駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇月組『エリザベート』

2018年10月27日 | 観劇記/タイトルあ行
 宝塚大劇場、2018年8月24日15時(初日)、9月4日11時。
 東京宝塚劇場、10月19日14時半(初日)、25日18時半。

 1853年、バイエルン王国。15歳のエリザベート(愛希れいか)は常識やしきたりに捕らわれない父マックス(輝月ゆうま)の自由な生き方に憧れを抱き、気ままに少女時代を過ごしていた。ある日、綱渡りに挑戦しようとした彼女は、足を滑らせてロープから落下し、意識不明の重体に陥ってしまう。生と死の狭間を彷徨うエリザベートを冥界の入り口で迎えたのは、黄泉の帝王トート(珠城りょう)であった。彼が死の口づけをしようとしたそのとき…
 脚本・歌詞/ミヒャエル・クンツェ、音楽・編曲/シルヴェスター・リーヴァイ、潤色・演出/小池修一郎、翻訳/黒崎勇、音楽監督/吉田優子。1992年ウィーン初演、1996年に宝塚歌劇雪組で日本初演の大人気ミュージカル、10回目の上演。全2幕。

 初日の感想はこちら、直近の宙組の感想はこちら
 もう一生分観たとも言いましたし、そもそもそんなに好きな作品じゃないともストーリーとしてどうにも納得がいってないとも語りましたが、東京での二回の観劇が一度は自力で友会で当てた初日SS5列目どセンター、次がお友達のおかげで座らせていただいたSS4列目どセンターだったこともあって、多くの人が言う歌ばかりのザッツ・ミュージカルなのにもかかわらず今回は本当に芝居らしい芝居になっているこの作品をそれはもう間近でたっぷり堪能できて、うっかりダダ泣きしてしまったりしたこともあり、今や大劇場で唯一チケットがあったBパターンを観るために台風にもかかわらず遠征し結果阪急まで止まって大劇場ロビーでお友達と6時間以上しゃべりつつ運転再開を待ち新幹線も止まっていたので梅田のレディースサウナに泊まって翌朝始発ののぞみグリーン車で爆睡して帰京してそのまま出社して働いたのもいい思い出になっています。
 それでもやっぱり、そんなにまでして観たいかと言われたら、両パターン一度ずつ観られたのでそれで十分、あとは余禄、他にもたくさん観たい方がいるのだろうしそちらでどうぞ、また次に再演されてもそれくらいの感じで観られれば私は十分です、というくらいのスタンスではあります。イヤこれだって十分尊大な態度でホントすみませんなんですが、やっぱり正直なところとしてはそんな感じなのです。大きな演出の変更はなく、もう完全にできあがっている作品で、音楽も素晴らしいしファンも多いのもわかるけれど、だからってやっぱり通いまくっちゃったらそら飽きるだろう、というか…まあ、それはなんでもそうなんでしょうけれどね。
 でも、キャストを通して、それこそ自分でも驚くくらいに泣くくらいに新たに発見したこともあったので、それは新鮮な驚きとときめきとともに記録に留めておきたいと思います。今回はそんな記事です。
 ちなみに今回は珍しく東西とも新公は都合が合わなくて観られず、残念です。新たな伝説が生まれていたりしたら…悔しいなあ。でもまあ仕方ない、そんなこともありますよね…

 さて、まずは珠城さんトート。やっぱり初の短髪にトライしてもよかったのになー、長髪好きとかイケコってホント古いタイプのオトメだよねー、とか思いますよ(^^;)。お稽古場での普通の髪型にきつめのメイクの珠城さんが超絶カッコ良かったので、銀の短髪の珠城トートとか本当に見てみたかったものでした。
 まあ外見はともかくとして、やはりこれだけ歌うと本当に体力的に消耗するのか、さすがの珠城さんも少し痩せてバンと張ってた太腿もお衣装が浮いて皺が寄るようにも見えましたが、二重気味の顎は健在で嬉しい限りです(笑)。頬のあたりが少しシャープになって死神としてはいい感じですし、それでもガタイの良さはあいかわらずで頼もしげなのもいいですね。
 まぁ様のときは歌が劇的に上手くなっていて『エリザ』レッスン恐るべし…!と思ったものでしたが、珠城さんは残念ながらそこまで劇的な変化はないというか、私が愛する癖とか出ない音とかがわりとそのまんまなところも愛しいです。でももちろん当人比でさらに上手くなっているし、なんせハンパでない量を歌ってはいるので、大変は大変でしょう。喉の負担が見える生徒も多く、大劇場ではみやちゃんの休演などもありましたが、珠城さんは大黒柱として中心にどかんといてくれているので、みんなもふんばれているところがあるのでしょう。そしてそこから、いかにも月組らしい、登場人物の人柄や生き様が立ちのぼる、芝居らしい芝居としてのミュージカルを作り上げられているところが、新しく、素晴らしかったです。
 珠城さんはガタイがいいし美少年系というよりは男臭い系なんだけれど、マッチョだとか粗暴だとかワイルドだとかいうよりは優しく真摯で誠実なニンなので、そのトート像もむしろフェミニンなくらいに、柔らかで優しく、感情はかなり露わにしつつも耐えて待ってくれる誠意あるトートで、かつなんか素直でまっすぐで、もうキュンキュンしましたね。クールなのが似合う人はそう作ればいいし、でもこういうトートもアリなんだな、それでも黄泉の帝王だし死神なんだよな、と納得させられたのは大きかったかと思います。
 人間の女を愛してしまう、という点でそもそもフツーの死神(ってナニ?って感じですが(^^;))の枠を踏み外しているのだろうし、だからそれでいいんですよね。青い血は流れてなさそうだし握手もその肌もあんまり冷たそうじゃないですが、それでも人間とは違う異質さ、違う次元にいる本当なら交わらない異形の者、底知れなさ、謎の大物感みたいなものは漂わせることができていて、いいトートだなと思いました。
 そしてこれで退団となるちゃぴ。まずもって歌が安定していて上手いことが素晴らしい。こんなにビッグな娘役スターになるとは思っていませんでしたが、ことに歌は、ダンスに比べてあまり語られることがなかったと思うけれど、本当に普通に上手くてそれはとても立派なことで、もっと評価されていいし、演技と三拍子揃ってなお破格な大スターになったなと改めて痛感させられました。本当に素敵でしたし、美しく、愛らしく、強く、悲しく、素晴らしかったです。
 冒頭の詩の朗読があんなにお芝居として成立しているのを初めて目撃した気がしましたし、本編に入って最初のナンバーである「パパみたいに」がまゆぽんの上手さもあってこれまたあんなにお芝居の一場面のようになっているのも初めて観ました。ここでちゃぴシシィのキャラがぐっと立つから、観客は物語にぐっと引き込まれるんですよね。彼女は単なる野生児とかわがままなお転婆娘とかではないんです、もっと器が大きいの。それで窮屈さに不満なの。まっすぐ自由に羽ばたきたいとだけ念じている、すこやかで優しい、ごく普通の少女なの。そのまっすぐさが美しく、悲しいの。だって世の中のものごとは何もかもそうまっすぐには進まないものだから…
 みやちゃんのフランツがまた、プログラムの写真なんかはだいぶ高慢な表情を作っていてそういう皇帝で行くのかなと思いきや、これまたすごくまっすぐで優しくてだからこそ不器用で弱い、なんとも言えないいいフランツで、だからこそシシィとのすれ違いがせつなく悲しくてよかったです。女々しく聞こえかねない裏声の高音も今回に限りとてもよかったかと。 なんか私、今まで、どの娘役も何故みんな『エリザ』をやりたがるのか今ひとつ納得できなくて、そりゃ大役だしタイトルロールだし実質主役で主人公だし半生が演じられるし大曲あるし綺麗なドレスがたくさん着られるしやり甲斐はあるんだろうけれど、でもそんなにいい役かなあ?と不審だったのですが、今回の公演で、こんなにも熱くトートとフランツから愛されるシシィを見て、ああ、なんかヒロイン冥利に尽きるのかもしれないな、と思い至ったんですよね。それに足る女性像を作り上げ、真ん中で凜と輝いてみたい、と女優なら誰でも思うんだろうな…とやっと納得できたのでした。ふたりに愛されてちゃぴはまさしく輝いていました。それで泣けた、というのも、ありますね。
 れいこルキーニは…私はもともとルキーニみたいなキャラクターにあまり興味がなくて、この作品におけるルキーニの役割とかポジションとかおいしさとかトップスターメイカーみたいになっているところとかがどうにもピンときていなくて、なのでれいこちゃんにも特に何も思いませんでしたすみません。狂気が薄いとか求心力が弱いとか言われるほどでもないと思うし、でもすごく主体的な狂言回しになっているようにも思えず、だいもんのときに感じた、この物語はそもそも彼の妄想なんだなと痛感させられる陰の主人公感もなかった、かな…どんなナリしてもとにかく美人だなぁ、とはしみじみ思いましたけれどね。あとフィナーレ群舞でめっちゃ嬉しそうに白い歯見せてのびのび踊っているのがホント色気ダダ漏れのイタリア美形って感じで、これは刺さりました。
 今思ったけど、トートとルキーニの間に、特にトートの側からルキーニに対して、あまり交情みたいなものが見えなかったから萌えなかったのかな…ルキーニの方はトートを崇拝してるっぽくはあったんだけれど。うーむ。
 そしてルドルフは、おだちんはきっちりしっかりやるだろうなと思ってはいましたが本当に過不足なく舞台を務めていてなんら危なげがなくて、ルドルフとしては視野が狭そうでそらパパと衝突するよみたいな感じはよく出ていて、メランコリックな風情はなかったけれど個人的にはこれはこれでいいルドルフなんじゃないでしょうか、という印象でした。
 むしろありちゃんの方が私にはピンとこなくて、自分でも驚きました。ありちゃんのことはわりと好きなので。でもなんか、固いというか、おもろしみがない役作りに思えたんだよなあ…幼いというか。フランツとの衝突や革命家たちの中での立ち位置とか、なんかわりとぼやんとして見えて、よくわからなかったのです。
 ただ、マイ楽の回の「僕はママの鏡だから」がすごく弱々しくて繊細で、なんかもう最初からここにも救いがなさそうなのがわかってそうでそれでもママにすがるような感じで、だからものすごく哀れに見えて、でもそらシシィも重く感じるよ逃げたくなるよとも思えちゃって、家族って難しいなあ、みたいな感情でついほろりと泣かされてしまったんですね。
 からの、マイヤーリンクでのダンスリーダーっぷりはまあ置くとして(笑。しかしアレは仕方ない)、霊廟場面でのフランツの悲嘆もシシィの慟哭もすごく染みて、けれどふたりは長くは抱き合わず、フランツもシシィと悲しみを分け合えないことをより悲しんで去って行くように見えて、そんなみやちゃんフランツの哀れさに泣けました。そして私は子供を持ったことがないしこの先も多分持たないしそもそもあまり好きじゃないのですが、それでも、ああ子供を失う、死なせてしまうということはこんなにも心が張り裂けそうなほどにつらいことなのだろうなと真に迫って感じられて、ちゃぴシシィがかわいそうでかわいそうでダダ泣きしてしまったのでした。
 そりゃもう生きるのやんなるよ死なせてよって言いたくなるよと思いましたし、でもそんなんじゃトートは嫌なワケで、ルドルフの棺から飛び降りてシシィと距離を取るその素軽さが本当にトートの若さと怒りの表れのようでいっそすがすがしく、からのかなりマジで悔しそうな「死は…逃げ場ではない!」という言い方には自分が死であることのプライドすら窺えて、正当に扱われないことに苛立っているようでもあり、また所詮自分たちは交わり相容れることはないのだろうかという絶望感も感じられて、今度はトートが哀れでかわいそうで泣けました。上手の壁にすがってからの銀橋「愛と死の輪舞」リプライズの、せつせつと愛を乞う様子にももうキュンキュンきてタイヘンでした。
 そう、今回ものすごーく芝居っぽいのと同時に、ものすごーくちゃんとラブストーリーになっているところが私には響くのかもしれません。私は愛の、特に恋愛の物語が大好物なんですよ。自分が恋愛体質ではないだけに、余計に。
 そうしてトートはシシィを待って待って、シシィも生きて生きて、ついに、やっと、ひとつになれて。シシィを迎えたトートがするキスは彼女の最後の一息を奪うかのようで、まったくためらいがないのもいい。そしてシシィは一度死に、すぐにトートの腕の中で新たに目覚めるのでした。
 昇天場面は大劇場の時にはふたりともずいぶんと複雑な、あるいはやや薄ぼんやりした表情をしているように見えてややとまどいましたが、東京では晴れやかな満面の笑みとまではいかないけれど、静かな自信や希望をみなぎらせているような、深い表情になったかなと思いました。だからなんか安心して、最後の最後まで見送れて、幕が下りるのに自然と拍手ができました。

 他に印象的だったのはくらげちゃんヴィンディッシュかな。
 私はこのキャラクターに関しても実はあまりよくわからないというかピンとこないというか正直あざとすぎないかと思わなくもないくらいなんですけれど、扇の交換がある演出に戻っていたのは嬉しかったし、くらげヴィンディッシュはあんまりフラフラしていなくてまっすぐ病んでいる感じがとてもいいなと思いましたし、だからこその医師たちに拘束されかかってからの狂乱や怯え、震えが痛々しくて、それをちゃぴシシィが本当にぴったりかき抱くものだから、それはもう泣きましたよね…
 ゾフィーのすーさんもこれでご卒業。あんまり怖く作っていなくて、そこはかとなくチャーミングで、私は好きなゾフィー像でした。
 るうちゃんツェップスにはもう少し押し出しがあってもいいかなー、と思ったかなー。私はツェップスはもっと、というかちょっとワルそうな方が好きなのかもしれません。
 なっちゃんのルドヴィカはとてもよかったですね。というかこの一家が意外にちゃんと仲良さそうなまっとうそうな感じがとてもよかったです。たとえ父親が家庭教師とがっつり浮気してそうでも(^^;)、基本的には健やかでまっすぐな家庭で、だからシシィもそう育ったんだな、と自然と思えました。私は時ちゃんが苦手なんだけれど、ヘレネもとてもいいお姉さんでしたもんね。そしてこちらもヘンにコミカルすぎたりかわいそうすぎに作っていないところがとてもよかったです。
 ゆりちゃんグリュンネはイケオジだったなあ…まさか娼婦をふたり抱える役が回ってこようとはねえ(笑)。ひびきちとヤスも渋くて素敵でした。からんちゃんのラウシャーはさすがに上手くて、宅配のくだりで毎度笑いが取れるのが本当にすごいと思いました。
 さちか姉さんがマダム・ヴォルフをやり過ぎていないのがまたよかったです。もっと下品だったらヤダなと密かに案じていたので。れいこルキーニとの絡みもそんなに濃厚ではなかったこともあったのかもしれません。
 はーちゃんリヒテンシュタインはとてもよかったなあ! きびきびしていて有能そう。
 さくさくはぐっと綺麗になって女官の中でも目立っていましたし、エトワールも素晴らしかったです。
 次期トップ娘役というだけでエトワールをやらせるなんて、みたいな言い方をする人もいましたが、普通に考えて今の月組の歌姫枠の中にさくさくは十分入ると思うんですよ…フィナーレの群舞で珠城さんを見つめるまなざしが抜きんでて熱くて、ああ相手役を持つってこういうことなんだなあと胸熱でした。たまさくコンビも楽しみです!
 エルマーとシュテファンとジュラは役替わりのせいもあって(ジュラはずっとぐっさんだけれど)私がいろいろ見切れないうちに終わってしまったかな。れんこんはええ声なんだけれど、もう一押し何かがほしかったかもしれません。特に比較して観てしまうということはなかったと思うのだけれど…うーむ。
 あとは黒天使の身体能力の高さに改めて瞠目しましたね…! あちの踊りってホント半端ない。ぎりぎりも存在感があって、でもるねっこがみんなをがっちり統率していて、全員が素晴らしかったと思いました。珠李ちゃんマデレーネはわりと想定内だったかな、こちらはもう少し色気が欲しかったかもしれません。

 そしてフィナーレのデュエダン、やはり泣かされましたよね…ちゃぴの白いドレスでのセリ上がり、たまらんかったです。
 基本的には本編のイメージをまとっている振り付けで、最初のうちはちゃぴの表情は固く、珠城さんから逃げようともがいたり抗ったりします。でも、珠城さんが抱いたちゃぴの身体をゆーっくり傾けていって、ちゃぴがついに身を任せて安心して伸びきって腕を広げて、そこから珠城さんの支えもあるけれどすっと自身の背筋で起きてからは笑顔が出るんですよね。そこがいい。珠城さんは急にニコニコになるわけではなくて、そこがトートを引きずっているようでもあり、あくまでちゃぴを立て誠実に見送ろうとしている真面目な珠城さん自身が出ているようでもあり、銀橋センターでのフィニッシュまで片時も目が離せませんでした。
 はー、素晴らしかったなあぁ。東京初日はこの笑顔を見るためにやや見飽きた本編を耐える価値があるんだな、とすら思いましたし、マイ楽ではその本編にもダダ泣きしてからのこのゴールの笑顔にもう感無量でした。

 『1789』のアントワネットがターニングポイントだったとはよく語られていましたが、ある種の満足や達成感を感じて卒業も意識し始めた、みたいなことも聞き、この頃にはまだむしろ自分が先に卒業してまさおに見送られるくらいのつもりでいたのかもしれませんね。けれど逆にまさおに見送ってくれと言われたのか、はたまた劇団から同時退団もやめてくれと要請されたのか、残ることを選択して。でもそれは同時に次期トップスターの珠城さんの相手役も務めることになるということで。
 おそらく自分が卒業を意識したときに、そろそろトップ娘役の座を後輩に譲ってあげたいとか、珠城さんにはまた新しいより下級生の若くフレッシュな相手役を与えてあげたい、みたいなことは考えていたりしたんじゃないかなと思うんですよね、そこは一個下の仲良しとして。なのにいろいろな事情が重なって自分になって、それでいいのか、みたいな葛藤がわりと深くあったんだな、とスカステのサヨナラ番組なんかを見て感じられて、ちょっと意外でした。背が高いことを気にしているふうはあったけれど、それはまさお相手でも同じことだしむしろ珠城さんと並びの方が見栄えがいい気がするし、学年が近すぎてルリルリした感じにならないことを気にしているふうでもあったけれどそれも珠城さんのある種の質実剛健さに合っていたとと思うし、何せ当の珠城さんが安心してやれている感じがして私は本当にいいトップコンビだと思っていたんですけれどねえ。でもちゃぴはそういうプレッシャーも泣きながらもがいて乗り越えて(ホント泣き虫っぽいですよね、そこがまた愛しい)、またさらに一時代を築いてから羽ばたいていくことになった…本当によかったです。だってあのグルーシンスカヤルイ/ルイーズが存在しなかったとしたら…なんて考えられませんもの!
 芸能活動を続ける意志はあるような話もチラホラ聞きますし、卒業後も楽しみです。でもまずはこの公演を元気に務めあげてほしいです。千秋楽のライビュは手配できていないけれど、なんとかなると信じています見たいです。その日まで、さらなる進化と輝きを、期待しています!!










コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平野啓一郎『マチネの終わりに』(毎日新聞出版)

2018年10月20日 | 乱読記/書名ま行
 天才クラシックギタリスト・薪野と、国際ジャーナリスト・洋子。出会ったのは三度だけ。だが誰よりも深く愛した人だった…

 大空さんとの対談があったときか、ネットで公開されたときにさわりだけちょっと読んで、そのままにしていましたが、映画化が決まったためか書店に平摘みされていたので読んでみました。パリ旅行に行く前に前半は読んでいたので、なかなか楽しかったです。わざとだろうとは思うんだけれど、翻訳調みたいな文体と、トレンディドラマでもやらないようなベタなすれ違いとものすごいグローバル感が非日常ゴージャスさをあおり、真剣に読みつつおもしろがってしまうような、不思議な読書になりました。
 しかしこれまたある種の妊娠小説なんですよね…結局のところそれくらい子供の存在は大きいということなのでしょうが、なのでやはり結果的に持たないままで終わりそうなこの人生でよかった、いつでもどこへでも行けるなんでもできる…と思えたのでした。産んでいたら、責任がありますから、そんなふうには生きられないのでしょうからね。
 お話は絶妙なところで終わっていますが、そこからも続くのが人生です。彼らがひとりの人間としてまた家族持ちとして、幸せに人生をまっとうできますよう祈りますが、まあ所詮はフィクションの人間だからな…と思ってしまったりもします。なんなんでしょうねこのアンビバレンツは…?


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Living Room Musica vol.6『スターのいるレストラン この宙の片隅に』

2018年10月20日 | 観劇記/タイトルさ行
 eplusリビングルームカフェ&ダイニング、2018年10月16日19時半。

 店長代理の十輝いりす、店員の妃白ゆあ、伶美うらら、青野紗穂、加藤潤一、岡本悠紀のいるレストランに、店長の悠未ひろが隕石とともにやってきたという人造人間NANOIを連れてくる。彼女に人間のハートを教えるために、愛の歌を歌う店員たちだったが…
 脚本・構成・演出/岡本寛子、音楽/伊藤辰哉、振付/AYAKO。ライブステージのあるダイニング・レストランで展開されるライブ・ミュージカル、全2幕。

 宝塚OGが何人も出演して何度も上演されているのは知っていて、ずっと興味があったのですが、宙組編とあってお友達と出かけて参りました。15人くらい座れる大きなダイニングテーブルに、他にお友達が3人もいましたよ(笑)。現役生の会のお友達にも何人か会いました。
 事前に席にあったセットリストには宝塚のナンバー以外にもそうそうたるミュージカル・ナンバーが並び、なのに始まった寸劇は「は?」ってなもんで(^^;)どうなることかと思いましたが、なんせ舞台と客席の距離が近くメンバーはテーブル間をくまなく動き歌い踊り、いつしか愛の歌の洪水に巻き込まれていったのでした…人造人間がハートを取り戻すとき、乙女ポーズをするのだと初めて知りました(笑)。
 てか1曲目が『逆転裁判』の「蘇る真実」ってのがもうテンション上がりますよね! からの、ともちんジョン卿とまさこビルの「愛が世界をまわらせる」、ともちんトートにまさこフランツにゆあちゃん、ゆうりちゃんシシィの『エリザベート』メドレー(加藤くんと岡本くんの美容師とメイドもよかった(笑))、かと思えば『ヘアスプレー』や『RENT』、『ドリームガールズ』! 「One Night Only」は可愛子ちゃん3人で歌うのかなと思っていたのに、まさかの女装男子ふたりが羽扇持って、センターはドレス姿のともちんで! はーええもん見た。また私が大っ好きな「Listen」は青野さんが超ソウルフルでパンチとパッションにあふれた熱唱を聴かせてくれて、思わず泣いちゃいました。そして宙BSWでも歌ったゆうりちゃんの「ダンスはやめられない」、ともちんの「星から降る金」…! シメは「明日エナ」で、このときのために私たちは『シト風』に通って手拍子スキルを上げてきたんだわ!とまで思いました。もう大感動でした。
 ゆあちゃんがこんなに歌えるなんて恥ずかしながら知らなかったし、ともちんもまさこも未だすららんとカッコ良くてスタイル良くて低音もよく出て歌も現役の頃より上手くなっていて、ゆうりちゃんはホント美貌でピカピカでニコニコで女神でこれまたアルトがよく響いて、みんな楽しそうだったしこちらもとても楽しかったです。
 カーテンコール中のみ撮影オッケーで、終演後もお手紙やプレゼントくらい渡せるかなと思っていたら客席に出てきてくれて歓談したりツーショットに応じてくれたりで、会活動をしていなかったけれどずっとファンだったお友達は震えていたし、友達みんなでスターを囲んじゃった写真はお茶会のテーブル写真みたいな出来になったし、もう本当に天国でした。かつて宝塚で日比谷で劇場で路上で(^^;)、彼女たちを見つめ待ち見送りしてきた日々がこういう形で結実したんだなーと思うと感慨深いです。帝劇とか日生とかの海外ミュージカルにバリバリ出演するような芸能活動以外にも、歌とダンスとステージと観客を愛す活躍をしていってくれるなら、そして幸せでいてくれるなら、ファンにとってこんなにありがたいことはありません。
 いいお店でしたし、違うライブのときにも行ってみたいです。このシリーズ自体もまだ続くなら、メンバーによっては、そしてチケットが取れれば、また行きたいです。間違いなくコスパはいい! 飲食にも払う価値がありました。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『まさに世界の終わり』

2018年10月20日 | 観劇記/タイトルま行
 DDD青山クロスシアター、2018年10月15日19時。

 不治の病を得た主人公ルイ(内博貴)は死を前に長らく帰らなかった実家を訪ねる。さまざまな想いが去来する母(那須佐代子)、浮き足立つ妹シュザンヌ(島ゆいか)、苛立つ兄アントワーヌ(鍛冶直人)、ルイとは初対面の兄の妻カトリーヌ(大空ゆうひ)。ルイは帰郷の目的をなかなか言い出せない…
 原作/ジャン=リュック・ラガルス、翻訳/齋藤公一、上演台本・演出/石丸さち子。1995年に38歳の若さでAIDSのために死亡した作家の戯曲で、2016年に『たかが世界の終わり』として映画化もされた。全一幕。

 『カントリー』以来の劇場でしたが(元記事で「クロスセンター」と誤記しています、すみません…)緊密でいい空間でしたね。先に兵庫、名古屋、藤沢で上演されて、ことに兵庫は大きな劇場だったそうなので、そこからかなり演出も変えたそうです。たとえばマイク使用でなく生声にしたこともそのひとつだとか。私は、役者が演じる役の表情や態度の変化が手に取るように見える距離、感情がビンビン伝わる空間でこのお芝居が観られてたいそう満足しました。
 兵庫公演時の評判は私が聞いたうちではあまりかんばしくなく、難しいとかおもしろくないとか自分には合わないとかいった意見ばかり聞こえてきていたので、まあ大空さんが選ぶ芝居だし癖があるんでしょうよとやや身構えて出かけてきましたが、難解ということはまったくないと私は思いましたし、私はとてもおもしろく観ました。ある程度の屈託を抱えた家族の物語として、そして病気の罹患にかかわらず死に向かって生きる人間の物語として、とても普遍的なものだと感じました。よくできているなと感心しましたし、いい幕切れだなと感動しました。
 演出家も「リアルな会話劇ではない」と言っているのだけれど、この芝居の台詞は、登場人物が実際に口に出したものではなくて、むしろしゃべりながら考えている心の中の想いをそのまま言葉にするとこうなる、というものを延々発話しているのだと私は思いました。だから行ったり来たりするし何度も意味なく同じ言葉を繰り返したりするし、なのに補語がなくて何について話していることなのか外から聞くとわかりづらく、混乱するしイライラさせられる。けれど当人にとってはそんなの自明のことだから省いているのであって、ある程度登場人物にシンクロしたり状況や心境がうまく想像できたりすれば彼らが言いたいことが見えてきて、その想いも態度もなのに口に出す言葉が違うことも理解できる。愛情がないわけではない、むしろありすぎるほどある。だって家族だから。でも家族だからこそ甘えたり、カッコつけたり、過信したり、誤解したり、見なかったことにしたり、期待しすぎたり、こじれたりする。そういうドラマを描いたものだなと思いました。
 ルイは作家の反映のようなキャラクターかもしれないけれど、彼の病気がなんなのかが作中で明示されていないのは別になんの病気でも話の本筋に関係ないからだと私は思いました。確かにそれがAIDSで、彼が同性愛者で、芸術家気質で家族から浮いていて早く家を出て…となれば納得しやすくはあるのかもしれないけれど、でも別にそういう状況以外でも、家族のひとりがなんとなく浮いていてみんなが気を遣って屈託を抱えてしまって…というのは、わりとよくあることなんじゃないかなと私は思うのです。自分の家族を振り返るに、うちは両親が未だラブラブでそれは微笑ましいのだけれど、両親と私と弟とで完全にわかり合ったニコニコの仲良し家族かと言われるとそんなことはないとしか言いようがなく、それは別に仲が悪いとかソリが合わないとかいうことではないんだけれど、私には親の前ではいい子ぶるというか子供ぶるところがあって、たとえば母親となんでも話せる女友達のような親友のような関係になんてなれたことは一度もないですし、なんかそういうもどかしい距離感を感じたりもしているのです。そしてブラックシープをひとり抱えて代わりに他のみんなが和気藹々、みたいな家族ではなくてそれは本当によかったけれど、たとえばルイの一家はそういうことだったんじゃないのかなと思いました。誰のせいでもなくそうなってしまったのかな、と。
 次男が美しく賢くちょっと変わっていて浮いていて、母親もなんか気を遣っていて、それに苛つく長男とか、下の兄の記憶がほぼないままに育った妹とか、夫としても子供たちの父親としても頼もしい一方で危うさを抱えている男を愛し支えかばっている女、そして全員を自分の家族としてなんとかまとめようとしている母親。当の次男も、そう生まれついてしまったのは彼のせいではないので、自分でもなんともできないでいる。ただ、死を前にして、離れてしまった家族と歩み寄りたいと思いはして、帰郷する。でも、結局何も言わないままに去る。それが人生。
 彼が死んだら彼にとっての世界は終わります。けれど彼がいないままに、実は世界はあり続けていく。それは彼にはどうしようもできないことです。彼は自分自身とともに終わる世界を受け入れるしかない。それが死ぬということなのでしょう。そしてそれは誰にでも訪れることなのです。そういう普遍的な悲しさ、けれど美しく尊いとしか思えない人生、生き様といったものが舞台上には確かに描かれていたと私は思ったので、それで十分に感動したのでした。

 内くんは、私は『ギャツビー』のときの浮きっぷりより全然よかったと思いましたし、すごくルイっぽくてよかったと思いました。膨大な台詞には本当に苦心させられたでしょうけれどね。
 そしてこの家族の物語の中で唯一、生まれながらの家族ではない者、姻戚としてあとから家族に加わった他人、という立場の女を演じる大空さんが、別になんてことない格好しているんだけれど美しい稀れ人に見える感じとか、本当は聡明なのにやや粗暴な夫のためにあえて愚鈍に振る舞ったり、その裏ですばしこく立ち回って家族の平穏を維持していたりする様子が窺えて、本当にいいキャスティングだなと思いました。そして十年後か二十年後には母親を演じるようになるとおもしろいのかもしれない、あいかわらずいい女優さんだよねと思わせられました。
 他の役者もみんな達者で、よく緊張感を保って緊密な芝居を作り上げていて、強靱でした。
 セットのツタは、家屋の中まで浸食してくるようなまがまがしいほどの生命力、みたいなものを表していたそうですが、私は森の中のようなハストラルさと、けれど本当はそんなことはないはずなんだからその不穏さと、を表しているように思っていて、いい効果だなと思いました。照明、音響効果もよかったです。満足。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝塚歌劇星組『デビュタント』

2018年10月14日 | 観劇記/タイトルた行
 宝塚バウホール、2018年10月13日11時。

 19世紀のフランス。男爵家の次男として生まれたイヴ(瀬央ゆりあ)は、家督を継ぐ必要もなく早くに実家を出ていたが、定職にも就かず上流階級相手の便利屋のようなことをしていた。あるとき、イヴは社交界デビューの場となる舞踏会、デビュタント・ボールを取り仕切るリーズ侯爵夫人(音波みのり)から、これまで一度も人前に出たことがないという伯爵令嬢ミレーユ(星蘭ひとみ)のエスコートを頼まれる。イヴは友人の古美術商のビュレット(紫藤りゅう)とその妹ナタリー(桜庭舞)から改めてワルツの指南を受けなければならない有様だったが、舞踏会当日、ミレーユの緊張をほぐそうとするうちにイヴのリードは舞踏会にふさわしくないものになり…
 作・演出/正塚晴彦、作曲・編曲/玉麻尚一、振付/伊賀裕子、平澤智。星組4番手スターの初主演作、全2幕。

 何度も何度も書きますが、私はそれこそデビュー(笑)が『メラジゴ』だったため、ハリーの作風が好きですし評価が甘い自覚もあります。意外と浅薄な知識とイメージだけで書いている感のある古美術商とか故買屋とか王侯貴族とか革命とかテロリストとかのモチーフも嫌いではありません。しかしいつまでもいつまでも縮小再生産ギリギリの同工異曲を繰り返していてもいいものなのでしょうか。作家って、書きたいものが次から次に湧いてきて自分でも止められなくて、懸命にプレゼンし発表の場を獲得して、渾身の力で練って盛り込んで仕上げて発表して、評価される…ものなのではないのでしょうか。なんとなく順番に登板機会が回ってくるので、じゃあ、と冷蔵庫開けて入っている材料でちゃちゃっと料理して出すか…みたいな態度は許されないものなのではないでしょうか。でも今、私には、ハリーの創作活動は残念ながらそう見えます。
 ウィーンのものが有名ですが、今なおヨーロッパには貴族階級なんでものがあるのか極東の島国のド平民たる私にはわかりませんが、デビュタント・ボールなるものがある、ということ自体は私でも知っています。少女漫画とかからかつて得た知識です。それが、近年ではオートクチュールのドレスや宝石の発表の場になっている、というのは初耳でしたし、おもしろいなと思いましたし、そこから着想を得て…というならそれは目新しいはずなのですが、しかし他はあまりにいつもの…そしてところどころ劣化している部分もあるハリー脚本で…そんな仕事の仕方でいいの本当に?と首根っこ捕まえて揺さぶってやりたい気分です。
 その宝石が盗難に遭って、その解決を主人公が頼まれて…というのは、いい。でも結局、主人公はなーんにもしないままに事件は勝手に解決しちゃうんですよね。それもこれも朝水りょうがカッコいいからですよ。そりゃ正解ですよ? この生徒の正しい起用法ですよ? イヤ正確には、朝水りょう演じるアダム、「とある組織の幹部」(「幹部」なのか? ボス、首領ではなかったのか?)がとてつもなくいい男、というかプライドみなぎるすんばらしい人格者だったので、さくっと善処してくれちゃうわけですが、しかしそんなんでいいのかストーリー運びとして? 主人公の活躍をもう少しくらい描くべきではないのか?
 またその主人公像が、要するにハリーお得意の、というかよくある、というかおそらくご自分の理想の青春時代、生き方、見果てぬ夢なんでしょうが、単なるモラトリアム青年、にすぎないんですよね。この作品は、デビュタントをエスコートするよう依頼された実はモラトリアムの青年が、真の人生にデビューすることになるまでの経緯を描いた物語…というのかキモであり、そのワンアイディアだけの作品なんだけれど、本当にそれしかないので、もっと凝れよ盛れよ作家だろ?と言いたい気分になるのです。エンタメなめんなよと言いたい。
 カモフラージュのタイトルロールたるミレーユのせーらちゃんがヒロイン扱いされていないのも引っかかりました。まあこれはハリーのせいではなくて組の人事都合なんでしょうけれど、新公ヒロインもきっちり務めている、劇団が押しに押している美人娘役なので、これが初バウヒロインかと思っていただけに意外でした。どうした急にこの扱いは? マメちゃんが歌えるのは知っていますが、組替えしてきたばかりの生徒だし、並べるほど今後起用する意図があるというの? でもなんかちょっとルリルリしていないというか、上手いしお化粧も綺麗なんだけれど、娘役さんというよりは女優さんっぽくて、私はそれより何もできなくてもせーらちゃんの娘役としての華がとにかく素晴らしいと思っているので、これが人事上の都合だというならホント謎です。
 まあでもまこっちゃん嫁はくらっちで決まりで、そのあとはなんとも読めないからな…せおっちなのかどうか、という点も含めてね。これは私がせおっちの顔があまり好みじゃなくてピンときていないせいもありますが(しかし最近本当に垢抜けてきたとは評価しています)、今回もしどりゅーが本当に上手くて華もあって、このまませおっちの2番手ポジションみたいなところしか与えないんじゃもったいないんでじゃないのぴーとかかりんとか詰まってるけどならたととえば組替えしたらもっと活躍できたりしないの?とか妙に心配になってしまったからで、人事のことは本当にわからないし余計なお世話なのでしょうが…ホント謎でした。
 水乃ゆりちゃん含めトリプルヒロインで、男役陣もせおっちしどりゅーかりんと揃えてフィナーレも3組デュエダンで…とかならまだよかったと思うのですが、男1女2のパ・ド・トロワは『太陽王』のときにも言ったかもしれませんが男役が単なるプレイボーイに見える、というか女を両天秤にかける最低の男に見える気が少なくとも私はするので、スターの人気を上げるためにはあまり得策ではない気がするのですよ…ラストにイヴとナタリーが話すくだりがあったのだから、そのあとイヴとミレーユの場面も作って、「あなたのおかげで人前に出られるようになった。感謝している、愛してる。あなたがどこに旅立とうと、あなたの帰りを待っているわ」とか言わせてヒロイン扱いしてあげてもよかったと思うんですけどねえ…てかその方が自然だし、マジで客ウケがいいと思います。女は男が考える以上に一夫一婦制を支持しているものですよ、というかフィデリティ上等、と思っているものなのです。一対一のロマンチック・ラブ・イデオロギーには下手に喧嘩を売らないことをお勧めします。
 しかし水乃ゆりちゃんは、確かに当初はダンサー抜擢だったと思うし美貌に注目してきましたが、いざしゃべらせ歌わせたら発声の訓練が全然できていなくて、今後も路線で起用する気があるなら早急になんとかしてください、というレベルでしたね。可愛い顔して意外にかかあ天下っぽい役作りは良くて、脚本なのか本人の芝居なのかはわかりませんが、そこは期待したいなとは思ったんですけれどね。
 それからかなえちゃんとかとりーぬもある種正しい起用だと思うのだけれど、かなえちゃんのマイク音量含め、もうちょっと調整しないと笑えなくてイタい…
 この両親から繊細すぎてある種イタいミレーユが生まれるのはもしかしたら当然のことのようだし、ちょっとダイコンっぽいせーらちゃんのこれまた正しい起用法でもあると思うのですが、だからこそヒロインとしてきちんと遇してあげてほしかったです。
 でもナタリーとミレーユのシスターフッドには痺れたけどね! 気っぷのいいお姉さんキャラ、みたいなのはハリーあるあるなんだけれど、路線娘役で作ってきてヒロインにとってのヒーローはほとんど彼女だろ、という作りは新しかったです。だからこそイヴはひとりで旅立てるのかもしれないけれど、これもやりすぎちゃうと、なら男も男役もいらないよ女たちで勝手にやるよ、にいきつくので注意が必要なんです。そういうところ、わかってる?ハリー。
 イヴも何もしていないんだけれどビュレットも何もしていないことは私はけっこう気になりました。しどりゅーにポテンシャルを感じただけに余計にね。
 事件に対し活躍はしないまでも、主人公にもっと有意義な助言をする役まわりにすることはできたはずだし、主人公の対比としてもキャラクターをもっと作り込む余地はありました。イヴが、自分が何を好きで何をしたいのかわからずさまよっている青年なのだとしたら、ビュレットは本当に古美術が好きでロマンを感じていて商売をしていることにするか(そんなような歌を一応歌わせているつもりなのでしょうが、甘い)、好きではないけど親から継いだ仕事だし家族を食べさせるために仕方なくということにするか(イヴは次男で家督を継げないのでこれしいい対比になります)、好きではないけど目利きの才能に恵まれてしまったので生計のために仕方なくとか、とにかくもっと掘り下げることはできたでしょう。妹もいるしステディな彼女もいて、ちゃんと結婚して、自由はなくなるようでイヴをうらやましがったりもするけれど、明らかに充実して見えるのはビュレットで…というふうに描けたら、もっと際立つのになー。しどりゅーはハリー芝居の「明るい親友役」を非常にきっちり演じていたとと思いました。
 それで言うとせおっちってもっとホットだったりウェットだったりするところが長所だし持ち味だと私は思っているので、ハリー芝居をやるにはもう少しドライにアンニュイにやってほしかったかな…とは思いました。そういうところがやっぱりミスマッチで、当て書きできていない感が気に障ったんですよねえ…ホント仕事なめんなよハリー!
 私が「何もできない、だが愛しい」と愛でているかりんちゃん(オイ)は、ハリー芝居のこれまたあるあるのお堅い刑事の役を意外にもきっちり務めていて、とてもよかったです。本人もはるこも意識していないだろうしそう作っていないのでしょうが、リーズ侯爵夫人とオットー(極美慎)の間にはナニかありますよねでなきゃ依頼しませんよねオットーも警察の業務以外としてわざわざ引き受けたりしませんよねドキドキ!?みたいな隙間が見えたのも個人的にはツボでした。フィナーレで一瞬このふたりが組んで踊るのに、盛大にたぎりました私! (笑)
 そして最近とみに素晴らしいはるこには役不足で残念…
 あまじぃにはミサノエールみたいなことをやらせたかったんだろうけど、そういう十年一日のことでいいの?ハリー、としか言えません…

 下級生にはいい経験になっているのかもな、とも思うのだけれど、他にはほぼ役がないし、みっちり指導してハリー芝居をさせている感じもしないので、どうなのかなあ…せおっちがデキる人でファンも多いと聞くだけに、せっかくの主演作を、もったいなかった気が私はしてしまいました。
 が、それも含めてどうにかするしかないのがスターだ、がんばれ!
 そして劇団は作家の育成と起用について真剣に考えてください、マジで…



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする