駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

萩尾望都『海のアリア』

2020年09月30日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名は行
 角川書店あすかコミックス全3巻。

 夏の朝、ぼくら4人がヨットで沖へ出たとたん、天候が急変した。不思議な火の玉を目撃したあと、4人は海に投げ出され、アベルが行方不明になった。半月後、アベルに似た少年が沖縄で見つかるが…異色SFマリーン・ロマンシア。

 1990年のコミックスで長らく愛蔵していますが、感想をまとめていないことに気づいたので再読してみました。
 音楽とはそもそも数学的に調和が取れたもの、あるいは調和が取れていることが美しいとされ、目指すべきものとされ、なんなら音楽で世界を整え調律しようとする思想もあるような、そういう分野の芸術というか学問というか思考です。それが地球外の波動生命体とか、その結晶生物/鉱物とか、それと感応する演奏家とか、その演奏家自身のトラウマとかその解放とかそうして奏でられる音楽とか芸術とか演奏者と楽器のパートナーシップとか、そういうイマジネーション豊かな、とても濃くにぎやかで楽しい物語です。
 主人公はアベルなんだけれど、途中で記憶喪失になったりすることもあるので、語り手としては当初は友達の十里、次いで双子の弟のコリンが立てられるのだけれど、彼らはそれぞれ中途半端な立ち位置のキャラクターでもあって、やがてアベルが記憶を取り戻しかつ新しい生き方としての自覚を持つようになって動き出すとフェイドアウトしていってしまうので、物語としては構成があまり良くない、ある種の読みづらさを抱えたものになってしまっています。が、ワケわからないままに読み進めるのも楽しい、魅力あふれる作品になっているとも思います。
 アベルが楽器として、それでも演奏家の単なる道具ではなく対等のパートナーであると主張し、アリアドに迫っていくところなんかは、関係性萌えとして読んでもとてもおもしろく、やりようによってはBLっぽくもなりそうなのだけれど、そういう尺はないしそっちの方向には作者の興味もないのか話はあまりそちらには進まず、ちょっともったいなくもあります。ともあれSFとしてとてもスリリングでチャーミング、現代学園もの特有の青春活劇の味わいもきっちりあって、小品と言っていいのでしょうがとても魅力的な、おもしろい一作です。私は大好き。この頃のやや骨太な絵柄も好きです。カラーイラストもとても美しい。音が出ない漫画ですが、音楽を見事に扱った一作でもあります。
 宇宙にとっての地球って、本当にこんな感じなんじゃないかな、とも思ったりします。そうだとしたら、とても楽しそうです。



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宝塚歌劇雪組『NOW!ZOOM ME!!』

2020年09月29日 | 観劇記/タイトルな行
 宝塚大劇場、2020年9月13日15時半(Aパターン)。
 東京宝塚劇場、9月27日15字半(Cパターン)。

 作・演出/齋藤吉正。雪組トップスター望海風斗のMEGA LIVE TOUR。当初の期間と会場をコロナ禍で変更しての上演。全2幕。

 ヨシマサのコンサートというと最近では『恋アリ』とか『AM』とかでしたでしょうか。なんせショーすら観るのが下手な自覚のあるワタクシ、コンサートにはアウェイ感しかありませんでしたが、大劇場では友会が12列目どセンター席を当ててくれたので、まずはいそいそと出かけてきました。ちなみに東京は生徒さんのお取り次ぎで2階最前列やや下手をいただき、やはり映像は一部見切れましたがこちらもとても観やすかったです。

 ベルベット地の緑に紫という派手なお衣装はいい感じ。ヅカヅカ歌う主題歌はどうかと思いましたが、みんながノリノリなのでこちらも気持ちがほぐれました。基本的にラインナップなど学年順で並んでくれるので、下級生も識別しやすくていいですね。でもそれ以外は、あゆみちゃんとすみれ姉さん(痩せたねえ!)を別にしたらひまりんがいつもトップ娘役ポジションにいる感じで、もうウハウハでした。てかどの髪型も可愛いよひまり!!!
 洋楽は知らない曲でしたが(笑)、ハットにスーツの男役たちがカッコいいし、青と黒のお衣装でアシンメトリーなスカートが粋な娘役ちゃんたちがイカしててウハウハ。怪傑ゾロの出で立ちがカッコいいのかはやや謎ですが、そして寸劇仕立てにする必要があるのかはもっと謎でしたが、「名探偵コナン」のメインテーマを宝塚歌劇でフルコーラス聞くことなどなかなかない事態なはずのでとりあえず堪能。
 92年春に大学を卒業したのでバブルをバリバリに堪能した世代より自分はちょっと下だと思っているのですが一応時代の空気を浴びかつ記憶しているつもりの者として「これはバブルではない」とは断言できますが(一息で言う)、バブルコーナーもまあ楽しいっちゃ楽しかったです。これは単に派手なだけでジュリ扇はともかくバブルファッションとはコードが違うぞってのと、キミたちみんな生まれてないやろってのと、単なるカラオケか組宴会やろって気はかなりしましたけどね。しかしほぼ万人が口ずさめるのではという「My Revolution」ですらこんなにも下手なのかあゆみちゃん…がっくし。
 マジックの意味はさらにわかりませんでしたが、飛び出る美女役がひまりでこれまたピカピカに可愛かったのでもういいです。そこからの黒燕尾、そして娘役のダルマ燕尾は美脚揃いでもうたまらん!という感じで一幕は終了。うん、最後の場だけでよかったかもね???

 二幕は何故かナギショーの金八先生パロディでこれまた企画意図が謎。ただし映像のロケ場所などは見どころたっぷりでした。そこからの今度はタカスペパロディかよって振り返りギャグコーナーは、そもそも脚本として笑いとしておもしろくないのが何よりつらかったです。近年の雪組が日本とフランスを舞台にした作品をほぼ交互にやっていたのは事実ですが、プロデュース側の采配の下手さ故のものでもあるのでそれを笑いにしても笑えないのだということを劇団にはわかってもらいたいです。あと、生徒には中国籍や台湾籍や韓国籍やアメリカ籍や、あるいは国籍は日本でもルーツが外国にある者はかつても今もたくさんいることはファンも知っていることです。なのに「純日本人」とかいう台詞を書く神経を疑います。ポリコレ的にももちろんNG。ファンだけが観るものだから炎上しないですんでいるだけで、普通の公演だったら袋叩きになるレベルだと海より深く反省してください。東京公演では変更されていましたが、事前に直せ、ちゃんとしたチェックを受けさせろと言いたいです。貧乏を笑うことについてはグレーかなと思いますが、笑いのレベルとして低いのでそこは反省していただきたいです。でも雪の精が可愛かったことは特筆したいです。あと妃華ゆきのを本公演でももっと起用しよう。これだけ華やかな娘役さんなのにもったいないです。
 そこからは、Aパターンではだいもん出演の花組時代、雪組時代のメドレーだったかな? 私はほぼほぼ観ているので懐かしく胸熱でした。権利の問題で再演が難しいと聞く『太王四神記』ですが、映像でしか観ていませんが新公ホントよかったし、「チュシンの星の下に」は素晴らしい主題歌なので今後なんとかしてほしいなあ…私が観られなかったBパターンでは雪組メドレーがたっぷりめだったのかな? 東京新公ができなかったスワッチが『ワンス~』を歌ったと聞きました。よかったねえぇ!
 そしてCパターンではきぃちゃんゲストで、「輝く未来」のラブラブ幸せデュエットもよかったし『ミーマイ』はっちゃけランベスウォークもよかったけれど、やはり『エリザ』の「私が躍る時」は素晴らしかったですね!!!
 「Music is My Life」の弾き語りは、さすがにピアノに集中するためかちょっと歌唱も弱くなるのが愛しかったです。
 下級生何人かずつのトークを挟んで、リクエスト曲は「ひとかけらの勇気」「かわらぬ思い」「愛の旅立ち」、圧巻。そしてだいもんがファン時代に愛したのであろう5組メドレーが私も世代どんぴしゃで本役より上手くて(笑)どの曲も前奏だけでハクハクし、マジで一緒に歌って手拍子バンバンしまくりました。ここのコンセプトだけで一幕分やってもいいのになあ!
 あとはコンサート恒例のデニムにコンサートTシャツの全員で主題歌とか、「ノゾミ」とかで、アンコールがナオト・インティライミに提供してもらった「夢をあつめて」だったかな。お稽古場での映像も素敵でした。スカステで放送してくれないかな…
 まちくんも好きですがかりあんが垢抜けてきて目立ってきていて、嬉しかったなあ。逆にあみちゃんはお化粧のせいか、私には見つけづらかったです。はおりんもいい味出していました。そしてすわんちゃん、カワイイっすね! はーでもなんてったってひまりがよかったよ、嬉しいよ! 雪娘はホントええ娘がざくざくいるなー!!
 もちろん何よりだいもんの圧倒的な歌唱力を堪能しました。自由自在な歌声、素晴らしかったです。
 だいきほデュエットはこれが年内ラストとのこと。あとは来年元旦初日の退団公演ですもんね、早いなあ、楽しみだけどせつないなあ…ウエクミのことだから心配ないとは思いますが、心して観たいですね。
 簡単ですが、くわしい萌え記事は他の方にお任せして、このへんで。


 
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WELCOMEピガールって来ました!~月組初日雑感

2020年09月26日 | 日記
 宝塚歌劇月組大劇場公演『WELCOME TO TAKARAZUKA/ピガール狂騒曲』初日と2日目11時を観劇してきました。
 月組は2月末に別箱公演がふたつバタバタと終わって以来、再開まで一番間を置く組になってしまいました。でもこれで一応全組が公演再開、今公演も5列目までは空けていましたがあとは市松配席をやめて全席販売、立ち見も出ていて、少しずつ劇場にかつての日常が戻りつつあるように感じました。次はオケに戻ってきてもらいたいですね…!
 これは本来なら春の初舞台生公演、そしてオリンピックイヤーを寿ぐ演目だったのでしょう。時期外れとはなりましたが、地味な珠城担としてきっちり初日参戦させていただきまして、結果的には大正解! 意外や(オイ)、とても楽しく仕上がっている二本立てだと感じました。まだまだチケットあるようですので、みなさま万全の感染対策をしてぜひ劇場へ! 初舞台生たちもキラキラとがんばっていましたよー!!
 以下、ネタバレありで感想とごく簡単なダメ出しを語らせていただきます。箸にも棒にもかからないので語ることなどない、というわけではなく、またネチネチ語らないとどうにもならない、というのでもない。総じて楽しく、でもあとちょっとだけ言いたい、という感じです。なので私も機会を見て、チケットを追加したいと思っています。東京友会でいっぱい当てたい…!
 ちなみに、お友達の手配のおかげで新タカホにも泊まってきました。スタンダードツインはスペース的にはコンパクトでしたが、バストイレ別なのがいいしとにかく新しくてピカピカで快適、テレビもデカい(^^)。私はすーさんには会えませんでしたが、お友達は遭遇したとのことでした。早くここでお茶会やDSが開催される日々が戻りますように…!

 さて、植Gの和物ショーは(今までイロイロいろいろありすぎたのでやはり植田先生とは呼べない…)玉さま監修ということもあるのか、はたまた楽屋での密を避ける事情もあるのか、一場面がいずれも長くゆったりめで、総じてあまりガシガシ踊ってはいない印象のゆるやか和物ショーでした。でもバリバリのクラシックに乗せた日舞、というコンセプトはとてもわかりやすく、何度歓迎されるんねんという主題歌のウェルカム押しも愛おしく、45分というコンパクトさもあって実にスッキリ楽しく観られました。
 初日は開演アナウンスへの拍手はもちろん、プロローグ終わりの鳴り止まぬ拍手が本当に胸アツでした。そこからの初舞台生口上はいつもの黒紋付に緑の袴ではなく、すみれ色のお着物の舞妓さんふう。組長るうちゃんのご挨拶にも、初舞台生のご挨拶にも公演延期や中止期間に触れた言葉があり、なかなか異例にも感じましたがこれこそがリアルだとも思いました。団歌や「♪清く正しく美しく」ではなくここでもショー主題歌が歌われましたが、アナタたちこそがウェルカムだから!と熱烈に手拍子しましたねー。106期生に幸多からんことを祈ります!
 あとはサブタイトルどおり雪、月、花の場面と続きます。雪のミエコ先生場面にはからんちゃん、ぐっさん、蘭くんと日舞巧者が絡むと聞いていたので期待していたのですが、「幻」として通り過ぎるだけやないかーい!とはつっこみたくなりました。あと、ミエコ先生がグラついたりたたらを踏んだりすると振付なの?アクシデントなの?と心配になってしまうという…ともあれご卒業まで無事に完走してくださることを祈っています。日舞がよくわかっていない、つまらない観客で申し訳ない…しかしあの赤い鳥居のセットには『白鷺』再び!?となった宙担のキモチも少しは察していただきたいものです。あ、さち花姉様のカゲソロが絶品でした。
 ここがヴィヴァルディ「四季」の「冬」で、月はベートーヴェンの「月光」、花はチャイコフスキーの「くるみ割り人形」の「花のワルツ」とホントーにベタベタなのですが、まあわかりやすくていいかなと思いました。インバウンドで外国人観光客を見込んでいたのなら悪くないコンセプトだったかなとも思います。しかし月の場面、生徒の顔が見えない衣装はヤメロとことあるごとに言ってきたのにまた…!と怒りで席を立ちかけましたが、次のくだりでは下級生もちゃんと顔出ししていてよかったです。そしてアレは究極のフェイスシールドだったのでは?というつぶやきをのちに見て、和みもしました…ここのフォーメーションは2階席から観るとより綺麗かも。ただ、やはりちょっと長すぎる印象はありました。
 なので、次のれいこおだちんの花の場面が楽しかったかな。おだちんが「鏡の男」で、最初はれいこと鏡写しで動き、やがて率先して踊り出し…という場面で、引き抜きもあって実に良き、でした。
 そしてフィナーレ、綺麗にまとめていて良き、でした。
 話は戻りますが、やはりチョンパはいいですね! 初日、私は実質3列目になる8列目サブセンのお席をいただいていたのですが、全然気配を感じなかったので本舞台チョンパかなと思っていたのですよ。そうしたらズラリ銀橋で、もうテンション上がりました! あ、ABで役替わりとなるプロローグの歌手も、今回はおはねちゃんと静音ほたるちゃんでしたが、ホント絶品でした!! Bパターンも観たいなあ。そうそう、お着物もメインどころはちゃんとお金がかけられている感じなのがよかったです。シャベ化粧もみんながんばっていて、事故はない印象でした。るんるん踊っているさくさくが可愛かったなー! 大満足の前物でした。

 そしてシェイクスピア『十二夜』原作ながら、ベル・エポックのバリに舞台を移しちゃった『ピガール~』です。珠城さんに二役、男女逆転ものをやらせたいな、とか『ミッドナイト・イン・パリ』をやりたいな、とかだけだったんじゃなかろうなハラダ、という邪推は未だに残る私です。というかこれまで何度も原田先生には「次はダーイシに習ってダーハラって呼ぶからな!?」と思わせられてきた人間としては、なかなかそう簡単には認めづらいのですよ…しかし、今回は、いい。コメディは、いい。ラブコメは本当に、いい。この多幸感、大団円ハッピーエンドからのフィナーレ突入は、たまらん…! ビバ初舞台公演!ハッピーは正義!!と、認めざるをえません。楽しい、幸せな演目でした…!!
「『十二夜』より」と謳っているのだから、珠城さんの男女二役というのはネタバレでもなんでもないんだと思います。『十二夜』というのは男女の双子、セバスチャンとヴァイオラが遭難して、ヴァイオラが男装して兄の振りをしてオーシーノーに仕え、恋をし、オリヴィアに惚れられてしまう、という喜劇です。宝塚歌劇でもかつてタニちゃんオーシーノーで上演されましたが、本来の主役はやはりヴァイオラなのかな? 私は実はシェイクスピア作品としてのこの戯曲の舞台を観たことがないので、よくわかっていませんすみません。とりあえず、戯曲が書かれた当時は女優というものが存在せず(懐かしいですね『Shakespeare』!)、女性キャラクターは若い男優が演じていたということですから、ちょうど今の宝塚歌劇の逆のような性別逆転があって、それ込みで楽しく観られていた演目なのでしょうね。なので、珠城さんが主役で男女二役なんでしょ?というのは普通はすぐ察せられるのですが、ハラダがジラすから…!
 実際には、ポスターやプログラムの珠城さんは若干フェイクで、こういう系統の色気を持ったこういうキャラクターはこの物語世界にはいないわけです。珠城さん自身は、器用で気持ち小柄で男女どっちも上手くできちゃうこっちゃんとか、もっと早くに娘役に転向していたら歴史がイロイロ変わったね?という中性的なみりおとかとはタイプが違って、別に中性的でもフェアリータイプでもなんでもない(もちろんファンには「可愛いみきちゃん」が常に見えているのですが、それはそれとして)、むしろザッツ・マンな男役ですし、ヴァイオラにあたるジャンヌもハクハクしながら男装を頑張っている可愛い女子だからです。まあでも、このミスリードはなかなかおもしろいし、一定の効果もあるかなと思います。そして中性的な、フェアリータイプの男役トップスターにこの作品、この役を振らなかったのも正しいと思う。ジャンヌ役が女子としてあまりにも上手く似合ってハマっちゃうことは、宝塚歌劇の男役トップスターとしては微妙な事態になるからです。卒業してすぐくらいのキムが外部でやったヴァイオラが絶品だったそうですが、それが理想の形かもしれませんね。ただ、キャラクターのアイデンティティとしてはあくまでジャンヌで、ジャックは男装した仮の姿の名にすぎないのだから、プログラムなどの表記はジャンヌ/ヴィクトール、とした方が正しいし、いいのではないかとも思います。
 開演5分前から客席にはノスタルジックなシャンソンが流れ、開演アナウンスと平行して記者たちがわらわらと花道に現れ、ちなつウィリーとその妻さくさくガブリエルが取材されるところから物語は始まります。こういう導入は本当に原田先生はお洒落に作りますよね。でもここでも、記者の口を借りてガブリエルの美貌についてはもっと言及しておいた方がいいと思います。宝塚歌劇には基本的に美男美女しかいないので、そこは台詞で説明しておかないと伝わらないのです。
 そのあと、パリ市民がベル・エポックを歌い、ジャンヌの登場…となるわけですが、私としてはここではまずヴィクトールの珠城さんを登場させた方がいいのではないか?と提案したいです。珠城さんは男役なのだから、男性キャラクターのヴィクトールこそが本役なのだ、とした方がいいのではないか?と思うからです。最終的にガブリエルと結ばれるのも彼なので、それでトップコンビがカップルになる正しい形となるからです。珠城さんヴィクトールがからんちゃんロートレックを相手に、腹違いの妹ジャンヌをパリに探しにやってきたこと、彼女が自分とお揃いの、親の形見のペンダントを持っていることを語り、引っ込んで、そのあと再度、珠城さんが現れる。観客はこれがジャンヌかと思う、ただし何故か彼女は男装をしている、しかし身のこなしはどこか女性のもので、偽りの姿で云々と歌う…どういうこと?とお話に惹き込まれる、という寸法です。今の構成だと、ジャンヌが男装してジャックと名乗るまでの過去のいきさつがのちに語られるまでは、この状態のジャックの正体が観客にはわからず、珠城さんのせっかくの女の子走りとか懸命に男子ぶろうとする仕草とかの可愛さおもしろさを笑えなくて、もったいないです。観客があらかじめ設定を認知していることを期待するのは、作家の傲慢であり怠慢です。お客はノー知識でやってくるものと想定して、お話を展開させなくてはなりません。
 さて、その後、れいこシャルルの命で訪ねてきたジャックにガブリエルはグラリとくるわけですが、ここは『IAFA』ばりにピンクのライトとかを当ててもよかったかもしれません。ジャンヌが男装しているジャックは、そんなわけでなんとなく中性的な、さわやかな魅力のある美形の青年になっていて、マッチョだったりギラギラした世の男どもとは違う妙なフェロモンが出ている…ということになっているのですが、基本的に全員が美女で演じられる宝塚歌劇ではそれを上手く表現できないので、台詞で言ったり演出を加えてあげないと伝わらないからです。もちろん、ジャック/ジャンヌがガブリエルの著書の良き読者で、新時代の女性マインドで共感するところがあり心が通じる…という描写はされているんだけれど、ガブリエルがクラッとくるのはぶっちゃけ第一印象のそのフェロモンなんだと思うので、ここはもっと言葉で説明が欲しいところです。それは、じゅりちゃんミスタンゲットがジャックにコロッとまいっちゃうところも同様ですし、ありちゃんレオ以下ムーラン・ルージュのダンサーズがライバル登場に色めきだつところでジャックが銀橋を渡るくだりなんかも同様です。もう少し台詞を足して、ピンクのライトを当てたい(笑)。
 そしてもう一息足りないのは、ジャックに扮したジャンヌがシャルルに惹かれる描写です。もちろん純粋に夢を追うシャルルの姿にジャンヌが心打たれるくだりはあるし、そこからせつない恋心を歌う場面もあるのですが、単純にもっとベタな、『AfO』ばりの壁ドンとか(笑)、なんかドッキリ素敵エピソードがあった方がわかりやすいし、ラブコメとして盛り上がったと思います。さらに言えば、新作レビューがアクシデントで失敗に終わった失意のシャルルがしょんぼり歌うくだりでも、ジャックの励ましが心の支えになっているとか、なんかあいつが可愛く思えて気になるとか、何かそういうラブの気配を入れておきたいところです。ところで意外に(オイ)ちゃんとしててダンサーに手を出さない主義なのはいいんですが、ちゃんと独身なんでしょうね? この時代のこれくらいの歳の男性は既婚がデフォな気もしちゃうので、安心材料を台詞でどこかに入れていただけると嬉しいです。
 さらにさらに言えば、話はちょっと戻りますが、その新作レビューでヴィクトールがガブリエルを見初めるくだりでは、彼もまた彼女の著書の読者であり、未来の花嫁には新しいタイプの女性を求めていたのだ、というようなことを言わせるよう追加したいです。でないとラスト、どうしても顔かよ金かよ!ってなっちゃうので。ま、ガブリエルは面食いとまでは言わないまでも惚れっぽいところがあるのかもしれないし、だからウィリーともコロッと結婚しちゃったのかもしれないし、そういう変わり身の早さ、軽やかさって魅力のひとつで、別に責められるべきものではないんだとは思うんですけれどね。
 そう、原田先生がガブリエルに言わせるフェミっぽい台詞がすべていちいちごもっともで、まったくもって素晴らしいんですよ。それに共感するジャンヌも可愛いし、「性別なんて関係ないわ!」となるならジャンヌとガブリエルのユリでよくない?となりかねなくなっちゃうんです。そもそも全員女性でやっている芝居ですし、史実ではガブリエルはバイセクシャルだったそうですしね。でも一応は異性愛決着にする以上、もっと細やかなフォローが必要です。ヴィクトールはジャンヌ/ジャックと同じ顔、同じ声であるのみならず、そして財産半分を妹に譲ってもまだありあまるほどのお金持ちであるだけでなく、ウィリーら旧弊な男どもとは違った心の広さと優しさを持った男性で、ガブリエルの仕事や生き方をも認めてくれそうだから彼女も心惹かれたのだ…としてほしい。そしてシャルルの方は、ジャックに対して可愛いけど男だぞ?同性だぞ?とブレーキをかけていたのが、女性だとわかって安心して…という言い方はアレなんだけれど、まあそういうことでこちらはこちらで上手くまとまる、という流れだとベストなわけです。
 だから本当は、もし冒頭を珠城さんヴィクトールで始めるなら、ここも珠城さんにはヴィクトールをやらせてガブリエルとくっつかせて、ちょいちょいダミーをやってきた蒼真せれんくん(東京のプログラムではちゃんと記載してあげていいと思います)がここではジャンヌに扮した方が正しいのかもしれません。でもここが宝塚歌劇の困ったというかおもしろいところで、ここはみんなたまれいこのキスシーンを観たいんですよね。というかその方が盛り上がる(笑)、だから今の形で正しいのでしょう。せれんくんの方が珠城さんより背が高いので兄のヴィクトールに扮しやすい、というのもありますしね。ただ、まゆぽんマルセルがヴィクトールの胸を触って性別を確かめるのは下品だし、早めに演出変更してやめた方がいいと思います。胸の有無で女性を計ることを、あるいは判定することを不快に思う女性観客も多いと思いますしね。本当ならドラマ『半沢直樹』の黒崎さんよろしく、股間をつかむ方がよほど判定しやすいだろうと思うんだけれど、男性作家にはそういう発想がなかなかないんだよね。
 ジャンヌとシャルルのチューについては展開はえーな!ってつっこみはもちろんありますが、まあフランス人だし(これは差別というより偏見ですね)ハッピーエンドにまつわるサービスのオマケみたいなものなんで、いいのです。キャー!ってなって、多幸感ハンパないラストシーンが味わえて、下りる幕にニヤニヤ気持ち良く拍手ができて、サイコーですよね!
 というか、要するに珠城さんジャンヌが可愛いんですよコレがキモなんですよ! 肌がいつもより白くて眉が細くて頬がピンクでタイツのふくらはぎがほっそりしていてベスト姿になるとお尻がプリッとしている。なよなよしているのとは違う、変に声が高くなったりもしていない、でも女子が出ちゃうときの演技がちゃんと女子。そして乙女な恋心をせつせつと歌っちゃったりする…キュートです、ラブリーです! オカマっぽくなって笑わせるようなことはない。そこがいい。そういう意味では男役トップスターがスカーレットとして『風共』の主役を張るようなもので、ヴィクトールをメインとするにそこまでこだわらなくてもいいのかもしれません。ここにきてまた新しいことをやらせようとする原田先生、やりおるな…!!

 おだちんの「恐ろしい子…!」っぷりは引き続き絶好調で、もしかしたら我々は超大型大物(笑)爆誕の過程を目撃しているのかもしれません。例えばまこっちゃんだって下級生のときからなんでもできて目立っていたけれど、でもこんなじゃなかった気がします。すごいスターさんだよなあ…
 前時代的なしょーもない男、という役まわりをさせられたちなつですが、これまた絶妙に上手くおもしろく、まあファンはもっとカッコいい姿が見たいのかもしれませんが(それはれいこも、おだちんも同様かもしれませんが)、全体としてはとてもバランスが良く、よかったと思いました。るうちゃん、からんちゃんやヤスがいい仕事をしていて、ありちゃんやるねっこ、れんこんは役不足かな。まゆぽんもホントはもっとできるけどね。うーちゃん、ペルシャやぱるも、あるいはゆりちゃんも、まあこれくらいの使われ方で仕方ないかという感じで、下級生を半分に減らしていることもあり、役が少なくて梅芸とかでやってそうな別箱公演にも見えるかな、というのはちょっと残念でした。
 娘役もカンカンでガンガン踊ってはいるけれど、じゅりちゃんはニンではない気がするし、くらげもゆいちゃんももうちょっとなんとかならないの…?とは思いました。蘭世くんはやっと娘役化粧がいい感じになってきて、赤髪で目立っていて可愛かったですけどね。あとははーちゃんがごく短い出番でもさすがに上手かったです。
 フィナーレの歌唱指導がありちゃんで、それでバランスを取っていたようにも見えました。まあ辛抱の時期かなあ…
 舞台が空に見えないようにするためか、ちょっと装置が常にゴタゴタ置かれている印象でしたが、色合いがスモーキーでいい味を出していたのはよかったです。ムーラン・ルージュのレビュー場面で、舞台の奥の壁を鏡にして客席を映したのもとてもよかった。原田先生はこういうところが本当にお洒落ですよね。
 フィナーレも手堅く、よかったです。デュエダンはもうちょっと踊ってほしかったかなー。エトワールもそろそろさち花じゃないだろうとは思ったかなー。白とスモーキーなピンクとブルーのトリコロールになった絵面は本当に素敵で、シャンシャンのシャンシャンもとても素敵でした。
 これからさらにテンポが良くなり緩急がついて、小芝居が増え深みが増していくことでしょう。Bパターンも違ってくるかもしれません。演目の進化が楽しみです。お茶会があれば、こういう作品はそれぞれの役作りとかお稽古の苦労話とか、いろいろ聞けてさらに楽しかっただろうになあ…でもまずは、ご安全に、事故なく、千秋楽まで無事完走してくれることを祈っています。
 初日カテコの珠城さんは本当にリラックスしていて楽しそうで、よかったです。こちらもほっとしました。先日、卒業の日が確定しましたが、あと一年弱、充実した日々を送れますように。こちらも深く、お祈りしています。






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『あなたの目』

2020年09月24日 | 観劇記/タイトルあ行
 新国立劇場、2020年9月23日19時。

 作/ピーター・シェーファー、演出・上演台本/寺十吾。60年代のロンドンを舞台にした80分全1幕の3人芝居。

 『わたしの耳』と対になる作品で、原題は「The Public Eye」。つまりパブリック・アイならぬプライベート・アイ、私立探偵のジュリアン(八嶋智人)がチャールズ(野間口徹)とベリンダ(小林聡美)の倦怠期の夫婦に「ステキな距離感を提案する」物語です。
 『わたしの耳』より断然おもしろく、よく笑いましたし、ハッピーエンドなので楽しく観終えました。『わたしの~』は、人は人の話を自分の聞きたいように聞く、というような話で、だから人はすれ違い別れていく…というような、シニカルで悲しいお話の印象がありましたが、「第三者の目」「自我を忘れ神のように『ただ見はるかすこと』の出来る探偵」が夫婦を掻き回しやがて再度結びつける今回のお話は、広い視野を持つこと、相手の気持ちになって考えてみることを提案しているようで、それで結局上手くいくお話なので幸せで、楽しく思えたのでしょう。
 私は冒頭は、ジュリアンの傍若無人さや失礼さ、話の通らなさや進まなさに、そう演出されているのだとわかりつつもイライラしました。さっさと安易に笑う客席にもイライラしました。まだ何もわからないのに、八嶋智人がやってるってだけで笑う気満々な感じなのがイヤなんですよね。チャールズの野間口さんは、私は舞台では初めて観たと思いますが、イメージどおり。しかし何より小林聡美がよかった! そこから俄然おもしろくなりました。出てくる前は20も若い妻の役?とか思っちゃったんだけど、外見とかそういうことではなくて、声と物言いがちゃんと若くてキュートでラブリーで、何よりちゃんとベリンダでした。若い、幼い、素直で明るくて何も知らなかった妻…というのは実はチャールズが持つイメージでしかなくて、本当の彼女は成長し変化していてもっと聡明です。そしてちゃんとチャールズを愛している。だからこそよりきちんと向かい合って愛し合いたいと思っているのに、チャールズが応じきれていないだけなのです。そういう状況が、ちゃんと3人の、そしてふたりずつの会話で浮かび上がってくる。戯曲の醍醐味を感じました。ちょっとあざといくらいの照明(北澤真)もよかった。でもやっぱり、ジュリアンにオルフェウスとエウリュディケの例えを出されて「ソレ誰?」とか言っちゃうベリンダが、本当によかったです。

 プロ風俗は容認、というのは昔の話で昔の作品だから、ということで容認しましょう。作者の代表作『エクウス』『アマデウス』『ピサロ』なんかも機会があれば観てみたいです。

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『パリの恋人』~韓流侃々諤々リターンズ19

2020年09月23日 | 日記
 2004年SBS、全20話。

 パク・シニャン演じるハン・ギジュは財閥会長の息子で大手自動車メーカー社長、バツイチ、パリ駐在中、33歳。。ちょっと神経質な仕事の虫で、家政婦の首をしょっちゅうすげ替えています。
 その家政婦のバイトに飛びつくのが、キム・ジョンウン演じるヒロインのカン・テヨン。映画好きでパリに留学していますが、いつもお金に困っています。
 そしてイ・ドンゴン演じるユン・スヒョクはギジュの歳の離れた姉ギヘの息子、つまり甥っ子、26歳。アメリカで車のデザインを勉強したりもしていたけれど、今はやめてしまってパリで自分探し中、といったところです。
 ギジュの前妻スンギョンとか、再婚のお見合い相手ユナとかは出てきますが、韓ドラあるあるのがっつり四角関係というよりは、あくまでメイン3人の三角関係のお話です。というか、日本版DVDではテヨンとスヒョクの出会いの場面がカットされていて、あとから回想みたいな形で追加されるので後出し感が強く、スヒョクの負け戦感の強さがハナからハンパないです。実際、三角関係というにはテヨンは全然揺れないので、ギジュとテヨンが上手くいくかどうかがメインのラブストーリー、という感じかな。テヨンにきちんと告白するのはスヒョクが先なんだけれど、テヨンはただとまどうばかりで、最初からずっといい友達としてしか思っていないんですよね。スヒョクも分が悪いことはわかっていながらも、叔父のことも大好きなので、奪ってやる!みたいになかなかなれない。そういう意味ではせつないキャラで、話を盛り上げてはいます。
 後半はギジュの出生の秘密にまつわるストーリーになっていて、スヒョクも闇落ちするんだけれど、ややストーリーのためのご都合主義展開に見えました。特に銀行融資とか新社デザイン流出とかのエピソードがベタというかザルで、ビジネスってホントはこんなんじゃない、ってのが素人にもわかっちゃうので、ホントご都合主義すぎて興醒めするんですよね。チェ理事の扱いもひどいものでした。
 結局のところギジュはギヘの弟ではなく、彼女が17歳のときに産んだ息子で、若すぎたし釣り合わない相手だったし会長には跡継ぎがいなかったしで会長の息子ということにされたのだ…というのが事の真相で、ギジュとスヒョクは叔父と甥ではなく兄弟だった、というのがポイントの話です。確かにギジュが会長の息子ではなく外孫でしかなかったこと、かつ婚外子だったことは発覚すればスキャンダルとなったことでしょう。でもそこまで大きな問題か?とも思います。会長には他に息子がいないのだから跡継ぎは孫がなるしかないし、年長なのはギジュです。そして彼は親の七光りで入社したのかもしれないけれど、実際に豪腕を振るってよく働き、社を盛り立て、きちんと社長を務めてきた実績があるのです。いっとき騒がれてもやがて理解を得られるのでは? 政略結婚を強要されるほどの弱みか? と、どうしても思ってしまいます。しかもみんなギジュのために秘密にしようとするのがまたおこがましい。そりゃギジュは知ったらショックでしょう、アイデンティティの根幹が揺らぐ気もすることでしょう。でもしょせん彼自身にはどうしようもないことで、母親代わりに自分を育ててくれた姉に改めて産んでくれた母として感謝を捧げるだけで、あとは何も変わらず、今までどおり普通に仕事に励んでいくだけのような気がしちゃうんですよね。ギジュはそこまで弱くない。つまりこれはそこまで大事な秘密じゃない気がどうしてもしてしまうのです。もちろん韓国社会的にはまたちょっと違うのかもしれませんけれどね。
 後半の秘密を巡るドタバタと、出ました定番のヒロインの嘘の愛想尽かし…みたいなのが、ホントご都合主義展開、いかにもラストのハッピーエンドのために作為的に作られた山にしか思えなくて、見ていてちょっとダレちゃったし盛り上がらなかったかな…というのは、ありました。
 大ラスの、スヒョクの交通事故と記憶喪失は完全に蛇足です。ただ、さらに大ラスのギミックは、ちょっとおもしろくもあります。
 テヨンは再びパリに旅立ち、ギジュは再会を約束してそれを送り出し、2年かけて新車発売を成功させ代表理事となって社長を退き、骨休みと称してパリに出かけ、町工場で車の修理をしながら街をくまなくさまよい歩き、そしてテヨンと偶然再会して、本編はめでたく終わります。ふたりのそもそもの出会いから回想が始まり、しかしそれはソウルの高級マンションで家政婦として働くシナリオライター志望の女性が書き始めた原稿の冒頭で、彼女は通りに屋台を出して働くバイトもしていて、そこに車が突っ込んできて、その車の乗り手が実はそのマンションの持ち主で…この家政婦はもちろんキム・ジョンウンが演じていて、車の持ち主はパク・シニャンが演じています。屋台に車がぶつかって始まるのは、パリでのテヨンとギジュの出会いと同じです。そういう不思議なメタ構造になって、ドラマはソウルで終わるのでした。夢オチならぬ…なんでしょうね? 劇中劇オチ? ともあれ、このアイディアはちょっとおもしろいなと思ったでした。単に尺が余ったから、ではないとは思いますが、どうなんだろう…

 それはともかく、今回改めて見て、このハン・ギジュって、私にとって『ホテリアー』のシン・ドンヒョクに並ぶ素敵スーツ眼鏡キャラだわ、ということを発見しました。派手なスーツとシャツとネクタイがまたいい味出しているんですよね。プライベートのシャツがさらに派手な柄なのもツボです。あと眼鏡がたくさんあっていちいちお洒落!
 財閥会長の息子として生まれ、母は亡く、歳の離れた姉を母親代わりに、年の近い甥を弟代わりに、スネたりヒネたりせずまっすぐ育ち、成績優秀でスポーツ万能で趣味はアイスホッケーとクレー射撃というお坊ちゃま。外国語も堪能で、入社してからも親の七光りと陰口を叩かれたこともあったでしょうが豪腕でねじ伏せ、有無を言わさぬ実績を上げて今や名実ともに社長として信任を得てバリバリ働いている、カリスマのあるビジネスマンです。
 親の言うとおり政略結婚をして、妻となったスンギョンにはそれなりに誠意を持って対していたのだけれど、スンギョンはお嬢様にしてはちょっと芯がある女性だったのでその「それなりに」に我慢がならずまた寂しく思えて、彼女から離婚を切り出し、ギジュにはまだ未練があるというか承服しかねているところがあるんだけれど、とりあえず離婚後もいい友達、みたいな関係で。ギジュがパリに移ったのは離婚が社交界的にはスキャンダルで、そのほとぼりが冷めるまでの間、ということだったのでした。
 真面目で神経質で自分にも他人にも厳しく、豪腕で辣腕で人の恨みを買うことも多いけれど、とにかく仕事はできるし身内に対しては情が篤い。庶民的な食べ物とか遊びとかは全然知らなくて、ちょっと浮き世離れしたお坊ちゃんなところもあるんだけれど、テヨンやゴンに教わればてらいなく試してみる心の柔らかさはあるし、逆にテヨンがダンスや語学ができなかろうと決して馬鹿にしないし、自分ができるのはたまたま勉強したからでそんなにたいしたことではない、と決して偉ぶらない。尊大なところがなく、いたって鷹揚なのです。
 実はテヨンに対してが初恋で、でも当初の、これが恋だという自覚が全然ないころの、ギジュのテヨンやスヒョクに対する心の広さ、愛の大きさが私は本当に好きです。スヒョクはハナからテヨンが好きなのでギジュに対しても妬いたりなんたりいろいろしてるんだけれど、ギジュはテヨンとスヒョクが仲良しなのも一緒にいるのもすごく喜ぶんですよね。自分の仲良しが仲良しと仲良しなのが嬉しいし、スヒョクがテヨンを気にかけたりテヨンがスヒョクの世話を焼いてくれるのを喜ぶのです。彼のこの純粋さがとても愛しいです。そしてそれは、これが恋愛というものか、と自覚してからも意外と変わらない。テヨンを愛している、テヨンが一番大事、それは譲れない、というのがはっきりしていて、でも嫉妬とか執着とかで器の小ささを見せるようなこともなくて、ただただまっすぐで大きな愛情を注ぐのです。
 一方で、なのでこれまでそれなりにまっすぐ明るい道を歩いてきて、自己憐憫みたいなものに陥るようなこともなく、うつむいたことも自分の影を見つめたこともなかった男だったのが、恋を知り、苦しさを知り、うつむくことも泣くことも悔やむことも覚えていって、そしてそれをすべて受け入れていきます。その素直さもまた素晴らしく愛しく思えるキャラクターなのでした。
 そしてなんといってもえくぼがいい…! キャラとしても役者としても、ときめきまくりました。

 スンギョンがテヨンに対し変な小姑みたくならず、また妙に「良き魔女」みたくならない展開なのもよかったです。あと、ユナにはスンジュンを勧めたいが、どうだろう(笑)。スヒョクと同級生でギジュの後輩、今は社長秘書で公私ともにギジュを支えるナイスアシスタントのナイスガイ、いい物件だと思いますよ!?
 ちょっと余貴美子みたいな女優さんのギヘも素敵でした。こういういつまでもスレンダーで華やかでしっとりした色気があるマダム、これまた韓ドラあるあるですがホント素敵です。
 映画ネタが『オールド・ボーイ』押しなのも時代を感じて楽しいです。
 しかしキム・ジョンウンって細面というよりは単なる馬面であんま美人じゃないと思うんですよねー…というかテヨンって、そりゃけなげでいじらしくてバイタリティはあるかもしれないけれど、パリ留学だって映画監督だった父親への感傷でしているだけだし、帰国してもその日暮らしのバイトばかりでどうキャリアを積む気があるのか、どういう人生を生きたいと思っている女性なのかがまったく見えてこないキャラで、いい男ふたりに好かれるヒロインにしては魅力に欠ける気がしました。私が会長の家族でも嫁に迎えたくないよ…ここが私好みの女優かキャラなら、もっと萌えられて見られたのになー…
 あと、韓ドラを見ているとたびたび出てくる婚約式って、なんなんでしょうね? ほとんど結婚式の披露宴と同じことをやっているんだけれど、なんの意味があるものなんでしょう? ドラマの世界だけ? お金持ちの世界だけにあるもの? 届けを出していないだけで(韓国も結婚は婚姻届を出してするものなのかな?)あと全部結婚と一緒…ってのはよくわからん。同居するのは結婚したあととされているようだけど…ドラマ都合??
 なんにせよ、この時代の韓ドラを見ていると、昭和の残り香と遅れてきたバブル感がたまらなかったんだろうなと改めて思います。ギジュはともかく、テヨンやスヒョクやユナの働き方の描写は今見るとひどすぎて、イライラするくらいです。今の韓ドラはだいぶ違うんだろうなー…

 次こそ『コヒプリ』か、『太王四神記』にも行きたい気分でいます。でもまたしばらくノー予定の週末がないかな-。映画DVDもまだまだあるし、引き続きな懐かしくも楽しみです。



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