駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『ビリー・エリオット』

2020年09月18日 | 観劇記/タイトルは行
 赤坂ACTシアター、2020年9月17日17時半。

 1984年、英国政府は採算の取れない20の炭鉱を閉鎖し、2万人の合理化計画を発表。これに対して炭鉱労働者による大規模ストライキが全国で始まった。イングランド北部の炭鉱町イージントンで、少年ビリー・エリオット(この日は利田太一)は母を亡くし、炭鉱夫の父ジャッキー(この日は橋本さとし)、兄トニー(この日は中井智彦)おぱあちゃん(この日は根岸季衣)と暮らしていた。ビリーはいつもどおりボクシングのレッスンに行くが、居残り練習を命じられ、そのあと始まったバレエ・クラスのレッスンに訳もわからぬまま巻き込まれる…
 音楽/エルトン・ジョン、脚本・作詞/リー・ホール、演出/スティーヴン・ダルドリー、振付/ピーター・ダーリング、翻訳/常田景子、訳詞/高橋亜子。ダルドリー初の監督長編映画『リトル・ダンサー』(邦題)を2000年のカンヌ国際映画祭で観たエルトン・ジョンがミュージカル化を企画。2005年ロンドン初演、2017年日本初演。一部キャストが追加、変更されての再演版、全2幕。

 映画も昔見たことがあるはずなのですが、そして絶対に好きそうな気がするのですが、何故かまったく記憶がなく、なので初演もスルーした記憶があります。チエちゃんのウィルキンソン先生(この日は安蘭けい)、というのにあまり惹かれなかったのかもしれない…(ヒドい)。でもこうなるとチエちゃん回も観てみたくなりました! 映画ではどういうニュアンスだったんだろう? プログラムによれば、チエちゃんは妊娠さえなければ今も現役でバリバリやっていたようなダンサー、というイメージだそうで、トウコさんはハナから田舎の二流のダンス教師、といった役作りらしく、私は今回の先生のそのやさぐれ感がとてもいいなとツボったんだけれど、違う先生像もアリだろうななとも思ったのでした。それでもわかるビリーの才能、とかだからこそわかるビリーの才能、という描き方もあるでしょうしね。でもそもそもビリーの才能が本物かどうかもこの作品では実はわからない、というのが実にいいなと思ったんですよね。才能とか本物かとか、そういう問題ではないんだよね。好きか、やりたいか、情熱を傾けられるか、というのが大事なのであってさ。そこがビンビン伝わる舞台でした。だから別にアダム・クーパーじゃなくてもいいということなのでしょう(笑)。
 そう、私は子供も子役も苦手で、大人ビリーが主役で子役はその子供時代をやるだけなのかなとかも思っていたくらいだったので、だったらオールダー・ビリー(この日は永野亮比古)も大貫さん回を取ればよかったのにどうした自分?とか思っていたのでした。しかし子役が「ヤング・ビリー」ではなく大人ビリーが「オールダー・ビリー」とされていることにもしや…?と悪い予感がし、そして冒頭がやや冗長に感じられたので、ああコレきっと合わないヤツ…とややふんぞり返り気味に観ていたのですよ当初。でも、自分でも意外や意外、あっという間に引き込まれたのでした。
 意外にも、「おばあちゃんの歌」がいいなと思ったんですよね。通して考えると、もしかしたら物語の本筋にはあまり関係がないと思われてしまうかもしれない場面かもしれません。若干認知症気味の祖母が青春の思い出(そんないいものじゃないか)を歌うだけの場面だし、おそらくあえてそう作っているんだろうけれど別に上手く歌われてはいません。だから歌唱にうっとりするような場面ではなく、ものすごくミュージカルっぽい幻想のダンス場面になっているとかでもない。でもハートをつかまれました。こういう家族、こういう時代、こういう環境の中で生きるビリーという少年、が立ち上がって見えてきたからかもしれません。女の子は妊娠して結婚して家庭に取り込まれて老けていってしまう。でもじゃあ男の子なら全能かといえば、父も兄も労働運動で苦労していて希望も未来もないかもしれない。そこでビリーは? 彼の夢は? これからの人生は?という、重い、問い…
 そして子役は、単なる子役ではありませんでした。立派な役者で、パフォーマーでした。台詞はさすがに、特に間とかがちょっと拙いかな、とは思ったんですよね。あと、役者が役自身になればいいのだ、というのも私は演技ってそういうものではないだろうと思っているのですが、そういう方向性で作られているようにも見えなかった。でもやはりダンスで、アクションで伝わるハートがちゃんとあったんです。そこがビンビン来ました。
 でも、男の子がバレエなんて、なんて言われる。言われますよね、だって今でも言われるんですから。オカマなんだろうとかも。そういうんじゃないのに、そういうのとは別問題なのに、わかってもらえない。今はそれどころじゃない、というのもわかる。でもこっちのこともわかってよ、と思う。そして「怒りのダンス」…もうずっと泣いていました。マスクの中が涙と鼻水で大変なことになっていました。
 そして大人ビリーはラストに出るだけなのかと思っていたら、まさかこんなに素晴らしいパ・ド・ドゥがあるとは…! そしてストが厳しくなるのと入れ替わるように、父親が理解を示してくれるようになる。「あいつは星に、スターになれるんだ」みたいな歌詞にまた号泣。オーディションのビリーの「上手く言えない、言葉になんかできない、踊ると自分がなくなるような、あるいは本当の自分になるような、自由」みたいな歌詞にまたまた大号泣。上流っぽい息子(この日は高橋流晟)にキュン。「過ぎし日の王様」には『ロミジュリ』の「昨日までの俺たちは王だった」みたいなのを思わせられてまた号泣。そして早く読んでしまった手紙の、リプライズ…フィナーレのチュチュもいい。タップもいい。だからもったいなくて手拍子が打てませんでした。その分ガンガン拍手しましたよ! のぞコンではバンドもいましたが、生オケは久々だったのでそれにも感動したなあ。
 あとマイケル(この日は菊田歩夢)ね、たまりませんでしたね! トランスヴェスタイトではなくゲイなのかなあ? ビリーのことが好きだったのかなあ? でも頬へのキス、なのかなあ? そのお返しのキス、そして自転車でターンして去る、幕…もうもう大号泣でした。
 はー、話がわかってもまた観たい、と久々に思えた舞台でした。きっとビリー4人、全然違う色なんだろうなあ。しかし今の子供はホント脚が長いなあ…感心しました。ふたりが初演オーディションに落ちて再トライした組だってのも泣かせました。
 それと、私は芝居で方言が変に使われるのはあまり好きではないのですが、今回の全編博多弁?みたいなのはとてもよかったと思いました。九州に炭鉱があったことも思わせるし、おそらく原作映画もなまった英語で演じられているのかな?
 田舎の二流のバレエ教室だから、ということでガールズが太った子もいて変に美人揃いじゃないところもいい。でもフィナーレとかではちゃんとバリバリに踊れるんだよね、子役といえどプロだなあ! あと、デビー(この日は森田瑞姫)の扱いの程度がいい。母親が元バレエダンサー、現バレエ教師の娘なんて、そして母親が現役を引退したのは自分を妊娠したからだったかもしれないなんて、一ドラマありそうなものなのに掘り下げすぎない。単なるこれくらいの歳の、男子に対する女子みたいな居方なのがいい。ビリーが好きで嫌いで素直になれなくてかまって無視して、ジタバタしてるのがいい。
 アベシンゾーに対してもマキー・サッチャーくらいにやってやりゃよかったんだよね、とかも思いました。炭鉱夫が「俺たちは芸術を支持する!」と嘯いてでも言える世の中に、今の日本はまだ至れていないことに軽く絶望しかけました。
 はー、よかった。いい作品でした。大阪公演まで、無事に完走できますように。再演が繰り返される演目に育ちますように。客席にはお子さんも多かったです、いい刺激になりますように。未来に幸多からんことを、祈ります。


コメント
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