これまで、「震災」といえば、さすがに関東大震災を語ることは少なく、それは阪神・淡路大震災のことでした。
これからは、東北・関東大震災のことを指すようになっていくのかもしれません。
でも私は、東京に暮らしていて、生きているうちには東海地震が絶対に来ると思っていてある程度の備えをしていたつもりではありましたが、今回の体験をして、そして被災というほどのことはまったくしていませんが、そんなうちのひとりとして、今回の一連のことを、なんか「震災」なんていう客観的な言葉では片づける気になれなくて、むしろもっと簡単に「あの地震」としか呼べないままでいます。
3月11日、私は九段下のホテルグランドパレスにいました。
真飛聖ディナーショーのランチ回を観ていたのです。
めおちゃんを見送りたい、だいもんが好き、あきらを買っている、そしてもちろんまとぶんのことが意外に好きだったので、散在していたのでした。私の宝塚人生は花組観劇からスタートしていて、花組は常に私の中心にありました。私はオサが正直苦手だったのだけれど、それでもその跡を継いだまとぶんは私の中ではいつまでも「星組から来たヤングな王子様」というイメージのままで、ずっとなんとなく正対しないで来ていたのですが、「素直に、全身全霊で花組のみんなが好きだといえるようになったから、卒業する」と言うまとぶんの言葉がやっとすとんと来て、この人もまた確かに花組の人だったのだ、今までの自分の不明と素直じゃなかったことを詫びたいよ、と真面目に電話してチケットを取ったのです。
星組メドレーは懐かしかった、客席参加でやった花組ポーズは体の固い自分にはつらかった、蒼いくちづけメドレー、花組メドレー、新公主演の若手とのハモり、そのころは月組子だっためおちゃんとの『相棒』での絡み、『EXCITER!!』…
楽しくあっという間に時はすぎ、最後の一曲。あとはアンコールだけか…なんて思っていたときに、客席は揺れました。
まとぶんは立っているからわかっていない様子。揺れも確かに大きくはない、しかしいつまでたっても引かない。そうこうするうちにシャンデリアが揺れて音を出し始め、さすがにまとぶんも客席の様子に気づいたのか、
「ちょっと中断しましょうか?」
と優しく歌を止めて音楽が止まったら、縦揺れが来ました。
テーブルの下に潜り込んで、今まで聞いたこともないような地響きの音に震えながら、それでも
「楽屋のみんなは大丈夫かな。月組さんは初日だよね、大丈夫かな、でも開演前か。『ヴァレンチノ』は公演中なんじゃないの?平気かな」
みたいなことばかり心配していました。
携帯は電話もメールもまだらにしかつながらず、揺れからしても遠くで大きなもの、とは感じていましたが、東北地方で震度7、と知ってもピンと来ませんでした。
何度も来る余震の中、それでも一時間ほどショーの再開を待ちました。
ホテルマンはさすが冷静で、厨房の火は止めたので火災の心配はないし、建物はどこも損傷していないし、避難用の扉は開けたし、交通機関が止まっているのでとりあえずここに待機しているのが一番安全だ、とアナウンスしてくれました。
揺れるシャンデリアは不安でしたが、こういうものはそう簡単には落ちないように作られているはずだし、会場は二階の大きなホールで頑丈そうだし、避難するとなったら階段でもすぐだし、とかなり安心して待っていました。
結局、中止が告げられ、まとぶんたちが挨拶し、それを拍手で見送ったあと、私は会場を出ることにしました。会社まで歩いてすぐでしたし、もともと出社するつもりでいたからです。
外に出ると、道路はたくさんの人。そしてすぐそばの九段会館はビニールシートが張られて大騒ぎになっていました。天井が落ちて死傷者が出たと知ったのは夜のニュースでした。古くてしっかりしていそうだから大丈夫そう、とホテルで安心していたのですが、間一髪だったのでしょうか。
会社の近くでは、ヘルメットかぶって避難袋背負って通りに待機している社員も多くいましたが、私の職場のフロアではみんながいて、そしてまだまだ物見遊山気分でテレビのニュースを見ていました。そこで初めて津波のことを知りました。でも本当に映画のようで、現実感が全然感じられませんでした。
会社のビルは階段にひびが出たくらいで被害はなかったものの、近隣のお仕事相手の会社ではガラスが割れただの機械が止まっただのの被害が出ていて仕事にならず、未だ電車が動いていないものの定時で解散、となりました。
私は去年の春に引越ししていて、会社から歩いて一時間で帰宅できました。最後の200メートルくらいまでは大きな通り沿いに行けましたし、人出は多かったもののスムーズで、私は歩くのは早い方なのですが自分のペースで歩けて、まったく問題がありませんでした。
ただ、普段はいているパンプスの中では二番目に楽な靴でいたのですが、最後の5分ほどで足の裏が赤向けしました。スニーカーを職場に置いておくような備えはしていませんでした。
普段から不精者なので買い物はまとめ買いしていましたから、水も米もトイレットペーパーもなんでもありました。懐中電灯も電池も避難袋の用意もありました。
普段の部屋着はパジャマですが、避難できる程度のジャージを着ることにしました。
余震はたびたびあり、テレビのニュースでも続々と被災地の惨状が伝えられていましたが、これ以上できることは特にない、と、わりと普通に寝てしまいました。
実家とも電話はできて、問題なさそうでした。
日曜日から一泊で『ヴァレンチノ』の観劇とお茶会に梅田までいく予定でしたが、新幹線の運行が読めず、月曜に帰京できなかった場合に仕事がやばかったので、断念して断りの連絡をしました。悲しかった、悔しかったけれど、仕方がないとも思いました。
週末はほとんど家にいて、おとなしくしていました。
週明けからは、デッドの仕事があったので忙しく働いていました。
水曜日くらいが、心理的に一番つらかった。周りとの温度差を感じたり、不安が自分でも上手くコントロールできない感覚でした。
さらに、日本青年館の被害による『ヴァレンチノ』東京公演の中止決定…
いろいろな余波の中、それでも再開された雪組東宝公演には観劇にも行って、なんとか日常を取り戻そうともがきました。
『カサブランカ』以降、ユウヒの公演は西の初日と東の初日、東の千秋楽には必ず行っていました。逆に言うと西の千秋楽はこれまでスルーしてきたのです。しかし『ヴァレンチノ』のドラマシティ千秋楽は三連休中だったこともあり、行けるなと思って珍しくチケットを頼んでいました。全体に短い公演日程だったため、行けるときに行っておかないと回数が観られない、と踏んでいたというのもありました。結果的に、『ヴァレンチノ』は初日、前楽、千秋楽の三回だけしか観られませんでした。こんな公演は最近はありませんでした。
生徒さんたちには休みを取ってもらえてよかったような、でも観られない観客は悔しいが見せられない役者はもっと悔しいに決まっている、と思うと、天変地異をうらんでも仕方がないのだけれど、悔しくてやりきれない…と思ったりしました。
中止になる公演も多く、歌劇団の経済を心配したり、逆に年内かと半分覚悟していた卒業がこの余波で延期されるということもありえるよね、とか考えたり…
そんなもやもやを抱えたまま、日々をとりあえず生きています。
そんなわけで結論としては、『ヴァレンチノ』についてなかなかまとまったことが語れないでいて、舞台とはあくまで別物なんだけれど、DVDを見てからにしようかなあと思っている、ということが言いたかっただけなのです。
まあユウヒの公演については特別すぎていつもこんななんだけれどさ…という、言い訳です。失礼いたしました。
これからは、東北・関東大震災のことを指すようになっていくのかもしれません。
でも私は、東京に暮らしていて、生きているうちには東海地震が絶対に来ると思っていてある程度の備えをしていたつもりではありましたが、今回の体験をして、そして被災というほどのことはまったくしていませんが、そんなうちのひとりとして、今回の一連のことを、なんか「震災」なんていう客観的な言葉では片づける気になれなくて、むしろもっと簡単に「あの地震」としか呼べないままでいます。
3月11日、私は九段下のホテルグランドパレスにいました。
真飛聖ディナーショーのランチ回を観ていたのです。
めおちゃんを見送りたい、だいもんが好き、あきらを買っている、そしてもちろんまとぶんのことが意外に好きだったので、散在していたのでした。私の宝塚人生は花組観劇からスタートしていて、花組は常に私の中心にありました。私はオサが正直苦手だったのだけれど、それでもその跡を継いだまとぶんは私の中ではいつまでも「星組から来たヤングな王子様」というイメージのままで、ずっとなんとなく正対しないで来ていたのですが、「素直に、全身全霊で花組のみんなが好きだといえるようになったから、卒業する」と言うまとぶんの言葉がやっとすとんと来て、この人もまた確かに花組の人だったのだ、今までの自分の不明と素直じゃなかったことを詫びたいよ、と真面目に電話してチケットを取ったのです。
星組メドレーは懐かしかった、客席参加でやった花組ポーズは体の固い自分にはつらかった、蒼いくちづけメドレー、花組メドレー、新公主演の若手とのハモり、そのころは月組子だっためおちゃんとの『相棒』での絡み、『EXCITER!!』…
楽しくあっという間に時はすぎ、最後の一曲。あとはアンコールだけか…なんて思っていたときに、客席は揺れました。
まとぶんは立っているからわかっていない様子。揺れも確かに大きくはない、しかしいつまでたっても引かない。そうこうするうちにシャンデリアが揺れて音を出し始め、さすがにまとぶんも客席の様子に気づいたのか、
「ちょっと中断しましょうか?」
と優しく歌を止めて音楽が止まったら、縦揺れが来ました。
テーブルの下に潜り込んで、今まで聞いたこともないような地響きの音に震えながら、それでも
「楽屋のみんなは大丈夫かな。月組さんは初日だよね、大丈夫かな、でも開演前か。『ヴァレンチノ』は公演中なんじゃないの?平気かな」
みたいなことばかり心配していました。
携帯は電話もメールもまだらにしかつながらず、揺れからしても遠くで大きなもの、とは感じていましたが、東北地方で震度7、と知ってもピンと来ませんでした。
何度も来る余震の中、それでも一時間ほどショーの再開を待ちました。
ホテルマンはさすが冷静で、厨房の火は止めたので火災の心配はないし、建物はどこも損傷していないし、避難用の扉は開けたし、交通機関が止まっているのでとりあえずここに待機しているのが一番安全だ、とアナウンスしてくれました。
揺れるシャンデリアは不安でしたが、こういうものはそう簡単には落ちないように作られているはずだし、会場は二階の大きなホールで頑丈そうだし、避難するとなったら階段でもすぐだし、とかなり安心して待っていました。
結局、中止が告げられ、まとぶんたちが挨拶し、それを拍手で見送ったあと、私は会場を出ることにしました。会社まで歩いてすぐでしたし、もともと出社するつもりでいたからです。
外に出ると、道路はたくさんの人。そしてすぐそばの九段会館はビニールシートが張られて大騒ぎになっていました。天井が落ちて死傷者が出たと知ったのは夜のニュースでした。古くてしっかりしていそうだから大丈夫そう、とホテルで安心していたのですが、間一髪だったのでしょうか。
会社の近くでは、ヘルメットかぶって避難袋背負って通りに待機している社員も多くいましたが、私の職場のフロアではみんながいて、そしてまだまだ物見遊山気分でテレビのニュースを見ていました。そこで初めて津波のことを知りました。でも本当に映画のようで、現実感が全然感じられませんでした。
会社のビルは階段にひびが出たくらいで被害はなかったものの、近隣のお仕事相手の会社ではガラスが割れただの機械が止まっただのの被害が出ていて仕事にならず、未だ電車が動いていないものの定時で解散、となりました。
私は去年の春に引越ししていて、会社から歩いて一時間で帰宅できました。最後の200メートルくらいまでは大きな通り沿いに行けましたし、人出は多かったもののスムーズで、私は歩くのは早い方なのですが自分のペースで歩けて、まったく問題がありませんでした。
ただ、普段はいているパンプスの中では二番目に楽な靴でいたのですが、最後の5分ほどで足の裏が赤向けしました。スニーカーを職場に置いておくような備えはしていませんでした。
普段から不精者なので買い物はまとめ買いしていましたから、水も米もトイレットペーパーもなんでもありました。懐中電灯も電池も避難袋の用意もありました。
普段の部屋着はパジャマですが、避難できる程度のジャージを着ることにしました。
余震はたびたびあり、テレビのニュースでも続々と被災地の惨状が伝えられていましたが、これ以上できることは特にない、と、わりと普通に寝てしまいました。
実家とも電話はできて、問題なさそうでした。
日曜日から一泊で『ヴァレンチノ』の観劇とお茶会に梅田までいく予定でしたが、新幹線の運行が読めず、月曜に帰京できなかった場合に仕事がやばかったので、断念して断りの連絡をしました。悲しかった、悔しかったけれど、仕方がないとも思いました。
週末はほとんど家にいて、おとなしくしていました。
週明けからは、デッドの仕事があったので忙しく働いていました。
水曜日くらいが、心理的に一番つらかった。周りとの温度差を感じたり、不安が自分でも上手くコントロールできない感覚でした。
さらに、日本青年館の被害による『ヴァレンチノ』東京公演の中止決定…
いろいろな余波の中、それでも再開された雪組東宝公演には観劇にも行って、なんとか日常を取り戻そうともがきました。
『カサブランカ』以降、ユウヒの公演は西の初日と東の初日、東の千秋楽には必ず行っていました。逆に言うと西の千秋楽はこれまでスルーしてきたのです。しかし『ヴァレンチノ』のドラマシティ千秋楽は三連休中だったこともあり、行けるなと思って珍しくチケットを頼んでいました。全体に短い公演日程だったため、行けるときに行っておかないと回数が観られない、と踏んでいたというのもありました。結果的に、『ヴァレンチノ』は初日、前楽、千秋楽の三回だけしか観られませんでした。こんな公演は最近はありませんでした。
生徒さんたちには休みを取ってもらえてよかったような、でも観られない観客は悔しいが見せられない役者はもっと悔しいに決まっている、と思うと、天変地異をうらんでも仕方がないのだけれど、悔しくてやりきれない…と思ったりしました。
中止になる公演も多く、歌劇団の経済を心配したり、逆に年内かと半分覚悟していた卒業がこの余波で延期されるということもありえるよね、とか考えたり…
そんなもやもやを抱えたまま、日々をとりあえず生きています。
そんなわけで結論としては、『ヴァレンチノ』についてなかなかまとまったことが語れないでいて、舞台とはあくまで別物なんだけれど、DVDを見てからにしようかなあと思っている、ということが言いたかっただけなのです。
まあユウヒの公演については特別すぎていつもこんななんだけれどさ…という、言い訳です。失礼いたしました。