WALKER’S 

歩く男の日日

夏は来ぬ 続き

2014-10-19 | 14年青春18きっぷの旅

 「今度『国民唱歌集』というのを作ることになって、私も曲を作りました。この曲に日本風の歌詞をつけてもらえませんか?」。小山作之助が佐佐木信綱にこう切り出したのは、1895年の初夏のころだったらしい。
 小山は東京音楽学校の、少壮の助教授。佐佐木も歌人として名が知られ始めていた。特に佐佐木は翌年2月に結婚し、この前後に森鴎外らの文学グループに加わっている。二人にとっても、人生という舞台の初夏を迎えていた。
 「小山先生にお声を掛けられたことが、とてもうれしかったようだった。歌詞ができると、早速、人力車に乗って自分で小山先生のお宅に届けに行ったそうです」。佐佐木の門人にはそんな逸話を証言する人もいる。

 「唱歌・童謡ものがたり」  読売新聞文化部 著  より引用





 これにて今回の旅は終了、何とかすべての予定をこなすことができました。予定にはなかったものもいくつか見ることができて、かなり満足の旅でした。
   宿泊費(全て素泊まり) 12600円
   食費              2023円
   鶴ヶ城              410円
   会津武家屋敷         850円
   御薬園              320円
   青春18きっぷ(4日分)  9480円   合計 26283円

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夏は来ぬ

2014-10-16 | 14年青春18きっぷの旅



一 卯の花のにおう垣根に   5,7
   ほととぎす早も来啼きて   5,7
   忍び音もらす夏は来ぬ   7,5

二 さみだれのそそぐ山田に  5,7
   早乙女が裳裾ぬらして    5.7
   玉苗植うる夏は来ぬ     7,5

三 橘のかおる軒場の      5,7
   窓近く蛍飛びかい       5,7
   おこたり諫むる夏は来ぬ  8,5

四 棟ちる川べの宿の      5,7
   門近く水鶏声して       5,7
   夕月すずしき夏は来ぬ   8,5

五 五月やみ蛍飛びかい    5,7
   水鶏鳴き卯の花咲きて   5,7
   早苗植えわたす夏は来ぬ 8,5

 11年前、佐佐木信綱記念館から河曲駅に向かうとき、首を傾げながら歩きました。近代歌壇の巨星にして万葉集研究の第一人者、定型詩の権化ともいうべき人がどうして、このような詩を書いたのか。三行目だけ5,7が逆になっているのもおかしいし、なにより、三番から五番までは8,5になっているのはあり得ないといってもいいくらいです。

 帰宅してしばらくして、「唱歌・童謡ものがたり」という本を読んでいると、その解答が書かれていました。

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9月10日 鈴鹿市にて (3)

2014-10-15 | 14年青春18きっぷの旅


 鈴鹿市の中心、神戸は伊勢街道の宿場町。東海道の宿場、石薬師よりも大部大きな町だったようです。伊勢街道はここから800mほど東、市役所と市民会館の横を走っている県道8号で、南で国道23号に合流します。


 踏切から800m、鈴鹿郵便局の前を通過、ここまで来ればもう大丈夫、すぐ先の信号を左折すれば目的地はまもなくです。


 左折して250m、鈴鹿市文化会館です。目的地はこの南にある図書館です。


 文化会館の正面です。


 市立図書館の前庭に目的の歌碑が見えてきました。

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9月10日 鈴鹿市にて (2)

2014-10-14 | 14年青春18きっぷの旅


 駅から500m、右折、木田橋を渡ります。川は鈴鹿川。


 鈴鹿川を渡って700m,JAの前を通過、


 さらに500m行くとファミリーマート、帰りに昼食を買うことにしましょう。


 すぐ近鉄鈴鹿線の踏切です。この踏切を渡ったあとが5差路になっていて、鈴鹿で唯一の迷い所です。


 この道で間違いないとサークルKの前の道を進んだのですが、300mほど行くと何か違うと感じて地図を見直すと、きっちりはずしていました。時間に余裕があったので慌てはしなかったのですが、だれも見ていないのにすっごく恥ずかしいです。

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9月10日 鈴鹿市にて

2014-10-11 | 14年青春18きっぷの旅


 4日目は小田原発6時22分の列車に乗り、熱海、浜松、豊橋で乗り換え、名古屋からは関西線です。名古屋から快速で42分、11時52分河曲(かわの)駅に到着しました。


 駅舎らしきものが見あたらない無人駅です。11年ぶりにこのへんぴな駅に降り立ちました。


 11年前はここから北西に2km、東海道の宿場、石薬師の街の中にある佐佐木信綱記念館に行きました。展示の中で印象に残ったのは系図です。佐佐木信綱は近代短歌の重鎮でその弟子の系図が膨大なものでした。弟子の弟子の弟子、ともなると全部合わせると数百人という規模です。その末席に俵万智さんの名前もあり、文庫には彼女の著書も数冊並んでいました。俵さんは信綱の孫佐佐木幸綱(早稲田大学教授)の弟子なのでした。その時はもちろん気がつかなかったのですが、探せば村岡花子の名前があったことは間違いありません。
 今回は全く逆で南の鈴鹿市街地に用事があります。


 駅舎がないものだから、駅前のロータリーの入口に駅名表示がはっきりとあります。こういう駅はあんまりないと思いますが。


 駅前から川沿いの県道115号を東に向かいます。

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9月9日 広野町で (3)

2014-10-10 | 14年青春18きっぷの旅


 植木の手入れが行き届いていなくて、埋もれるような感じです。


 書は作曲者の平井康三郎によるもの、1995年11月の文字が隠れています。ひろの童謡まつりが94年から開催されていて、それを記念して建立されました。とんぼの下の方には楽譜と解説文が記された金属板がはめ込まれています。


 思いの外駅から近くて20分ほどで駅に戻ってきました。おかげで、予定していた列車より1時間以上早い列車に乗ることができました。宿のある小田原にも1時間くらい早く到着しました。小田原駅の近くにあるみやこ旅館はぼくの大好きなタイプの古い旅館で、旧東海道を歩くときには絶対にまた泊まろうと決めました。
 

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9月9日 広野町で (2)

2014-10-09 | 14年青春18きっぷの旅


 駅前の自転車置き場、こうして見る限りはごく普通ではありますが。


 駅前広場にある町内地図です。9年前にもあったのですが、その時は「とんぼのめがね」の歌碑、は記されていませんでした。それで結局見られなかったのですが、今回はこの地図を見るまでもなく、きっちり把握しています。


 駅前の県道356号に出てきました。車の通りは少なくなくて、前に来たときよりも多いのではないかと思うほどでした。


 県道沿いに見るからに新しい和菓子屋さんができています。


 ゴミ収集車も来ています。


 クリニックの駐車場もほぼ満車で、とても3割ほどしか戻っていないことが信じられないくらいです。


 クリニックから少し登ると中学校の体育館が見えてきました。体育館のこちら側がちょっとした公園になっているはずです。


 公園の東側、一段低いところを小川が流れています。


 公園に上がっていくと


 南の端に9年前には見ることのできなかった歌碑が見えてきました。

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9月9日 広野町で

2014-10-08 | 14年青春18きっぷの旅


 会津散歩の翌日は、会津若松駅6時36分発郡山行きの列車に乗り、郡山から磐越東線、いわき駅から常磐線に乗り換えて、11時15分広野駅に到着しました。
 9年ぶりに「汽車」の歌碑が迎えてくれます。


 改札を抜けて先ず目に付いたのが線量計、この数字は会津若松のそれとほとんど変わらない数字です。危険を知らせるためでなく安心を知らせるために設置されているようです。


 駅舎に「とんぼのめがね」のパネルがあります。9年前にはなかったと思います。作曲の平井康三郎は明徳義塾高校校歌の作曲者として知られていますがぼくの高校の校歌の作曲者でもあります。


 サンドウィッチマン、説得力があります。


 かわいい駅舎ですが無人駅ではありません。
 広野町は震災の年4月22日に緊急時避難準備区域に指定され、同年9月に解除されました。町役場は3月15日に小野町に移転、4月15日にいわき市に再度移転、翌年3月1日に広野町に戻ってきました。小学校中学校は12年の8月から再開されました。住民登録は震災前の92%であまり減っていませんが、実際に町内に居住している人は震災前の35%くらいだそうです。

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9月8日 会津散歩 (31)

2014-10-07 | 14年青春18きっぷの旅


 御薬園から西へ250m、スーパーで夕食を調達します。本当なら旅館でとるつもりだったのですが、楽天トラベルのプランでは朝食付きか素泊まりしかありませんでした。


 スーパーから西へ550m、会津工業高校の北側を通過します。


 会津工業高校からさらに西へ450m、市役所の前に来ました。古くて立派な建物、こういう建物がそのまま使われているところは少ない、姫路も素っ気ないつまらない建物になって、古い市役所は美術館になっています。


 市役所から西へ100m、蒲生氏郷の墓所がありました。ここから北へ少し入るようですが。蒲生氏郷は石田三成に暗殺されたという説があることを今回初めて知りました。


 すぐ国道118号の交差点があり、右折してしばらく国道を北へ向かいます。


 国道に面した空き地に思いがけず松江豊寿の解説板がありました。松江は板東俘虜収容所の所長、「バルトの楽園」で松平健が演じた人です。会津戦争から4年後の生まれですが、この人が会津の人でなかったら楽園は存在しなかったでしょう。徳島で日本最初の第九が演奏されることもなかった。


 国道から1本西の筋に入ってきたところに蒲生氏郷の解説板がありました。何気なく歩いているだけなのに、本当に歴史のあるまちを実感します。
 

 御薬園から40分、ようやく本日の宿に到着です。歩数計では25km以上になっていますが、実質は22kmくらいだと思われます。


 旅館の踊り場にも「八重の桜」、会津散歩はこれにて終了、きれいに締まりました。

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9月8日 会津散歩 (30)

2014-10-06 | 14年青春18きっぷの旅


 ここに稲森いずみさんがいたのだと思うと、ちょっと不思議な感じもします。


 庭園を一周して池の前の板張りの歩道に腰掛けていたら鴨が目の前にやってきました。手を伸ばせば届きそうなところまで来て、全く臆する素振りも見せません。


 もう見るものも行くところもないので、閉園時間の17時近くまでゆっくりします。彼等をぼんやり眺めているだけで癒されます。


 チケット売り場の側に別のポスターが、この銅像がだれのものかは確認できませんでした。


 八重の桜のポスターもあります。16時45分、旅館に向かいます。

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9月8日 会津散歩 (29)

2014-10-06 | 14年青春18きっぷの旅

 会津武家屋敷にはほかにも旧中畑陣屋、茶室、手作り体験館、会津くらしの歴史館など多くの建物見所があるのですが、西郷邸と歴史資料館で十分納得したのであとは軽く流して通り過ぎました。入館料は850円で最初は少し高いと思ったのですが、この二つだけでも、それだけの値打ちが十分あると思いました。会津に来ると先ずは鶴ヶ城と飯盛山というコースになると思いますが、会津武家屋敷だけは絶対はずしてほしくないと思いました。
 50分ほど見学して15時45分に次の目標に向かいます。


 会津武家屋敷から西へ1500m、本日最後の観光スポット、御薬園に到着しました。ここでは綾野剛さんと稲森いずみさんのシーンのロケが行われたことは事前に調べていました。


 ここでも綾瀬さんのカレンダーの撮影が行われたようです。14年カレンダーはすべて会津で行われたようです。ここまで来るとコンプリートしたい気持ちもあるのですが、残念ながら飯盛山と、現在の日新館は今回は行くことはできません。


 何となく記憶に残っている建物と風景。


 池を巡ると、思いがけず与謝野晶子の歌碑がありました。


 実際にここを訪れて詠んだ歌のようです。

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9月8日 会津散歩 (28)

2014-10-04 | 14年青春18きっぷの旅


 左の間が、西郷頼母の家族が自刃した部屋です。いくら復元されたものとはいえ近くで撮影することはできませんでした。大河ドラマで見た感じより一回り狭い感じです。この邸が復元されたのは昭和50年、維新の戦いから107年が経っていました。なのにこれだけ完全な家老邸を復元しようとする、そのエネルギーはどこから来るのか。地元の有志によって、という情報しかないのですが、やはり100年くらいでは忘れ去ることができないほどの屈辱だった、時代が変わっても伝え続けねばならない、そういう思いがこの土地に深く染みついていたということなのかもしれません。

 家老屋敷の裏には藩米精米所と会津歴史資料館があって、こちらは中に入って見学します。歴史資料館はほとんど期待していなかったのですが、素晴らしい展示があってびっくりしました。何と、孝明天皇が松平容保に下賜された「ごしんかん」(このワープロでは変換できない難しい漢字)が展示されていたのです。複製ではないかと、いろいろ見たのですが、間違いなく本物のようでした。昨年、八重の桜特別展で東京、京都、福島、と各地で展示されたようですが、ぼくはそのことを全く知らずに終わっていました。それが思いがけずここで見られてすごく幸運でした。他にも八重の自筆の書や山川大蔵の自筆の掛け軸もありました。2階には肉屋さんにはなかった八重の桜のポスターが3枚ありました。撮影したかったのですが、もちろん不可です。


 歴史資料館を出たところに綾瀬さんのポスターがありました。ここでもカレンダーの撮影が行われたようです。

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9月8日 会津散歩 (27)

2014-10-03 | 14年青春18きっぷの旅


 いろんな建物があるのですが、先ずは西郷邸です。表門をくぐって表玄関を見て、右の方に回ると御成り御殿です。写真はぐるっと回って裏庭から見た御成り御殿です。お殿様が見えたときにここでお目見えしたり、すごしてもらう部分です。背後には茶室もあります。中には入れないのですが雨戸や障子は開いているので中の様子もよく見えます。最初の部屋にテレビモニターがあって、八重の桜の第1回が流れていました。子供時代の八重(おとくちゃん=鈴木梨央)が木から落ちて演習のじゃまをして西郷に叱られているところでした。容保がやってきて許してやれ、というのを西郷が「ならぬものはなりませぬ、しっぺの罰を与えます」と言うと容保が「それでよい」という。泣けるところです。あんまりしっかり見ていると本当に涙がこぼれそうになったので、ぐっとこらえて歩を進めました。

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9月8日 会津散歩 (26)

2014-10-02 | 14年青春18きっぷの旅


 境内から鶴ヶ城を望むことができます。14時33分、次の目標に向かいます。


 小田橋まで来た道をそのまま引き返し、小田橋からは来た道の1本東側の大通りをそのまま北上、お城の北側を東西に走る道との交差点を右折、交差点から1kmほど来たところがこの写真です。右へ行けば東山温泉、直進すれば飯盛山、左折すれば会津若松駅です。ぼくは右折します、といっても温泉に行くわけではありません。


 先の交差点から500m、善龍寺からだと2500m、会津武家屋敷に到着しました。


 西郷頼母邸が完全復元されています。

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9月8日 会津散歩 (25)

2014-10-01 | 14年青春18きっぷの旅


 山門を抜けると先ず案内板がありました。まちがいなくなよたけの碑があります。


 境内に人は見えず、深閑としています。写真では全然伝わりませんが、観音様は相当巨大なものです。中央が奈与竹の碑、小さく見えますがゆうにぼくの背丈の倍はあります。




なよたけの歌の碑がかたわらにあります。これはぼくの背丈と同じくらいです。


 碑の裏側に回ってきました。この角度だと少しは大きさが伝わるかもしれません。写真では全く分かりませんが、会津戦争で亡くなった婦女子233名の名前が刻まれています。

 この碑が建立されたのは昭和3年12月、鶴ヶ城開城からちょうど60年後のことです。この60年に意味があると最初は思ったのですが、きっかけは別のところにあったのかもしれません。
 鶴ヶ城開城は1868年9月22日でした。そしてその60年と6日後の1928年9月28日に秩父宮やすひと親王(大正天皇の第二皇子)と松平節子(松平容保の孫、結婚後は勢津子)の婚礼が行われました。これにより、会津の朝敵、逆賊という汚名は払拭されたといわれています。この婚礼が先ずきっかけになって、追悼や顕彰の気運が高まっていった、その初めがこのなよたけの碑だったのでしょう。昭和9年に萱野権兵衛殉節碑、昭和13年に中野竹子殉節碑、昭和18年に西郷頼母邸跡の碑。60年間我慢していたものが次々に吹き出したという感じもします。
 それにしても、秩父宮の婚礼が60年と6日後というのは何かしらの意識、意図というものを禁じ得ません。ネットでいろいろ調べてみると、この婚礼を推し勧めたのは大正天皇妃貞明皇后だったようです。貞明皇后の第一皇子昭和天皇の妃香淳皇后は、孝明天皇の補佐官を務め攘夷派の排斥を進めた久邇宮朝彦親王の孫であるし、第三皇子高松宮の妃喜久子は最後の将軍徳川慶喜の孫であったことを考えると、とても偶然とは思えません。
 貞明皇后をウィキで調べてみると、彼女の伯母に当たる人は孝明天皇の女御を務めていたし、華族女学校時代の先生の一人は津田梅子でありました。津田梅子といえば山川咲子(大山捨松)と一緒に留学した無二の親友、会津で起きたことは無関心ではいられなかったはずです。それよりなにより、薩摩長州の陰謀によって作られた明治政府、それに担ぎ出された明治天皇とそれに続く皇族をそのままにしておくことこそ汚名ではないか、会津の濡れ衣を晴らすことは、すなわち今の天皇家の汚名をすすぐことにもなるのではないかと考えたのかもしれません。

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