時36分、本日の宿土佐民宿大平に到着しました。外装工事のための足場で囲まれていますが、もちろんちゃんと営業しています。本当に帰ってきたなぁ、と我ながら感慨深いものがあります。昨年発つときに思わず「来年も来ます」と言ってしまった。その約束を守ることができて今回の旅の第一の目的が果たせました。
 ご主人と奥さんがそろって出迎えてくれました。まず、ぼくが書いたブログのお礼を言われました。知り合いの方が偶然、この宿のことを書いているぼくのブログを見つけて、ご夫妻に知らせたということでした。本当にいい宿のことは、できるだけきちんと伝えて多くのお遍路さんに利用してもらいたい。でも今回も、ぼく以外の3部屋はいずれも長期滞在者でお遍路さんではありませんでした。やっぱり、西回りの打ち戻りは少ないし、この宿の場合だと東回りより5km以上は遠回りになりますからね。
 ぼくの部屋は昨年と同じ2部屋分の広い部屋でした。そしてすぐにお風呂の用意ができました。


 たっぷりのカツオの刺身がまずうれしい。今回は土佐の宿は4軒で、昨日、一昨日は出なかったから、チャンスはあと2回だったのです。やっぱり土佐に来て1度は食べておかないと来た甲斐がないというものです。通しで巡っている人は土佐は毎日カツオでちょっと飽きるという人もいるようですが。
 そして温かいトンカツ、こういう宿で肉が出るとちょっとテンションが上がります。そして炊き込みご飯、これもおいしかった。うれしさの三重奏で今年も大満足です。やっぱり、内田屋とは甲乙つけがたいです。


4月9日 2日目 内田屋(黒潮町)~いさりび(土佐清水市)

2014-05-12 | 14年四国の旅


 期待はしていたのですが、ここまできれいな日の出が拝めるとは思ってもいませんでした。内田屋は6室全室オーシャンビューです。


 メインのジャコ天は揚げたて、今まで2回本場愛媛で食べたけれど、それよりも味がしっかりしていて本当に美味しい。
 内田屋は2食付き6000円、値上がりしていませんでした。
 今日は札所でのお参りがないので、ゆっくり朝食をとって、6時55分に出発です。


 佐賀公園の桜が、まだ何とか残っています。昨年はこの風景も全く印象に残っていません。思ったように歩けない、どこまで歩けるのか、そんなことばかりが頭の中をグルグル巡っていたような気がします。


 宿を出て5.5km、海岸線を走っていた国道は岬の手前で右折、井ノ岬トンネルが見えてきます。昔のお遍路は岬を巡る海岸線の道を歩いていたはずです。昨年、もうここら辺ではほぼ諦めていました。どのバス停まで歩くか考えていたはずです。


 伊田トンネルです。5年前、土佐佐賀の手前のコンビニを15分くらい先に出た家田さんに、このトンネルの中でようやく追いついたのでした。家田さんの歩く速さは5km前後だということになります。


 伊田トンネルを抜けるとすぐ観音寺という小さなお寺があります。5年前、6年前はこの本堂の軒下で休ませてもらいました。5年前はお掃除に来ていた近所のおばさんにキャンディを袋ごといただきました。お接待は忘れられないし、忘れたくありません。


 上川口のバス停です。昨年ここで歩くのをやめました。ここから先はバスの中から何とも言えない苦い気持ちで眺めるしかありませんでした。帰ってきてからもず~っと心は晴れなかったのですが、今回のいろいろな出会いのおかげで、今は、失敗して本当によかったと思うまでになりました。


 浮鞭郵便局、中村の街へ向かう場合、ここから国道を離れる短絡路に入ります。最初来たときそれを知らなくてそのまま国道を歩きました。今回は入野の浜に行くのでそのまま国道です。入野の浜へ向かったのは今まで2回、つまり右側の短絡路を歩いたのは4回、国道をそのまま歩くのは今回で4回目ということになります。11年前の最初の時ここでお金をおろしたのも覚えています。


 道の駅ビオスおおがた、観音寺で休まなかったので本日最初の休憩ポイントです。内田屋から12km、ちょっと長いのですが朝イチなのでこれくらいは問題ないだろうと思いました。朝イチといえば、ここに篠山輝信くんが来ていたのを覚えています。


 物産館の隣にある情報館、鯨の骨格とTシャツに囲まれて休みます。


 道の駅では30分ほど休憩、国道とは反対側にある遊歩道から入野の浜に向かいます。


 この橋を渡るのは8年ぶりのこと、そのときはここから3kmほど先に泊まったので1日の終盤でした。その宿はもうありません。


 入野の松原、とても気持ちのよい遍路道だけれど、窪川から中村まで歩くと遠回りのこの道は歩けません。今回が最後になるかも知れないので十分味わって歩きます。


 松原越しに太平洋を望む。遙かに見える山なみは四万十川、中村の手前の山です。ここからは足摺の方は見えないのですが、道の駅の少し手前の所からは天気がよかったので半島の南端に近いところまで見ることができました。


 入野松原に入ったお遍路さんのほとんどは青点線の道を歩いて、ずっと鉄道の南を行き国道には入らないのですが、ぼくは今回赤点線の道を歩いて国道に戻りました。もちろん遠回りなのですが、遍路地図にははっきり赤線が付いているので一度は歩いておきたいという気持ちです。実は8年前にもトライしたのですが間違って変な道を歩いてしまいずいぶん手前で国道に合流してしまったのでした。今回はこの大きな地図を別に作って持っていったのですが、青線の道を越えて左折するポイントで迷ってしまい、一旦真っ直ぐ行きかけて、踏切が見えてきたので間違いに気づき、戻ってきたというお粗末をやらかしてしまい、その先の右折ポイントでも同じことをしてしまいました。なにぶんほとんどお遍路さんの歩かない道なので道しるべや遍路シールは一切なくて、自分で試してみるしかありませんでした。こうしてみると、いつも、どこにでもある遍路シールがいかにありがたいものであるかを身にしみて感じます。そんなになくてもとか、こんな所にあってもとか、種類が多すぎるのではとか言う人もいますが、ないと普通には歩けないですよ。遍路シールを差別する気になど到底なれません。


 二つのポイントで迷って、土佐くろしお鉄道の踏切を渡ります。ここまで来るともう迷いどころはなくすぐ国道に合流です。このすぐ先には遍路シールがあったんですけどね。


 国道に合流しました、ここからはおなじみの道です。


 合流した交差点に8年前に泊まった民宿わかばがありました。翌年この前に来たとき土台を残して完全に姿を消していて唖然としました。休業や廃業になる遍路宿は珍しくないけれど、建物が1年の内に消えてしまうというの何とも言えない切なさを感じてしまいます。道路の拡幅工事のためのたちのきかと思っていたのですが、未だにその兆候もなく土台もそのままです。


 逢坂トンネル、この2kmくらい手前、西大方駅の近くでぼくを追い越した車がすぐ前の路肩に停車、中から年配の男性が降りてきてぼくに声をかけました。三原村にある清水川荘のご主人でした。チラシを手渡して宿の宣伝をしていかれました。ぼくが今まで3回泊まったこと、今年は大月町の道を歩くので三原村には泊まらないということは口に出しませんでした。営業活動が全く無駄であったことをその場で告げるのは忍びない。内子町で会ったお遍路さんも、同じチラシをもらったと言っていたから、ご主人はかなり積極的に活動しているようです。ぼくが最初泊まった頃(7年前)は三原村には清水川荘しかなくて、よくはやっていたけれど、最近は農家民宿が4軒できたこともあって苦戦しているのかも知れません。ぼくは来年は風車と清水川荘の中間にある森本まるに泊まる予定です。評判は聞いたことはないけれど、風車、黒うさぎより500円安いのです。


 トンネルを抜けると四万十市(旧中村市)です。


 トンネルを抜けて1200m、昼食を調達して2度目の休憩です。おあつらえ向きにパイプ椅子が二つ置いてあります。当初は西大方駅で休むつもりだったけれど、道の駅からだとここまで9km弱でちょうどいい距離になります。本日の中間地点、時間は11時です。


 コンビニでは袋菓子をひとつたいらげて、30分ほど休みました。パンは消化に悪いし、おにぎりは値段の割にカロリーが少ないので、今年も100円の袋菓子が昼食のメインになりそうです、
 コンビニから4分ほど歩いたところ、古津賀駅のすぐ手前で、国道を離れて左折します。ここからしばらくは初めて歩く道、この道は民宿月白に泊まる人が歩く道で、中村市街に泊まる人は歩かないし、中村に泊まらない人はもっと南の近道を歩きます。


 左折してまもなく橋を渡ります、渡り終えたところにはちゃんと道しるべが立っていました。月白に泊まる人は少なくないですから。


 古津賀川に沿って四万十に向かいます。初めて見る風景、なかなかいい感じの遍路道です。


 四万十川の土手に上がってきました、この写真は上流方向を見たところ。初めての道は1200mほどでした。


 400mほど歩くと、下流にこれから渡る四万十大橋が見えてきます。


 四万十大橋のすぐ手前に遍路小屋があって、当初はそこで休む予定だったけれど、コンビニで休んでしまったのでスルーします、市会議員の選挙中で選挙カーのスタッフが昼食中で占拠していて、どちらにしろ休むことはできませんでした。橋を渡ったところにある階段で休むことにします。


 四万十大橋の階段の下では20分くらい休みました。いさりびのチェックインは16時からなので早く着いても仕方ない。午後からも足取りは軽くて思うように歩けたし景色も十分楽しめました。昨年はバスの中からだったので、5年ぶりに歩く道です。
 写真は新伊豆田トンネル、この2kmくらい手間で本日最初のお遍路さんに出会いました。おそらく民宿たかはまか民宿日の出あたりから出発したと思われます。ぼくは遠回りの道を歩いたので、もう少し遅い人はすでに追い抜いてしまっているのかもしれません。


 トンネルを抜けると土佐清水市です。


 13時59分、本日最後の休憩ポイント、ドライブイン水車に到着しました。いさりびまでは7kmほどなので30分以上休めます。


 この看板は5年前にはなかったはず、4巡目(06年)までなら、とてもありがたくて喜んだかもしれないけれど、07年以降は三原村に泊まるようになったので柏まで歩けなくなりました。高崎さんによると食事はコンビニで買ってきたようなお弁当みたいだったけれど、この値段にすれば全然悪くない宿だったということです。


 15時42分、民宿いさりびに到着しました。縁側があったのでチェックインまでそこで待てばいいとザックをおろしかけると、中で気がついた女将さんが声をかけてくれました。すでに入っている人が一人、そして玄関にザックが一つ。あとで聞いて分かったのですが、ザックを置いて足摺の10kmほど手前まで歩いて、宿の人に車で迎えに来てもらうということだったようです。そして翌日も車でそこまで送ってもらって、そこから38番をお参りしてこの宿まで戻ってくる。中村の宿に泊まると、30km、30kmになるからちょうどいいのですが、ぼくなどは宿の人にそういう面倒をかけるのは良しとしないので、なかなかそういう技は使えません。
 もう一人の男性は明日は足摺の宿に泊まって、明後日またこの宿に泊まる、1日置いての連泊だそうです。もう一人の女性のお遍路さんは車で巡っています、なんでも今年の少し早い時期に歩きで始めたのですが、27番で足を痛めて挫折、少し時間をおいて車で再開したそうです。記念スタンプのことがあるので車で巡ってしまって、来年また27番から歩き始めるということでした。遍路宿情報を渡すと有名な宿のことはよく知っていて、仙遊寺や栄家旅館のことを気遣っていたから初めてではないようでした。みなさんはいつものようにぼくの歩く距離や荷物の軽さに驚かれました。女性は歩きの時は13kgの荷物、どうしたらそれだけ重くなるのかこちらが聞きたいくらいでした。男性は宿に泊まるのにテントや寝袋を持って始めて、すぐに送り返したと言っていました。それでも6kg以下にはならないそうです。彼等とぼくが一番違うのはレインコートのようでした。ぼくのは100円ショップで売っているような薄っぺらな膝下までのワンピースタイプ、145gで体積はホットドッグ1本分といったところ、みなさんのはポンチョにしても2ピースのにしてもその何倍もの体積、重量があると感心していました。ぼくは、一度、みなさんと同じような2ピースで1日中歩いて大変な思いをしたことがあって、以降は傘だけで歩くようになりました、傘の使えない風の強いときだけ合羽を出すようにしているのですが、今まで一度もぺらぺらの合羽を出したことはありません。傘の使えないときが1回あったのですが、そのときも結局出さずに傘もささずに濡れながら泣きそうになりながら歩いたものでした。合羽を着ても結局は中から汗でびしょびしょになるのだから同じこと、乾かしたりたたんだりする手間を考えるとどうしても出す気にはなりませんでした。
 あとは、東京から車で来た夫婦、こちらはお遍路ではなく、普通の観光のようでした。ネットの中でもかなり有名な宿のようで、お遍路以外の観光客も多いようでした。
 夕食、清水鯖のお刺身の写真は撮り忘れてしまいました。それくらい待ちきれずに食いついてしまったのでした。


4月8日 初日 窪川駅~内田屋

2014-05-06 | 14年四国の旅


 初日、一番心配なことは、山陽電車が時間通り舞子公園に着くかどうか、山陽電車には度々ひどい目に遭わされたから、あまり信用していません。何とか時間通りに到着、高知行きのバスも時間通りに来て、無事乗り込むことができました。あとの心配は高知からの電車が時間通りに動くかどうか、
 高知行きのバスに乗るのは2回目です。ただし2年前に乗ったのは高知から高速舞子までの上り、下りに乗るのは初めてです。乗客はわずか4人、いつも乗る高松行きは8割近い乗客があったことを思えば、同じ四国でもその隔たりに大きな差があることを感じます。
 写真は大鳴門橋、舞子を出て40分で四国に上陸します。


 ドイツ館が見えてきました、いつもならすぐ先の鳴門西のバス停で降りるのですが、もちろん今回はスルー、その先の板野インターで一旦高松道を降りて改めて徳島道に上がります。この二つの道がつながっていないのはどうしたものか、ちょっとしたまだるっこしさを感じます。


 ドイツ館から18分で熊谷寺の山門が見えてきました。歩くとたっぷり3時間はかかるのですが、途中下に降りてもこの時間、車遍路と歩き遍路が全く別物であることを改めて実感します。


 山肌の斜めのラインは別格15番箸蔵寺に上がるロープウエィ、ラインに沿ってきれいに桜が植わっている。2年前早朝登った時は山道が暗くて怖いほどだった。


 池田の町の中心部が見える。2年前、町に入る手前で池田高校の野球部がランニングしているのに出会って。みんな元気に挨拶してくれた。もう長いこと甲子園に来ていないなぁ、とちょっと寂しい思いをしたけれど、今年のセンバツですごい試合を見せてくれた。
 池田高校と言えば、ぼくが西宮球場の近くに住んでいるときに、センバツ出場で来ていて、西宮球場の隣のグラウンドで練習しているのを偶然見かけたことがあった。その年、見事センバツで全国優勝を果たしたのだった。


 四国三郎、吉野川下流方面を望む。


 こちらは上流方面、2回渡った池田大橋がはっきり見える。奥にかすかに見えている橋の近くに最初来たときに泊まった旅人宿がある。ちょっと苦い思い出。


 11時18分、定刻より17分も早くバスは高知駅に到着しました。善楽寺の近くにある高知インターを下りると、ぼくが何回か歩いた道をほとんどそのまま来たので、そのときのことを思い出したりしていました、最初のお遍路では善楽寺から遍路道をはずれて高知駅に向かったのですが、違う交差点を左折してしまって、かなり遠回りをしてしまった、しかもその日は一日中雨、宿の予約もしていなくて、本当に辛かったことを覚えています。それから2年後、今度こそは近い道を行くぞと意気込んだのに、またも同じ遠回りの道に入ってしまいひどく落ち込んでしまいました。正しい道を歩けたのはその2年後でした。


 窪川行きのワンマンカーは12時ちょうどに出るので、時間を持て余してしまいました。昼食はすでにバスの中で済ませてしまったので、待合室の中でぼんやりするしかありません。


 窪川の三つ前の影野駅で女性のお遍路さんが乗り込んできました。岩本寺まで7kmほどの地点、この時間なら十分余裕があるのにどうしたことでしょう。焼坂とそえみみず、二つの峠を越えて疲れ切ってしまったのか、あるいは初めからこの区間は電車に乗るつもりだったのか。
 窪川の手前で、車窓から国道を歩くお遍路さんを4人ほど確認、ああ、遍路道に戻ってきたのだなと実感します。
 昨年、岩本寺の近くで足を痛め、その日は我慢して内田屋まで歩き、翌日は内田屋から9km先の上川口のバス停まで歩いて、断念したのでした。
 昨年の続きだから、上川口から歩いてもよかったし、内田屋の近くの土佐佐賀駅から歩いてもよくて、当初はそのつもりだったけれど、最終的には窪川から歩くことにしました。宿のことを考えた場合、最高の遍路宿とも言っていい内田屋にもう一度泊まっておきたいというのもあったし、窪川から土佐佐賀までは全く思い通り歩けなかったから、ちゃんと歩き直しておきたいということもありました。


 駅を出て、すぐ目新しい建物が飛び込んできました。昨年はこの前は通らなかったけれど、2年前は通ったはず、そのときには全く影も形もなかったような。これは新しい四万十町役場。芯は鉄骨か鉄筋コンクリートのはずだけれど、表面はすべて木造、さすが林業の町であり林業の国、しばらくたたずんでしまったほどのインパクトです。


 岩本寺から4.9km、国道を離れる短絡路の入り口に来ると、お大師さんが・・・。確か昨年は居られなかったはず。ぼくは、この短絡路に入れなかったことが2回、右側の歩道にも標識のポールに遍路シールはあるのだけれど、ぼんやりしていると見過ごしてしまう。これからはお大師さんが見守ってくれるから、もう心配はいらない。


 美化センターの門は今回も開いていた、昨年もそうだったけれど、5年前まではお遍路用の小さな入り口があって、そちらから入らせてもらうようになっていた。もしかしたら、稼働していないのかも知れない。


 片坂トンネルの上を越える、昨年この道を歩いた記憶がほとんど残っていない。辛い記憶ほど忘れていくのが本能だということを何度も実感することがあった。それほど足が痛くて前に進むことしか考えていなかったのだろう。


 短絡路の最後、西尾自動車の片隅に新しい遍路小屋ができていた。2.5km先の遍路小屋まで休まないつもりだったけれど、思わずへたり込んでしまいました。水と塩分を補給、昼食が不十分だったかも知れません。
 窪川駅から9.3km、緩やかな坂を登りきったところにある遍路小屋には91分、ベストより3分遅れで到着。今までここで休まなかったことは一度もないけれど、西尾自動車で休んだばかりなので今回はスルー、内田屋さんには17時30分までに着くと言っているので、また休むと間に合わなくなります。


 伊与喜駅の前までやって来る。前から来た小学生3人が元気よく挨拶してくれた。四元さんが巡ったとき、このすぐ左にある伊与喜小学校がゴールで多くの小学生が迎えてくれたのを覚えています。あれから6年、あのときの小学生は皆中学生や高校生になっている。
 5年前はここで前を行くお遍路さんが短絡路ではなくて国道をそのまま行くのを目撃した、もう少し近ければ追いかけて声をかけてあげるのにと、思いつつ結局はそのまま行かれてしまった。あとで追いつくとそれがあの家田荘子さんだった。


 短絡路のハイライト熊井トンネルの前まで来ました、後から分かったことですが、家田さんはこのトンネルが大の苦手で、敢えて国道を歩いていたということでした。照明がなくて真っ暗ですが出口が見えているのでさほどではないという感じがするのですが。


 トンネルを出たところから緩い下りで踏切の前まで来る、この道は遍路道らしくて大好きなポイントです。でも昨年は全く楽しめなかったし味わえなかった。ああいう歩き方で無理をして最後までいっても何の意味もないことを、元気に歩きながら確認しています。


 このコンビニでも毎回休むようにしてきたけれど、今回はもちろんスルー、本日のゴールまであと1.9kmです。


 17時22分、何とか予定時間までに本日の宿、内田屋に到着しました。お遍路なんだから5分や10分遅れるのは当然だと思っている人は多いだろうし、宿の人もそんなことは日常茶飯事、でもぼくは1分でも遅れるのは駄目だと、うそをついて迷惑をかけるのはよくないことだと自らに課しています。なぜなら、ぼくが四国を歩く一つの目的は、いい人になれる、ということだからです。お大師さんと一緒に歩くということは、少しでもお大師さん近づきたいということ、そう心がけるといくらかでもいい人になれるのではないか。そして、お接待を素直に受けられるだけのいい人でいなければならないとも思うのです。
 チェックインのとき、若いご主人がニコニコしながら、時間通りですね、と声をかけてくれる。そして、津波警報が出たときの避難場所、避難経路を丁寧に教えてくれました。初めてのことだったので、少しびっくりしたけれど、滅多に起こるようなことではないけれど、一番大切なサービスです。この一点からしても本当によい宿だといえます。
 今日のお客はぼく一人、去年はぼくを入れて3人。最高の遍路宿だけれど、なにぶん場所がよくありません。岩本寺から20km、その手前の宿となるとさらに20km離れた土佐久礼の宿になります。つまり、この宿に泊まる人は1日に20km前後歩く人か、40km前後歩く人、ということになります。どちらも少数派、はっきりしたアンケートをとった訳ではないけれど、前者は歩き遍路全体の2割前後、後者は1割前後、という感じを何となく持っています。自然、この宿に泊まる人はどうしても評判の割には少なくなってしまうようです。すごくもったいないです。


 夕食はやっぱり最高でした。揚げたてのカキフライが先ずうれしいし、刺身はイサキ、ぼくはこんなに甘く味の濃いお刺身は初めて、ちょっと感動的でした。トマトも普通ではなくびっくりするくらいの美味さ、料理人の腕とこだわりが随所に感じられる一皿一皿です。たっぷりのポテトサラダもありがたい。
 お料理だけでなく、部屋、寝具、トイレ、洗面、お風呂、すべてが清潔で気持ちよく文句のつけようがありません。本当に百点満点の遍路宿だということを1年ぶりに訪れて再認識しました。来年以降は、窪川から中村まで行ってしまうので泊まることができません。そのことが本当に残念です。


散歩再開

2014-05-04 | 日記

 最後の宿でいっしょになった大阪のSさんは、帰った翌日からいつものように15km歩くと言っていましたが、ぼくは全くその気になれません。お世話になった宿にお礼状を書いたり、新しい遍路宿情報を作ったり、四国に出る前に書きかけていた手紙を仕上げたり、ハードディスクにたまりにたまった番組を消化するのに精一杯でとても歩く気になれませんでした。あれだけいっぱい歩いたのだからしばらくは休んでもいいかという気分でした。
 1週間たって用事も一段落したので、イオンまで往復、5kmほど歩いてきました。四国で使った靴と違うし、ザックも担いでいないので、何かふわふわとして変な感じです。歩きながら考えるのは、もう来年のことです。来年は納経するので100円玉の調達が一番大変です。遍路道沿いにある郵便局をピックアップ、お参りする札所の数と見比べて、効率的な場所をセレクトします。おつりをもらえばいいじゃないか、と多くの人は言うかも知れないけれど、このこだわりは意味のあることだと思っています。


モーニングミックス

2014-05-02 | 日記

 今朝のモーニングミックスでは、十川尚子(そがわひさこ)さんのこの春出た新しいCDから4曲が紹介されました。懐かしい名前だったので思わず聞き入ってしまいました。彼女は関西で活躍するジャズヴォーカリストの第一人者、お母さんは素人名人会で長らくピアノ伴奏をつとめた得津奈津子さん、お父さんは日本一の今津中学校吹奏楽部の得津武史先生です。得津先生のメモリアルコンサートで彼女の生の歌声を聞いたのも、もうずいぶん前のことになってしまいました。



 最後の宿でいっしょになった大阪のSさんは、帰った翌日からいつものように15km歩くと言っていましたが、ぼくは全くその気になれません。お世話になった宿にお礼状を書いたり、新しい遍路宿情報を作ったり、四国に出る前に書きかけていた手紙を仕上げたり、ハードディスクにたまりにたまった番組を消化するのに精一杯でとても歩く気になれませんでした。あれだけいっぱい歩いたのだからしばらくは休んでもいいかという気分でした。
 1週間たって用事も一段落したので、イオンまで往復、5kmほど歩いてきました。四国で使った靴と違うし、ザックも担いでいないので、何かふわふわとして変な感じです。歩きながら考えるのは、もう来年のことです。来年は納経するので100円玉の調達が一番大変です。遍路道沿いにある郵便局をピックアップ、お参りする札所の数と見比べて、効率的な場所をセレクトします。おつりをもらえばいいじゃないか、と多くの人は言うかも知れないけれど、このこだわりは意味のあることだと思っています。