駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

地震のあとさき

2011年03月27日 | 日記
 これまで、「震災」といえば、さすがに関東大震災を語ることは少なく、それは阪神・淡路大震災のことでした。
 これからは、東北・関東大震災のことを指すようになっていくのかもしれません。

 でも私は、東京に暮らしていて、生きているうちには東海地震が絶対に来ると思っていてある程度の備えをしていたつもりではありましたが、今回の体験をして、そして被災というほどのことはまったくしていませんが、そんなうちのひとりとして、今回の一連のことを、なんか「震災」なんていう客観的な言葉では片づける気になれなくて、むしろもっと簡単に「あの地震」としか呼べないままでいます。


 3月11日、私は九段下のホテルグランドパレスにいました。
 真飛聖ディナーショーのランチ回を観ていたのです。
 めおちゃんを見送りたい、だいもんが好き、あきらを買っている、そしてもちろんまとぶんのことが意外に好きだったので、散在していたのでした。私の宝塚人生は花組観劇からスタートしていて、花組は常に私の中心にありました。私はオサが正直苦手だったのだけれど、それでもその跡を継いだまとぶんは私の中ではいつまでも「星組から来たヤングな王子様」というイメージのままで、ずっとなんとなく正対しないで来ていたのですが、「素直に、全身全霊で花組のみんなが好きだといえるようになったから、卒業する」と言うまとぶんの言葉がやっとすとんと来て、この人もまた確かに花組の人だったのだ、今までの自分の不明と素直じゃなかったことを詫びたいよ、と真面目に電話してチケットを取ったのです。

 星組メドレーは懐かしかった、客席参加でやった花組ポーズは体の固い自分にはつらかった、蒼いくちづけメドレー、花組メドレー、新公主演の若手とのハモり、そのころは月組子だっためおちゃんとの『相棒』での絡み、『EXCITER!!』…
 楽しくあっという間に時はすぎ、最後の一曲。あとはアンコールだけか…なんて思っていたときに、客席は揺れました。
 まとぶんは立っているからわかっていない様子。揺れも確かに大きくはない、しかしいつまでたっても引かない。そうこうするうちにシャンデリアが揺れて音を出し始め、さすがにまとぶんも客席の様子に気づいたのか、
「ちょっと中断しましょうか?」
 と優しく歌を止めて音楽が止まったら、縦揺れが来ました。

 テーブルの下に潜り込んで、今まで聞いたこともないような地響きの音に震えながら、それでも
「楽屋のみんなは大丈夫かな。月組さんは初日だよね、大丈夫かな、でも開演前か。『ヴァレンチノ』は公演中なんじゃないの?平気かな」
 みたいなことばかり心配していました。

 携帯は電話もメールもまだらにしかつながらず、揺れからしても遠くで大きなもの、とは感じていましたが、東北地方で震度7、と知ってもピンと来ませんでした。
 何度も来る余震の中、それでも一時間ほどショーの再開を待ちました。
 ホテルマンはさすが冷静で、厨房の火は止めたので火災の心配はないし、建物はどこも損傷していないし、避難用の扉は開けたし、交通機関が止まっているのでとりあえずここに待機しているのが一番安全だ、とアナウンスしてくれました。
 揺れるシャンデリアは不安でしたが、こういうものはそう簡単には落ちないように作られているはずだし、会場は二階の大きなホールで頑丈そうだし、避難するとなったら階段でもすぐだし、とかなり安心して待っていました。
 結局、中止が告げられ、まとぶんたちが挨拶し、それを拍手で見送ったあと、私は会場を出ることにしました。会社まで歩いてすぐでしたし、もともと出社するつもりでいたからです。

 外に出ると、道路はたくさんの人。そしてすぐそばの九段会館はビニールシートが張られて大騒ぎになっていました。天井が落ちて死傷者が出たと知ったのは夜のニュースでした。古くてしっかりしていそうだから大丈夫そう、とホテルで安心していたのですが、間一髪だったのでしょうか。

 会社の近くでは、ヘルメットかぶって避難袋背負って通りに待機している社員も多くいましたが、私の職場のフロアではみんながいて、そしてまだまだ物見遊山気分でテレビのニュースを見ていました。そこで初めて津波のことを知りました。でも本当に映画のようで、現実感が全然感じられませんでした。

 会社のビルは階段にひびが出たくらいで被害はなかったものの、近隣のお仕事相手の会社ではガラスが割れただの機械が止まっただのの被害が出ていて仕事にならず、未だ電車が動いていないものの定時で解散、となりました。
 私は去年の春に引越ししていて、会社から歩いて一時間で帰宅できました。最後の200メートルくらいまでは大きな通り沿いに行けましたし、人出は多かったもののスムーズで、私は歩くのは早い方なのですが自分のペースで歩けて、まったく問題がありませんでした。
 ただ、普段はいているパンプスの中では二番目に楽な靴でいたのですが、最後の5分ほどで足の裏が赤向けしました。スニーカーを職場に置いておくような備えはしていませんでした。

 普段から不精者なので買い物はまとめ買いしていましたから、水も米もトイレットペーパーもなんでもありました。懐中電灯も電池も避難袋の用意もありました。
 普段の部屋着はパジャマですが、避難できる程度のジャージを着ることにしました。
 余震はたびたびあり、テレビのニュースでも続々と被災地の惨状が伝えられていましたが、これ以上できることは特にない、と、わりと普通に寝てしまいました。
 実家とも電話はできて、問題なさそうでした。

 日曜日から一泊で『ヴァレンチノ』の観劇とお茶会に梅田までいく予定でしたが、新幹線の運行が読めず、月曜に帰京できなかった場合に仕事がやばかったので、断念して断りの連絡をしました。悲しかった、悔しかったけれど、仕方がないとも思いました。
 週末はほとんど家にいて、おとなしくしていました。

 週明けからは、デッドの仕事があったので忙しく働いていました。
 水曜日くらいが、心理的に一番つらかった。周りとの温度差を感じたり、不安が自分でも上手くコントロールできない感覚でした。
 さらに、日本青年館の被害による『ヴァレンチノ』東京公演の中止決定…
 いろいろな余波の中、それでも再開された雪組東宝公演には観劇にも行って、なんとか日常を取り戻そうともがきました。
 『カサブランカ』以降、ユウヒの公演は西の初日と東の初日、東の千秋楽には必ず行っていました。逆に言うと西の千秋楽はこれまでスルーしてきたのです。しかし『ヴァレンチノ』のドラマシティ千秋楽は三連休中だったこともあり、行けるなと思って珍しくチケットを頼んでいました。全体に短い公演日程だったため、行けるときに行っておかないと回数が観られない、と踏んでいたというのもありました。結果的に、『ヴァレンチノ』は初日、前楽、千秋楽の三回だけしか観られませんでした。こんな公演は最近はありませんでした。
 生徒さんたちには休みを取ってもらえてよかったような、でも観られない観客は悔しいが見せられない役者はもっと悔しいに決まっている、と思うと、天変地異をうらんでも仕方がないのだけれど、悔しくてやりきれない…と思ったりしました。
 中止になる公演も多く、歌劇団の経済を心配したり、逆に年内かと半分覚悟していた卒業がこの余波で延期されるということもありえるよね、とか考えたり…

 そんなもやもやを抱えたまま、日々をとりあえず生きています。

 そんなわけで結論としては、『ヴァレンチノ』についてなかなかまとまったことが語れないでいて、舞台とはあくまで別物なんだけれど、DVDを見てからにしようかなあと思っている、ということが言いたかっただけなのです。
 まあユウヒの公演については特別すぎていつもこんななんだけれどさ…という、言い訳です。失礼いたしました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こまつ座『日本人のへそ』

2011年03月27日 | 観劇記/タイトルな行
 シアターコクーン、2011年3月25日ソワレ。

 浅草の素敵な猥雑さ、ストリッパーの健気さ、コメディアンのせつなさを吃音症患者の治療劇として、歌あり踊りあり大どんでん返しありで仕立てる、井上ひさし追悼ファイナル公演。
 作/井上ひさし、演出/栗山民也、音楽/小曽根真、振付/謝珠栄、美術/妹尾河童。1969年初演の井上ひさしの演劇界デビュー作を、新曲で再演。

 初めて井上ひさしの舞台を観ました。
 ストリッパー役の笹本玲奈に惹かれてチケットを取ったというミーハーです。
 それでも、心揺さぶられました。

 この戯曲が作られた年に生まれた私にとって、東北地方からの集団就職とか、浅草の演芸界とか、父親による娘への性的虐待とか雇用主による女性労働者へのセクハラとか学生運動とか右翼とかヤクザとかのモチーフは、やはり知識としてしか知らないもので、露悪的なギャグには気恥ずかしいようないたたまれないような気分にさせられましたし、古いとかわからないとも思いました。シュールでエロティックなドリフのコントってことなの?と思ったり。
 一幕は劇中劇というかミュージカル仕立てで、小曽根真(ピアノ伴奏者としても出演。芸達者!)の音楽はさすがにすばらしく、本気を出して歌うと玲奈ちゃんと石丸さんの歌はそれはそれはさすがにすばらしく心地よく、それを楽しみながらも、しかしこれは本当になんの話なんだ、どんな芝居なんだと思っていたら…
 「どんでん返し」であることはチラシでもプログラムでも明かされて入るのですが、それでも想像を上回る二重三重の種明かしと、怒涛のラストに、「ザッツ・芝居!」と舞台の魔法を見た気がしました。鳥肌が立ちました!

 舞台装置の最後のバラシはいかにもコクーンで、先日の『サド侯爵夫人』もそうだったわけですが…いやしかしとにかくあざやかでした。

 …で、何故このタイトルなの? 何故このモチーフなの? ということに関しては、それでも私はやっぱりよくわかっていません。特にタイトルが。
 吃音というモチーフについては、やはり芝居、演技というものと表裏一体名ものとして捕らえられているのではないかな、と思いました。台詞をとちること、どもること、ど忘れして出てこないこと…というのは演劇に携わる人の根源的な恐怖なのではないかしらん。

 そして私は昔から頭でっかちな子供で、字面でのみ知っている言葉で発音されているのを耳で聞いたことがなく、自己流のイントネーションをつけていた言葉が大人になって耳で聞いたら全然ちがっていた、ということが実に多々ある人間なんのですが…今回もありました、まさしく「どもり」という言葉が。
 動詞として使うときのイントネーションは合っていましたが、名詞として使うときに、私は「ど」を低く考えていましたが、舞台では「ど」を高く、後ろを低く発音していて衝撃でした…

 『雨』『たいこどんどん』『父と暮せば』『キネマの天地』など再演される予定があるようです。機会があれば観てみたいと思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝塚歌劇雪組『ロミオとジュリエット』

2011年03月22日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 東京宝塚劇場、2011年2月22日ソワレ、3月1日ソワレ、3月4日マチネ、3月18日マチネ。

 イタリアのヴェローナに古くから続くふたつの名門モンタギュー家とキャピュレット家は、何代にもわたって争いを繰り返していた。キャピュレット家では娘のジュリエット(舞羽美海と夢華あみのダブルキャスト)とヴェローナ随一の富豪・パリス伯爵(彩那音)の縁談が持ち上がっていた。キャピュレット卿の甥ティボルト(緒月遠麻)は反対するが、キャピュレット卿は一蹴し、仮面舞踏会でふたりを結びつけようとする。一方、モンタギュー卿の息子ロミオは、親友のベンヴォーリオ(未涼亜希)とマーキューシオ(早霧せいな)にそそのかされ、キャピュレット家の仮面舞踏会に忍び込むが…
 原作/ウィリアム・シェイクスピア、作/ジェラール・プレスギュルヴィック、潤色・演出/小池修一郎。2001年にフランスで初演、2010年星組で日本初演した作品の再演版。

 私は全組そしてなるべく全公演を観ますが、これまで何故か雪組と星組には強烈な贔屓がいたことがなく、疎遠ではありました。今回のまっつの雪組への組替えはなかなか衝撃的ではありましたが、それでやっとひとつ縁ができたくらいで。
 星組版は梅田で二回観たきり、DVDも一度観たきり。
 雪組版の大劇場での好評も聞いていて、それはそれは楽しみに観に行ったのですが。

 …が、自分でもびっくりするほど、星組版と比べてしまって、全然楽しめなかったのです、初回は。
 なんでなんだろう…星組のコアなファンじゃないしものすごく熱心なリピーターって訳でもなかったのに…愛聴して記憶しているのはむしろウィーン版CDなのに、とにかくずっと
「あれ? え?」
 って思いながら観てしまったのです。
 期待しすぎていたせいなのか、歌がそんなにうまくは思えなかった、というのも大きかったのかも。
 そして初回はアミエットだったのですが、歌はともかく芝居ができていなくて、ジュリエットが愛らしく思えなかったのが大きかったのかもしれません。
 続く二回の観劇は、この部分が手堅いミミエットだったし、心の準備や慣れもでてきて、
「うん、これはこれでいいな」
 と思えるようになったのですが…
 マイ楽は東北関東大震災後のことであり、前夜の公演が大規模停電予測のために中止になった直後の公演だったため、また特殊な状況下で後述…
 ともあれ、そんな不思議な観劇体験でした。

 総じて、キラキラと輝いて繊細だった星組版に比べて、雪組版はマットというか瀬戸物のようなというか落ち着いているというか…な印象でした私には。
 それは主にキムのニンによるものなのかもしれない…
 キムは童顔で笑顔がいいタイプのスターだと私は思います。だからロミオには合うだろうと思っていた。
 しかし意外にキムロミオはまっとうでまっすぐで健全で健康的で優等生的で、暴走してしまいそうな危うさとか、壊れてしまいそうな繊細さとか神経質さとかには無縁に見えました。
 「僕は怖い」の歌がなんと空々しく響いたことか!

 私は星組版マイ初日には、一幕ラストの「エメ」でダダ泣きしました。ふたりが本当にキラキラと愛に輝いていて、幸せにおびえつつもより幸せな未来を信じていて、でもこんなふたりがその後たどることになる運命を私たちは知っていて、そのギャップの悲しさに泣きました。
 でも雪組版では泣けなかった…あまりに欠けることのない、高慢とは言わないまでもほとんど傲慢に見えかねないこのお坊っちゃまには、少しくらい何かを失う経験も大事なんじゃないの?とか意地悪にも思ってしまったからかもしれません。なんでなんだろう…ううーむ…

 逆に、そんなキムロミオだからこそ、マーキューシオを殺されてティボルトに刃を向けてしまうあたりは納得しやすかったんですけれどね。

 ううーむ…

 というわけで各キャストですが、ジュリエットについてはふれたとおり。
 とにかく娘役芸としてはミミちゃんに一日の長が絶対的にあります。タカラジェンヌはもちろん素の状態でも普通の女の子よりかわいい美人さん揃いですが、舞台でかわいく美しくあるためにはやはり芸が必要で、それは才能やセンスの問題もあるでしょうが一番はなんと言っても経験でしょう。
 私はミミちゃんの歌にもそんなには不足を感じなかったし(今は他の組でもトップ娘役に歌姫タイプがいないせいもあり、慣らされているということもある)、とにかく台詞や演技がかわいい、背が低くて痩せているのでキムロミオと並ぶと映りがいい、そういうことが本当に大切だと思うのです。
 アミちゃんはたとえば『はじ愛』なんかすばらしかった。しかしそもそもこういうタイプのヒロイン役者ではないし、バウ公演の通し役と本公演のヒロインでは大変さが違います。歌は確かにうまいが台詞がひどすぎる、キムの相手役としては背が高いしスタイルとしてもまだ丸い。まだまだ無理があったと思います。結果的に長期休演を余儀なくされました。劇団は生徒の育て方をもっともっと考えてほしいです。

 チギは…歌、がんばろうよね。フィナーレの銀橋、みんながみんな緊張して手に汗握って観ていたと思うよ…それはダメだよね…

 まっつは歌はとにかく上手いんですけれど、ベンヴォーリオとしてはトヨコのゲイキャラクター(オイ)がホントにハマっていたからなあ…
 キムロミオが意外にしっかりしていそうなもので、ベンヴォーリオが世話してついて回る必要性が感じられず、むしろホントに飼い犬のようにくっついて回るやや情けない年下キャラっぽくも見えるのですが、完全にそういう役作りでもないようで、むむむ…という感じでした。
 しかしフィナーレのダンスは本当にすばらしい。さすが生粋の花男。ぜひ雪組の下級生もいいところを学んで盗んでほしいです。

 キタさんは大柄なのを生かしていじめっ子感が出ていてよかったと思います。それはテルが持ち味の色気を使ってキャラクターを作ったのと同じことですからね。

 ヒロミも楽しそうにKYっぷりを演じていてよかった。
 個人的にキャラクターとして好きなキャピュレット夫人(晴華みどり)ですが、かおりに合っていてとてもとてもよかったなあ。
 そして乳母(沙央くらま)のコマ、がんばっていました。歌はそりゃ高音がつらいんだけれど、これまたお芝居がよかったです。
 しかしフィナーレは…てかやっぱデュエットダンスがないのは宝塚歌劇として変だって、寂しいって! コマもせしるもフィナーレくらい男役やりたかったんじゃないのかな? てか女子に囲まれまくるロミオってやっぱ変じゃん!!

 ヴェローナ大公(大凪真生)の歌にもうひとつパンチが欲しかったこと、サキちゃんの死にもうひとつシャープさが欲しかったこと…は、今後の役者としての課題かな。

 あくまで組ファンでない者の一感想ですが…すみません。


 地震に関しては…怖いだろうに、よくがんばってくれました。
 安全が真に保障されることなど、この地球上に生きている限りありえないし、節電には配慮するにしても、不必要な娯楽だとかなんだとかいう理由で公演を中止することはないと思うので。
 空席が目立ったのは悲しかったですが、こんなときだからこそひとときの夢が見たいという観客も多いでしょう。
 次の花組公演もがんばってほしいし、雪組さんの全ツやバウ公演の東上も応援したいです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中山七里『さよならドビュッシー』(宝島社文庫)

2011年03月21日 | 乱読記/書名な行
 ピアニストを目指す16歳の遥は、祖父と従妹とともに火事に遭い、ひとりだけ生き残ったものの、全身大火傷の大怪我を負う。それでもピアニストになることを固く誓い、コンクール目指してレッスンに励む。ところが周囲で不吉な事件が次々と怒り、やがて殺人事件まで…第8回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作。

 音楽スポ根&本格ミステリという感じで、タイトルの意味が最後の最後にわかる、いいどんでん返しで楽しめました。
 逆に言うと、やはりアイディア先行で、ドラマやキャラクターはかなり類型的でしたけれどね。
 解説によれば、続編『おやすみラフマニノフ』はさらに「のだめ」感が強いともいうことで、機会があれば読んでみたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝塚歌劇宙組『記者と皇帝』

2011年03月13日 | 観劇記/タイトルか行
 日本青年館大ホール、2011年3月9日マチネ。

 19世紀後半のサンフランシスコ。ヨーロッパ留学を終え、久しぶりに故郷に帰ったにもかかわらず、アーサー・キング・ジュニア(北翔海莉)は家を飛び出した。父親が勝手に決めた金持ちの令嬢クリスティ(愛花ちさき)との結婚が目前に迫り、窮屈な生活に嫌気がさしていたのだ。彼は友人ダグラス(蓮水ゆうや)の伝手を頼りに、新聞社サンフランシスコ・イブニングの記者採用に臨むが…
 作・演出/大野拓史、作曲・編曲/高橋城、太田健、高橋恵。

 娘役ちゃんのドレスは可愛いし、男役陣のフロックコートは格好いいし、タップありフェンシングありで、楽しいミュージカルでした。ちょっと古風な、MGMミュージカル映画ふうの作品にしたかったようですが、オペレッタとかもイメージにあるのかな、という感じでした。

 ただしいろいろやりたいことが多すぎるのかとっちらかっているのか、どたばたしていて焦点が絞りきれず、一幕は「で、なんの話?」って印象でした。
 その分、二幕での畳みっぷりはあざやかでしたし、最後はみんなが笑うハッピーエンドなので、爽快でいいんですけれどね。
 もうちょっとスマートにできたかもしれないな、とは思いました。

 二幕の留置場の装置はとてもよかったです。音楽が『CHICAGO』のセル・ブロック・タンゴふうなのはご愛嬌かしらん。

 ヒロイン・ロッタ(すみれ乃麗)はれーれ。声に癖のあるタイプですが私は嫌いじゃないです。ただし歌がまだまだまだまだ弱いのは、本当にそろそろなんとかしてほしいです。
 ロッタは踊り子で、似非スキャンダルのせいで職場を追われ、だったらと書く側に回ったという変り種。才覚もあるし機転の効く元気な女の子で、ツンデレ。いいですね(^^)。
 ただラストのラブシーン、というかぶっちゃけまさしくベッドシーンだったわけですが、あれはやりすぎかなー。アメリカってピューリタニズムが行き届いているから、まして昔のことだし、婚前交渉にはこんなにおおらかではなかったのではなかろうか…踊り子だからさばけているはず、っていうんだったら差別です。
 あっさり誘いに乗るアーサーも、ボンボンらしくない気がして、要らないサービスな気がしました。キスくらいでいいじゃん…

 敵役ブライアン・オニール(凪七瑠海)はカチャ。健闘していたと思います。
 しかしこの役も、そこまで描きこむ気はないのかもしれませんが、もっといい役になった気がするけどなー。こういう役回りをするしかなかった悲哀、みたいなものがラストに感じられたので。

 それはサンフランシスコ・イブニングの社主マーク・スティーブンスン(十輝いりす)もそうかも。商売として利益や資金は大切、しかし公正な報道も大事…というのはすごくわかるので。でもただぼーっと流されている人みたいに見えてしまうのは、もったいないと思うんですよねー。

 儲け役はアーサーの妹として賢く家を守るセーラの伶美うららと、執事見習いのマーフィー・マクドネル役の桜木みなと。
 マーフィーがセーラに想いを寄せているのは見えていたけれど、気づかなかったのがブライアンの部下ブルース・レッドマン(愛月ひかる)のクリスティへの想い。ブライアンへの忠誠として付き従ったり傅いていたのかと思っていたら、むしろお嬢様の幸せを願ってその兄貴に仕えていたのだと判明するくだりといったら!
 アーサーは出獄するためにクリスティを利用していたので、このままだったらかわいそうだなと思っていたところにいいパンチが入った訳ですが、さらにこのサービスですよ! これは場をさらいました。ひかるん、声が好きなんだよなあ、いい役だったなあ。

 女優にして歌姫のアデレイド・ニールスンは鈴奈沙也。久々にぴたりとはまる美声を披露、おっとり天然の大女優っぷりが楽しかったです。

 印象的だったのはテンレーの悪役顔かな…あれで市民のモブとかは無理だよね…

 私は宝塚歌劇ではメロドラマが好きだし、悲劇やキャラクターが死んで終わるタイプのものでもアンハッピーエンドとは言い切れないものもあるわけで好きですが、明るく楽しいコメディはやっぱり楽しいですね。
 そしてみっちゃんはなんでもできる芸達者ぶりなんだけれど…でもそれからするとやはりもはやどんな役でも役不足に感じるかもしれません。
 五度目の主演で初登場というのはめでたいんだけれど、そんなに主演作があるのにまだ三番手だし、どうにも評価が低すぎるんでしょうか。ぼちぼちトップにさせないと、盛りをすぎてしまうスターだとも言えそうで…やはり月組、どうよ?と言いたいです、すみません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする