駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇星組『霧深いエルベのほとり/ESTRELLAS』

2019年03月31日 | 観劇記/タイトルか行
 宝塚大劇場、2019年1月22日13時、18時(新公)。
 東京宝塚劇場、2019年2月26日18時半、3月9日15時半、24日11時(前楽)。

 年に一度のビア祭の初日を迎えて浮き立つドイツ北部の港町、ハンブルク。その港に貨物船フランクフルト号が帰港する。船を下りた水夫のカール(紅ゆずる)は仲間たちと訪れた酒場で、ひとりの娘とで会う。娘の名はマルギット(綺咲愛里)。カールは家出してきたというマルギットと店を抜け出して、ビア祭を楽しむ。一方、古都リューネブルクでは、上流階級の青年フロリアン(礼真琴)がマルギットを探していた…
 作/菊田一夫、潤色・演出/上田久美子、作曲・編曲/入江薫、青木朝子、高橋恵。1963年月組で初演、何度も再演されるも83年花組を最後に長らく上演されていなかった往年の名作の「Once upon a time in Takarazuka」。

 「鴎の歌」と「若き日の恋」は有名ですよね。私が宝塚歌劇を観始めたころにたくさん買い集めた主題歌名曲集CDみたいなのに収録されていたり、TMPとかタカスペとかOGコンなんかで歌われていたりしてきたので、ご存じの方も多いと思います。でも演目自体は、映像も古いのか近年スカステでも放送されたことがなかったと思いますし、どんなものなのか私はほとんど知りませんでした。トップコンビが水夫とお嬢様、とは聞いていたので、普通に考えて悲恋に終わるお話だよね、と想像がつく程度。スカステニュースのコーナーで熱く語るくーみんのトークを聞いても、なんか上手くイメージができないままに大劇場に出かけていった気がします。
 で、爆泣きでした。レポツイなんかはなるべく薄目でしか見ないようにしていたから、というのもありますが、「聞いてない」と思いましたよね。水夫とお嬢様の悲恋、そら想像つくよ、でもこんなに深い物語だったとは…!
 幕開きの大階段を使ったショーアップ演出は今回のオリジナルだったそうで、それも宝塚歌劇らしくて素敵だったけれど、何より初演からあったのだろうなと思われるゆかしく美しい日本語の台詞と、それにより紡がれるごくごくシンプルな芝居、そこから生み出される複雑で豊潤な感情のドラマ、それを裏打ちするのに必要十分などちらかというと簡素なセットや装置…役がやや少ないかもしれないな、ということ以外はほぼ完璧な舞台だったのではないでしょうか。菊田一夫って天才、これをやりたがったくーみんも天才、とほとほと感動しました。思えば言っても『月雲』でも『』でもくーみんに手紙を書いてこなかった私がつい書いちゃいましたからね…! とにかく感動したことをただただ伝えたい、それほどの衝撃がありました。
「古き良き」というのはある種の枕詞のようにも思いますが、私はこの作品を「古臭い」とは全然思いませんでした。「古い」とも思えなかったかもしれません。
 確かに物語が扱っている時代は現代より少し前なのだろうけれど、こうした格差やそれに伴う差別や偏見、それによる障害や問題といった事柄はまったくもって現代的なものでもありますし、何より登場人物たちによって紡がれるドラマが、結局のところ「人を愛するとはどういうことか」ということに尽きるように私には思えたので、古臭いとか現代的とかいうより時代を超越した真実のテーマだと感じたからです。この作品を「古臭い」と判断する人は(この「臭い」には当然ネガティブな意味があると私は捉えているのですが)、たとえば他のどんな作品のどんな点を「現代的」「新しい」として評価しているのでしょう…素朴に疑問。
 とはいえ私だって近年の傑作として『AfO』を挙げるにやぶさかではないのですけれど、アレだってやってることの真髄はかなりクラシックというかぶっちゃけレトロだし、なんせ二幕ものだってことが私の評価をひとつ下げるポイントなんですよね…あとはたとえばくーみんオリジナルの『星逢』『神土地』と比べたらどうか、と考えると、これはもう好みの問題でしょうが私は『エルベ』が一番好きかな…比べれば確かに『神土地』の作り方はずっと現代的かもしれません。
 まあ何を持って古い、新しいとするかは結局のところ好みの問題になってしまうのかもしれないのでいいっちゃいいのですが、とにかく私はこの「臭い」という言葉にけっこう引っかかったのでした。もっと純粋に、単純に褒められていい出来の作品だと思ったのです。
 もう一点、私が世の意見で気になったのが、フロリアンがいい人すぎて怖い、絶対サイコパスなんじゃないか、みたいな件でした。
 私は、彼のような人間は全然普通にいると思っています。というか本来人間はこうあるべきだと思っている、と言ってもいいでしょう。フロリアンは賢くて優しくて、でもちょっと卑怯だったり狡かったり弱かったりする部分ももちろんあって、その自覚もあるんだけれど完璧にはうまく立ち回れないという、ごくごく普通の人間ではないでしょうか。
 私の人間への理想、期待が高すぎるのでしょうか。でも彼のことを「いい人すぎる、こんな人間いるわけない」と言わざるをえないくらい、いい人とか理想の人間像というかに触れることなく今まできている人が多くなっているのかもしれない…と、これはかなりエラそうに聞こえるでしょうが、私はこうした意見を見るたびに心が冷えました。
 私は、フロリアンはとても人間臭い(この「臭い」にはまた独特の意味がありますよね)、素敵な役、キャラクターだと思っています。もちろん例によって好みの問題として私が優等生キャラ好きだってのもあるけれど、好きだなあ。贔屓で演じられたら死んじゃうわ………

 ベニーを苦手にする人は少なくないとぶっちゃけ思うのですが、カールは当たり役となりましたね。大劇場千秋楽後に卒業が発表されたので、東京公演はまた違った感慨で観られることになったと思いますが、思えば作品に恵まれた任期だったと総括できそうじゃないですか。新公主演した『スカピン』をお披露目で再演する、というのがドラマチックだったし、『アナワ』もハマっていたし、なーこたんならラストの作品は上手く作ってくると思うので、その流れなら『ベルリン』はノーカンにしてもいい、となりそうだからです。別箱もよかったですもんね。
 いつもおちゃらけているムードメーカーで、悪ぶってて、でも本当は純粋でちょっと傷つきやすくて優しくて、だからなおさら…という本質がカールとぴったり。この作品をいつかやりたいと考えていたくーみんのところに星組で何か、と依頼が来てベニーならやれる、となったのかなあ。その巡り合わせの奇跡に感謝したいです。
 やっぱりちょっと歌が不安定だったりはするんだけれど、カールの心情が良く伝わっていたし、はしゃぐと台詞の音が割れるきらいもありましたが(たとえば『20世紀号』のだいきほがどんなにハイテンションになってもそういうことが一切なかったので、それが技量の差だとは正直痛感しましたが)それもまたエモーショナルでいいと思えました。あと、通常の演目よりわりと出番が多くて長くて、精神的にも肉体的にもタフでないと務まらない役なのではないかとも思えたので、トップスターとして脂が乗っている時期にやれてよかったのではないかなと思いました。埠頭での後ろ姿が絵になるのには年期が要りますしね。「ほんとだよ」という声の優しさ、温かさ、忘れません。
 あーちゃんがまた本当に素晴らしいお嬢様っぷりでした。しかもちゃんと技術でやれているお嬢様でしたからね、可愛いだけでやっているんじゃなかったですからね。そこが素晴らしかったし、その上でこの時代のこういう家のこういう育ちのこういうお嬢様だから仕方ない…と思わせる説得力、憎めない魅力を発揮していてとてもとてもよかったです。
 本人がお茶会で、このあとのマルギットはフロリアンではない人と結婚したと思う、と語っていたのも私にはとても印象的でした。私もそうかなと思うからです。結婚しないという選択肢はおそらくないだろうし、フロリアンの愛に改めて気づくこともあったろうし感謝もしたろうし彼に対してまた違った情愛を持つに至りもしたでしょう、でもだからこそ結婚はしなかったんじゃないかな、とか…わかりみしかない…泣ける…フロリアン…
 てなわけでまこっちゃんがまたとてもとても良かったですよね! 「お家(と書いて「うち」と読ませる脚本よ…!)へお帰り」というパワーワード(使い方違う)、シビれたわー…!! エエ声の歌はもちろん、本当に役の心情と芝居での立ち位置を理解した上での演技をしていて、ラストの「カール・シュナイダー!」という絶叫が絶品で…本当に素晴らしかったです。
 でも彼はマルギットと結婚しないとなるとシュラックの家を出て行かざるをえなかったろうと思うのだけれど、それで大丈夫だったのかしら…こういう有産階級と言われる、それでいて実質何もしていないような人々の暮らしがどう立ちゆくのか現代日本の一庶民の私はよくわかっていないので心配です。貴族ではないようだけれどなんらかの収入があるんでしょうね、遺産だけではないんだと思うし。そしてもちろんこういう人たちは絶対に働かないわけですよ。「職業の低さ」ってこれまたすごいパワーワードですが、「高い」とされる職業があるわけじゃなくて職に就くことそのものが「低い」ことなんですからね、この世界…あな恐ろしや。
 でもだからってシュザンヌ(有沙瞳)、ってわけでもなかったろうしなあ…だからフロリアンにはむしろ、カールのような女性と出会って、カールとマルギットは結ばれなかったけれどフロリアンと彼女はうまくいったのでした、という夢を見させてほしい気が、します。
 なんなら私が養うよ? 着物の二枚くらいは買うよ…

 ヨゼフ・シュラック(一樹千尋)のヒロさん、さすがに上手い。単なる頑固親父というのではなく、こういう時代のこういう世代のこういう階級の家長の頑迷さ、というのをきちんと出していて、かつ憎々しすぎなかったのがよかったと思います。彼らにとっては当然の対応なのである、というところがまた、ドラマを浮き彫りにさせるのですからね。
 そしてジュンコさんのヴェロニカ(英真なおき)もまたさすがでした。組長だったから、というのも効いていましたけどね。
 そして現組長のユズ長が演じるザビーネ(万里柚美)のたたずまいがまた素晴らしい。こんな美女が、地味で従順なだけのところを買われて後妻に来たんだろうなという役をきっちり演じてみせているのがまた絶妙だと思うのですよ。いいお母さんではあったと思うんだけどなー、せつないなー…
 ホテル・フロイデの主人ホルガー(美稀千種)のみきちぐがまた上手い。酒場ブローストの主人デュッケ(瀬稀ゆりと)はこれで卒業、これまた上手い。カールがヴェロニカにすがって泣く場面での後ろ姿が素晴らしかったです。
 カウフマン警部(天寿光希)はみっきー、こちらは手堅い。しかし彼が何故マルギットにヨゼフの意思を代弁し、集まりを中止しろと言うのでしょうね? 親戚ではないのだと思うけれど、癒着というのとも違う気がするし…こういうおうちは官憲とは結びつきそうになくない? でも、エラそうな感じが演出としてはいいなと思いました。
 そして、大きく書き換えられたらしいお役のトビアス(七海ひろき)…!
 前楽、銀橋ソロのあまりの輝きに泣けて泣けて仕方ありませんでした。「♪ああ海よ聞こえるか、残しゆく友の歌、いつまでも聞いてやれお前だけが」なんて歌われて泣かない人がいますかね!?!? 出番は確かに多くはなかったけれど、結ばれずに終わるカールとマルギットに対して結婚するトビアスとベティ(水乃ゆり)、という重要な役どころで、石切りはともかく(笑)ちゃんと恋が芽生えたっぽい様子も見せてくれているし、本当にくーみんの優しさ温かさを感じる配役でしたね。ご卒業おめでとうございます。
 水乃ちゃんも可愛かったいじらしかった初々しかった訛りとドタバタ走りがとても良かった!
 船員仲間はひとからげのグループ芝居だったけれど、まおくんのオリバー(麻央佑希)のキャラは今までもこうだったの当て書きなのなんなの素晴らしくないですか!?!?
 そしてアンゼリカ(音波みのり)はるこの艶やかさせつなさたるや…! ロンバルト(輝咲玲央)さんは絶対いい旦那さんなんですよ、今やラブラブなはずなんですよ、でなきゃこんなに美しくなれませんからね女は。でもせつないよね…! 絶品でした。
 そしてそしてくらっちシュザンヌ(有沙瞳)もまた絶品でした。こういう役って匙加減が本当に難しいと思うのです。意地悪にもカマトトにも転ばないギリギリの在り方がとてもよかった…! 「もう二度と誰も…二度と愚かな恋はしないわ!」…贔屓の卒業を意識すると叫びたくなる台詞です…イヤでもシュザンヌは誰かと幸せになってください、フロリアンじゃなくても男はいっぱいいるはずだよきっと…(ToT)

 大劇場新公も観たので、ざっとだけ。
 なんせ本公演初見がこの日の昼の回だったため、「コレをかりんたんができるの!?」と心配したものでしたが杞憂でした。極美カール(極美慎)、とてもよかったです。
 本役さんより、より「わざと悪ぶっているけど本当はいい人」感がにじみ出ちゃって、そしてそれはあくまでリアルでたまたまなのかもしれないけれど、この作品と役に関してはそれで正解だからいいのです。スタイルがいいのは武器だし、台詞も表情もとても良かった。歌ははまだ自信がないのかやや不安定だったけれど、素直な感じなのがいいんですよね。まあ私はすでにしてファンなので全然客観的ではないと思いますが、とにかく大健闘していたと思いました。
 そして初ヒロインの水乃ちゃんもとても健闘していたと思います。これまた歌は弱いんだけれど、そして可愛いけどやはりお嬢様力が技術的にはまだまだ足りていなかったと思うのだけれど、マルギットたろうとしているのがとてもよく伝わりましたし、あーちゃんほど浮かれたお姫さま感がなかっただけに余計に、それでもやっぱりうまくいかないんだ、別れざるをえないんだ…というせつなさが出ていたように思えました。首が長くてスタイルのいい正統派の娘役さんですよね、のびのび育っていってほしいです。
 ぴーすけのフロリアン(天華えま)は絶品でした。やはり主演経験者がこういう抑え役に回ると安定感が違いますね。まこっちゃんより人間臭い感じ、青い感じがしたのもまたよかったです。
 シュザンヌの桜庭舞ちゃんも、上手いだろうことはわかっていたのでウザくならないか心配していたのですが、くらっち同様抜群の案配でよかったです。
 そのくらっちはヴェロニカ、これがまた上手い! かりんカールにはこれくらい若いヴェロニカがまたよく似合いました。
 娘役で続けるとベティの瑠璃花夏ちゃんがまた上手くてめっかわで惚れました! 逆に星蘭ちゃんのアンゼリカはもの足りなかったです。やはりあの役は美貌だけではダメなんですよ、やはりやや棒に見えましたねえ…(><)
 トビアス天飛くん、押し出しいいですよね。プロローグのかりんたんとぴーすけとの並びがみんな違ってみんな良くて素晴らしかったです。ただ、キャラとしてはニン違いに見えたかな…

 東京で観て、かりんたんのアドリアンの鼻持ちならなさが上がっていたように感じられて、「正解! 成長!!」と感動しましたね。
「ローゼマリーさんは聡明な女性です」ってホント最低な台詞だと思うんですよ。自分みたいな男を選ぶ女は賢い、という論法でのこの思い上がりとか、人を人とも思っていない醜悪さがこんなに短い言葉で表現できるなんて、本当にすごい台詞だと思います。その意味をちゃんとわかっていて、そしてアドリアン当人はもちろんなんの気なしに、というか本気でさらっと口にしているんだから、という芝居がちゃんとできていると感じました。
 お茶会でも、新公主演をしたことで、主役と絡みがない役でもすべての登場人物は主役と結びつき作品のピースとして意味があり、それに徹することの重要性を学んだ、みたいな、イヤこれは私がかなり翻訳して言っているのですが、なんせ「今日私トーク力ヤバくないですか、いつもか」で「日本語難しい!」な人なのでこうは言ってはいませんでしたがでもこういう意味のことを言っていて、やはり経験は人を成長させるんだなあとまざまざと見せつけられた思いがしたのです。
 それと同時に、無駄な役がない、すべてが作品のピースとして意味がある、そういう構造になっているこの演目が素晴らしいんだなと改めて思いました。菊田一夫天才、くーみん天才、と改めて思います。
 こうしてまた発掘され再演される昔の作品があるといいなと思いますし、このクオリティの新作が生み出されていってほしいなとも思います。上田先生の次回作が本当に楽しみです。


 スーパー・レビューは作・演出/中村暁。
 お正月のテレビ中継ではJ-POPの多様に非難囂々、また同時期の博多座で『ビバフェス』に通った宙担からは「まんまじゃん」と言われるショーでしたが、私はいずれの回も良席で観られて生徒の識別がよくできたためか、楽しく観ました。てかあーちゃん無双まこっちゃん無双のショーだったのでは?
 プロローグあとのアレがセカオワ?のまこっちゃん銀橋ソロ、いわゆる博多ビバフェスでゆりかちゃんがハネウマったところじゃないですか正直みんながいたたまれなくて二回目からすぐ手拍子入れるようになったところじゃないですか。でもまこっちゃんは歌が上手いから保つからみんな聴いちゃうんですよ何もしないでいいんですよ、素晴らしい。
 そこからのかいちゃん場面は三曲もあるのにまず驚きましたね、本当に厚遇されましたよねよかったよね。ここの赤いドレスのくらっち可愛かったなあ、でも奥のかりんたんをついつい見ちゃったなあ水乃ちゃんと組むとこ可愛かったなあぁ。
 星夢の場面は何を踊っているのか私には皆目意味不明でしたが、かなえちゃんとひーろーのダンスが素晴らしかったのでいいです。あとあーちゃんのダンチな鬘が素敵すぎました。暗転したあと引っ込む前に微笑み合うべにあーもよかった。
 そしてあるある韓流場面でもさすがのまこっちゃんね! あれを歌い踊るのは本当にすごい。かりんたんも東京後半ではだいぶ色気を増してこられてましたよ! 暗転直前のウィンクがツボでした。
 「チャンピオーネ」は『AM』の思い出が~、とうらめしかったけれど客席降りはみんな楽しそうなんでいいです。星サギのカンパネルラあーちゃんの、またなんてことない紫ワンピにめっちゃ凝ってるわけではないけど絶妙に可愛い鬘がツボでした。あとノリノリのサソリせおっちも。最後に綺麗なジュテで締めるまこっちゃんもね。
 そう、わたしはせおっちにはあまり興味がないのですが本当に垢抜けてきましたよね、銀橋ソロも全然埋めてましたよね。からの黒髪ショーとボブのあーちゃんセンター背中がっつり開きドレスの娘役群舞、絶品! 最下の水乃ちゃんのお色気勉強中!なダンスも楽しい。はるこの艶やかさやいーちゃんのいい女っぷりもたまりませんでした。
 男役群舞は久々の正統派黒燕尾。かりんたんが最下手とはいえもう一列目で、もっと上級生の後ろに置いて背中を見せて勉強させたいところなのになーと案じてしまいました。こっちゃんの代になったら私は同期だろうとせおっちが二番手だと思っていますが、三番手はしどりゅーぴーすけかりんたんと並べてお茶を濁すのかなーしんどいなーと案じられました…余計なお世話だったらすみません。
 そしてデュエダンはあんる姉さんとほのかちゃんの歌声が甘く素晴らしい中、本当に相手役しか見てない見えてないベニーのいじらしさにみんながニヤニヤするしかない、極上の甘々空間でしたね…!
 エトワールはかとりーぬ、ご卒業おめでとうございました。歌のお仕事するなら行きたいな。
 というわけで安定のAショーでしたが、よかったと思います。お衣装も装置も素敵でした。満足でした。



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宝塚歌劇雪組『20世紀号に乗って』

2019年03月24日 | 観劇記/タイトルな行
 シアターオーブ、2019年3月23日11時。

 世界恐慌を脱し、人々が再び活力を取り戻し始めた1930年代初頭のアメリカ。ブロードウェイの舞台演出家兼プロデューサーのオスカー・ジャフィ(望海風斗)は華麗で非情、そして誇大妄想気味で、かつては花形だったが今はヒット作に恵まれず、破産の憂き目に遭っている。ニューヨークから遠く離れたシカゴでの興業も失敗に終わり、借金取りに追われるオスカーは、腹心の部下、オリバー(真那春人)とオーエン(朝美絢)に“特急20世紀号の特別室Aを取れ!”と突如指令を出す。シカゴとニューヨークを16時間で結ぶ、世界一と呼ばれる豪華客室を備えた特急列車の、特別室Bにはハリウッドを代表する女優リリー・ガーランド(真彩希帆)が恋人のブルース・グラニット(彩風咲奈)を伴って乗り込んできて…
 脚本、作詞/アドルフ・グリーン、ベティ・コムデン、作曲/サイ・コールマン、潤色・演出/原田諒、翻訳/伊藤美代子、音楽監督/玉麻尚一。1934年に製作された映画を基にしたミュージカルで、1978年ブロードウェイ初演、2015年リバイバル上演。全2幕。

 映画は未見。日本では宮本亜門演出での上演もあったそうですがそれも未見。初日翌日に観たので、初日の感想はファンが言うものだからなーとややかまえて観に行ったのですが、いやぁ笑った笑った、楽しかったおもしろかった感心した! 超絶テクニックでしょーもない話を歌い踊る、これぞミュージカルの醍醐味!ってのを堪能できる舞台でした。
 内容がないということはなくて、ここに挙げたあらすじから類推される程度のストーリーはもちろんちゃんとあるんだけれど、結局のところオスカーの敏腕っぷりって本物なのかとか、オスカーはリリーにちゃんとした作品を用意できたのか、新作は成功して借金は返せたのか、オスカーとリリーはそもそも何故別れるに至ったのか、リリーとブルースのつきあいはどんなものだったのかとかとか、みーんなスルーなんですよ。でもいいの(笑)、ふたりがよりを戻してハッピーエンド、ウェディング・ベルディンドン!でオール・オッケーなのです。そこがいい。すばらしい。話がそれだけしかなくても、ショーアップされた楽しいナンバーとその楽曲を歌いこなし踊りこなすだいきほ始めタレント揃いの組子がいれば、舞台は充分に成立するのでした。だいきほの歌唱力、演技力あったればこその企画でしたが、大成功と言えるでしょう。やっと幕末とフランスを脱出できて、人が死なない話が観られて、ファンも大喜びなのではないでしょうか。外部作品あるあるで役が少ないのが玉に瑕なんだけれど、みんなして端でもなんでも小芝居しているのでファンは楽しく通えることでしょう。これからさらに練られて仕上がっていくでしょうしね。
 唯一気になったのは、オチというかそこに至るオスカーとリリーのやりとりが、直前までドッカンドッカン笑いが沸いていたので、オスカーの決め台詞がわかりづらかったのではないか、ということです。聞き取りにくかったし、私はぶっちゃけ解釈に自信が持てませんでした。え、なんで突然くっついたの?ってぽかんとなっていた観客が絶対にいるはずです。
 なんて言っていたのかは聞き取れなくていいんだけれど、何を言っていたのか意味はわからなくちゃ通じないでしょ? アレはリリーの本名を言っていたんですよね? だから、蛇足を気にせず「私の名前…覚えていたの?」「…あたりまえじゃないか」「オスカー!」で抱きついてキス、みたいに足した方がよかったのではないでしょうか。
 それ以外は本当になんの問題もなく、大満足でした。
 咲ちゃんもホントおもろかったし、あーさもまなはるもよかったし、でもナギショーはしゅっとしていてみせて、あすくんがもっていくし。あがちんはもうひと押し歌にパンチが出るとよかったかなー。ひらめやまちくんもチョイ役でひまりんなんか可愛すぎるモブなのがもったいなかったですけどね。
 そしてさすがの京三紗さんのおもろさですよ…!
 ただマグダラのマリアといい彼女の布教活動といい、アメリカ人は、というかピューリタンは、かもしれませんが、本当にキリスト教に愛憎というか悲喜こもごもというかを感じているんでしょうねえ、とは思いました。こんなにもこんなにもネタにするんですもんねえ。宗教に寛容、というよりは鈍感な日本人としてはそのあたりも感覚的にはわかりづらかったけれど、古い作品にありがちな差別で笑いを取るようなタイプの違和感ではなかったので、全然問題なかったかと思います。
 しかしとにかくだいきほですよ。てかきぃちゃんね。ホントすごいコメディエンヌっぷり、お見事でした。娘役さんとしてはやりすぎギリギリかもしれないけれど、まずできちゃうことがとにかくすごいんだし、それをさらに大きな包容力で包むだいもんがいるからこそのことなので、ちゃんと宝塚歌劇として成立していました。だいもんだってなさけないっつーかしょーもないでもイケなオジをそれはそれは楽しそうに演じていて、でもどんなにはっちゃけても台詞が滑ったり流れたり籠もったり噛んだりすることはなく常にクリアで聞き取りやすいのが本当に素晴らしすぎました。
 私は「二人だけの世界」はもっと宝塚チックにしっとりるりるりとやってもよかったのではないかと思っていますが、ここもがっつりオスカーとリリーの顔芸でしたね(笑)。それで言えばデュエダンも、あんなにがんばってアクロバティックな振りを付けないでも、もっとオーソドックスで振り数の少ない宝塚ふうのものにするか、逆にもっとガチャガチャ踊るタイプにした方が粗が目立たないのではと思いましたが(歌と芝居が良すぎるだけにダンスがややアレに見えるという損なトップコンビですよね)、まあこれも楽しかったからいいです(笑)。フィナーレはバリッと踊る咲ちゃんもとても良き。
 そうそう、冒頭のアル・カポネの出オチ(笑)は私はとても秀逸だと思いました。時期的にも地理的にも合っているんだし、だいもんがやった原田作品なんだから全然アリですよね。別にうちわ受けとかそういうことではないと思いました。
 ただ原田先生、今回はあくまで潤色であって、あなたの手柄ではないしあなたはこのレベルのものをオリジナルで作れていないんだから、そこはきちんと自覚して学習してがんばっていってよね、とは言っておきたいです。学習して次が『チェ・ゲバラ』なのかと思うと早くも絶望的な気分になりますけれどね…偉人伝と対極にありますよ今回の作品は…
 なので宝塚歌劇はオリジナルで、もっと役と芝居のしどころが多い演目をいわゆる吉崎メロディできっちり作ることが目指すべき第一義です。今回のようなタイプの作品の輸入翻案上演は別箱でときどきやれば充分なのです。生田先生は海外の作曲家を招聘して一本立てでこれがやりたくて『CASANOVA』になったのかもしれませんが、いくら内容がないったってそこには段違いのものがあることもさすがにわかっているよね?と思います。というかこういうライトでウェルメイドな作品を作るメンタリティって日本人作家には所詮ないのでは…とまで思います。まあそれからしたらやはり『AfO』はかなりたいしたものだったんだなと、私は改めて高く評価したいですけれどね。
 短い公演期間だし権利の関係か円盤化もしないようだしさりとてチケ難なようですが、なるべくたくさんの人に観てもらって笑って楽しんでもらえるといいな、という作品でした。全力で歌い踊るだけでなくドタバタ跳ねたり飛んだりもする芝居ですが、組子のみなさんはくれぐれも怪我に気をつけて、がんばってくださいね。無事の完走をお祈りしています。そして裏のバウのオリジナル、かつ新人作家のデビュー作がより宝塚歌劇らしく、良き、おもしろいものになっていますよう、せつに祈ります!!





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俳優座『血のように真っ赤な夕陽』

2019年03月21日 | 観劇記/タイトルた行
 劇団俳優座5階稽古場、2019年3月18日19時。

 ニューヨークの株式市場の大暴落に端を発した世界恐慌は、翌年日本にも波及し、特に生糸輸出の激減や米価の下落より農村は壊滅的な打撃を受けた。そんな中、対外膨張に活路を見出そうとした日本は、満州地域の領有をはかった。五族協和、王道楽土を旗印に、全国から開拓民たちが広大な大地を第二の故郷と信じて海を渡った。ソ連との国境近くに入植した池田、森、桑本の三家族も、その中の無名の人々であったが…
 作/古川健、演出/川口哲史。劇団チョコレートケーキの座付き作家が劇団俳優座に書き下ろした戯曲。全2幕。

 親友の知人が出演しているというので、またチョコレートケーキの作品を観たことがなくて観てみたいと思っていたので、誘われたのにホイホイ乗って出かけてきました。
 私は1945年生まれの母親から生まれた町の子供で、農村の暮らしのことも満州のことも戦争のことも、学校で勉強したり小説を読んだり舞台を観たりで得たこと程度の知識しか持っていません。改めて自分の不勉強を痛感し、しかし私よりもう少し上の世代とかの、もっとこういうことが身近で身をもって知っていていろいろ学んでいるはずの人たちが、この過去の事実から何も得ていなくて今また同じ悲劇を繰り返そうとしているようにしか見えないことに、改めて驚き戦くのでした。
 国がなんとかしてくれる、なんとことは絶対にない。世の中に絶対はないものですが、この絶対は絶対です。だってかつても何もしてくれなかったんだから。それを忘れてまたただ無防備に信じる愚かさなど、早く捨て去った方がいい。国は、というか国家の中枢にいる人間はすぐ国民を裏切る。だから主権者たる国民は常に国を、国家を監視しなければならない。国を愛するって、そういうことのはずです。盲目的に隷属することではない。
 植民地支配するのもされるのも、二度と嫌です。戦争も二度とごめんです。私たちは戦争を放棄しました。自衛のためだろうとなんだろうと、二度と武器は持ちたくありません。
 …と改めて私は考えましたが、でも別にこの舞台は、作品としてはそういうことを熱く訴えているわけではないように私には思えました。なんか、言い方はよくないかもしれませんが、オチがあいまいだった気がします。
 途中から、ところでこの話はどうオチるんだろう、とやはり考えながら観てしまったのですが、全員が港にたどりつけたなんて奇跡的すぎるというかそれこそ絵空事にすぎないんじゃなかろうかと思いましたし、船の上で落命した者もいてみんながみんな帰国できたわけではない、というのはありましたが、それでもさらにそのあと、現地の夫婦に譲ってきた子供と再会して終わる、というのはほとんど嘘というか、蛇足に私は思えたのでした。というかそれはそれで絶対に別のドラマや問題があったはずで、ああよかったねってオチに使えるエピソードではないのではないかと私は思ってしまったのです。
 あと、冒頭もラストも、勝(小泉雅臣。というかこのキャラクターのこの名前はどうだ! 何に勝とうというのだ、勝ち負けというのはつまり争うことが前提なのだよ…!?)が歌う歌がさあ…千代子(戸塚梨)が歌う「誰が故郷を思わざる」(という曲名なのでしょうか? 私はこのフレーズのみ知っていて、メロディは初めて聞きましたが、こういう既存の曲なのでしょうか…)じゃダメだったの?という、ね…だってこれは当時の国が、大日本帝国が作って流したプロパガンダ曲でしょう。大地に根付きたい、そこで家族と共に食べるものを作って生きていきたい、という人間のとてもプリミティブな願望を利用した、悪逆卑劣な政治宣伝歌曲だったわけでしょう。でもみんなそれに踊らされて海を渡っちゃったわけでしょう、それを懐かしくてつい口ずさんじゃったんだとして、それでいいのかって話ですよ。もちろん愚かさは罪とは言いきれないのかもしれない、けれど…この舞台はそれを、怖いことだとか恐ろしいことだとしては演出していないように私には見えました。それが私には不満だったのです。声高に戦争反対を唱えなくてもいいけれど、でもそういうことが訴えたくて今この作品を書き、今、なう、上演してるんじゃないの? なのに「なんか虚しいなあ、悲しいなあ…」みたいなオチでいいの? あるいは、家族と再会できた、隣人との友情も健在だ、よかったなあ…でいいの?ってなりません? 私はなりました。
 だから、一幕終盤でダダ泣きし、休憩になったことに動揺してさらに泣くくらいに舞台に没頭していた私が、二幕は全然泣けませんでした。なんかよくわからなくなっちゃったんですよね。わからないといえばベタすぎるタイトルも、それで何を表しているのかやっぱりよくわからなくて、私はあまり感心しませんでした。
 私が泣いたのは、常に安易にダメな方に流れそうになる男たちを常に引き留め、諫め、明るく広く正しい方へ促す女たちの理性や強さ、優しさに、でした。そうしたら人間は踏みとどまれる。人種も民族も越えて友達になれる、ひとつになって進める。その美しさに感動し、でもダメだったんだよね五族協和なんて成らなかったんだよね満州国は崩壊したんだよねそれくらい私でも知ってる…と、悔しくて虚しくてダダ泣きしたのです。でもこのときはダメでも、それで学習して賢くなった私たちはもっと良くなれるはずなのだ、でもまた同じ過ちを犯そうとしているね…?と怖くて悔しくて、ダダ泣きしたのです。
 そこまで心を振るわせられたのに、二幕は尻すぼみになってしまった気がして、私は残念だったのでした。

 でもまた、俳優座もチョコレートケーキも観ていきたいなと思いました。その役そのものにしか見えないくらいに達者な役者さんたちが素晴らしかったです。脚本も、会話や議論ってこうなるよな、というリアリティがあってとても良かったです。
 私は本を読んで漫画を描いて夢想に生きる子供でした。この時代のこうした農村に生まれていたら、私は私ではなかったのでしょう。そこでもそれなりにがんばっただろうけれど、とは思いたいけれど、正直こんなふうにがんばれたかは全然自信がありません。今、私として生きられていて、ありがたいです。それをもっと噛みしめ、今のここでさらにがんばらないといけないな、と思いました。子供の作文みたいなシメですみません。


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チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)

2019年03月17日 | 乱読記/書名は行
 ある日突然、自分の母親や友人の人格が憑依したかのようなキム・ジヨン。誕生から学生時代、受験、就職、結婚、育児と彼女の人生を振り返る中で、女性の人生に立ちはだかるものが浮かび上がる…韓国で100万部を突破した話題作。

 話題になっていることはもちろん知っていて、読んでみたのですが…なんか想像と違っていました。でもすごくおもしろく、怖く、そしてよくできている作品だと思いました。設定も文体も効果的で上手い。オチもいい。怖い。悲しい。けれどこれが現実です、イヤもっとひどいかもしれません。
 私はキム・ジヨン氏とは歳が一回り以上違います。だからいろいろ違うし、でもいろいろ同じです。そして私が韓ドラにハマっていたのは2001年くらいから10年間くらいだと思います。そのときの印象と今の韓国社会とはだいぶ違いますよね。私は当時の韓ドラにかつての昭和がここにある、と思ったものでしたが、韓国はそのあとの10年であっという間に日本に追いつき追い越し、先の地平に達してしまいました。そして今の日本はそのことを上手く学べていないから、同じ間違いをしないどころか、同じ間違いも犯せないくらいにダメになってしまっていると感じます。怖い。悲しい。
 もっともっと読まれていい作品です。そして読んだ男性が黙り込む気持ちもわかります。よくわからないんでしょうね、でもそこからまずは考え出してほしいです。何がどうわからないのか、自分だったらどうなのか、自分の周りの女性たちはどうしているのか、彼女たちに対して自分が何をしてきたか、今どうしているか。女性だけの問題ではないのです、むしろ男性の問題なのです。みんなで幸せにならないとダメなのです。一蓮托生なのです。それはわかってほしいです。
 映画化についてはなんとも言えませんが、ブームが大きくなるならいいことなのかな。とりあえず、まずはこの本がもっともっと広く読まれることを願っています。

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京山あつき『3番線のカンパネルラ』(祥伝社onBLUEコミックス)

2019年03月17日 | 乱読記/書名さ行
 相思相愛と信じて疑わなかった彼氏に突然フラれ、ショックで無気力ぎみな加納。ひとりで生きるのは無理、でもつかの間の恋をするなんてもっと怖い。なのに駅で助けてくれた高校生にはときめくし、職場の店長にもグラさいてしまう始末で…各駅停車のトリップ・ラブ。

 この主人公って、ちょっと昔の…イヤだいぶ昔の少女漫画のヒロインみたいなメンタルだな、と思います。今だと、もうちょっと読者の年齢層が上の、オトナ少女漫画でならアリかな。要するに女々しいというかウザいというか後ろ向きすぎるというか繊細すぎるというか暗いというか自尊心なさ過ぎというか…なキャラで、今の少女漫画では流行らないと思うのです。でも、こういう女性って、もちろん男性もなんですが、まだまだ普通にたくさんいます。だからこういう作品を読むと、大人として、女としての生きづらさを仮託するBLの在り方の意義、というものをひしひしと感じるのです。女性キャラクターでやられると、リアルすぎて読むのがしんどいけれど、男性キャラクターにしてBLでやればファンタジーに化ける、という構造です。
 で、これはさらに作品として、物語としてとても良く、素敵に仕上がっている佳作だと思いました。まず高校生と児玉くんと四つ巴のドロドロ愛憎劇、みたいにならなくてよかった。出てくる男性キャラクターがみんなゲイとか、そんなのファンタジーだとしてもありえなさすぎて私はダメなタイプなので。高校生は加納さんにちょっとそういう興味があったのかもしれませんが、そうと明らかにがっつり描かれているわけではないし、私はむしろ彼にはガールフレンドがちゃんといるくらいでいてほしい派です。ちゃんと、って言い方もよくないんですけれど。
 一方店長が「俺は違う」と言うのは、いわゆる「俺は同性が好きなんじゃない、君が(君だから)好きなんだ」ってヤツだと私は考えています。また、挿入する側に回るからといって初めてでこんなにスムーズに同性が抱けるもんかい、とそこはファンタジーと言えど嘘を感じないではなかったのですが、でも、こういうこともあるのかもしれない、と思わせてくれるところが実にいい、いいお話になっています。いろいろ人生経験も積んできて今充実しているようなでもちょっと何かがぽっかり空いているような、そんなところに恋って飛び込んでくるんだよね、と思える、ドリームが抱ける。素敵なことだと思います。
 主人公が永遠を望んだのは甘えであり、そんなことは誰にも保証できない。でもじゃあ逃げてたら一生それは手に入らないわけで、怖くてもやってみるしかない。それは今がよければいい、とあきらめてしまうのとは違うことです。そんなふうには明快なネームで語られてはいないけれど、途中下車もありえる、けれどいつかどこかに着く電車の旅に出ることを肯定する、いい結論だなと思ったのでした。
 雑ギリギリのさらりとした絵柄も魅力的でした。いいものを読みました。



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