駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

二ノ宮知子『のだめカンタービレ』

2020年09月21日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名な行
 講談社コミックスキス全25巻。

 有名ピアニストの息子でエリート音大生の千秋真一。ヨーロッパで指揮の勉強をしたいと思いつつも、飛行機恐怖症のために渡欧できないでいた。そんな彼の前に現れた不思議少女・野田惠。ゴミ溜め部屋に住む彼女はとんでもない変人だった…歌うように奇行に走る天才(?)のだめの、クラシック音楽コメディ。

 今、関東ローカルですがテレビドラマ版の再放送をしていますね。放送当時も見ていましたが、再放送も楽しく懐かしく見ています。当時もオイオイで今見るとさらにアレレレな部分もありますが、まあ成功した実写化例のひとつでしたよね。
 原作漫画は長く愛蔵していて、コロナ禍前にも一気再読してやっぱり名作!と感動していたのですが、そのときも感想をまとめていなかったことに気づいてはいました…ので、先日また一気に再読してみました。ちなみにこの作家自体は、連載開始当初は『トレンドの女王ミホ』の人、というイメージが強かったと思うんですけれど、私は確か友達から天カンこと『天才ファミリー・カンパニー』のコミックスを借りて読んでおもしろかった記憶があって、その新作か、と手を出した記憶があります。もちろん音楽ものが大好き、というのもありましたが…スポーツと違って音楽は男女差がない(とされている)ので、同じ楽器をやっていれば恋人同士でもコンクールなんかでライバルになっちゃうこともあるし、芸術を極める困難さみたいな問題もあるし、いろいろとドラマチックさを感じて私は大好物のジャンルなのでした。
 この作品も、のだめはピアノで千秋先輩は指揮ですが、千秋はピアノもヴァイオリンも弾けるので、そのあたりがいろいろねじれておもしろいことになっていますよね。というか通して読むと、序盤の国内編はほとんど千秋が主役なんだなー、と思いました。というかのだめはまだ特に何もしていないというか…(笑)最後のほうでやーっとエンジンがかかって、やっとふたりしてヨーロッパに渡り、スタートラインに立つ!みたいな感じなんですね。で、あとは基本的に、「そーゆーのもうやめなさいヨ/みっともない」「そ……それとこれとは話が……」「だからーそのへんをはっきり分けろと言ってるの」が「よかったねふたりとも/ちゃんと分けて/ひとつになった」となるまでのお話、なんですよね。「これってフォーリンラブ♡ですか!?」「ちがう!/断じてちがう!」だった千秋が、両腕を広げてのだめを迎え入れるまでの物語。のだめが千秋に飛びつくのは最初からずっと変わっていないので(笑)。でもそののだめも「それは千秋先輩とだけじゃなくて/世界中そんなのがいっぱいあるはずだってわかったから/海の向こう岸があると思うとやっぱり人は漕ぎ出しちゃうんですヨ!」となって、ちゃんと変わっている。そうして音楽の道も人生も続いていく、けれど物語はとりあえずエンゲージ・リングでおしまい、というところが、私はもう最高に好きです。私はこの作品をラブストーリーとしてとても愛しているのでした。とてもよくできているとも思っています。キューピッドとなるミルヒーのノスフェラトゥ…じゃないメフィストフェレスっぷりは、当初どこまで想定されていたのかなあ。ホントよくできている構成だと思います。Ruiとかの在り方もね。そもそもサブキャラがどれもイイ、というのもあるんだけれど、誰も物語のためだけのご都合主義なキャラクターになっちゃていないところもいい。峰くんやルカの成長とか、帰国してしまうユンロンですら。だから、本当は作品内ですべてのキャラクターがカップルになるとか不自然だし個人的にはむしろ反対なんだけれど、Ruiとフランクの間にこの先何か芽生えるものがあるのだとすればそれはすごく嬉しいし、黒木くんとターニャとかもちょっとおもしろすぎたきらいはあるけどすごくよかったと思いました。てかこういうことってホントあると思いますしね。そしていろいろある中で千秋父子の確執がわりと自然にほぐれる展開なのもいい。もうお互いいい大人なんだから、今さら派手な衝突と和解!なんてないはずなんですよね。でもそうしちゃう物語ってすごく多い。でもこの作品はそうしなかった、そこがいい。そういう、いろいろな愛の物語として、私はこの作品をものすごく愛しているのでした。
 絵は国内編あたりは簡素すぎて少女漫画としてはかなりつらい。でも音楽シーンはいつでもどれも本当にいいですよね。描くのは大変でしょうけれどね、でも作家が本当にクラシックが好きで、よく研究していて、どう表現したいかが見えている描写になっていますよね。あ、私は音楽は素人なんで、こんなんじゃないよと言うプロ音楽家さんにはごめんなさい。「アンコール オペラ編」は舞台ファンとしても読んでいて楽しかったです。各界の扉絵が有名オペラ作品モチーフだったのもツボでした。「気のせいかもしれないような」「夢のよう」な…舞台も、音楽も、そりゃCDとか映像とかには残せても、本物の生の音は、その場の空気は、消えてしまう。だからこそ! 形ある物が必要なんですよ!! 指輪、大事!!!(笑)
 というわけで以下ちょっと下卑た話をしますけど、千秋がRuiとラヴェルのピアノ協奏曲で共演した夜の朝チュンが、千秋とのだめの初夜なんですかね!? これが朝チュンなのは、つまりやることやってるってのは断定なんですけれど、のだめはその後の言動からしてもわかるんだけど千秋がちょっとアッサリしすぎている気もします。でもそれまで、確かにずっと押しかけ同棲みたいなものだったし、例えばサン・マロでのリサイタルなんかでも同衾してるんだけど、あの夜はしてないし(「生き地獄」ってちゃんと思う千秋が好き)、シュトレーゼマンの見舞いにウィーンに行ったとき(会えなかったけど)も一泊していてるんだけど、ジャンゆうこと一緒だったしホテルのダブルに泊まったのでは?と思うけれども描写なし。オクレール先生の課題をこなすために千秋が元のアバルトマンに戻ってきたときも、のだめは千秋のベッドで寝ているし千秋も寝るときはそのベッドを使っているんだけれど、そして枕はふたつ並んでいてふたりとも寝る側がそれぞれちゃんと決まっているんだけれど、交互に睡眠を取っているだけのように見えるし、こたつでイチャイチャしている描写もあるんだけれどそれだけと言えばそれだけです。なのでやはりこの夜がそうだったのかなー、だからこそののだめのプロポーズなのかなー。なんかせつないですよね、そして千秋もよく耐えてごまかしたよね…というか、のだめはともかく千秋は彩子もいたし童貞じゃないんじゃないかと思うんですけれど、よく耐えてきたよね…いやフツーですけどね? お互い同意していいタイミングで盛り上がらないならしない、待つ、浮気しない、自分でどうにかするなんてのは男女ともに当然のことなんですけれど、どうも男はそれはムリなんだよーとか言って甘えてつけあがりがちだし女もそれを許しちゃいがちじゃないですか。でも千秋は、もちろん音楽に邁進してるってのもあるけれど、のだめのネグリジェ姿に仰天したり三つ指ついて正座されて赤面したり抱きつかれてDカップにときめいたり「ごはんにしますか?お風呂にしますか?/それとものだめ?」ってウィンクされて「えっ/あ……/じゃあ」ってなったりしながらも(この「じゃあ」は描き文字なのがまたイイ)ちゃんと踏み留まってきて、むりやり力尽くで何かしたりとかはなかったんですよね。強いて言えば初チューがそのパターンで、でもそれはちゃんと拒否られてるしショック受けて反省しているので(笑)、ちゃんと学習し成長したのでしょう。はー、理想の王子様だわ…イヤ重ねて言うけどフツーのことなんだけどさ。
 千秋がちゃんとのだめを好きなことが愛しいです。催眠だろうとなんだろうとネックレス買ってあげるしね(笑)。「かわいい系」だよ!? 千秋にはのだめがちゃんと可愛く見えているんですよ、はー愛だわー! そのネックレスとお揃いの指輪が「約束」として捧げられて、ラストに回収される。美しい!! 現代の婚姻制度には、特に日本のものはいろいろと問題が多いけれど、一対一で永続的な関係を目指せるのってやはり理想的で素敵なことだと思うし、その場合にはある種有効な契約だと思うし、なのでロマンチックラブ・ハイフィデリティ・結婚ハッピーエンドの物語を私は圧倒的に支持しちゃうのでした。あと呼称フェチなので、ちゃんと意味のあるのだめの「真一くん」と千秋の「のだめさん」がとてもとても好きです。演出としてニクい。
 本編の最終回ひとつ手前の回(すべての長期連載において、この回の大事さって世にもっと強く認識されるべきだと思う)も、最終回も、アンコール編の最終回もどれもとても素晴らしい。そして描き下ろしの番外編がまた素晴らしくて、タイトルロールはターニャになってるんだけど、実は初登場の黒木くんの従妹が主役で、つまりこれは私たちでもあるんですよね。そしてこの物語は、「みんなの演奏を聴きに/世界中へ行ってみたい」で本当の大団円完結なんです。私たちはのだめたちみたいな音楽の天才じゃないかもしれないけれど、音楽を愛し楽しむことはできて、どこへでも行ける、なんでもできる…そんなメッセージを感じるのでした。
 コロナ禍で海外旅行どころではないご時世ではありますが、いつかまた必ず、人々が自由に行き来できる日が来ることを、祈っています。
 最後に、ドラマ再放送にあたって、作家がこの作品でのセクハラやパワハラ描写、ゲイフォビア描写なんかを主に差して謝罪めいたことをつぶやいてプチ炎上した件について。作家がきわめて健全に人権感覚をアップデートさせているというだけのことで、なんの問題もありません。騒ぐ方がおかしい。新作も読んでいるファンならちゃんとわかります。手塚治虫作品や、例えば『はいからさんが通る』なんかに加えられたとてもよくできた注釈と同様のものなどが加えられて、今後も読み継がれていけばいいと思います。今初めて読んで、傷つき驚く人を減らしたいですからね。かつて読んで密かに傷ついていた人も、それで癒やされるといいなと思います。そしてかつて読んで何も問題を感じず、今も問題を感じていなくて作家のこのツイートに噛みつくような輩は滅するがよいと私は思います。
 はー、オケにも久々に行きたいなー…







コメント
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