WALKER’S 

歩く男の日日

9日目 遊庵(香南市)~高知屋(高知市)

2015-06-24 | 15年四国の旅


 ちょっとアートを感じさせるようなレイアウト、左下はアップルジュース、見た目にうれしいこんな朝食も初めてです。奥さんは松山の51番札所石手寺の近くに実家があるそうで、お遍路さんが身近な存在ではあったけれど、まさか自分が遍路宿をするとは思わなかった、と言います。
 金剛頂寺宿坊に泊まった人は次が神峯の下の宿になって、そこから35kmになるのでこの宿に泊まれる人は多くはないでしょうが、あまり長い距離を歩けない人で津照寺の近くの宿に泊まった人は、次がホテル奈半利(22.7km)、その次が安芸市の宿(22.8km)、そして遊庵まで25.2kmとなるので、無理なく来られると思います。
 同宿のお遍路は初めて、京都から来られた方は今日30番まで打って、高知駅からバスで帰られます。もう一人の8巡目ベテラン逆打ちの人は昨日は高知屋から36km歩いたので、今日はゆっくり安芸市の宿までということでした。
 遊庵の朝食は6時半からなので、7時に出発、ご夫妻が玄関の外まで見送ってくれて近道を教えてくれます。大日寺の階段下まで戻るつもりだったのですが、教えてもらった道を行くと500mぐらい短くなって、大日寺から国分寺までの距離とほとんど変わらなくて(40mだけ長い)今までのタイムとそのまま比較できます。
 夜明け前からずっと雨が降っていて、また雨の出発です。でも今日もほとんど平地なので大して苦にもなりません。
 雨が降っていたのでカメラを出す気にはなれず写真がありません。でも、雨だけの理由ではなかったのではないかとも思えます。いまいち身体の動きが冴えないような、気持の余裕がないような。
 8時26分、29番札所国分寺に到着したのですが、やはり写真を忘れてしまいました。遊庵から85分44秒、ベストより4分遅れ(時速6.32km)でした。この区間のベストは4巡目の時で、それから3年連続で2分遅れ、つまり2分遅れが標準タイムと見るべき、それより2分遅れということは、万全ではなかったということでしょう。歩いているときも、その後も理由はよく分からなかったのですが、帰宅して1ヶ月以上経ってから、何となくその理由が見えてきました。正解かどうかは判りませんが、おそらく間違いないと思います。歩くというのは本当に難しいしデリケートなものだとつくづく思います。

 国分寺の山門を抜けると鐘楼の脇に歩き遍路さんのザックが二つ、民宿きらくから来た人に違いありません。一つはMさんのものでしょう。
 ぼくがお参り納経をしている間に、二人とも出発されていました。車の人のお参りは多かったのですが、歩きの人の姿は見あたりません。
 8時50分に国分寺をあとにします。
 国道32号の下をくぐり、笠ノ川川を渡ると、目の前の小高い山が岡豊城址、長宗我部氏の居城で、戦国時代の一時ここが土佐の中心であり四国の中心でもあった、というようなことは半年ほど前、BSフジの「おへんろ。八十八歩記」を見るまで知りませんでした。今回は、城跡に登ったり県立歴史民俗資料館を見学する余裕はさすがにないけれど、この次来たときにはという気持はあります。
 国分寺から4.5km地点にある遍路小屋まで来ると,Mさんともう一人男性が休憩中でした。あと2kmほどなので、挨拶だけしてそのまま行き過ぎることにします。
 9時58分、30番札所善楽寺に到着、また写真を取り忘れてしまいました。国分寺から67分38秒、ベストより4分も遅れてしまいました(時速6.12km)。このタイムを見て本当に動きに精彩がないことを自覚します。理由は全く判りません、昨日まで理想的な動きだっただけに首を傾げるばかりです。
 傾げながらも、きっちりお参りはします。納経所でキャンディ3ついただきました。今年12回目のお接待、うれしくなって大きな声でお礼を言いました。納経所の前のベンチで休憩していたらMさんがやってきて、いつもながらの一言を掛けてくれました。Mさんも今日は高知屋までだそうです。

 善楽寺では10分ほど休んで、10時25分に出発です。歩き出しはそんなに調子は悪くないという感じではありますが。
 900m地点で自動車道を離れて川沿いの歩道に入ると、工事中で通行止め、橋を渡って対岸の道を行きます。
 国分川を渡ってサンピアセリーズを過ぎて、次の交差点を渡ったところで左折して田圃の中の遍路道に入るところ、ぼんやりしていて直進してしまいました。15mほど進んですぐ気がついたけれど、やっぱりちょっと変。
 五台山の山道はまだ雨が降っていて傘をさしたまま登ります。大した登りではないけれど、やっぱり不調なときの感じでした。
 植物園に入ってしばらく行くと逆打ちの男性がやってきました。降り口を訊かれたので教えてあげました。植物園の逆打ちはぼくでも迷うかも。


 11時33分、31番札所五台山竹林寺に到着、善楽寺から63分34秒、ベストより1分遅れでした。少し持ち直したと見ることもできます。
 お参りをすませて休憩所で軽食を摂っていたら、中国人の団体がやってきて境内が一気ににぎやかになりました。お遍路だけのツアーなのか、高知観光の一部なのかよく分かりませんが、それにしてもこんな所でパワーを見せつけられるとは思ってもみませんでした。
 12時ちょっと前にMさんが到着、迷いませんでしたか、と訊くと、「植物園の中をちょっとうろうろしてしまった」とのこと。土佐一宮の少し先の二または問題なく進めたようでした。

 竹林寺では15分ほど休憩、12時08分に出発です。雨はごく小降りになったので傘をたたみます。竹林寺の下りはごつごつした大きな岩の階段が続き、おまけに雨で濡れているので慎重に下ります、ここだけで1分や2分はタイムが落ちることは覚悟の上。
 竹林寺から3.2km地点、県道に入ったところで男性の歩きの人に追いつきました。善楽寺の近くの宿から来た人でしょうか。


 13時12分、32番札所禅師峰寺に到着、竹林寺から65分14秒、ベストより5分遅れでした。やはり最初の階段でゆるりゆるりと下ったから、その後も乗り切れなかったという感じでしょうか。体調はそんなに悪いという感じはないのですが。
 最後の山道でお参りを終えた男性とすれ違いましたが、境内には車遍路の二人連れだけで、ひっそりとしています。
 お参り納経を終えて休憩なしで、13時32分に出発、そのまま宿に向かえば1時間半ほどですが、今回は浦戸大橋を渡って桂浜に寄るので、あまり時間の余裕はありません。
 禅師峰寺の山道を下り始めてしばらくすると、登ってくる人がいます。県道で追い抜いた人でした。「さっきたくさん夏みかんをもらったのでお裾分けします」、ちょうどぼくが追い抜いたときで、ぼくにも渡そうとしたけれど、足が速いので声をかける間もなかったとのこと。皮を剥いた状態だったので、その場でいただきながら、少し話をしました。渡船が運休しているということを聞いてどうしたものか、と言われたので、昨日同宿だった人が逆打ちで渡船に乗ったと言っていたから大丈夫だと思いますよ、と言うと安堵の表情。宿は桂浜の近くで、橋を渡るのが近道なのだけれど、ぜひとも渡船には乗っておきたいということでした。


 13時47分、禅師峰寺から1kmちょっと、畑の真ん中に津波避難タワー、海岸線から150mほどの地点。


 14時26分、浦戸大橋を登ります。2年前来たときは本当に大変でした。右側の歩道を歩いたのが失敗で、絶え間なく右側から10m以上の強風が吹き付ける、車道に飛ばされそうになって何度もうずくまるように立ち止まったものでした。今回は念のため左側の歩道を歩きます。
 風はほとんどなく2年前のような恐怖はありませんでした。


 14時50分、ようやく龍馬さんの前までやってきました。映像や写真では何度も見てきたけれど、生で対面するのは初めてです。想像以上に偉大でした、圧倒されるような迫力を感じます。


 龍馬さんの目線と同じ高さまで登れる矢倉が隣に設えてあるのですが、残念、登る気満々で来たのでがっくり肩を落とします。


 荒天の似合う桂浜・・・・


 15時05分、桂浜から県道14号に戻る途中、見晴らしのいいところがあったので思わずカメラを向けました。岬のように見えている奥の山なみは横浪半島の東の端、一番高いのが宇都賀山、その真下あたりに明日最後にお参りする36番青龍寺があるはずです。明日の宿はその5kmほど向こうにあります。


 15時28分、高知県のお墨付き、遍路道しるべがありました。桂浜に行く人やその近くの宿に泊まる人もいるから、これは意味のあるありがたい道標です。帰ってから計測すると、距離は正確でした。


 15時53分、33番門前にある高知屋に到着です。300m手前にある高知南郵便局で3万円と100円玉12枚を下ろしたのでちょっと遅くなりました。
 今まで8回素通りしてきたこの有名遍路宿にやっと宿泊します。ほとんどの同宿の方は15時10分の渡船に乗って、すでにお参りをすませ宿に入っているようです。納経の時間には十分余裕があるのですが、ぼくはお参りは明日の朝にします。夫婦連れの方は17時15分の渡船で来られたので、ぼくと一緒にお参りすることになります。昨日黒潮ホテルの近くで会った二人だと思われます。


 Aさんに「今年初めて高知屋に泊まるんですよ」と言うと、「それだけ巡っていて、まだ高知屋に泊まっていなかったんですか」と目を丸くして驚かれました。さほどにベテラン遍路さんの中では有名で評判のいい遍路宿であるし、初めての人でもその評判を聞いて泊まる人が多い。
 でもぼくは2巡目の時に土佐市の喜久屋旅館でお世話になって、なかなかほかの宿に泊まる気になれませんでした。その翌日の宿が須崎の柳屋旅館で、この二つの宿には6年連続で泊まりました。土佐市に泊まるとその前日は善楽寺の近くか高知駅の近くの宿に泊まるしかないので、どうしても行き過ぎるしかありませんでした。
 それが2年前喜久屋旅館が廃業になっていて、今回やっと区切るポイントを18kmほどずらして泊まることができたのでした。
 数年前に改築されたということで、部屋もお風呂もトイレも洗面もきれいで言うことありません。二人の娘さんもきびきびとしていて感じのいい応対、有名な宿で連日満室になるだろうから、無駄のない応対は当然のことでしょう、愛想に欠けると感じる人もいるかもしれないけれど、そこまで求めるのは酷だと思います。お風呂から上がると、玄関の横の椅子に大女将が座って夕刊を広げています。その姿が何ともゆったりしていていい感じです。大体のことは娘たちに任せて無理のない落ち着いた感じ。夕食の時にはごはんをよそってくれます。おそらく、何十年もの間、何万人ものお遍路さんのお世話をし続けてきた、そのことを思うと、彼女こそがお大師さんであり、観音様ではないかという気すらしてきて、えもいえぬ感動におそわれます。もぐりのままで終わらなくて本当によかったと思いました。

 9日目の歩行距離  39.1km
      歩行時間  6時間37分  1日を通じてちょっと不満の残る動き
      平均時速  5.91km