駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇星組『太陽王』

2014年05月31日 | 観劇記/タイトルた行
 シアターオーブ、2014年5月21日ソワレ、29日ソワレ。

 太陽王ルイ14世はヴェルサイユ宮殿の建造、王立舞踊アカデミーの創設など数々の偉業をなした、フランス・ブルボン王朝最盛期の王である。しかしその人生は悩み多きものであった。幼くして即位したために摂政や宰相の陰に隠れ名ばかりの王にすぎなかった青年時代。王として自立したのちも絶対君主であるが故の孤独と戦い続けた日々。国王としてではなくひとりの人間として愛されたいと幾人もの女性の間を旅したルイの真実の物語…

 Books by DOVE ATTIA,FRANCOIS CHOUQUET,Lyrics by LIONEL FLORENCE,PATRICE GUIRAO,Music by DOVE ATTIA,REMY LACROIX他。脚本・演出/木村信司、音楽監督・編曲/長谷川雄大。2005年に初演されたフランス・ミュージカルの日本初演。

 歴史的な偉人の一代記は大味なものになりがちだからこそ、どんな起承転結の物語を作りあげるか、どこにドラマの主眼を置くかに演出家の手腕が問われます。残念ながらそれはぬるかったと私は思う。イケコなら…と思ってしまいましたからね。
 少なくとも翻訳とか訳詞の下訳スタッフにもう少しいい人を起用できなかったのだろうか、とは思いました。歌詞も台詞もとても不明瞭で薄ぼんやりしていて、伝えたいことがわかりやすく伝えきれていないと感じました。その場面を補完しながら観て、終わって考えて、そういうことが言いたかったんならもっとわかりやすい日本語があるだろう、と思うことが多々ありすぎました。もって簡潔で的確でわかりやすくて、でも凡庸ではなく詩的な日本語というのは紡げるはずですよ。というかそれが脚本家の仕事だろう! ザルいぞ。
 ネット動画などにフランス版も上がっているようですが私は見られていません。けっこう手を加えられているようでもあると聞きますが、それにしては加工がまだまだ手ぬるいのではないでしょうか。フランス版はもっとずっとショーっぽいというかレビューっぽいのでしょう? 向こうのミュージカルってそういうタイプなんでしょう?
 でも今回はずっと普通の「ミュージカル」にしたかったのではないの? だから台詞や芝居パートも増やしたのでしょう? だとしたらまずあのナンバーのあと暗転、ばかりという演出はどうにかしていただきたい。そこを上手くつないでこそ舞台の演目でしょう。せっかく狂言回しとして置いたモリエール(瀬希ゆりと)をもっとし上手く使って、場面の変わり目をつながせればいいのに。ナンバーごとに時間も場所も飛ぶんだから、銀橋なくったって舞台の端なり奥なりで次の場面を始めることはできるでしょうが。ナンバーのシメに拍手でショーストップ!を見越しているというなら、残念ながらそんな歌唱力・説得力の持ち主ばかりじゃないよ今回の出演者は…と言いたいです。

 とまあ、これだけ言うのは、要するにもうちょっとだけなんとかしたらもっとずっとよくなってすっごく感動的ないい作品になったんじゃないの? また再演が繰り返されていくような、財産となるような演目を手に入れたと言えたことになったんじゃないの?ととてもとてももったいなく思ったからなのです。それだけの魅力を私は感じました。だからこそ、出演者のせいではまったくなく、製作者側に問題があると思えたし、もっとどうにかしてほしかったと思ったのでした。

 眠りから覚めた劇作家のモリエールが、夢ないし思い出を語るところから始まる…というのはベタですがよくできています。
 そして溌剌と現われて踊る王ルイ(柚希礼音)は若く輝いていて美しい。素晴らしい幕開きです。この人の物語を観るのね、と観客も心の準備がバッチリできます。
 続いていわゆるフロンドの乱と呼ばれる暴動の場面が始まり、生徒の客席登場などもあっていいのですが、しかしこれが誰が何を争っている暴動なのかがよくわかりません。首謀者のひとりであるボーフォール公(真風涼帆)の歌唱が弱いというのもあるけれど、貴族である彼が何故平民たちと一緒に戦っているのかよくわからないのです。私だけ?
 王位を狙っている…のではないらしい。身分社会に反発しているということ? どうやら彼には確かにそうした先見性があったらしいのですが、でもここの「フランス人なら」という歌の「打ち倒せ」って何を? 「生き残れ」っていうなら戦っている場合じゃないんじゃないの?などなど、もやもやんとさせられるのですよ。
 で、王太后アンヌ(万里柚美。プログラムでは「ルイの母親」としか書かれていませんが、彼女はかつてはルイ13世の正妃であり王后陛下であり今は王太后陛下なのでは? たからこそ愛人のマザランも「陛下」と呼ぶのでは? 何故きちんと称号を書かないの?)と枢機卿のマザラン(十輝いりす)が現われて会話を交わし始めます。最初のお芝居パートですがここがまたわかりづらい。
 どうやら外国との戦争のための重税が先の乱を呼んだのだということが説明されているようなのですが、だったらさっきの歌詞に「外国との戦争なんか嫌だ」「戦費を税金に課す王が憎い、王を倒せ」と歌わせた方がわかりやすかったでしょ?
 でも幼い王を守り国を運営していくためには必要悪なのだ、みたいなことが大人の事情として語られるのはいい。さらにアンヌは息子ルイの無口さ、ひ弱さを案じる台詞を発しますが、もう一声、母子の関係が上手くいっていないこと(もっと言えばアンヌが息子の育児や教育にあまり熱心でないこと)を出しておくとよかったと思いました。
 そんなわけで再び舞台に現われるルイは、未だ王とは名ばかりで若く頼りなげで、周りに求められることをこなしてみせるだけの空っぽの少年です。「いつかは、いつの日か」と歌いながらも、今は何をどうすればいいのかのビジョンも持てないでいるよるべない少年。私はこういうキャラクターのチエちゃんがけっこう好きなので萌えました。
 一方、弟のムッシュー(紅ゆずる)ことオルレアン公フィリップですが…彼が何故こんな格好のこんなキャラクターなのか、何も知らない人でこの舞台を観ただけでわかる人はいるのかなあ? 私は知識としてはアンヌがこう育てたのだと思っていたので、アンヌにそう語らせた方がいいのではと思いましたし、プログラムを読むと本人が自覚的に権力闘争から逃げて高みの見物をするために道化を演じているのだとしているようなので、だったらそういう台詞が欲しいと思いました。
 というのは「お気楽者は最高」という歌の歌詞だけではそんなことはわからないからです。台詞を足すか歌詞を変えてほしい。ベニーのキャラに頼るようなまねはするべきではない。私はフィリップみたいなキャラクターも大好きなのです、だからうるさく言うよ。
 
 そんな宮廷に、ひとりの女性が現われる。マザランの姪、読書家で聡明な、歴史に名高いマリー・マンシーニ(綺咲愛里)です。王として周りに与えることばかりを義務とさせられてきたルイにとって、読書から何かを与えられること、もっと言えば相手から愛情なりなんなりを与えられることがあることを初めて教えてくれた女性…というわけです。
 あーちゃんは可愛くていじらしくて愛くるしくて、若き国王をリードしていくような女性には残念ながらニンとしては見えづらいのですが、台詞の声が意外に低いし上手く落ち着いて演じていて、好感が持てました。王との交歓が恋に発展しそうになるととまどい怯えでもときめいて…というくだりはとても甘く素敵できゅんとしました。初めての恋に顔を輝かせるルイも素敵。
 で、彼はフランドル出征するわけですが、ここも説明不足に思いました。史実はどうあれ、マリーに教えられて王としての自覚に目覚め戦争を軍人任せにするべきではないと思うようになったのだ、でもいいし、マリーとの交際を認めてもらうためには王としての実績が必要でだからがんばっていっちょ戦功上げてくるよ、でもいいし、とにかく何か理由を説明してから場面を移してほしいのです。
 だが彼は戦場で傷つき倒れ、宮廷は瀕死の彼をよそに後継者探しを始める始末。次の王に名指しされそうなムッシューはそんなふうに育てられていないとあわて、パリを逃げ出します。
 マリーの看病でルイは命を取りとめ、ふたりはさらに愛を確かめ合います。ルイはマリーとの結婚を望むようになりますが、一方でスペインとの和平交渉でルイとスペイン王女マリー=テレーズ(優香りこ)との政略結婚が取り沙汰されていたのでした。
 マザランはマリーをパリから追放し、アンヌはルイにマリーがパリからいなくなったことを告げます。王であるにもかかわらず、王であるからこそ、何ひとつ自分の思いどおりになどできない絶望に打ちのめされて崩れ落ちるルイ。幕…
 いい塩梅です。

 2幕はマザランの死去から始まります。どれくらいの時間がたっているのかがわかりづらいのが難点ですが、ルイはもはやかつてのよるべない少年ではなくなっており、これを機に摂政も置かず親政を開始します。「朕は国家なり」という有名な台詞を吐き、歌われる「太陽のごとく輝け」。これまたややわかりづらい歌詞でもったいないのですが、絶対王政の王として君臨する強権の光と、その影の孤独を歌ったものです。
 ルイは政略結婚でスペインから迎えた王妃を尊重してはいますが、愛せてはいないようでした。孤独を抱える彼に、ムッシューがモンテスパン夫人(壱城あずさ)を紹介します。マダム・モルトマール、アテナイ・ド・モンテスパン! これまた私の大好きなキャラクターなのですよ。
 彼女の「感覚がすべて」という歌の「私 解けない謎よ それはあまりに分かりやすいからなの」という歌詞がとても皮肉でおもしろい。彼女はこの演目では享楽的で軽くわかりやすいザッツ・愛人役を振られています。
 こういう役はやはり男役には似合いだし、しーらんはホントに綺麗で素敵でした。またこのときの宮廷の乱れっぷりを演じたアンサンブルの男男・女女の乱脈っぷりが楽しくてテンション上がりました。目が足りない!(笑)
 一般的には下ろした髪は少女の証、結われた髪は既婚夫人の証ですが、彼女は夫がいてもルイの子を何人も産んだし髪は基本的には下ろしたままでした。その奔放さがいかにもです。
 そしてモンテスパンの子供の養育係として現われたのがフランソワーズ(妃海風)でした。ここでモリエールの台詞にあった「モンテスパンの子は庶子として名乗れた」云々はわかりづらかったなー。要するにルイには庶子としての認知すらしてもらえなかった子供がたくさんいたのだけれど、現代日本の感覚からすると庶子のさらに下の扱いがあるということがわかりづらいので、もっと丁寧に説明するかいっそ省いてほしかったです。
 ともあれフランソワーズは慎み深く優秀な女性でした。しかしここのまいけるの「使用人」という役名はヘンだろう。彼は幻とか幽霊みたいなものだったのではないの? そしてここで彼女が自分を雇ってくれたモンテスパンに恩義を感じていることを語りながら、不倫を悪だと言いきり自分はしないみたいなことを言っちゃうのは、現在絶賛不倫中の主人のモンテスパンを悪く言うことになるので、もっと台詞を吟味してほしい。ふうちゃんがしっかりした芝居ができちゃう人なだけに、ヘンに賢しらに見えないようにしないとあとがつらい、ということもあります。

 で、そのモンテスパンは「魔女」ラ・ヴォワザン(夏樹れい)の館に媚薬を買いに行ってしまうのですが、ここももうひとつ説明が欲しい。彼女が王の寵姫として宮廷に君臨し栄耀栄華を極めてなお、もっと欲しい、一度得たからには絶対に失いたくない、と考えてしまうタイプの人間だったことが語られていないので、この人がこの館で何をしているのかよくわからないのではないかと思うのです。
 モンテスパンが宮廷など公式の場でもブイブイ(笑)言わせているような場面がないのでなおさらわかりづらくなっているのですが、そんなわけで虐げられている王妃マリー=テレーズはしょんぼりしています。ルイは彼女を王妃としてきちんと遇してはいるのですが、心の隔てがあって打ち解けたり愛したりはできないままなのでした。義務として跡継ぎの子供をなしながらも…
 そうした虚しさをまぎらわすように(という振りがもっとあった方がいいと私は思いましたが)、ルイはヴェルサイユ宮殿の建造に熱中します。市民にはますます重税がかけられ、コルベール(十碧れいや。祝・バウW主演決定!)が暴動を案じます。
 ここ、ルイとボーフォールの場面にするべきだったと思います。トップと二番手スターは兄弟として絡む場面があるものの、トップと三番手スターがまったく絡んでいないのは宝塚歌劇の構造として問題ですし、このふたりのキャラクターは政敵として対立しているはずなのだから対決場面を作るべきです。それがないから、ボーフォールが何を求め何を争って何をやっているのか、ルイと何をどう戦っているのかがさっぱりわからないのです。
 鉄仮面エピソードとかはそりゃニヤリとさせられましたよ? でもそんなことより大事なことが舞台にはあるのです。あと、「御従兄」は「ごじゅうけい」ではなく「おいとこ」で十分です。そんなことより大事なことが以下同文。

 さて、フランソワーズはルイの覚えもめでたくマントノン公爵夫人となり、王妃の第二女官長として王妃を慰めます。
 そしてここも台詞の理屈のとおりが今ひとつ悪くてもったいなかったのでした…今回のベスト歌唱は間違いなくここの「私は私を」だと思いますし、紅涙をしぼらせる名場面たりえたと思うのですが…私はもややんとしました。
 まずマリー=テレーズが夫の寵愛を奪ったモンテスパンを憎み、自分をないがしろにする夫を憎み、でもその愛が欲しくて嘆き、そんな浅ましい自分が嫌で愛せなくて許せなくて苦しい、ということを前提としてもっときちんと提示しておいてくれないと、フランソワーズが歌い上げる「私は私を許したのです」が感動的に聞こえてこないじゃないですか。
 私はずっと「マリー=テレーズは許されたいなんて一言も言ってないよ? だからこれはフォローになってないだろう」と考えてしまって感動できませんでした。理屈っぽくてすみません。
 でもさらに理屈っぽいことを言うと、ここで女ふたりが実は何を歌っているのかはとても重要なことだと思うのですよ。それが、夫の、男の愛なんてなくても自分が自分を愛せれば世界に愛すべきものは他にももっとたくさんあるし世界も自分を愛してくれるし自分に優しくしてくれるしそうして世界は美しい…みたいなことだと、ラストと合わなくなっちゃうでしょう? そして男女一対の完全無欠の愛を求める宝塚歌劇としてもヤバいじゃないですか。
 でもここの歌詞はとても観念的で、下手したらそういうことを歌っているように私には聞こえて、それはひとつの真実なんだけどこの場合はまずいでしょ?と終始ハラハラしていたのでした。
 もっとすっきりひたらせてください…

 モンテスパンはラ・ヴォアザンに、王の永遠の愛を得たいならすべてを捧げなければならないとかなんとか言われて黒ミサで邪神に身を捧げ(?)、発覚して逮捕され、ルイに愛想をつかされて宮廷を追われます。ルイは彼女にそんな真似をさせたのは自分だという自覚はあり、自分を責めます。彼が求めているのは未だマリーであり、それ以外の女性をまっとうに愛することができないのが問題なのでした。
 そしてマリー=テレーズが死の床につきます。王族は死の穢れに触れることを許されていないので、ルイは妻の臨終にも立ち会えません。マリー=テレーズはルイをフランソワーズに託して息を引き取ります。
 誰かが死んでも時は止まらない、ということを表すフランスふうエスプリなのかもしれませんが、ヴェルサイユ宮殿の完成を歌うムッシューの唐突さはしかしどうにかならないものなのでしょうか。虚飾の世界は続く、というようなことを表しているのでしょうが、しかし…
 そしてルイはこの豪華な宮殿が空っぽだと思いました。愛する人がいないから、そばにいてほしい人がいないから。ルイはフランソワーズに手紙を書きます。
 しかし王妃を弔ってひとり暮らすフランソワーズはルイの求愛に応えることはありませんでした。自分がルイのそばに行くことはできない、王妃に死に際に頼まれたのだとしても。王妃が許してくれたのだとしても、王が自分を愛してくれているとしても、自分が王を愛しているとしても、それでも。何故なら王にはふさわしい身分の女性との再婚が課せられているからです。その相手は自分ではない…

 だが、ルイはついにフランソワーズのもとを訪れます。時間経過がわかりづらいのですが、ボーフォールが鬘に白髪を加えているようにルイももう少しおじさんに作ってもいいのになと思いました。もちろんもはや青年ではない落ち着きは滲み出せているのだけれど、ビジュアル的にもう少しだけ老け込ませて壮年感を出してもいいのではないかと思いました。
 つまり、若い男がコロコロ相手を変えているように見えてほしくなかったのです。そのときどきに迷い傷つきながら真剣に相手を求め愛しさまよい、その旅路の果てに巡り会った相手がフランソワーズだった…と見えるように作ってほしかったのです。
 あーちゃん、わんこ、しーらんにふうちゃんという絶妙なパワーバランスの四大ヒロイン配役は、現代の宝塚歌劇におけるほぼ絶対的な仕組みのひとつであるトップコンビシステムを外すことになった今回の演目だからこそ生じたものですが、やはり観客の多くは女性であり女は男の最後の女になりたがるものであり、私個人の狭い了見なのかもしれませんが何度も言いますが一対の男女の唯一無二の絶対永遠の愛の夢を見たくて人は宝塚歌劇を観るのだと思うから、フランソワーズがラスボスもといラスト・ヒロインに見えるよう構成するべきだと思うのです。
 王としてなんでも持っている、何もかもを手にしてきた、しかしそのすべてを捨ててもいいからあなたが欲しい…女は男にそう言われたいのだし、フランソワーズの前にひざまずいてそう言うルイにこそ、チエちゃんにこそシビれるわけじゃないですか宝塚ファンは。ここを細心の注意をもって盛り上げるべきです。

 その美しいラブシーンをモリエールに「美しい」と言わせてしまうのがエスプリならそんなものはいらないと私は思う。むしろ彼らのその後をざっと語って閉めればよかったのではないでしょうか。
 私は知識としてはルイとフランソワーズは秘密裏に結婚したと思っていたのだけれど、ふたりの結婚は公式には認められつつもフランソワーズは王妃としては認定されなかった、のかな? そのあたりの説明、後日談とか、それでもルイとフランソワーズは最後まで幸せに暮らしたのでした、というような語り、その後のルイの功績や後世からの評価なんかをしゃべらせて、そしてエピローグ、でよかったのではないかと思います。

 だからフィナーレのトリプルダンスはやっぱり微妙だったかな…バレエではパ・ド・トロワというのはよくある形なのだけれど、宝塚でやるとやはりプレイボーイが女ふたりをはべらして手玉に取って感じ悪い、ってなっちゃうじゃん。かつそれを女性にやらしているわけだしさ。娘役ちゃんに囲まれて踊るチエちゃん、か、あーちゃんとふうちゃんが踊るにしてもチエちゃんとは交互に組んだりせずにまったく絡まず周りを踊るだけ、とかさ、なんらかの工夫と気遣いが欲しかったです私は。「へ・い・か・だ・け」とかアホちゃうか。
 でも黒燕尾は素敵だったし、満足です。
 総じて演目としては評価したい。楽曲も難しく馴染みのないものも多かったけれど楽しかったし。
 私がうだうだ語るってことは結局は好きだってことなんです、ご容赦を。



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マデリン・ミラー『アキレウスの歌』(早川書房)

2014年05月24日 | 乱読記/書名あ行
 罪を犯して追放された王子パトロクロスは、身を寄せた国で半人半神の王子アキレウスに出会う。当代随一の戦士になると予言された輝けるアキレウスに当初は反感を持ったパトロクロスだったが、やがてふたりは強い絆で結ばれていく…神々が人間に干渉するギリシア神話の世界を舞台に、英雄アキレウスとその無二の親友の生涯を鮮やかに描いたオレンジ賞受賞作。

 私のトロイア戦争ものコレクションがまた一冊増えました。
 どういう順番か忘れたのですが、私はロボットアニメから本格SFを読むようになり、宇宙科学から星座の伝説、ギリシア神話と流れてきて、すっかりトロイア戦争オタクになり、自分でもあれこれ読んだり調べたりした数々のエピソードを並べ替え整合性をできるだけ持たせひとつの物語に仕立てたのは…それこそ中二の頃だったかもしれません。
 私の物語ではどちらかというとパトロクロスの方が優しくまっすぐで思慮深く育った若者であり、アキレウスの方がスネてヒネて育ったわがままな天才暴君少年なのですが、そしてアキレウスがパトロクロスに心を許したのはアウリス出立後なのですが、まあそういう細かい相違はいい。
 とにかく「なるほどこう来たか」という感じで終始スリリングであり、たいそうおもしろく読みました。
 当時、男色に関してはこんなに白眼視されることはなかったのではないかと思いますが、若い頃のものとされていたということはあったかな。だから成人してもこのふたりが対でいることには白い目も注がれたのかもしれないし、当人たちも恥じている部分はあったのかもしれません。
 デイダメイアやブリセイスの扱い方がいかにも女性作家だなと思わせられ、それもおもしろかったです。物語としてはやはり開戦前の方が緊迫感があっておもしろかったかな。戦争が始まってからももっと有名なエピソードはあるし、もう少しねちねち書いてくれてもよかったのにな、とは思いました。
 オレンジ賞というのは女性作家の長編小説に贈られるイギリスの文学賞だそうですが、向こうでは作品としてはこれはどう読まれているのでしょうか…ブロマンス? 日本でもBLは一般文芸には波及しているとは言えないしな…むしろヤングアダルトの範疇なのかな。その意味では翻訳の装丁や売り方も中途半端に見えますが…まあ自分は出会えたのだから、いいか。
 「怒りを歌え、ペレウスの子アキレウスの怒りを」という句でホメロスの『イリアッド』は始まるのだけれど、この作品はアキレウスの怒りを歌ってはいませんね。でも愛とか悲しみを歌っている、とも単純には言えない気もしました。そこが良くもあり、弱くもある、とは思いました。


 

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有川浩『図書館戦争』(角川文庫)全6巻

2014年05月24日 | 乱読記/書名た行
 2019年(正化31年)、公序良俗を乱す表現を取り締まる「メディア良化法」が成立して30年。高校時代に出会った図書隊員を名乗る「王子様」の姿を追い求め、行き過ぎた検閲から本を守るための組織・図書隊に入隊した笠原郁は、不器用ながらも愚直にがんばる情熱が認められてエリート部隊・図書特殊部隊に配属されることになったが…!?

 人気があるのは知ってはいたのですが、ずっと「なんで図書館で戦争なの?」と思っている程度で手を束ねてきました。
 なんとなく「えいやっ!」と読み始めたのですが、なるほどね、と納得。
 月9テイストのエンターテインメント、おもしろかったです。若書き感もあるけれど、この著者のいわば出世作ですしね。こっぱずかしいラブを正面からやるのは大事なことです。
 本編ラストの時間の飛ばし方の潔さを小気味よく感じただけに、別冊は大人の事情もわかりつつも蛇足かな、と思わなくはなかったですが、楽しく読みました。
 小牧さんが好きだったけど毬江ちゃんが登場してからは興味がなくなり(単に好みのパターンでないだけで差別とかではありませんすみません)、逆に手塚は柴崎フラグになってからとても好きになり楽しく読みました。
 玄田とか緒形の時間の使い方は私は怠慢だと思いますが、まあリアリティとしてなくもないとも思うので、いいか。
 そして何より、言論統制云々みたいなキナ臭さが単なる空想ではなさそうな今の現実があるので、こういう形ででも広く読まれ考えてもらうことは大事なのかなと思いました。

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今週の言葉

2014年05月18日 | MY箴言集
「言葉も判らんで友達が出来まっかいな」
 弥助の声に嘲りがあった。
「俺はそうは思わんな。そもそも友とは何かを喋るものかね」




     隆慶一郎『一夢庵風流記』(新潮文庫)より

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槇村さとる『Do Da Dancin’!』

2014年05月11日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名ま行
 集英社ヤングユーコミックス全9巻
 ヴェネチア国際編オフィスユーコミックス全13巻

 お魚屋さんの一人娘・桜庭鯛子は幼い頃からバレエを始め、将来を嘱望されていたが、14歳のときに母親を交通事故で失ってバレエへの情熱を失う…ダンサーズ・ストーリー。

 1950年代の少女漫画黎明期に一大ジャンルとしてあったいわゆる「バレエもの」を読んで育った漫画家が、フィギュアスケートその他いくつかの「舞踊もの」を描いたのちに描いた「本格的な大人のバレエ漫画」。
 と、私は評していて、もっと評価されてもいいと思うのだけれど、いかんせんいろいろと雑なんですよね…まあそれこそ漫画家として大ベテランで今さら編集者があれこれ口を出せないのかもしれないし、そんなサポートがなくてもある程度はきっちりと売っているんだろうし、それで十分なのかもしれないけれど…個人的にはとてももったいないと思っています。

 「大人のバレエ漫画」だと言ったのは、掲載誌が少女漫画誌ではなく女性漫画(名称が未だ確立されていないのがなんとも歯がゆいですが)誌で読者も大半が成人女性であったろうことと、何よりヒロインがティーンエイジャーではなく成人女性であったことからそう判断しています。
 これまでのバレエ漫画は、歳若いヒロインがライバルとか師匠とか家族とかボーイフレンドとかとどったんばったんしながら才能や努力やなんやかやをめぐってコンクールに勝ったりひとつの舞台の主役を務めて頂点に立つまで…みたいなお話が多かったと思います。
 でも当然ながらダンサー人生というものはそんなところはゴールではなくひとつの通過点にすぎないわけで、まだまだ続くわけです。まして若い頃にそうした頂点に登り詰めかねて、それでも踊っているダンサーというものもたくさんいるわけです。そして思春期には思春期なりの問題がたくさんあるわけですが、成人したらしたでさらにたくさんの問題が降りかかる中で、それでも踊るのか、どう踊るのか、どう生きるのかといったドラマを描いた作品はこれまであまりなかったのでした。
 そこをきちんと描いたこの作品は素晴らしいと思うし、もっと読まれていいと評価されていいと私は思う。
 でも多分、著者本人がもうそこまでガツガツしていないんだろうなー、いろいろなことに…と一方で感じもするので、そこをもったいなく思うのでした。
 別に自分のためだけに描いてしまっているとか、情熱のなく手遊びで描いている、とかは思いません。でも、できる範囲でやってしまっている気がするし、より良いものにするための無駄とも言える努力や過剰な熱さ、濃さみたいなものはないんですよね。そこがやはり広く響いていかない原因かなあ、と思うのです。
 それでも確かなデッサン力とけっこう行き当たりバッタリにやっているようできちんと収まるところに収まっている抜群の構成力は素晴らしいと思います。
 でもさ、それでもさ。
 たとえば途中から休刊に伴い掲載誌が変更されて版型も変わったわけですが、そのときからかあるいは以前からかわかりませんが、同人誌サイズの原稿で描くようになっていないかな? まあ漫画家も加齢により視力や筋力の衰えがあるので広い画面にたくさん描くのがつらくなってくるのはわかるのですが、さらに縮小されるコミックスのサイズで読んでもわかる人にはわかってしまう大味さが、現代の最先端の緻密な画風に慣れた若い読者には敬遠されるだろうと思うのです。あっさりしているだけに本当にデッサンの確かさとかペンタッチの未だ衰えぬ滑らかさとかは引き立つんだけれどね…
 それからキャラクター造詣、というかヒロイン造詣に関してあまりに雑というか愛情が薄いというかこだわりがなさすぎるのではあるまいか。天才のお嬢さまでも薄幸の努力家でもない、普通のおうちの普通の女の子にしたかった、というのはもちろんわかりますよ。それがお店屋さんの娘でもいいしお魚屋さんの看板娘でもかまわないさ。でも名前が「鯛子」って…
 作中でももちろんつっこみネタにもなっていますが、それでも少女漫画コード的にはNGではあるまいか。ヒロインは読者よりちょっとだけ上で憧れを誘う存在に設定した方が読者の食いつきが良いのではなかろうか。読者が下に見てしまう、馬鹿にしてしまうヒロインのお話は普通はウケないんですよ、まあ私が古いのかもしれないけれどさ…
 さらに言うとヴィジュアルもひどいと思う。なんだあの髪型。憧れないってウケないって可愛いないいな素敵だなと思わないって! もっとヒロインらしいデザインがあるじゃん。なんでわざわざ外すの? そんなこだわりはいらないと思うんだけれどなあ…
 この心配は実は新作のヒロインではさらにひどくなっていて、今度は悪い方に振れているというよりは完全に没個性の方にいっちゃってるんですよね。漫画のキャラクターというものは完全に一般人では成り立たないと思うんだよ私はね、ああ心配…

 私が担当編集だったら、もうちょっとだけ可愛い名前にさせた。可愛い外見にさせた。もうちょっとだけ丁寧に描きこんでもらった、絵も話も。それだけでかなり違ったと思う。
 でもおそらくそういうアドヴァイスやサポートやコントロールを必要させず、またなくてもある程度の水準のものがきちんと量産できる粋に達している漫画家になっているのだろうと思います、この人は。それはそれで頼もしいことではあります。

 さて、そんなわけで、ごく古いタイプの少女漫画であれば、ごく普通の家庭に育ってひょんなことから踊り始めたティーンエイジャーのヒロインが、ライバルたちとかといろいろありつつもコンクール目指して、直前に母親を事故で失ったりしながらもそれを乗り越えて優勝してボーイフレンドとも上手くいって未来は明るい、ハッピーエンド!…みたいな話になっていたでしょうが、この物語は母親の事故死のためにコンクールをキャンセルし、そのまま自分の中では時が止まってしまって外では8年がすぎ、今でもバレエ団の中堅としてダラダラ踊り続けてはいるもののそれでは食えやせず、未だ実家暮らしをしていて夢もない22歳の女性がヒロインなのでした。
 生きること、働くこと、食べていくこと、失うこと、迷うこと、捨てること、夢見ること。すべて成人した大人につきまとうものです。親の庇護の下、未だ始まらぬ人生の手前でただ才能だけで飛び回っていられた子供のときとは違う、自ら紡がなくてはいけない人生のドラマ。この作品はそれを描いて見せました。
 第一話のラストは、世界で活躍中の男性スターダンサーがヒロインのバレエ団に客演するためにやってくるところで終わります。最終回は、コンクールの表彰式で彼がヒロインにプロポーズするところで終わります。その意味ではベタベタの少女漫画です。
 でも彼らは働く大人で、才能が違い仕事のやり方が違い立場が違う同業者で、それまでも違う人生を歩んできいてて、それぞれ失ったものを抱えた者同士です。そこにはドラマがありました。それをとても鮮やかに描いてくれました。とてもおもしろい作品でした。
 好きな人とは仕事では組めない、仕事で組む相手に嫉妬する、そんな公私が近い故の葛藤なんかもとてもおもしろかったし、恋愛・結婚・出産・育児とキャリアといった問題もおもしろかった。芸術とは何か、個性とは何か、伝統とは何か、役とは何か、というモチーフもとても興味深かった。すごく深いことを、わりとあっさりやっちゃってて、それがすごいような物足りないようなで、もっとねちねちやってくれればいいのに!と思いつつ、そこはこちらで補完して読んでこそ大人の読者か…と思ったりもしました。
 でも別にものすごく哲学的なことをやっているわけではない。あくまでフツー、ナチュラル、ニュートラル。それもまた成熟の証か…
 たとえば大人の職業バレエ漫画としては萩尾望都の『青い鳥』シリーズなんかがあるけれど、あれは連作短編集の形をとっていることもあり、全体にとても小粋でお洒落に仕上がっていたと思うのですよ。やはりデッサンの確かさと上手さを生かした雑さが効いた絵で、力んでいない作品でしたけれどね。あのお洒落さはこの作品にはない…が、もっと地に足ついた健やかさがある、かな。まあ比べるものではないのかもしれないけれど。
 むしろ比べるべきは過去の作品、たとえば出世作とか一時代を築いたヒット作相手なのかもしれません。そして最新作を読んでいないような人がいつまでも過去の作品ばかりを持ち上げるのを私は嫌う。描かなくなってしまった人、もう描いていない人を語るならそれでもいいし、描いてはいるけれど駄目になってしまった人にもそれしかないかもしれないけれど、しなやかに変化を遂げつつ未だ新しいものを生み出している息の長い作家に対しては過去の作品ばかりを崇め奉るのは侮辱になるときがあると私は思う。
 なんといっても綺麗にまとめて完結させたことも高く評価したいしね。私には完結まで追っかけたらそこで満足してコミックスを手放してしまう作品もたまにありますが、これは愛蔵して再読し、ねちねち愛していきたい一作になりそうです。




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