宝塚大劇場、2018年8月24日15時(初日)、9月4日11時。
東京宝塚劇場、10月19日14時半(初日)、25日18時半。
1853年、バイエルン王国。15歳のエリザベート(愛希れいか)は常識やしきたりに捕らわれない父マックス(輝月ゆうま)の自由な生き方に憧れを抱き、気ままに少女時代を過ごしていた。ある日、綱渡りに挑戦しようとした彼女は、足を滑らせてロープから落下し、意識不明の重体に陥ってしまう。生と死の狭間を彷徨うエリザベートを冥界の入り口で迎えたのは、黄泉の帝王トート(珠城りょう)であった。彼が死の口づけをしようとしたそのとき…
脚本・歌詞/ミヒャエル・クンツェ、音楽・編曲/シルヴェスター・リーヴァイ、潤色・演出/小池修一郎、翻訳/黒崎勇、音楽監督/吉田優子。1992年ウィーン初演、1996年に宝塚歌劇雪組で日本初演の大人気ミュージカル、10回目の上演。全2幕。
初日の感想はこちら、直近の宙組の感想はこちら。
もう一生分観たとも言いましたし、そもそもそんなに好きな作品じゃないともストーリーとしてどうにも納得がいってないとも語りましたが、東京での二回の観劇が一度は自力で友会で当てた初日SS5列目どセンター、次がお友達のおかげで座らせていただいたSS4列目どセンターだったこともあって、多くの人が言う歌ばかりのザッツ・ミュージカルなのにもかかわらず今回は本当に芝居らしい芝居になっているこの作品をそれはもう間近でたっぷり堪能できて、うっかりダダ泣きしてしまったりしたこともあり、今や大劇場で唯一チケットがあったBパターンを観るために台風にもかかわらず遠征し結果阪急まで止まって大劇場ロビーでお友達と6時間以上しゃべりつつ運転再開を待ち新幹線も止まっていたので梅田のレディースサウナに泊まって翌朝始発ののぞみグリーン車で爆睡して帰京してそのまま出社して働いたのもいい思い出になっています。
それでもやっぱり、そんなにまでして観たいかと言われたら、両パターン一度ずつ観られたのでそれで十分、あとは余禄、他にもたくさん観たい方がいるのだろうしそちらでどうぞ、また次に再演されてもそれくらいの感じで観られれば私は十分です、というくらいのスタンスではあります。イヤこれだって十分尊大な態度でホントすみませんなんですが、やっぱり正直なところとしてはそんな感じなのです。大きな演出の変更はなく、もう完全にできあがっている作品で、音楽も素晴らしいしファンも多いのもわかるけれど、だからってやっぱり通いまくっちゃったらそら飽きるだろう、というか…まあ、それはなんでもそうなんでしょうけれどね。
でも、キャストを通して、それこそ自分でも驚くくらいに泣くくらいに新たに発見したこともあったので、それは新鮮な驚きとときめきとともに記録に留めておきたいと思います。今回はそんな記事です。
ちなみに今回は珍しく東西とも新公は都合が合わなくて観られず、残念です。新たな伝説が生まれていたりしたら…悔しいなあ。でもまあ仕方ない、そんなこともありますよね…
さて、まずは珠城さんトート。やっぱり初の短髪にトライしてもよかったのになー、長髪好きとかイケコってホント古いタイプのオトメだよねー、とか思いますよ(^^;)。お稽古場での普通の髪型にきつめのメイクの珠城さんが超絶カッコ良かったので、銀の短髪の珠城トートとか本当に見てみたかったものでした。
まあ外見はともかくとして、やはりこれだけ歌うと本当に体力的に消耗するのか、さすがの珠城さんも少し痩せてバンと張ってた太腿もお衣装が浮いて皺が寄るようにも見えましたが、二重気味の顎は健在で嬉しい限りです(笑)。頬のあたりが少しシャープになって死神としてはいい感じですし、それでもガタイの良さはあいかわらずで頼もしげなのもいいですね。
まぁ様のときは歌が劇的に上手くなっていて『エリザ』レッスン恐るべし…!と思ったものでしたが、珠城さんは残念ながらそこまで劇的な変化はないというか、私が愛する癖とか出ない音とかがわりとそのまんまなところも愛しいです。でももちろん当人比でさらに上手くなっているし、なんせハンパでない量を歌ってはいるので、大変は大変でしょう。喉の負担が見える生徒も多く、大劇場ではみやちゃんの休演などもありましたが、珠城さんは大黒柱として中心にどかんといてくれているので、みんなもふんばれているところがあるのでしょう。そしてそこから、いかにも月組らしい、登場人物の人柄や生き様が立ちのぼる、芝居らしい芝居としてのミュージカルを作り上げられているところが、新しく、素晴らしかったです。
珠城さんはガタイがいいし美少年系というよりは男臭い系なんだけれど、マッチョだとか粗暴だとかワイルドだとかいうよりは優しく真摯で誠実なニンなので、そのトート像もむしろフェミニンなくらいに、柔らかで優しく、感情はかなり露わにしつつも耐えて待ってくれる誠意あるトートで、かつなんか素直でまっすぐで、もうキュンキュンしましたね。クールなのが似合う人はそう作ればいいし、でもこういうトートもアリなんだな、それでも黄泉の帝王だし死神なんだよな、と納得させられたのは大きかったかと思います。
人間の女を愛してしまう、という点でそもそもフツーの死神(ってナニ?って感じですが(^^;))の枠を踏み外しているのだろうし、だからそれでいいんですよね。青い血は流れてなさそうだし握手もその肌もあんまり冷たそうじゃないですが、それでも人間とは違う異質さ、違う次元にいる本当なら交わらない異形の者、底知れなさ、謎の大物感みたいなものは漂わせることができていて、いいトートだなと思いました。
そしてこれで退団となるちゃぴ。まずもって歌が安定していて上手いことが素晴らしい。こんなにビッグな娘役スターになるとは思っていませんでしたが、ことに歌は、ダンスに比べてあまり語られることがなかったと思うけれど、本当に普通に上手くてそれはとても立派なことで、もっと評価されていいし、演技と三拍子揃ってなお破格な大スターになったなと改めて痛感させられました。本当に素敵でしたし、美しく、愛らしく、強く、悲しく、素晴らしかったです。
冒頭の詩の朗読があんなにお芝居として成立しているのを初めて目撃した気がしましたし、本編に入って最初のナンバーである「パパみたいに」がまゆぽんの上手さもあってこれまたあんなにお芝居の一場面のようになっているのも初めて観ました。ここでちゃぴシシィのキャラがぐっと立つから、観客は物語にぐっと引き込まれるんですよね。彼女は単なる野生児とかわがままなお転婆娘とかではないんです、もっと器が大きいの。それで窮屈さに不満なの。まっすぐ自由に羽ばたきたいとだけ念じている、すこやかで優しい、ごく普通の少女なの。そのまっすぐさが美しく、悲しいの。だって世の中のものごとは何もかもそうまっすぐには進まないものだから…
みやちゃんのフランツがまた、プログラムの写真なんかはだいぶ高慢な表情を作っていてそういう皇帝で行くのかなと思いきや、これまたすごくまっすぐで優しくてだからこそ不器用で弱い、なんとも言えないいいフランツで、だからこそシシィとのすれ違いがせつなく悲しくてよかったです。女々しく聞こえかねない裏声の高音も今回に限りとてもよかったかと。 なんか私、今まで、どの娘役も何故みんな『エリザ』をやりたがるのか今ひとつ納得できなくて、そりゃ大役だしタイトルロールだし実質主役で主人公だし半生が演じられるし大曲あるし綺麗なドレスがたくさん着られるしやり甲斐はあるんだろうけれど、でもそんなにいい役かなあ?と不審だったのですが、今回の公演で、こんなにも熱くトートとフランツから愛されるシシィを見て、ああ、なんかヒロイン冥利に尽きるのかもしれないな、と思い至ったんですよね。それに足る女性像を作り上げ、真ん中で凜と輝いてみたい、と女優なら誰でも思うんだろうな…とやっと納得できたのでした。ふたりに愛されてちゃぴはまさしく輝いていました。それで泣けた、というのも、ありますね。
れいこルキーニは…私はもともとルキーニみたいなキャラクターにあまり興味がなくて、この作品におけるルキーニの役割とかポジションとかおいしさとかトップスターメイカーみたいになっているところとかがどうにもピンときていなくて、なのでれいこちゃんにも特に何も思いませんでしたすみません。狂気が薄いとか求心力が弱いとか言われるほどでもないと思うし、でもすごく主体的な狂言回しになっているようにも思えず、だいもんのときに感じた、この物語はそもそも彼の妄想なんだなと痛感させられる陰の主人公感もなかった、かな…どんなナリしてもとにかく美人だなぁ、とはしみじみ思いましたけれどね。あとフィナーレ群舞でめっちゃ嬉しそうに白い歯見せてのびのび踊っているのがホント色気ダダ漏れのイタリア美形って感じで、これは刺さりました。
今思ったけど、トートとルキーニの間に、特にトートの側からルキーニに対して、あまり交情みたいなものが見えなかったから萌えなかったのかな…ルキーニの方はトートを崇拝してるっぽくはあったんだけれど。うーむ。
そしてルドルフは、おだちんはきっちりしっかりやるだろうなと思ってはいましたが本当に過不足なく舞台を務めていてなんら危なげがなくて、ルドルフとしては視野が狭そうでそらパパと衝突するよみたいな感じはよく出ていて、メランコリックな風情はなかったけれど個人的にはこれはこれでいいルドルフなんじゃないでしょうか、という印象でした。
むしろありちゃんの方が私にはピンとこなくて、自分でも驚きました。ありちゃんのことはわりと好きなので。でもなんか、固いというか、おもろしみがない役作りに思えたんだよなあ…幼いというか。フランツとの衝突や革命家たちの中での立ち位置とか、なんかわりとぼやんとして見えて、よくわからなかったのです。
ただ、マイ楽の回の「僕はママの鏡だから」がすごく弱々しくて繊細で、なんかもう最初からここにも救いがなさそうなのがわかってそうでそれでもママにすがるような感じで、だからものすごく哀れに見えて、でもそらシシィも重く感じるよ逃げたくなるよとも思えちゃって、家族って難しいなあ、みたいな感情でついほろりと泣かされてしまったんですね。
からの、マイヤーリンクでのダンスリーダーっぷりはまあ置くとして(笑。しかしアレは仕方ない)、霊廟場面でのフランツの悲嘆もシシィの慟哭もすごく染みて、けれどふたりは長くは抱き合わず、フランツもシシィと悲しみを分け合えないことをより悲しんで去って行くように見えて、そんなみやちゃんフランツの哀れさに泣けました。そして私は子供を持ったことがないしこの先も多分持たないしそもそもあまり好きじゃないのですが、それでも、ああ子供を失う、死なせてしまうということはこんなにも心が張り裂けそうなほどにつらいことなのだろうなと真に迫って感じられて、ちゃぴシシィがかわいそうでかわいそうでダダ泣きしてしまったのでした。
そりゃもう生きるのやんなるよ死なせてよって言いたくなるよと思いましたし、でもそんなんじゃトートは嫌なワケで、ルドルフの棺から飛び降りてシシィと距離を取るその素軽さが本当にトートの若さと怒りの表れのようでいっそすがすがしく、からのかなりマジで悔しそうな「死は…逃げ場ではない!」という言い方には自分が死であることのプライドすら窺えて、正当に扱われないことに苛立っているようでもあり、また所詮自分たちは交わり相容れることはないのだろうかという絶望感も感じられて、今度はトートが哀れでかわいそうで泣けました。上手の壁にすがってからの銀橋「愛と死の輪舞」リプライズの、せつせつと愛を乞う様子にももうキュンキュンきてタイヘンでした。
そう、今回ものすごーく芝居っぽいのと同時に、ものすごーくちゃんとラブストーリーになっているところが私には響くのかもしれません。私は愛の、特に恋愛の物語が大好物なんですよ。自分が恋愛体質ではないだけに、余計に。
そうしてトートはシシィを待って待って、シシィも生きて生きて、ついに、やっと、ひとつになれて。シシィを迎えたトートがするキスは彼女の最後の一息を奪うかのようで、まったくためらいがないのもいい。そしてシシィは一度死に、すぐにトートの腕の中で新たに目覚めるのでした。
昇天場面は大劇場の時にはふたりともずいぶんと複雑な、あるいはやや薄ぼんやりした表情をしているように見えてややとまどいましたが、東京では晴れやかな満面の笑みとまではいかないけれど、静かな自信や希望をみなぎらせているような、深い表情になったかなと思いました。だからなんか安心して、最後の最後まで見送れて、幕が下りるのに自然と拍手ができました。
他に印象的だったのはくらげちゃんヴィンディッシュかな。
私はこのキャラクターに関しても実はあまりよくわからないというかピンとこないというか正直あざとすぎないかと思わなくもないくらいなんですけれど、扇の交換がある演出に戻っていたのは嬉しかったし、くらげヴィンディッシュはあんまりフラフラしていなくてまっすぐ病んでいる感じがとてもいいなと思いましたし、だからこその医師たちに拘束されかかってからの狂乱や怯え、震えが痛々しくて、それをちゃぴシシィが本当にぴったりかき抱くものだから、それはもう泣きましたよね…
ゾフィーのすーさんもこれでご卒業。あんまり怖く作っていなくて、そこはかとなくチャーミングで、私は好きなゾフィー像でした。
るうちゃんツェップスにはもう少し押し出しがあってもいいかなー、と思ったかなー。私はツェップスはもっと、というかちょっとワルそうな方が好きなのかもしれません。
なっちゃんのルドヴィカはとてもよかったですね。というかこの一家が意外にちゃんと仲良さそうなまっとうそうな感じがとてもよかったです。たとえ父親が家庭教師とがっつり浮気してそうでも(^^;)、基本的には健やかでまっすぐな家庭で、だからシシィもそう育ったんだな、と自然と思えました。私は時ちゃんが苦手なんだけれど、ヘレネもとてもいいお姉さんでしたもんね。そしてこちらもヘンにコミカルすぎたりかわいそうすぎに作っていないところがとてもよかったです。
ゆりちゃんグリュンネはイケオジだったなあ…まさか娼婦をふたり抱える役が回ってこようとはねえ(笑)。ひびきちとヤスも渋くて素敵でした。からんちゃんのラウシャーはさすがに上手くて、宅配のくだりで毎度笑いが取れるのが本当にすごいと思いました。
さちか姉さんがマダム・ヴォルフをやり過ぎていないのがまたよかったです。もっと下品だったらヤダなと密かに案じていたので。れいこルキーニとの絡みもそんなに濃厚ではなかったこともあったのかもしれません。
はーちゃんリヒテンシュタインはとてもよかったなあ! きびきびしていて有能そう。
さくさくはぐっと綺麗になって女官の中でも目立っていましたし、エトワールも素晴らしかったです。
次期トップ娘役というだけでエトワールをやらせるなんて、みたいな言い方をする人もいましたが、普通に考えて今の月組の歌姫枠の中にさくさくは十分入ると思うんですよ…フィナーレの群舞で珠城さんを見つめるまなざしが抜きんでて熱くて、ああ相手役を持つってこういうことなんだなあと胸熱でした。たまさくコンビも楽しみです!
エルマーとシュテファンとジュラは役替わりのせいもあって(ジュラはずっとぐっさんだけれど)私がいろいろ見切れないうちに終わってしまったかな。れんこんはええ声なんだけれど、もう一押し何かがほしかったかもしれません。特に比較して観てしまうということはなかったと思うのだけれど…うーむ。
あとは黒天使の身体能力の高さに改めて瞠目しましたね…! あちの踊りってホント半端ない。ぎりぎりも存在感があって、でもるねっこがみんなをがっちり統率していて、全員が素晴らしかったと思いました。珠李ちゃんマデレーネはわりと想定内だったかな、こちらはもう少し色気が欲しかったかもしれません。
そしてフィナーレのデュエダン、やはり泣かされましたよね…ちゃぴの白いドレスでのセリ上がり、たまらんかったです。
基本的には本編のイメージをまとっている振り付けで、最初のうちはちゃぴの表情は固く、珠城さんから逃げようともがいたり抗ったりします。でも、珠城さんが抱いたちゃぴの身体をゆーっくり傾けていって、ちゃぴがついに身を任せて安心して伸びきって腕を広げて、そこから珠城さんの支えもあるけれどすっと自身の背筋で起きてからは笑顔が出るんですよね。そこがいい。珠城さんは急にニコニコになるわけではなくて、そこがトートを引きずっているようでもあり、あくまでちゃぴを立て誠実に見送ろうとしている真面目な珠城さん自身が出ているようでもあり、銀橋センターでのフィニッシュまで片時も目が離せませんでした。
はー、素晴らしかったなあぁ。東京初日はこの笑顔を見るためにやや見飽きた本編を耐える価値があるんだな、とすら思いましたし、マイ楽ではその本編にもダダ泣きしてからのこのゴールの笑顔にもう感無量でした。
『1789』のアントワネットがターニングポイントだったとはよく語られていましたが、ある種の満足や達成感を感じて卒業も意識し始めた、みたいなことも聞き、この頃にはまだむしろ自分が先に卒業してまさおに見送られるくらいのつもりでいたのかもしれませんね。けれど逆にまさおに見送ってくれと言われたのか、はたまた劇団から同時退団もやめてくれと要請されたのか、残ることを選択して。でもそれは同時に次期トップスターの珠城さんの相手役も務めることになるということで。
おそらく自分が卒業を意識したときに、そろそろトップ娘役の座を後輩に譲ってあげたいとか、珠城さんにはまた新しいより下級生の若くフレッシュな相手役を与えてあげたい、みたいなことは考えていたりしたんじゃないかなと思うんですよね、そこは一個下の仲良しとして。なのにいろいろな事情が重なって自分になって、それでいいのか、みたいな葛藤がわりと深くあったんだな、とスカステのサヨナラ番組なんかを見て感じられて、ちょっと意外でした。背が高いことを気にしているふうはあったけれど、それはまさお相手でも同じことだしむしろ珠城さんと並びの方が見栄えがいい気がするし、学年が近すぎてルリルリした感じにならないことを気にしているふうでもあったけれどそれも珠城さんのある種の質実剛健さに合っていたとと思うし、何せ当の珠城さんが安心してやれている感じがして私は本当にいいトップコンビだと思っていたんですけれどねえ。でもちゃぴはそういうプレッシャーも泣きながらもがいて乗り越えて(ホント泣き虫っぽいですよね、そこがまた愛しい)、またさらに一時代を築いてから羽ばたいていくことになった…本当によかったです。だってあのグルーシンスカヤやルイ/ルイーズが存在しなかったとしたら…なんて考えられませんもの!
芸能活動を続ける意志はあるような話もチラホラ聞きますし、卒業後も楽しみです。でもまずはこの公演を元気に務めあげてほしいです。千秋楽のライビュは手配できていないけれど、なんとかなると信じています見たいです。その日まで、さらなる進化と輝きを、期待しています!!
東京宝塚劇場、10月19日14時半(初日)、25日18時半。
1853年、バイエルン王国。15歳のエリザベート(愛希れいか)は常識やしきたりに捕らわれない父マックス(輝月ゆうま)の自由な生き方に憧れを抱き、気ままに少女時代を過ごしていた。ある日、綱渡りに挑戦しようとした彼女は、足を滑らせてロープから落下し、意識不明の重体に陥ってしまう。生と死の狭間を彷徨うエリザベートを冥界の入り口で迎えたのは、黄泉の帝王トート(珠城りょう)であった。彼が死の口づけをしようとしたそのとき…
脚本・歌詞/ミヒャエル・クンツェ、音楽・編曲/シルヴェスター・リーヴァイ、潤色・演出/小池修一郎、翻訳/黒崎勇、音楽監督/吉田優子。1992年ウィーン初演、1996年に宝塚歌劇雪組で日本初演の大人気ミュージカル、10回目の上演。全2幕。
初日の感想はこちら、直近の宙組の感想はこちら。
もう一生分観たとも言いましたし、そもそもそんなに好きな作品じゃないともストーリーとしてどうにも納得がいってないとも語りましたが、東京での二回の観劇が一度は自力で友会で当てた初日SS5列目どセンター、次がお友達のおかげで座らせていただいたSS4列目どセンターだったこともあって、多くの人が言う歌ばかりのザッツ・ミュージカルなのにもかかわらず今回は本当に芝居らしい芝居になっているこの作品をそれはもう間近でたっぷり堪能できて、うっかりダダ泣きしてしまったりしたこともあり、今や大劇場で唯一チケットがあったBパターンを観るために台風にもかかわらず遠征し結果阪急まで止まって大劇場ロビーでお友達と6時間以上しゃべりつつ運転再開を待ち新幹線も止まっていたので梅田のレディースサウナに泊まって翌朝始発ののぞみグリーン車で爆睡して帰京してそのまま出社して働いたのもいい思い出になっています。
それでもやっぱり、そんなにまでして観たいかと言われたら、両パターン一度ずつ観られたのでそれで十分、あとは余禄、他にもたくさん観たい方がいるのだろうしそちらでどうぞ、また次に再演されてもそれくらいの感じで観られれば私は十分です、というくらいのスタンスではあります。イヤこれだって十分尊大な態度でホントすみませんなんですが、やっぱり正直なところとしてはそんな感じなのです。大きな演出の変更はなく、もう完全にできあがっている作品で、音楽も素晴らしいしファンも多いのもわかるけれど、だからってやっぱり通いまくっちゃったらそら飽きるだろう、というか…まあ、それはなんでもそうなんでしょうけれどね。
でも、キャストを通して、それこそ自分でも驚くくらいに泣くくらいに新たに発見したこともあったので、それは新鮮な驚きとときめきとともに記録に留めておきたいと思います。今回はそんな記事です。
ちなみに今回は珍しく東西とも新公は都合が合わなくて観られず、残念です。新たな伝説が生まれていたりしたら…悔しいなあ。でもまあ仕方ない、そんなこともありますよね…
さて、まずは珠城さんトート。やっぱり初の短髪にトライしてもよかったのになー、長髪好きとかイケコってホント古いタイプのオトメだよねー、とか思いますよ(^^;)。お稽古場での普通の髪型にきつめのメイクの珠城さんが超絶カッコ良かったので、銀の短髪の珠城トートとか本当に見てみたかったものでした。
まあ外見はともかくとして、やはりこれだけ歌うと本当に体力的に消耗するのか、さすがの珠城さんも少し痩せてバンと張ってた太腿もお衣装が浮いて皺が寄るようにも見えましたが、二重気味の顎は健在で嬉しい限りです(笑)。頬のあたりが少しシャープになって死神としてはいい感じですし、それでもガタイの良さはあいかわらずで頼もしげなのもいいですね。
まぁ様のときは歌が劇的に上手くなっていて『エリザ』レッスン恐るべし…!と思ったものでしたが、珠城さんは残念ながらそこまで劇的な変化はないというか、私が愛する癖とか出ない音とかがわりとそのまんまなところも愛しいです。でももちろん当人比でさらに上手くなっているし、なんせハンパでない量を歌ってはいるので、大変は大変でしょう。喉の負担が見える生徒も多く、大劇場ではみやちゃんの休演などもありましたが、珠城さんは大黒柱として中心にどかんといてくれているので、みんなもふんばれているところがあるのでしょう。そしてそこから、いかにも月組らしい、登場人物の人柄や生き様が立ちのぼる、芝居らしい芝居としてのミュージカルを作り上げられているところが、新しく、素晴らしかったです。
珠城さんはガタイがいいし美少年系というよりは男臭い系なんだけれど、マッチョだとか粗暴だとかワイルドだとかいうよりは優しく真摯で誠実なニンなので、そのトート像もむしろフェミニンなくらいに、柔らかで優しく、感情はかなり露わにしつつも耐えて待ってくれる誠意あるトートで、かつなんか素直でまっすぐで、もうキュンキュンしましたね。クールなのが似合う人はそう作ればいいし、でもこういうトートもアリなんだな、それでも黄泉の帝王だし死神なんだよな、と納得させられたのは大きかったかと思います。
人間の女を愛してしまう、という点でそもそもフツーの死神(ってナニ?って感じですが(^^;))の枠を踏み外しているのだろうし、だからそれでいいんですよね。青い血は流れてなさそうだし握手もその肌もあんまり冷たそうじゃないですが、それでも人間とは違う異質さ、違う次元にいる本当なら交わらない異形の者、底知れなさ、謎の大物感みたいなものは漂わせることができていて、いいトートだなと思いました。
そしてこれで退団となるちゃぴ。まずもって歌が安定していて上手いことが素晴らしい。こんなにビッグな娘役スターになるとは思っていませんでしたが、ことに歌は、ダンスに比べてあまり語られることがなかったと思うけれど、本当に普通に上手くてそれはとても立派なことで、もっと評価されていいし、演技と三拍子揃ってなお破格な大スターになったなと改めて痛感させられました。本当に素敵でしたし、美しく、愛らしく、強く、悲しく、素晴らしかったです。
冒頭の詩の朗読があんなにお芝居として成立しているのを初めて目撃した気がしましたし、本編に入って最初のナンバーである「パパみたいに」がまゆぽんの上手さもあってこれまたあんなにお芝居の一場面のようになっているのも初めて観ました。ここでちゃぴシシィのキャラがぐっと立つから、観客は物語にぐっと引き込まれるんですよね。彼女は単なる野生児とかわがままなお転婆娘とかではないんです、もっと器が大きいの。それで窮屈さに不満なの。まっすぐ自由に羽ばたきたいとだけ念じている、すこやかで優しい、ごく普通の少女なの。そのまっすぐさが美しく、悲しいの。だって世の中のものごとは何もかもそうまっすぐには進まないものだから…
みやちゃんのフランツがまた、プログラムの写真なんかはだいぶ高慢な表情を作っていてそういう皇帝で行くのかなと思いきや、これまたすごくまっすぐで優しくてだからこそ不器用で弱い、なんとも言えないいいフランツで、だからこそシシィとのすれ違いがせつなく悲しくてよかったです。女々しく聞こえかねない裏声の高音も今回に限りとてもよかったかと。 なんか私、今まで、どの娘役も何故みんな『エリザ』をやりたがるのか今ひとつ納得できなくて、そりゃ大役だしタイトルロールだし実質主役で主人公だし半生が演じられるし大曲あるし綺麗なドレスがたくさん着られるしやり甲斐はあるんだろうけれど、でもそんなにいい役かなあ?と不審だったのですが、今回の公演で、こんなにも熱くトートとフランツから愛されるシシィを見て、ああ、なんかヒロイン冥利に尽きるのかもしれないな、と思い至ったんですよね。それに足る女性像を作り上げ、真ん中で凜と輝いてみたい、と女優なら誰でも思うんだろうな…とやっと納得できたのでした。ふたりに愛されてちゃぴはまさしく輝いていました。それで泣けた、というのも、ありますね。
れいこルキーニは…私はもともとルキーニみたいなキャラクターにあまり興味がなくて、この作品におけるルキーニの役割とかポジションとかおいしさとかトップスターメイカーみたいになっているところとかがどうにもピンときていなくて、なのでれいこちゃんにも特に何も思いませんでしたすみません。狂気が薄いとか求心力が弱いとか言われるほどでもないと思うし、でもすごく主体的な狂言回しになっているようにも思えず、だいもんのときに感じた、この物語はそもそも彼の妄想なんだなと痛感させられる陰の主人公感もなかった、かな…どんなナリしてもとにかく美人だなぁ、とはしみじみ思いましたけれどね。あとフィナーレ群舞でめっちゃ嬉しそうに白い歯見せてのびのび踊っているのがホント色気ダダ漏れのイタリア美形って感じで、これは刺さりました。
今思ったけど、トートとルキーニの間に、特にトートの側からルキーニに対して、あまり交情みたいなものが見えなかったから萌えなかったのかな…ルキーニの方はトートを崇拝してるっぽくはあったんだけれど。うーむ。
そしてルドルフは、おだちんはきっちりしっかりやるだろうなと思ってはいましたが本当に過不足なく舞台を務めていてなんら危なげがなくて、ルドルフとしては視野が狭そうでそらパパと衝突するよみたいな感じはよく出ていて、メランコリックな風情はなかったけれど個人的にはこれはこれでいいルドルフなんじゃないでしょうか、という印象でした。
むしろありちゃんの方が私にはピンとこなくて、自分でも驚きました。ありちゃんのことはわりと好きなので。でもなんか、固いというか、おもろしみがない役作りに思えたんだよなあ…幼いというか。フランツとの衝突や革命家たちの中での立ち位置とか、なんかわりとぼやんとして見えて、よくわからなかったのです。
ただ、マイ楽の回の「僕はママの鏡だから」がすごく弱々しくて繊細で、なんかもう最初からここにも救いがなさそうなのがわかってそうでそれでもママにすがるような感じで、だからものすごく哀れに見えて、でもそらシシィも重く感じるよ逃げたくなるよとも思えちゃって、家族って難しいなあ、みたいな感情でついほろりと泣かされてしまったんですね。
からの、マイヤーリンクでのダンスリーダーっぷりはまあ置くとして(笑。しかしアレは仕方ない)、霊廟場面でのフランツの悲嘆もシシィの慟哭もすごく染みて、けれどふたりは長くは抱き合わず、フランツもシシィと悲しみを分け合えないことをより悲しんで去って行くように見えて、そんなみやちゃんフランツの哀れさに泣けました。そして私は子供を持ったことがないしこの先も多分持たないしそもそもあまり好きじゃないのですが、それでも、ああ子供を失う、死なせてしまうということはこんなにも心が張り裂けそうなほどにつらいことなのだろうなと真に迫って感じられて、ちゃぴシシィがかわいそうでかわいそうでダダ泣きしてしまったのでした。
そりゃもう生きるのやんなるよ死なせてよって言いたくなるよと思いましたし、でもそんなんじゃトートは嫌なワケで、ルドルフの棺から飛び降りてシシィと距離を取るその素軽さが本当にトートの若さと怒りの表れのようでいっそすがすがしく、からのかなりマジで悔しそうな「死は…逃げ場ではない!」という言い方には自分が死であることのプライドすら窺えて、正当に扱われないことに苛立っているようでもあり、また所詮自分たちは交わり相容れることはないのだろうかという絶望感も感じられて、今度はトートが哀れでかわいそうで泣けました。上手の壁にすがってからの銀橋「愛と死の輪舞」リプライズの、せつせつと愛を乞う様子にももうキュンキュンきてタイヘンでした。
そう、今回ものすごーく芝居っぽいのと同時に、ものすごーくちゃんとラブストーリーになっているところが私には響くのかもしれません。私は愛の、特に恋愛の物語が大好物なんですよ。自分が恋愛体質ではないだけに、余計に。
そうしてトートはシシィを待って待って、シシィも生きて生きて、ついに、やっと、ひとつになれて。シシィを迎えたトートがするキスは彼女の最後の一息を奪うかのようで、まったくためらいがないのもいい。そしてシシィは一度死に、すぐにトートの腕の中で新たに目覚めるのでした。
昇天場面は大劇場の時にはふたりともずいぶんと複雑な、あるいはやや薄ぼんやりした表情をしているように見えてややとまどいましたが、東京では晴れやかな満面の笑みとまではいかないけれど、静かな自信や希望をみなぎらせているような、深い表情になったかなと思いました。だからなんか安心して、最後の最後まで見送れて、幕が下りるのに自然と拍手ができました。
他に印象的だったのはくらげちゃんヴィンディッシュかな。
私はこのキャラクターに関しても実はあまりよくわからないというかピンとこないというか正直あざとすぎないかと思わなくもないくらいなんですけれど、扇の交換がある演出に戻っていたのは嬉しかったし、くらげヴィンディッシュはあんまりフラフラしていなくてまっすぐ病んでいる感じがとてもいいなと思いましたし、だからこその医師たちに拘束されかかってからの狂乱や怯え、震えが痛々しくて、それをちゃぴシシィが本当にぴったりかき抱くものだから、それはもう泣きましたよね…
ゾフィーのすーさんもこれでご卒業。あんまり怖く作っていなくて、そこはかとなくチャーミングで、私は好きなゾフィー像でした。
るうちゃんツェップスにはもう少し押し出しがあってもいいかなー、と思ったかなー。私はツェップスはもっと、というかちょっとワルそうな方が好きなのかもしれません。
なっちゃんのルドヴィカはとてもよかったですね。というかこの一家が意外にちゃんと仲良さそうなまっとうそうな感じがとてもよかったです。たとえ父親が家庭教師とがっつり浮気してそうでも(^^;)、基本的には健やかでまっすぐな家庭で、だからシシィもそう育ったんだな、と自然と思えました。私は時ちゃんが苦手なんだけれど、ヘレネもとてもいいお姉さんでしたもんね。そしてこちらもヘンにコミカルすぎたりかわいそうすぎに作っていないところがとてもよかったです。
ゆりちゃんグリュンネはイケオジだったなあ…まさか娼婦をふたり抱える役が回ってこようとはねえ(笑)。ひびきちとヤスも渋くて素敵でした。からんちゃんのラウシャーはさすがに上手くて、宅配のくだりで毎度笑いが取れるのが本当にすごいと思いました。
さちか姉さんがマダム・ヴォルフをやり過ぎていないのがまたよかったです。もっと下品だったらヤダなと密かに案じていたので。れいこルキーニとの絡みもそんなに濃厚ではなかったこともあったのかもしれません。
はーちゃんリヒテンシュタインはとてもよかったなあ! きびきびしていて有能そう。
さくさくはぐっと綺麗になって女官の中でも目立っていましたし、エトワールも素晴らしかったです。
次期トップ娘役というだけでエトワールをやらせるなんて、みたいな言い方をする人もいましたが、普通に考えて今の月組の歌姫枠の中にさくさくは十分入ると思うんですよ…フィナーレの群舞で珠城さんを見つめるまなざしが抜きんでて熱くて、ああ相手役を持つってこういうことなんだなあと胸熱でした。たまさくコンビも楽しみです!
エルマーとシュテファンとジュラは役替わりのせいもあって(ジュラはずっとぐっさんだけれど)私がいろいろ見切れないうちに終わってしまったかな。れんこんはええ声なんだけれど、もう一押し何かがほしかったかもしれません。特に比較して観てしまうということはなかったと思うのだけれど…うーむ。
あとは黒天使の身体能力の高さに改めて瞠目しましたね…! あちの踊りってホント半端ない。ぎりぎりも存在感があって、でもるねっこがみんなをがっちり統率していて、全員が素晴らしかったと思いました。珠李ちゃんマデレーネはわりと想定内だったかな、こちらはもう少し色気が欲しかったかもしれません。
そしてフィナーレのデュエダン、やはり泣かされましたよね…ちゃぴの白いドレスでのセリ上がり、たまらんかったです。
基本的には本編のイメージをまとっている振り付けで、最初のうちはちゃぴの表情は固く、珠城さんから逃げようともがいたり抗ったりします。でも、珠城さんが抱いたちゃぴの身体をゆーっくり傾けていって、ちゃぴがついに身を任せて安心して伸びきって腕を広げて、そこから珠城さんの支えもあるけれどすっと自身の背筋で起きてからは笑顔が出るんですよね。そこがいい。珠城さんは急にニコニコになるわけではなくて、そこがトートを引きずっているようでもあり、あくまでちゃぴを立て誠実に見送ろうとしている真面目な珠城さん自身が出ているようでもあり、銀橋センターでのフィニッシュまで片時も目が離せませんでした。
はー、素晴らしかったなあぁ。東京初日はこの笑顔を見るためにやや見飽きた本編を耐える価値があるんだな、とすら思いましたし、マイ楽ではその本編にもダダ泣きしてからのこのゴールの笑顔にもう感無量でした。
『1789』のアントワネットがターニングポイントだったとはよく語られていましたが、ある種の満足や達成感を感じて卒業も意識し始めた、みたいなことも聞き、この頃にはまだむしろ自分が先に卒業してまさおに見送られるくらいのつもりでいたのかもしれませんね。けれど逆にまさおに見送ってくれと言われたのか、はたまた劇団から同時退団もやめてくれと要請されたのか、残ることを選択して。でもそれは同時に次期トップスターの珠城さんの相手役も務めることになるということで。
おそらく自分が卒業を意識したときに、そろそろトップ娘役の座を後輩に譲ってあげたいとか、珠城さんにはまた新しいより下級生の若くフレッシュな相手役を与えてあげたい、みたいなことは考えていたりしたんじゃないかなと思うんですよね、そこは一個下の仲良しとして。なのにいろいろな事情が重なって自分になって、それでいいのか、みたいな葛藤がわりと深くあったんだな、とスカステのサヨナラ番組なんかを見て感じられて、ちょっと意外でした。背が高いことを気にしているふうはあったけれど、それはまさお相手でも同じことだしむしろ珠城さんと並びの方が見栄えがいい気がするし、学年が近すぎてルリルリした感じにならないことを気にしているふうでもあったけれどそれも珠城さんのある種の質実剛健さに合っていたとと思うし、何せ当の珠城さんが安心してやれている感じがして私は本当にいいトップコンビだと思っていたんですけれどねえ。でもちゃぴはそういうプレッシャーも泣きながらもがいて乗り越えて(ホント泣き虫っぽいですよね、そこがまた愛しい)、またさらに一時代を築いてから羽ばたいていくことになった…本当によかったです。だってあのグルーシンスカヤやルイ/ルイーズが存在しなかったとしたら…なんて考えられませんもの!
芸能活動を続ける意志はあるような話もチラホラ聞きますし、卒業後も楽しみです。でもまずはこの公演を元気に務めあげてほしいです。千秋楽のライビュは手配できていないけれど、なんとかなると信じています見たいです。その日まで、さらなる進化と輝きを、期待しています!!