広島や岡山からだと当日の始発で間に合うのですが、姫路からではどうしても前日に入らねばなりません。でも、もしぼくが岡山に住んでいたとしてもやはり前日に入っていたでしょう。というのもDコース80kmだけでは本州から四国まで全部歩いたことにはならないのです。尾道大橋はコース外で渡船で向島に渡るのでぼくの目的が完全に果たされることはない。どうしても前日に尾道大橋を渡って完歩を果たしたくて正午過ぎに尾道に到着しました。
向島に渡るフェリーは何ヶ所かあって、ここは駅前広場から東へ250m、福本渡船の渡し場、明日の本番は駅前広場のすぐ近くにある渡し場から乗船すると思っていたけれど、こちらのフェリーも使われました。こちらに乗ると歩く距離が500m長くなります。
ここから、さびしんぼう富田靖子さんが自転車に乗って降りてきた。
○ フェリー乗り場(朝)
「向島」からフェリーが着き、自転車に乗った男女生徒らが、片手に定期券をヒラヒラさせて係員にみせながら走り出ていく・・・・・その群れの中に、百合子がいる。
ヒロキ 「お早う・・・・・・」
と大声をかける。
百合子、しかし、素知らぬ顔で通りすぎる。
ヒロキ 「百合子さん・・・・・橘さん・・・・」
固い表情の横顔を見せて、百合子、行ってしまう。
呆然として見送るヒロキ。
福本渡船から駅前のアーケードの入り口に戻ってくると林芙美子の銅像がありました。最初来たときにはなかったはず。
アーケードに入ってすぐ右手にお好み焼屋さん
入り口横には「てっぱん」瀧本美織さんのポスター、今ではすっかりてっぱんの町になってしまったけれど、ぼくにとってはいつまでも「転校生」の町であり「さびしんぼう」の町です。
路地を挟んでお好み焼屋さんの左隣が芙美子記念館でした。
駅のすぐ近くの商店街に芙美子の旧宅があったとは全く意外でした。無料なので見学してもよかったのですが、向島の合流ポイントまで1時間以上かかるので、余裕はありませんでした。
アンガールズの方の垂れ幕がおしい状態になっていて笑えます。
有吉君のポスターはいい感じだけれど、こういうのは県外にあってこそ意味をなすのではと思ったりします。
これも広島ならではの風景、もみじ銀行は広島総合銀行(元は広島相互銀行)とせとうち銀行(元は呉相互銀行)が合併してできた。もちろんぼくが最初ここに来た24年前には影も形もなかったはずです。
もみじ銀行の裏(国道側)に出てくると、「転校生」カズオこと小林聡美さんが自転車で駆け上った陸橋があります。この風景は変わりません。
この建物にはかすかに見覚えがありました。ただし入り口は閉まっていて、廃屋然としていたような。中では尾道ラーメンも食べられるようになっていて、小さな道の駅という感じです。
アーケードは尾道郵便局の前で一旦途切れてまた300m続きます。大通りに出てきたところを左折して100mほど行くとロープウェイ乗り場があります。右折して100m行くと、尾道一番の老舗旅館西山本館の前に来ます。言わずと知れたフジテレビ西山喜久恵アナウンサーのご実家です。
昭和5年創業、建物は大正時代の由緒あるもので大林映画のロケにも使われたそうですが、2食付き11000円(平日)素泊まり5250円で意外なほどリーズナブルです。3kmほど東にある西山別館は昭和18年創業、文人墨客の滞在も多く2万円以上の高級旅館になっているようです。
市役所の前に出てきました。ここは「転校生」のラストシーンのロケ地です。
ガクンと揺れて、トラックが動き出す。
一美、思わず二、三歩走り寄って、
一美「サヨナラ、サヨナラ・・・・」
一夫、手を振って、
一夫「サヨナラ・・・・・サヨナラ」
遠ざかるトラック 。
一美、手を振って、
一美「サヨナラ、サヨナラ・・・・あたしッ」
遠くのトラックの一夫、8ミリカメラを構え、
一夫「サヨナラぁ・・・オレッ」
一美「サヨナラ・・・・・アタシ」
揺れて、ブレる8ミリ映画のフレームの中・・・・手を振る一美の姿。
一美「サヨナラ、サヨナラ、アタシ」
一美、一度大きく手を振って、反対方向へ歩き出す・・・・ゆっくりと・・・次第にスキップを踏む
調子で・・・・グングン小さくなっていく。
一夫の声「サヨナラ、オレ」
ーーと、その途端、フィルムが切れたように、真っ暗闇となり・・・・カタカタ、カタカタいう
カメラの回る音だけが、響く。
市役所の前におのみち映画資料館があります。
こちらは来る前から見学するつもりだったので、迷わず入館しました。
展示は小津安二郎監督と新藤兼人監督の資料がほとんどで、大林作品についての展示は全くありませんでした。あまりに見事にないので変な詮索をしたくなったくらいです。
入り口横に、尾道三部作、新尾道三部作のロケ地マップがひっそりと置いてありました。
市役所前の大通りを東へ500m歩いて突き当たったところに「転校生」一夫の家があります。谷尾畳店の看板がありますが、映画では「駅馬車」のポスターが貼っていたような記憶があります。左に折れるとすぐ浄土寺下、国道2号に合流します。
浄土寺下から国道を東へ300m、尾道大橋の入り口にやってきました。こちらから入ったのですが、歩道は右側にしかなくてもう一つ向こうの入り口から入るのが正解でした。
向こう側に歩道が見えたので用心しながら横断します。
歩道は最低限の細さ、まあここを歩く人は滅多にいないでしょうから。
横断歩道を渡って左側の歩道へ。しばらく行くと階段がありました。
階段を上がってきたところ、地図で調べていたよりもだいぶ近道になったようです。
階段を上がって左折、こちらも最低限の細さですが、ガードレールがあるので安心です。
ようやく尾道大橋が見えてきました。
斜張橋のケーブルが細い歩道のど真ん中にズドンとつながっています。でも、ケーブルの所だけガードレールが切れて普通に歩くことができますし、そんなに危険ということもありません。ただ何百人もの人が連なって歩くとなると、ちょっと問題があるような感じです。スリーデーマーチのコースからこの橋だけが外れたのは賢明な判断だと思いました。
橋を渡ったところに使われていない小さな建物がありました。
尾道大橋は今年の3月末まで自動車、自動二輪、自転車も有料でした。有料道路が一定期間を経て無料になることがあるなんてちょっとした驚きです。
向島から見る尾道の町並み、初めて見る尾道の風景です。
ちょっと近未来的な洒落た建物ですが、これが尾道市役所向島支所です。橋から3km、市役所から5km、この北西の交差点で明日のDコースが合流するので、ここでデンして、もと来た道を引き返します。
向島支所の北側には天満屋があります。これだけ分かりやすい目印があると迷いようがありません。
帰りの尾道大橋から東尾道、松永方面を望む。欄干の高さはみぞおちくらいまであるけれど、とても橋の下を覗くことはできません。高さを意識すると足が震えて普通に歩けなくなります。
ロープウェイ乗り場まで戻ってきたのですが、24年前に来たときと様子がまるで違っています。本当に来たのかなと自信がなくなるくらいです。
有名な猫館の前に来ました。テレビで何回か見たことがありますが実際に来るのは初めてです。でも今日は定休日。
よくある尾道の風景で撮ってみました。天寧寺三重塔は重要文化財に指定されています。
千光寺公園、文学のこみちに上がってきました。この「明徳を明らかにす」の文学碑の前が24年前来たとき、最も印象に残っている場所です。
ぼくがこの碑の前に来たとき、年配の男性に呼び止められて、撮影を頼まれたのでした。なんでも若い頃この山口玄洞の書生をしていたということで、どうしても碑と一緒に撮って貰いたいということでした。手渡されたカメラはレンズ付きフィルム「写ルンです」だったことも妙に忘れられません。
文学のこみちで最も有名な「放浪記」の文学碑ですが、カメラが古くてバックのコントラストがうまくいきませんでした。てっぱんダンスの撮影された場所も撮りたかったのですが、時間がなくて見つけられませんでした。
尾道駅の北250mの所にあるスーパーにやってきました。ぼくの地図ではサティーだったのにイオンに変貌していました。夕食と明日の昼食を調達します。ぼくの泊まる佐藤旅館は朝食はありますが夕食はありません。旅館に着いたのは16時30分、4時間半にわたる尾道散歩はようやく終了、しまなみ海道の書き込みもこれにて終了です。
ぼくがこの大会に参加した目的は歩いて瀬戸内海を渡ること、そして来年また四国を歩くことができるか確認するためでした。それ以外のことは全く期待もしていませんでした。多くのウォーカーと知り合ってお話をしたり一緒に歩いたりということは、自分が社交的でもないので、まずないと思っていました。
ところが、初日の最後の休憩ポイント瀬戸田市民会館を出て2kmほど歩いたところで声をかけられました。愛媛県西条市の男性だったのですが、ぼくがあまり速いスピードで彼を追い越そうとしたことにびっくりして思わず声をかけてしまったようです。彼は早足自慢でその日も尾道では一番最後のフェリーに乗って参加者の多くの人を追い抜いてきたということでした。おもしろそうなので彼の足に合わせて一緒に歩くことにしました。
西条の人はすごいウォーカーでした。つなぎ(区切り)ではあるけれど、地元西条から今治、しまなみ海道を経て山陽道、東海道を行き名古屋まで歩いたといいます。ただ、ぼくの地元播州では足を痛めてしまって、電車に乗ったので、この大会が終わったあと1日空けてその部分を歩きに行くのだと張り切っていました。彼は30時間以上も睡眠なしで歩いたこともあるという、まるでスパルタスロンではないかと呆れるばかりです。ぼくなんかは1日に7時間以上は歩きたくない、歩くべきではないと思っているので全然違うタイプの歩き人です。
ぼくのゼッケンを見て、「初めてですか?」と意外そうな顔をされました。「大会は初めてですが、お遍路は何回か歩いています」と答えると納得したようで「お遍路ですか、ぼくも区切りですけど1回歩きました」。それからお遍路の話で盛り上がって多々羅大橋を渡り終えるまでほとんど途切れることはありませんでした。
彼が一番気に入っている遍路宿は土佐清水の「いさりび」、清水鯖のお刺身は味わったことのないような美味さだったとか、半露天になっているお風呂からの太平洋の眺めは格別だったことなど熱を込めて語りました。今年の春聞いた情報だと二人以上でないと予約ができなくなっているということだったのですが、そのことを尋ねてみると、彼が泊まった昨年の11月では普通に一人で予約を受けてもらえたそうです。インターネットでの予約では2人以上のプランしかないので、それと混同してそういう情報が出てしまったのかもしれません。事実の所は不明ですが。ぼくもぜひ泊まってみたい宿なのですが、40km歩くとなると、どうしても、岩本寺=中村=足摺岬=三原村、となっていさりびは中間地点になってしまうので泊まることはできません。
多々羅大橋の登り口の所で「四国を一巡するのは30日くらいですか」と訊かれました。「はい、29日で一巡します」と答えたのですが、こういう質問は四国を歩いているときには全くされません。お遍路さんは大体40日前後で一巡する人が多いし、50日前後かかる人も珍しくありません。30日で歩く人はかなりの少数派になるので、「何日ぐらいで歩かれるのですか」という訊き方をされる方がほとんどで、それに対して「29日で巡ります」と答えるとほとんどの人が大層びっくりして声の調子が一段上がったりします。
Dコースの人はみんな40km歩くから、それは全く普通のことであり常識的な質問になってしまうのがなんだか愉快です。そういう彼も、当然40kmのペースで四国を歩いたようで、一番長い所(観自在寺から三間まで)では50kmも歩いたそうです。
「藤井寺からはどこまで歩きましたか」という質問には「大日寺までです」と答えたのですが、その答えにも「そうですよねえ」と、四国では絶対あり得ない反応です。焼山寺越えで大日寺まで歩く人は今まで二人しか会ったことがありません。それがこの大会では普通のことになってしまうおもしろさ。「焼山寺まではどれくらいかかりますか」と続けざまに訊かれて「3時間半です、柳水庵と淨蓮庵でちょっと休憩するくらいです」と言うと「それは早いなあ、ぼくは4時間半かかりましたよ」とここで初めて驚きの声を上げました。
西条の人とは翌日の朝、バスが多々羅しまなみ公園に着いたときにも会ったけれど、出発は別々で先を歩いているのか後ろを歩いているのか分かりませんでした。
昼食が終わって来島海峡大橋の登り口から少し登ったところで追いつきました。彼は午前中はすごい女性と一緒に歩いて大変だったといいました。彼女は還暦はすぎている小柄な人だったのですが100kmマラソン、ウルトラマラソンの経験者で歩くのもすごく速くてついていくのに必死だったといいます。やはりランナーも参加していました。彼は疲れ果てたという様子で、ぼくにも今日は先に行ってください、と言いました。ぼくはまだ力の余裕があったので先に行くことにしました。
菅笠をかぶったお遍路の男性もいました、初日は雨で合羽を着ていて分からなかったのですが、2日目に会うとちゃんと袖無しの白衣も着けていました。さすがに金剛杖は持っていませんでしたが、ぼくはとてもああいう格好では歩けません。遍路バッジも付けられなかったくらいです。
2本のストックを持ったノルディックウォーキングの女性もいました。さすがにベテランのようでものすごくバランスが良くてリズムも良くてぼくとほとんど変わらないスピードで歩いていました。本当に全身運動で普通に歩くより身体にいいことは一目瞭然です。
初日の因島でぼくの前にいた女性の歩きも惚れ惚れするものがありました。彼女も還暦は十分過ぎている小柄な女性だったのですが、足の運びに無駄がなくてなめらかでとても美しい。スピードもぼくの速さと全く変わらなくてずっと後ろをついていくしかなかったほどです。
四国では歩幅が小さい人が多く、そのために速く歩けない人が多いのだと認識していたのですが、この大会でも歩幅の小さい人が多くて意外でした。小さくても6km前後で歩いている人がほとんどで認識が甘かったことに驚かされました。歩幅が小さいと動く回数も多く速く動かさねばならなくて長距離の歩きには向かないと思いこんでいたのですが、存外そうではないのかもしれません。むしろぼくのように歩幅が大きいと筋肉の負担が大きくなる箇所があって、痛みやすくなるということがあるのかもしれません。とはいってもにわかに自分の歩きを変えることはできません。
ピンクのバッジがかわいくてとても気に入っています。早速キャップの遍路大使のバッジの横に付けました。ゼッケンは多くの人がザックに付けるのですが、ぼくはザックにピンの穴をあけるのが嫌で胸に付けました。胸に付ける人は本当に少なくてちょっと恥ずかしいかなという感じもあったのですが、ゴールの今治城に入るときに、出てきた女性がぼくのゼッケンを見て「40km歩かれたんですか?すごいですねえ」と歓声を上げました。それで、前に付けて正解だったと自分に納得がいきました。
JML(日本マーチングリーグ)なるものが存在することをこの大会に参加して初めて知ることになりました。日本各地のウォーキング大会の振興を図るために24年前に設立されました。北は北海道から南は沖縄まで18の大会が加入していて、完歩の回数によって表彰されメダルや盾がもらえることになっています。ウォーキングを趣味や日課にしている人は全国で数百万人、あるいは一千万人を超えているかもしれないけれど、こういう大会やリーグがあることを知っている人は1%にも満たないでしょう。趣味の世界です。
その中で先ず感じたのは、お遍路に比べて自由度が少ないということです。自由に歩こうと思えばいくらでもできるのですが、周りの環境がなかなかそうできないようになっています。休憩ポイントが少ないのがきつかった。四国で40km歩くときは最低3回は休憩します。10km以上は続けて歩かないようにします、足のためにも身体のためにも、そうしないと最後まで元気に歩けない。この大会では初日は15km地点で昼食、あと30km地点に一つ。でもこれはまだましで、2日目は9km地点に一つ、そのあとの昼食ポイントは26km地点でした。四国ならその中間点で絶対休んでいたはずですが結局できませんでした。休めるようなポイントがなかったのもそうですが、あとからあとからやってきて追い抜かれるので落ち着いて休んでなどいられないという感じが強かった。休憩ポイントと休憩ポイントの間には数カ所接待所があるのですが、これはマラソン大会の給水ポイントという感じで椅子もなくてゆっくり休んでいる人はあまりいませんでした。
ぼくは四国ではきついスケジュールを組むことが多くて、速足遍路ではあるけれど貧しい遍路であることも自覚しているつもりです。お参りでも休憩でも慌ただしく済ませてしまうことが多いけれど、今回の大会はそれ以上に慌ただしくせわしいウォーキングになってしまいました。出発が8時と7時でこれは動かしがたい、その時間にならないとスタンプが押してもらえません。四国では40km歩くときは6時から6時半には出るので、先ずここで詰まってしまう。ゴール地点のバスの最終は17時半だからそれなりの余裕はあるけれど、ぼくの場合、旅館に入る時間や姫路へ帰る電車の時間があって、初日は16時、2日目は14時半までにはゴールしたかった。休憩の回数も時間も四国の半分しか取れなかったから、めちゃくちゃ慌ただしい大会だったというのが本音です。
インターネットで朝日新聞を調べてみると、ぼくが参加した尾道から今治まで2日で歩くDコースの参加者は545人でした。今治から尾道まで3日で歩くAコースの参加者は1397人、瀬戸内海を横断するのはこの二つのコースだけで、他のコースは1日で完結するコースばかり(5~20km)、来島海峡大橋だけを渡るのがBコースとHコースでC、E、F、Gコースは橋は渡りません。
全国の歩き屋が集結するのがAとD、中でも凄いやつが集まるのがDと言えるでしょう。四国では40kmを歩く人はかなりの少数派です。ぼくは今まで4人くらいしか会っていません。ぼくが40km歩くというとほとんどのお遍路さんが「すごい健脚ですね」と声を上げます。珍しがられて恐縮してしまうことも多いのですが、この大会,Dコースではそういう人ばかりが集まっています。初日は整列順に出発していったのですが、2日目は時速5.5km以上で歩く人とそうでない人に分けられて、速く歩く人から出ていきました。速い方の列に並んだ人は100人前後でした。
ぼくは速い方で出発したのですが、スタンプの台紙をザックに入れている間に50人以上の人に先に行かれてしまいました。ぼつぼつ自分のペースで歩いたのですが、やはり先頭グループはぼくのスピードでは全然追いつかず差は広がるばかりでした。彼等のスピードは6.8~7.0km/hだと思われました。それくらいのスピードをキープできる人は上位20人くらいでした。ぼくと同じ6.3~6.5kmで歩いている人は本当に多く50人以上はいるようでした。だから追いつくのは容易ではないし追い抜いてもあまり差が広がることはない。
2日目の最初の休憩ポイント伯方SCパークまでは9km、ここは今治から横断する人の初日のゴールポイントだけれど、我々にとっては接待所のひとつで、ほとんどの人がお茶やコーヒーを立ったまま飲んで5分以内ですぐ発っていきます。ぼくは初めから休憩する気満々だったので持ってきたあんパンを半分ほどと食塩とスポーツドリンクで一息入れました。この1時間半で追い抜いてきた人たちが次々先に行ってしまいます。ぼくにとっては遍路小屋ですが、彼等にとってはマラソン大会の給水ポイントにすぎない。そのギャップには当惑するしかありません。20分は休みたかったけれど早々に切り上げて15分で発つしかありませんでした。先頭グループは1.5kmほどは先を歩いているに違いありません。この調子では17km先の昼食ポイントまで休憩は取れないようです。
伯方SCから昼食ポイントよしうみいきいき館までの17.9kmは今回のコースの中で一番不調でした。足の運びはそれまでとあまり変わらなかったのですが、水分と塩分の取り方が不十分だったのか、これから先の17km休みなしがプレッシャーになったのか、少し頭痛がして熱が出て変な汗が出てきました。四国でなら確実に休みを入れていたのですが、やはり前にも後ろにも歩いている人が連なっているとなかなか立ち止まる勇気が出ませんでした。伯方SCで多くの人に抜かれてしまったので、いきいき館まで何人の人に追いつけるかカウントしながら歩くことにしました。ほとんどの人が6km以上で歩いているので追いつくのは容易ではなかったのですが自分のペースを保ちながらでも何とか55人の人を追い抜くことができました。まだ30人くらいは前を歩いているような感じでした。
いきいき館の1.4kmほど手前に方南寺があって接待所に指定されています。でも県道から150mはずれた所にあって、往復300mの遠回りになってしまいます。すぐ昼食ポイントに着くのに、こんな所で休んでもということで、スルーするつもりだったのですが、道路に大きな矢印が書いてあって前にも後ろにも歩いている人がいて、そのまま県道を行くのはズルをするような感じがして、仕方なく方南寺に向かいました。最後は結構な登りで息が上がっている人もいました。せっかく寄り道したので、柿と麦茶を頂きました。思いがけず本堂の横にお大師さんの姿があって、ズルをしなくて良かったと思いました。さすがに、般若心経をあげる余裕はありません。
方南寺でもすぐに発つ人が多くて、負けじとほとんど休憩せずに追いかけました。せっかく多くの人を抜いたのにこんな所で先をこされてはと変な競争意識が芽生えてしまいます。
再び県道に出て1kmほど行くと来島海峡大橋への登り口があって、次々と歩行者が下りてきます。彼等はHコースのウォーカー、Hコースはこの日1日の10kmコースで、今治城から今治駅まで2km歩き、電車かバスで波止浜駅まで行きそこから歩いて来島海峡大橋を渡り、よしうみいきいき館まで。帰りはいきいき館の前のフェリー乗り場から船で今治港に戻ります。波止浜から歩き始めるのが10時10分前でここまで8kmほどの道のりなのでちょうどいい時間になります。いきいき館ではDコースの人とHコースの人でかなりにぎわい始めるところでした。二つのコースの人がいるのでぼくが何番目くらいに到着したかは全く分かりませんでした。感じとしては30番目くらいではなかったかと。
よしうみいきいき館に到着したのは11時35分、伯方SCから2時間50分かかったことになる、平均時速は6.13km。あまり調子の良くなかった長丁場にしてはなかなかのスピードです。前を行く人が多くて意識はしないといっても自然に頑張ってしまったのかもしれません。いきいき館では腰をかける場所が多くなくて、ぼくはやっとパイプ椅子を確保したけれど、あとからあとからやって来る人たちは地べた(アスファルト)にシートを引いて休む人たちも多く、急いで昼食を摂って椅子を空けなければという感じになって、ゆっくり休むことはできませんでした。麦茶の補給をして急かされるようにゴールに向かって歩き始めます。出発したのは正午ジャスト、予定よりだいぶ早いので、始発のバスに乗れそうな感じです。
来島海峡大橋へ登り始めると体調がすごく良くなっているのを実感します。いきいき館での水分と塩分の摂り方が充分だったのか、この大会で一番気持ちよく身体が動いているような感じがしました。でも油断は禁物なので無理に速く歩くことは止めて、足が痛まないように疲れないように押さえ気味に歩くことを心がけました。橋に上がってしばらくするとようやく天気も良くなって暑くなってきました。この日の松山は真夏日になったようです。
ゴールの今治城まで13.5kmの間に32人の人を追い抜きました。あまり力は入れていないのですが、みなさんの方が最後半で疲れてきているような感じでした。それでも、ぼくより先にゴールした人は15人くらいいたようです。始発のバスに乗り込むとそれくらいの人がすでに乗車していました。いきいき館からは2時間11分、時速は6.03kmでした。足の軽さと動きからすると思ったほど出てはいなかったのですが、やはり2日間の疲労と暑さが影響していたのかもしれません。でも、40kmの後半まで足は軽く思い通り歩けたので大満足です。この春四国で痛めた前脛骨筋が完治していることも確認できたし、その原因が重い靴のせいだったことも実証できていうことありません。
尾道へ
あっという間に尾道へ旅立つ朝になってしまいました。天気は今日が快晴、明日は曇り一時雨、明後日は曇り、で1週間前からほとんど変化なく当日を迎えてしまいました。さすがのスパコンです。でも一時雨が1日というのは運がいい方です。1日中降られるとさすがに気分が沈みがちになりますが、一時であれば楽しむ余裕も持ちながら歩けるでしょう。
土曜日は朝7時の集合なので、前日に尾道に入ります。3年前には尾道駅を降りたけれど、船着き場までの往復だけで町の中は全然歩けませんでした。町の中を歩くのは28年ぶりくらいになります。そのときは御袖天満宮からロープウェイ乗り場、千光寺公園、日比崎中学、西願寺などを歩いて廻ったのですが、まだ見ていないところも多いのでゆっくり楽しみたいと思います。