駒子の備忘録

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宝塚歌劇星組『RRR×TAKARAZUKA~√Bheem~/VIOLETOPIA』

2024年04月05日 | 観劇記/タイトルあ行
 宝塚大劇場、2024年1月6日11時。
 東京宝塚劇場、3月12日18時、14日18時。

 1920年。大英帝国の植民地であったインドにおいて、人々は白人たちから差別的な扱いを受けていた。ゴーント族の守護者にして不屈の英雄コムラム・ビーム(礼真琴)は、インド総督スコット(耀咲玲央)によって不当に攫われた部族の少女マッリ(瑠璃花夏)を救うため、立ち上がる。それから間もなく、インド総督府にゴーント族の守護者が少女を取り戻すべくデリーに潜入したとの情報が入った。彼を捕まえた者は特別捜査官に昇進させる、という総督夫人(小桜ほのか)の言葉に、ひとりの警官が応える。インド人でありながらイギリス警察として冷徹に任務を遂行する男、ラーマ・ラージ(暁千星)であった…
 脚本・演出/谷貴矢、作曲・編曲/太田健、高橋恵。2022年に公開された大ヒット映画を舞台化した、ダンシング・インドロマン・ミュージカル。

 マイ初日雑感はこちら
 その後、大劇場新公もなくなって遠征を取りやめ、東京公演のお取り次ぎもお断りの連続で、回数を観ていないから、というのもありますが、所感はここからあまり変わっていません。原作映画の大ファンには楽しい公演かもしれませんが、基本的にはスペクタクル重視の、ああなってこうなってというストーリー展開で心情的なドラマ展開はさほどないので、どちらかというとそういうものが観たい私なんかの評価はそれほど高くない…となるのでした。心理ドラマ、葛藤は主にラーマの側にはありますが、その真相は後半で回想やシータ(詩ちづる)の語りの場面が来ないと観客にも共有されない構成ですしね…
 でも、とてもよく舞台化していると思いますし、再来日した原作映画の監督にも無事にご観劇いただけて何よりでしたし、ことありお披露目としてとてもよかったと思うし、何にも増してジェニー(舞空瞳)とジェイク(極美慎)の改変が素晴らしかったので、そこは何度でも褒め称えたいです。
 番手都合でジェイクの役を大きくすること、ジェニーの婚約者と設定すること、自体はわりと誰でも考えそうなことだと思います。でもその流れで、ジェイクを、ジェニーをトロフィーワイフとして捉えているような傲岸不遜な男にすることもわりとありがちだと思うのです。ジェニーは差別意識バリバリの好きでもなんでもない男との不本意な婚約を強いられた、かわいそうなヒロインで、だからビームとの出会いで真の愛を知って…云々、みたいな展開にする、ってことです。
 でも、ヤング谷先生はそうしませんでした。そこを私は何より評価したいです。たまたまだったのかもしれないし、彼のような若い世代には自明の感覚なのかもしれない。でも、本当によかったと思うし、観ていてストレスがなかったので、ありがたかったです。
 ジェニーは、ひっとんには、かわいそうなヒロインは似合わない。女はいつもかわいそうで、男に救われるだけの存在ではない。自分の足があり意志があり、それでちゃんと立って進んでいるのです。誰かの添え物ではない。身分的には、お見合いとか、親が薦めた相手だったのかもしれないけれど、ジェニーはジェイクをちゃんと好きで、自分で選択して納得して婚約した相手だ、という感じがちゃんとしました。まあジェイクの方は当然だからいいのです(笑)。いや、そんなこともないか。頭が固すぎる男だったら、ジェニーの天真爛漫さを慎みがないと感じて、「女のくせに」と怒って破談にしたかもしれません。ジェイクはそういう男よりは度量があったか、なんならいい意味で鈍感だったのでしょう(笑)。あるいはジェニーのそういうところが好きだ、と言っちゃうくらいのやや変わり者なのかもしれません。それなのに、あるいはだからこそ、過剰に心配し、常に探して回って助けよう保護しようとしちゃうだけで、根底にはちゃんと彼女への愛情がある。それは支配欲、管理欲とかではないので、居丈高な命令なんかもしない。そういうバランスが絶妙なキャラクターでしたし、中の人もちゃんとわかっていて、計算して演技をしているのが感じられました。それは新公と比べても如実だったと思います。また、これはカフェブレで語っていたことだったか、東京公演の舞台稽古でもう少しワル寄りに作って演じてみたら、自分も谷先生も「やっぱり違うな」となった、ということでしたが、ホントそういうことだと思います。単に勘と愛嬌だけでやってるんじゃないんだよね、偉いぞ!(激甘…)
 ジェニーがかわいそうでなく、安易にビームと恋をしない、ということはこの作品全体を観やすくもしていたと思います。だってこのあと、ラーマに教わった拙い文字でビームがイギリスに帰ったジェニーに手紙を書いたりして、交流は続くのかもしれないしまた再会することもありえるのかもしれないけれど、結局は独立戦争の闘士と宗主国の上流階級のご令嬢、ということからはお互い逃れられないわけで、ラブラブハッピーエンドとかはちょっと想像しがたいわけじゃないですか。別にそこまで考えながら観るお話ではないのかもしれないけれど、今回はたまたま協力し合えて、友情も築けた、けれど根本的にはそれぞれの立場がある者たちの一瞬だけの奇跡のような物語…とした方が、やはり据わりがいい気が、私はしました。なのでこの改変を熱く強く支持しているのです。
 まあラスト、マッリを連れてきているのはともかく、インド人たちが軍から強奪したというイギリスの武器の山を嬉しそうに見ていていいのか…って気はするけどな、ジェイク(笑)。でもここで複雑な表情をさせてしまうのも話が重くなりすぎるんだろうし、まずは花火でみんなで踊って終わるんで十分なんだと思います。おもしろかったです。
 あとは、昔のよその国の独立戦争の話に湧くのもいいけど、自国の独立政権を倒すためにそろそろ立ち上がろうぜ、とは思ったかな。それはしない、というなら本当にそれは感動の搾取のエンタメになってしまうねと思うんですよね。観客に立ち上がらせるまでやらせてこその真のエンタメなのであって、演目をその域に至らせられるかどうかは観客である私たちの今後の行動に委ねられるているんだと思うのです。不正も搾取も差別も良くない、と学んだなら、それを現実に反映させていかなければ。私たちは私たちの国の政治をより良いものに変えていかなければ、そのために行動しなくては…それは肝に銘じたい、と思いました。でないとマジでエンタメを楽しむどころではない世が早晩来ちゃいますよ、戦争に引っ張られたくありませんし誰も送り出したくないですよ…あのおじさんたちは自分たちは安全なところでのうのうと暮らして、武器を売り戦線に国民を送り出すことになんの躊躇もなさそうです。あんな政権、変えないと本当に怖いですよ…

 さて、新公主演の大希くんのおそらくインフル休演?にともない、日程が延期された東京新公でしたが、それこそ公演日程見直しでいくつか平日ソワレを飛ばしていて、まあ結果的には祝日ソワレになりましたが、無事に振り替えて上演できてよかったです。配信で見ました。
 長身で華のあるビームで、こっちゃんの、小粒だけどだからこそ秘めたる力がすごいんだ…!みたいな感じはなかったですが、おおらかそうなみんなのリーダーな感じで、大健闘だったのではないでしょうか。
 ジェニーは乙華菜乃たん、私は『バレンシア~』のマルガリータ以前からずっと注目している娘役ちゃんで、祝・新公初ヒロイン! これまた明るく華やかなオーラの持ち主で、ひっとんとはまた違った味わいのある優しさ、おおらかさ、柔らかさもあって、お歌もとても良くて、なんせ声がヒロイン声で、とてもよかったと思いました。男役さんに対して臆していない感じも、素なのか役作りなのかわかりませんが、すごくいいと思いました。あと、初めてお茶飲み会に行ったんですけど、お話がとてもお上手で、下級生娘役にありがちな可愛いんだけど緊張なのか臆病なのか全然話せなくてはてどうしたものか…みたいな感じがまったくなかったのがとてもとてもよかったです。大きく育てー!
 ラーマは御剣くん、これもとてもよかった! 前回の『1789』新公デムーランもいいなーがんばってるなーと思いましたが、小顔で長身でスタイルがいいのが武器だし目立つし、熱いのも渋いのもできるんじゃん、と頼もしかったです。新公主演も観てみたい! タレント豊富だなー星組!!
 ジェイクはつんつん、稀惺くん。ちょっと小さいんだけどホントいつでも上手い。本公演よりややスノッブで嫌味っぽい、イギリス臭の強い役作りだったように見えました。菜乃たんジェニーとのバランスからいって、それでちょうどよかった気もします。
 他に印象的だったのは、いつも任せて安心な紘希くんのヴェンテカシュワルル(って名前だったのか、ひーろーのところです)、世晴くんの憎々しげなスコット、ルリハナのとても怖いキャサリン、茉莉那ふみたんのそれはそれは可愛らしいマッリ、これまたいつも上手い碧音くんのペッダイヤ。あとちゃんと認識したのは初めてかな?なジャングの樹澄せいやくんも、スタイルが良くて美形で映えていましたね。ミランダカーのシータはパンチがありました。うたちは都優奈ちゃんのところのSIGERRRで、それこそこれもパンチがありました。鳳花るりなたんはこれでご卒業の彩園ひなちゃんのところのリリー。彼女の「どうするの、ジェイク?」みたいな台詞がいつもツボでした。本公演では凜々しく踊っていますが、やはりドレス姿が素敵でしたよー!
 さきっぽが休演で残念でしたね。大きな演出変更みたいなものはなかったかな? 段取りも多い芝居で大変だったでしょうが、人が少ない中でも健闘していた新公だったかと思いました。
 雪『ベルばら』から大劇新公も復活するかも?というメもあるようですが…過重労働に気をつけつつ、やはり研鑽の場は多く与えてあげてほしい気はします。一回だけ、というのはやはりいろいろしんどいのではないかしらん…


 レビュー・シンドロームは作・演出/指田珠子。これが大劇場デビュー作で、これまでの作品はこちらこちら
 こちらはもうちょっと回数を観たかったかな、と思っています。誰がどこにいる、みたいなのを確認するので大わらわで、観たいところを観ていたらショーとしての全体像をつかむどころではない…という感じだったので。普段のバラバラ場面をつないだだけのショーならそれでも楽しめちゃいますが、今回は全体を通したコンセプトがあったわけですからね天第一印象よりは、まとまりを感じられたというか、やりたいことに共感できる感じはしたのですが。
 一見明るく盛り上がる中詰めにも不穏なシーンが差し挟まれるように、そして浮いて見えるぴー始め退団者場面とロケットもすべて劇場に関する場面なのだと解釈すれば、そしてフィナーレの突然のスタイリッシュ・サングラス場面も未来の劇場、ないしそこに集う人々の場面なのだとすれば、デュエダンもパレードも含めて、劇場そのもの、そこで上演されるレビューそのもの、そして演者と観客の共犯関係のような「今宵はあなたと我らのもの」を描いた、夢のような幻覚のような懐かしい思い出のような…というコンセプトのレビュー・シンドロームだった、ということなのでしょう。
 すみれの苑、というような意味の造語かと思われる「ヴィオレトピア」、素敵な言葉だと思います。いろいろあってもファンを止められない観客はまさしくシンドロームに罹患しているのでしょう。確かに病んではいるのです、しかしそれは正しくないということとイコールではない。世の中が完全に完璧に健全健康でなんの不満も問題もないのなら、文化も芸術も不要なのかもしれない、しかし現実は幸か不幸かそうではない…というのはそもそもの私の考えなのですが、そういうようなことも歌っている作品なのではないかな、と感じました。もう少し、好きとか好みとかで語れるくらいまでは観たかったな、と思っています。まあでも映像を買うか、見るかと言われれば私はきっと見ないので…これも縁です、仕方ない。
 次回作にも期待しています。またショーでもいいし、本公演の前物デビューも観たいです。生徒も大事だけれど作家も大事です。良き作品を作れる良き環境にいてほしい、と切に願っています。
 しかしどの場面もひっとんがホント大正解の大優勝だったなあぁ…! ミュサロ、行きたいなああぁ…!!


※※※


 悲しい事件からちょうど半年の命日を前に、劇団と遺族側がやっと合意に達しました。
 ちょうど自宅テレワークをしている日で、仕事がそんなになかったので、劇団の会見をリアルタイムでネットで見て、そのあと遺族側の会見をYouTubeで見ました。口調とか、論点とか、問題点の比重とかは当然多少異なるのですが、それでもとにかく合意した、基本的には劇団が遺族側の訴えをほぼ認めて謝罪した、ということで、一応の区切りとはなるのでしょう。
 私は、劇団の姿勢は評価したいと思いました。もっと早く、なんなら一番最初にこの対応ができていたらよかったのに、そうすればここまでこじれて傷を広げることもなかったのに…とはもちろん思いましたけれどね。でも最悪の場合、該当とされる生徒を退団させて、なんなら宙組は解体して残った組子は各組に編入しておしまい、とするのではないか、とまで私は考えていたので、劇団がきちんと生徒を守って、管理側・経営側の手落ちだったとして責任を一切合切引き受けて謝罪したことに、本当に安心しました。
 そう、誰かだけが悪い、なんてことはないと思いのです。特殊な閉鎖空間で、真面目に一生懸命に芸事を磨くために、いつしか暴走してしまって、厳しく当たるのがあたりまえ、つらくても我慢するのがあたりまえ…みたいになってしまったんだと思います。よかれと思ってやっていた人も、自分がやられてきたから今度は下級生に対しても同じことをやった、という人もいるでしょう。悪いと思っていた人も、悪いことだったんだとわかって青くなった人も、やっぱり悪いことをしたとは思えないままでいる人もいることでしょう。それを一律には断罪できないと思う。
 組長や副組長、生徒監や組プロデューサー、あるいはもっと上層部の経営陣はみんな、組子を指導し、みんなが安全に、安心して、健康で幸福で舞台に立てるよう環境を整えるのが業務なはずでした。それが悪い意味での現場任せ、生徒任せになっていたのでしょう。加えて演出部の人手不足で、本来なら演者の仕事ではないことまで負担させていた…最初のうちだけなら、裏方の仕事も勉強になるからいい、とも言えるのでしょうが、恒常的になっていたのならやはり経営ミスです。今まで、何度も何度も危うい場面があり、すんでのところでなんとかしてきたんでしょうけれど、そういう無理は永遠にはできないので、ついに破綻が訪れた…ということなのでしょう。週刊誌のいわゆるスクープで何かが動くものではないのかもしれないけれど、それでも最初に報道されたときにきちんと是正されていたら…せめて希望された組替えがなされていたら…と、後悔はつきません。
 謝罪し、改善を誓っても、失われた命は戻らない。信頼を回復するにも長い時間が要ることでしょう。もう仕事はしない、と宣言した外部スタッフも現れましたし、特に宣言することなく観劇を控えていくファン、ファンですらなくなっていく観客も多いはずです。音校受験生が減ったのは少子化の影響もあるでしょうから一概には言えませんが、現役の下級生たちの現状から考えても、またコロナ禍の影響も含めて、5年後、10年後まで余波はきっとあるはずです。
 でも私は、個々のスターはみんながんばっていて輝いていてみんなにファンもいるんだし…ということもありますが、未婚女性が男役と娘役に別れて理想の男女の愛の物語を築いている、という意味での宝塚歌劇をものすごく愛していて、この形でしか表現できないものがあるし、それは世に求められているものだ、少なくとも私は求めている、と考えているので、簡単になくしてほしくないし、続けるというなら観続けたいのです。OSKがあるからいいじゃん、ということではないのではないかと思うのです。最近全然観られていないので比較もできないし、よくわかりませんが…
 なので、宣言どおり、きちんと改善していって、みんなが安心して安全で健康で働ける職場になってほしいし、その上で上質なものを提供してほしいです。それでこちらも幸福にしてもらいつつ、足りなければ引き続きやいやい言い続けたい。それは健全な批評活動でしょう。陰で泣く者がいないと美しいものは作れない、なんてことは決してありません。それは怠慢です、言い訳です。泣く者をなくした上で美しい、良いものを作るべきなのです。絶対にできるはずです。その理想に向けて邁進しなければなりません。
『FF』の上演見合わせ発表は残念でしたが、当然でもありました。でも改善がちゃんと見られたら、再契約だってありえるのでしょう。希望は持ちましょう。
 とりあえずその次の雪組公演はチケットが発売され出してしまいましたし、となると今の月組公演が終わったら、間に宙組は短いながら何かやるのか、もう一回まるっとお休みなのか、近くまた発表があるのでしょうか…個人的には普通に『パガドスカファン』をやればいいのかな、と思わなくもないのですが、無神経でしょうか? でも観たくない人は観なければいいのだし、と言ってしまうのは、乱暴でしょうか? それか、『カルト・ワイン』の再演とかね…ただ、生徒のほうが、やりたい人も、まだやる気になれない人もいるでしょうから、なかなか大変な調整だとは思います。みんなの心身が整うまで、もう一回お休み、が妥当なのかなあ…全然仕事ができていない研2さんがかわいそうですけれどね。あ、今年の研1さんは初舞台後は組回りをして、組配属は来年のようですね。なのでなおさら研2は…と思うと、心配ではあります。
 先日、宙組下級生2名の退団発表がありましたが、集合日だったからということではなく、年度末だったからかな、と私は勝手に考えています。彩妃花ちゃんは有愛きいちゃんとともに新公長の期を務めた生徒さんですよね、これで宙組103期はキョロちゃんだけになってしまうんですね…しんどい。でも仕方がない。進退を考える人、進路が変わる人もいることでしょう。
 見限って離れていく人も多いでしょうし、それはそれで止められないし、仕方ないです。でも観たいけど、不安で安心して観られない、という人もいるでしょう。つらいですよね。ファン同士でも、仲間内でも、スタンスは千差万別で、あちこち亀裂が生じているかもしれません。でも別に一枚岩で劇団を応援しなきゃ、なんてことはないので、ひとりひとりが自分の心と向き合って、そのときの気持ち、気分、考えで観たり観なかったりしていいんだと思います。贔屓を応援することに躊躇してしまう人も、以前と何も変わらないようでやはり内心で葛藤したあげくにあえて変えないようにしている人も、いるんだと思います。いろいろな人がいて、自分と違っていても、まずは自分がどうしたいか、が大事なんだと思います。他人を攻撃せず、自分の心を守って、幸福に生きるべく、そのために必要なことをするといいんだろうな、などと思っています。
 私は、いろいろな問題を感じつつも漠然と観続けてきたことでは自分にも責任の一端があったんだろうと考えていますし、だからこそ引き続き観続け言い続け、そして決して彼女の死を忘れることなく、悼み続けたいと思っています。ときおりすっかり忘れてはしゃいでいるように見えたとしても、刺さった棘は抜けないし、決して癒やされることはないでしょう。命というものは、それくらい重い。私は生きているので、その重さを抱えたまま、生きていくしかないのです。
 合意とともに、彼女の名前はスタープロフィールからひっそりと消えて、これで退団、という扱いなのでしょう。黄色やオレンジといった明るいビタミンカラーが似合う、華のある、歌がとても上手い娘役さんでした。決して忘れません。改めて、ご冥福をお祈りしています。
 そして一禾くん、できれば帰ってきてくれたら、私は嬉しい…ゆっくりでいいから。自分を大事にしてくれていいから。でも私たちは友達じゃないので、スターとファンという形でしか、演者と観客という形でしか会えないので…このままだと寂しい、という、これは単なる私のわがまま、願望です。もちろん会えなくても、どこかで元気で幸せでいてくれることを願う、ということもできるんだけれど、ね…



















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2 コメント

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Unknown (はにわ)
2024-04-18 00:11:12
ご存知でしたら申し訳ありません。
4月1日に阪急うめだに一禾あおさんのご実家の漬け物屋さんが出店されました。
これは、和解と捉えて良いのでしょうか?
完全にご縁が切れたわけではないように思います。
存じませんでした (はにわさんへ)
2024-04-25 15:29:42
コメントありがとうございました。
ご実家の家業のことはまるで存じ上げませんでした。
良き方向に動いているなら歓迎したいです。

●駒子●

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