このタイトルを初めて見たときのことは、いまだに覚えています。高校2年生の時、クラブ日誌に書かれていた。書いたのはぼくと同学年のクラリネットの女子。『今この曲を聞きながら書いています、ロマンチックだナァ。』という風に書かれていた。そのときまで、そういう曲があることすら知らなかったのですが、しばらくして、知らずのうちに毎週この曲を聞いていることが分かりました。「桂三枝の美女対談」の最後のお知らせの時にバックで流れているのがこの曲だったのです。以来この曲を聞くたびに、彼女のことが思い出されます。
そして、この曲がニューサウンズでアレンジされたのが83年。そのころは大学を出て吹奏楽からも離れていたのでレコードも買っていなくてこのアレンジが出たのも知りませんでした。CDボックスが出て初めてこのアレンジを聴くことができました。自分の思い出と絡んでいるからかもしれませんが、非常に興味深いアレンジでした。演奏会で採り上げたなら、かなり効果的な曲であると確信しました。でも、それまでもそれ以後もこのアレンジを生で聴くことは一度もありませんでした。問題はピアノ、これだけのピアノを弾ける人間を呼ぶことが難しい。客演を呼ぶのはお金もかかるし、練習時間を確保するのも難しい。演奏会の1曲にそれだけの労力を要して得られる効果、天秤にかけるとどうしても敬遠することになる。そこらへんが吹奏楽の限界なのかもしれません。これだけ吹奏楽の幅を広げるアレンジが出ても、実際に使うことができない。吹奏楽の演奏会でロマンチックな気分になることは、やはり難しいことなのでしょうか。
そして、この曲がニューサウンズでアレンジされたのが83年。そのころは大学を出て吹奏楽からも離れていたのでレコードも買っていなくてこのアレンジが出たのも知りませんでした。CDボックスが出て初めてこのアレンジを聴くことができました。自分の思い出と絡んでいるからかもしれませんが、非常に興味深いアレンジでした。演奏会で採り上げたなら、かなり効果的な曲であると確信しました。でも、それまでもそれ以後もこのアレンジを生で聴くことは一度もありませんでした。問題はピアノ、これだけのピアノを弾ける人間を呼ぶことが難しい。客演を呼ぶのはお金もかかるし、練習時間を確保するのも難しい。演奏会の1曲にそれだけの労力を要して得られる効果、天秤にかけるとどうしても敬遠することになる。そこらへんが吹奏楽の限界なのかもしれません。これだけ吹奏楽の幅を広げるアレンジが出ても、実際に使うことができない。吹奏楽の演奏会でロマンチックな気分になることは、やはり難しいことなのでしょうか。