駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇花組『CODE HERO』

2010年11月29日 | 観劇記/タイトルか行
 宝塚バウホール、2010年11月21日ソワレ。

 1974年、テキサスのヒューストンではスーパーボウルが開催され、警察官たちもスポーツバーで試合中継を楽しんでいた。そこへ護送中の殺人犯が脱走したとの連絡が入る。途方にくれる警察官たちの前にひとりの旅行者が現れ、名前や出身地を訪ねても答えないので、警察官たちはその男を拘束するが…
 作・演出/谷正純、作曲・編曲/吉崎憲治。
 「コード・ヒーロー」とはアーネスト・ヘミングウェイが分類したヒーロー像のひとつで、法律や社会常識に囚われず、自分自身の掟(コード)のみに従って行動する、反逆的ヒーローのこと。

 …だそうですが…
 てか『誰がために鐘は鳴る』とハシゴしたのですが、よもやのヘミングウェイつながりだったってことですね…

 てか、完全ネタバレでお送りします。
 これからご覧になる方で、事前の情報をあまり仕入れたくないタイプの方は、以下ご遠慮ください。
 てかぶっちゃけ酷評です。
 そういうのもダメな方も、ご遠慮ください。
 いや久々に絶望的な気分になったもので。
 出演させられている生徒さんが気の毒すぎます…(ToT)


 ひと頃は、「皆殺しの谷」で有名でしたよね。
 まあでもキャラクターの殺し方にはいろいろあるし、いいんですけれどね…
 とりあえず今回は、作中で殺したキャラクター全員に謝ってください、谷先生。
 ひどい。
 ひどすぎる。
 意味のある死が何ひとつない。


 オープニングのライトはカッコ良かったんだけれどもねえ…
 あと、いつの時代のアニメ? いや戦隊もの? っていう主題歌も、まあカッコ良かった。
 しかし中身がアレじゃなんもかんも意味なんかナイよ…


 サブリミナル効果でマインド・コントロールって、はたしていつのネタなの?
 21世紀に生きてるの先生?

 いや、物語の年代当時では最先端技術だったのかもしれないよ。だからモチーフとして扱うのはいいよ。
 でもそんなに万能なものでもなかったってことは、現代に生きる観客はだいたいが知ってるんだからさあ、そこらへんを踏まえてお話を作ってくれないと。
 それになんなの? 悪役たちがこの技術を使ってしようとしていたことは、いったいなんだったの?
 買収相手の企業社長を殺す?
 それで何を得ているの?
 はっきり言って殺人というものはかなり高くつく手段なんだよ?
 そんなことよりもっと安上がりで確実な方法で、同じ目的を遂げることはできると思うよ?
 てか相手をいちいち殺していたらそれはもはや買収じゃないけどね。
 たかだか金持ち企業がそんなことしないよ。あと何? 新聞社? なんだそれ。
 マインドコントロールした暗殺者を育てて要人を殺して世界を変えるとかさ、なんでもいうことをきく兵士を育てて強力な軍隊を作って世界を奪うとかさ、そういうお話がいっぱいあったの。かつて。世の中には。フィクションだけれどね。中二病だけれどね。
 そういうの、読んだこと、あります?
 たぶん読んでませんよね。で、知らないから、わが身を省みることもなく、「いいの思いついちゃった」ってやってるんだよね。いい歳してね。
 …恥ずかしいと思ってくださいよ。
 こんなモチーフの扱い方、こんな悪役の立て方じゃ、対する主人公たちも立ちません。


 そしてその主人公たち。
 これもひどい。

 まず、復讐ものって難しいって知っています?
 冤罪だろうが陥れられたんだろうがなんだろうが、復讐してやる!ってなった時点で、主人公は自分を陥れた卑怯な相手と同じ土俵に立つ、というか同じ卑怯な世界に身を落とすことになるのです。
 普通の観客は、最初は同情して主人公たちを応援していても、だんだん復讐のためなら手段を選ばなくなる主人公たちに嫌気を感じていくようになるものです。主人公たちもまた、自分のなんらかの目的のために手段を選ばず主人公を陥れた卑怯な相手に似てくるからです。
 普通の観客にはそこまでの経験もないし根性もないし、どこかでつきあうのに疲れてくるからです。
 この問題をクリアするのはかなり難しい。
 主人公たちにかなりの魅力を作って、なるべく長くつき合えるようにし向けなきゃならないし、主人公たちの復讐の手段にもアイディアが必要になります。相手と同じ卑怯で悪辣なことを主人公たちにさせてはいけません。それはヒーローがするべきことではない。
 それがコード・ヒーローであろうと、です。


 ではこの作品の主人公たちはどうか。
 まず、状況の設定だけで性格設定がまったくできていないのが問題です。

 ジャスティン(朝夏まなと)は、恋人の両親を殺害した罪で捕まり、投獄され、無実を訴えるよりは早く出所するために模範囚として過ごし、監獄からでてきた今、真犯人を捜し歩いている。
 それはわかった。で?
 この事実からはやや粘着質なのねとか真面目なのねとか意外に冷静というかいや冷酷なんじゃないの?というような感想しか私は出てきませんでしたが、それはまあおいておくにしても。

 彼が、どんな生い立ちの、どんな性格の、どんな人間かという情報がまったくないんです。
 それを表現するエピソードもない。
 将来を嘱望された士官候補性で、裕福な婚約者がいて…というのは説明される。
 しかし彼が、たとえばのんきな人間なのか、優しい人間なのか、怒りっぽいタイプなのか、クールなタイプなのか…そういう性格、人間性に関する描写がまったくないわけ。
 それはつまり彼がどんな人間かわからないってことと同じことです。
 そりゃ冤罪に苦しんでいることには同情しますよ。でも所詮そんなの他人事です。彼を好きになって初めて、彼の身の上が親身になって考えられる。彼の復讐の物語につきあおう、という気持ちになれるのです。
 それが、ない。
 彼がどんな人間か皆目わからないから、好きになんかなれないし、彼があれこれ説明する事件の話にも耳を貸す気になれないんですよ。
 だって周りの舟漕ぎ率、ハンパなかったですよ。あれ全部、生徒に見えてますよね? バウだもん、あんな小さなホールだもん。本当に生徒が気の毒です…
 台詞が説明臭すぎて下手だ、という技術的な問題もありますが、根本的には、キャラクターが描けていないこと、キャラクターのチャームがないことが原因なんですよ。
 そりゃ観客は役者のことが好きだからさ、役者が演じる役も愛する準備ができているワケ。でもそれだけじゃダメなんですよ、役者の魅力だけではダメなの、役に魅力がないとダメなの。
 そこはいくら生徒ありき、スターありきの宝塚歌劇でも、脚本家が書いてあげないとダメな部分なんですよ。
 そういうこと、わかってます?

 ヒロインのヴァネッサ(実咲凜音)とかも典型的な例です。
 まず、登場シーンの衣装が意味不明すぎる。
 レモン色のワンピース、スカート部分はタイト、同じ黄色のカーディガン。これってスポーツバーで働く娘の服装か? パトロールをさぼる警官たちがたまり場にしているようなバーの? 柱に手錠でくくりつけた男を見張ってろとか言われちゃうような女の? 婚約者に両親を殺され、それでも婚約者の無実を信じて、彼の出所を待っている女の? ではどんな女なら似合の服装なのかというと、それも思いつかない。
 中途半端だからです。何も考えられていないからです。
 境遇も性格も作れていないから、こんな謎の服装になるんですよ。こんな役、演じようがないよ。
 怒りっぽいからキンキンしているのか、クールだからキンキンしているのかなんか全然わかんないし。キンキンしていて全然かわいくない。
 ソロの歌の歌詞もまったく意味不明だったし、こんな初ヒロイン、かわいそうすぎますよ…
 あと、ラストですが、ケネスはもういいんですかねえ?
 ジャスティンにきちんと惚れているようでもないようですが、ジャスティンの仕事を手伝うわとか言っちゃってた気はしたんだけど?
 でもそんな薄情な女に観客は感情移入できませんよ?
 それでラブ的にはハッピーエンド、とかにはなりませんよ?

 あと、事件が解決されてもケネスの人生は破壊されたままですよ?
 ケネスのことは直接ボイドやクリストファーが何かしたことではないにしても、キャラクターひとりを廃人にして、ヒロインをその世話係に一生縛り付けて、いくら脚本家はその世界の神様だって言ったって、そんな非道なことが許されると思ってるの?
 これだけキャラクターの人生を破壊していてて、それで何が描けたの?
 社会の掟に従わない主人公たちってカッコいい、とかなんかそんなこと?
 バカじゃないの。それはただの無法者って言うんだよ。
 観客は普通の社会に生きる良識的な一般市民で、そんな反社会人物にあこがれたり共感したりしません。
 大人になってくださいよ先生、15やそこらの思春期の少年じゃないんだからさあ…


 ハル(望海風斗)については、100歩くらいなら譲ってもいい。
 実はFBIの潜入捜査官だった、というオチがあるから、多くは明かせないし、怪しさ満載でなんかワケありに見えれば、あとはへらへらやってみせただいもんのキャラでなんとなっていた。
 でも、そういうことじゃないんです。


 とにかく主人公たちに魅力が感じられないまま、共感できないまま、とりあえず物語は始まってしまうので観ていきますが、まあまたその展開のひどいこと。
 冤罪を着せる相手なんて都合がよければ誰でもよくて、殺す相手にこそ意味があるのだということくらい、陥れられた彼らにだってすぐわかりそうなもんでしょう。なのになんなんだあの、なんかよくわからない推理の展開…「被害者意識が強すぎた」だと?

 それに、結局ハルの事件は嘘だったんだから、そうするとこの手の冤罪事件はジャスティンとケネス(天真みちる)だけですか?
 二件だけでは連続殺人事件とは言えないんじゃないのかなあ…
 それに、どちらの事件も郵便配達人が証言者になっていて、偽証を専門にする組織があるのかも、みたいな話になりましたが、結局はそれはうやむやになってますよね?
 てか結局、ドミニク(梅咲衣舞)の両親を殺しヴァネッサの両親を殺した実行犯は誰なの? ラリー(真瀬はるか)ってことなの? でもラリーはホントにただのチンピラで、マインドコントロールされてボイド(高翔みず希)なりクリストファー(紫峰七海)なりの命令に従っているわけではなかったですよね?
 てかサブリミナルでマインドコントロール云々されていたのって、ドミニクとローズマリー(桜一花)だけ? でもなんで? なんの目的で? それでなんの利益があるの??
 なんかもう全然わかんないんですけど???

 ジャスティンはまだドミニクを愛していたのか、それとも自分を陥れた犯人に復讐するためならもうどうでもいいと思っているのかも不明なので、ドミニクが死ぬシーンも盛り上がりに欠けます。
 妹キャサリン(天宮菜生)のこともどれくらい大切に思っているのかよくわからないから、このくだりも盛り上がらない。
 加えて幼い少女ドロシー(菜那くらら)を人質にするんですよジャスティンは。なんてひどい男なの、復讐のためならかつて助けてあげたかわいい少女の心を傷つけてもいいというような男なの?
 そんな人間を観客が応援して観ると思ってんのこの作品を、なんなんだなんなんだホントにもう。ひどすぎる。


 ダニエル(祐澄みしゅん)もいい演技しているのにみんな無駄だよね。まあ彼がハルに殺されたってのはナシなんだろうけどさ、でもあの時点ではこれもハルの好感度を下げることにしか役立っていないんですよね。ひどい。
 ジュリア(芽吹幸奈)も押し出しいいしいい演技しているんだけど台無し。

 そしてジュニア(鳳真由)に対しては、本当に謝っていただきたい。これを無駄死にと言わずして何を言うの?
 というか彼の人生はなんだったの?
 たとえ役でも、キャラクターでも、フィクションでも、あまりに無責任すぎますよ先生。
 こんな弄び方、あんまりです。家族のために生きようとしたひとりの青年に対して、あんまりです。
 ザルすぎる。


 大どんでん返しのヒーロー、レックス(彩城レア)はよかった。
 下級生では看護師テレサの鞠花ゆめちゃんが縁起もせりふも良かった。あと貴婦人役の(シベールという役名はあるようでしたが特に意味はなかったので)桜咲彩花ちゃんがとてもとてもきれいでした。フイナーレで見惚れた。
 アーサーときらりはまったくの役不足で、これもちがった意味で謝ってください。


 ああもういろんな意味で死屍累々のこんな作品、プロデューサーさん止めてくださいよホント。
 やらされる生徒も見せられる観客もホントいい迷惑。
 こんなんだったらよっぽど再演ものの方がマシです。

 てかマジでボケを心配したいくらいです。
 ネタだとしてもひどすぎる。


 ああ、青年館のチケット2回分、どうしよう…
 売ろうかな、売れるかな。
 正当な批評を書くためにはもう一回くらいは観るべきなんだろうけど、苦痛すぎる…
 わかってて観てもワケわかんないんだろうし…あああああ。

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宝塚歌劇花組全国ツアー公演『メランコリック・ジゴロ/ラブ・シンフォニー』

2010年11月26日 | 観劇記/タイトルま行
 神奈川県民ホール、2010年11月20日マチネ、ソワレ。

 ジゴロのダニエル(真飛聖)はレジーナ(花野じゅりあ)という金持ちの女性をパトロンに持ち、大学に通いながら気ままな生活をしていたが、田舎娘アネット(月野姫花)との浮気がばれて、アネットと別れたもののレジーナからも縁を切られた。生活に困ったダニエルは、ジゴロ仲間のスタン(壮一帆)の儲け話に飛びつく。それは、預金者が死亡したり行方不明になったりして放置されたままの銀行口座「睡眠口座」の金を、相続人になりすまして手に入れようという詐欺の計画だった…
 作・演出/正塚晴彦、作曲・編曲/高橋城。1993年に安寿ミラ・真矢みき・森奈みはるの花組で初演、2008年に中日劇場で真飛聖のトップお披露目公演として再演されたものの三演。

 93年5月、ひょんなことから旧・東京宝塚劇場にこの演目を観に行って(併演は『ラ・ノーバ!』)、私の宝塚観劇歴はスターとしました。
 懐かしい、記念すべき作品です(^^)。
 実況CDは聞き込んでいて暗記しているようなものですし、数年前に復刻版dvdが出たときには飛びついて買いました。
 再演時にはかなりライトで間遠にしか観劇に行かないファンになっていましたが、もちろん名古屋まで駆けつけましたとも(^^)。
 このころ裏ではユウヒの花組への組替えがあったわけで、『太王四神記』の舞台化とセットで、私をディープファンに引き戻す(というかより深いところまで成長させる)きっかけとなったなあ…

 それはともかく。
 再演時は、やっぱりヤンミキとまとえりはキャラというかニンがちがって見えて、フェリシア(当時のトップ娘役・桜乃彩音)はまあいい感じなんだけれど…と、いろいろモヤモヤしたことを思い出します。
 今回は、それよりは落ち着いて迎えられたかと思いますが、集合日前日にまとぶんの退団発表があったり、初日があいてすぐ次期トップには宙組からまゆたんが異動してきて就任すると発表されて、まゆたんとえりたんは同期なんですけれど!?みたいな動揺騒動もあり…それはそれでなんだかなあ、な気が…
 いやまゆたんは花に合うと思うし花育ちだし(いやうりたんも花育ちなんだが)、ぶっちゃけ組替えは噂レベルでは聞いてはいましたが、それはつまりえりたんの組替えとセットだと思っていたんですよね…
 あああどういうことなの?
 そしてこれによって、ユウヒの卒業が延びることがあるなら、それはそれで私はもちろんうれしいんだけれど、はたしてどうなの!?というのはまた別の話…

 さて、で、再演ですが。
 全国ツアー公演だから仕方ないけど、セットがずいぶん簡略化されて寂しかったなあ。
 あと横浜公演はずいぶんと音響がよくなかった…カフェの場面での店内のBGM音量があまりに中途半端で、外からの音漏れか心霊現象かと思いました…

 あと、ソワレは久々の宝塚観劇だった母親を同伴していたので、彼女に設定や展開が理解できているんだろうかと心配してしまいました。
 あんまりわかりやすいダイレクトな説明がないからさ…このあらすじにあるような初期設定はわりと台詞の重ね方によって表現されてくるので…
 いや、
「僕、ダニエル! ジゴロさ。そしてこちらはパトロンのレジーナ」
 みたいな台詞が欲しい訳じゃないんだけれど、ナチュラルすぎる芝居って、観客をその世界に誘い込みづらい場合もあるからさ…ってことです。
 もう少しだけ保管したり交通整理したりすると、より練れてわかりやすくて何度でも再演していい楽しいコメディに仕上がると思うんですけれどね…

 まとぶんのダニエルは、ヤンさんとはまたニンがちがいますが、もともとジゴロとか詐欺師とかにはなりきれなさそうないい人っぽい感じが似合っていて、ハートウォーミングで、素敵でした。ときどきMr.YUになってたけど(^^)。

 対してスタン。ところでスタンはパンフレットでも「ジゴロ仲間」となっていましたが、ティーナ(華月由舞)というステディ?な恋人もいるし、別にほかの女性をエスコートしているようなシーンがあるわけではないので、ジゴロというよりはただの詐欺師なのかしらんとか思っていましたすみません(^^;)。
 えりたんはこれまたミキちゃんとはニンがちがって、ホントはもっと酷薄なタイプが似合う役者なんじゃないかなとか思ったりしているのですが…こちらの思いこみでしょうがやさぐれ感もあり、それはそれでいいスタンでした。
 でもアネットの平手打ちの跡をフェリシアにされたものだと誤解するくだりで、スタンがダニエルの頬に触る演出は、なくす理由は何もないと思うんだけれど…

 今回のフェリシアは蘭乃はな。歌が格段に上手くなっていて(ショーの方はまだあやしかったけれど)、ニンにも合っていて、よかったです。
 ただ、これは脚本の問題だけれど、
「恨んでないから」
 というせりふはいつも引っかかる…こんなこと、恨んでいる人間しか口に出さないものですよ? そんなことヒロインにさせない方がいいと思うんだけれど…

 気弱な弁護士マチウはめお(真野すがた)。楽しそうに演じていまし(^^)。
 フォンダリは再演と同じく愛音羽麗。これま楽しそう。
 フォンダリの息子バロットはみつる(華形ひかる)で、こちらも楽しそう。ま、もうちょっとだけはっちゃけてもよかったかと思いますが。
 その妻ルシルは初姫さあや。とてもよかった!

 スタンの恋人ティーナはゆまちゃんで、ダイナマイトバディは堪能しましたが、芝居はよくわからなかった…華陽子、野々すみ花とも、「ティーナはおばかキャラ」として演じてきていると思うのですが、今回はそういうところがなかったような…
 もちろん、スタンが詐欺師であることもマチウに口説かれることも、わかっていて流すオトナの女にすることだってできると思うし、それでもカーニバルの買い物をしてしまうくだりはありえるのでいいのですが、だったら泣き方だってもっと変わってくるはずだし…なんかちょっとよくわかりませんでした。
 期待していただけに残念。こんな通し役、もらったことないからなのかな? この先、変化があるなら期待したいです。

 フォンダリを追う刑事ベルチェ(夏美よう)の台詞をためる芝居というか演出はナゾ。ギャグなら不発。

 他にはセラノ(浦輝ひろと)がちょっといい感じだったのと、レジーナじゅりあがさすがだったのと、ヒメカの台詞はだいぶ良くなっていたけれど早口でまだまだ芝居にはなっていなかったこと、カティアあまちゃき(天先千華)がやりすぎなくらい大人の女っぽく作っていたけれど好感が持てたこと、イレーネ(仙名彩世)が「ちゃっちゃとしていない」というのがギャグなんだとしたら中途半端で改善してもらいたかったこと…が印象に残ったかなあ。

 あ、ジゴロ仲間なのかいつもカフェにいるあきら(瀬戸かずや)、目立ちました。目がいきます(^^)。


 しかし。
 何故、ラストの
「おまえが好きだ!」
 の台詞を変えちゃったの!!??
「おまえが好きだ。俺はジゴロで、文無しで宿無しで詐欺師で、だけどおまえのためなら…」
 この台詞のどこが問題なの?
 そして変えて何をしたかったの!?
 はっきり言って変更台詞の記憶がないのですが、なんかくだくだと言い訳していませんでした?
 「俺はジゴロで…」
 の言い訳とそれはワケがちがうよ!
 あるいは、ズバリと
「おまえが好きだ!」
 と言ったあとだからこそ、くだくだした言い訳が効いてくるんだよ?
 トランク引っ張り合って告白し、そのままヒロインが抱きつくまでのくだりは、歴代名場面に数えられていいシーンなんだと思うんだけど…
 あああああもったいない、寂しい、意味不明。
 四演があるならゼヒ戻して!!!


 グランド・レビューは作・演出/中村一徳。
 出来云々はとともかく、こんな短期間で再演ばっかりで生徒に新鮮味がなくてちょっと残念…とは言っておきたい。

 スペインの歌手はめおではなく扇めぐむで見たかった。めおって別に歌うまさんではないのでは…

 全ツってスター以外はわりとみんな出ずっぱりになるので、そこを見るのはとても楽しい。てかじゅりあとゆまちゃんとあきらくんばっかり見ていた。ロケットボーイあきらの輝きっぷりはすばらしかった!

 さあやのエトワールもとても聞かせました。よかったです。
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『ファントム』

2010年11月25日 | 観劇記/タイトルは行
 赤坂ACTシアター、2010年11月18日ソワレ。

 19世紀後半のパリ、オペラ座通り。クリスティーン・ダエー(杏)が歌を口ずさみながら楽譜を売っていると、その声に魅せられたオペラ座のパトロン・シャンドン伯爵(この日は海宝直人。ダブルキャストで古川雄大)が、彼女がオペラ座でレッスンを受けられるよう取り計らう。そのオペラ座では、支配人のキャリエール(篠井栄介)が解任され、新支配人ショレー(石橋祐)とその妻でプリマドンナのカルロッタ(樹里咲穂)が乗り込んできた。キャリエールはショレーに、オペラ座の地下には「ファントム」(大沢たかお)と呼ばれる幽霊が棲んでいると告げるが…
 原作/ガストン・ルルー、脚本/アーサー・コピット、作詞・作曲/モーリー・イェストン、上演台本・演出/鈴木勝秀、翻訳/伊藤美代子。1991年初演、日本では2004年に宝塚歌劇団により上演。2008年に初演したスズカツ初のグランド・ミュージカルの再演。

 …残念ながら『情熱大陸』を見たとき感じた危惧そのままでした。
 初舞台でミュージカル、しかも「天使の歌声を持つヒロイン」の役はムリだって!
 CDデビューしてようがなんだろうが、舞台はまた別です。
 踊りながら歌う、動きながら歌うということには、本当に力がいるんだな、と今回しみじみ思いました。
 イヤ改めてタカラジェンヌを尊敬したね!
 学芸会だお嬢さん芸だって言われたって、基本的な訓練はできているってことだもん。今回のヒロインのような発声する人はいないもん。
 腹筋ができてない、喉だけかせいぜい肺だけで歌っている。腹で声が支えられていないから、音は取れてもふらつくし、伸びないし。
 当然、表情も演技も歌に乗せることなんかできない。
 ヒロインのキャラクターが表現できていないのです。

 たとえばパリの歌を歌うシーン。
 最初は緊張していて声が細くて、だけどファントムの支援があって立ち直って、みんながどよめくほどの美声を発揮する…シーンなんですが…
 変わらないんだよね、下手なままなの。不安定なままなの。

 たとえばラストシーン。
 息絶えるエリックに、彼の母も父もかつて歌った「あなたは光」と歌ってあげて見送る、最後の、感動的なはずのシーン。
 …声がヨレているのが、下手だからか涙ながらという演技のためなのか、判別できない。だから感動できない。

 これではこの作品は成立しませんよね…

 ファントムだって歌は下手なんです。
 初演と同じ程度にしか歌えていない。格段に上手くなった!ということはまるでなかった。
 でもマイクエフェクトでかなりフォローされているし、クリスティーンに顔を見せたあと逃げられて上げる、悲痛な子供のような嗚咽の演技、あれだけでOK出してもいい、そういうトータル力が、まだ、ある。
 でもそれだけではねえ…

 カルロッタはなんら問題なく生き生きと歌い、輝いていました。ショレーさんともラプラブで可愛い。
 キャリエールは、歌は微妙ながら渋い演技と存在感でなんとか保たせていていたかなー。

 平日の夜にもかかわらず立ち見が出る盛況でしたが、初演といい今回といい、まず歌唱力でオーディション&キャスティングしてくれないかなー、ああ残念…という印象でした。
 作品としてはかなり好きなので悲しいです…

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宝塚歌劇月組『ジプシー男爵/RhapsodicMoon』

2010年11月17日 | 観劇記/タイトルさ行
 東京宝塚劇場、2010年10月29日マチネ、11月9日マチネ。
 新人公演11月4日ソワレ。


 18世紀のハンガリー。テメシュバールにはトルコ支配時代に総督が隠した財宝が眠っていると噂されていた。豚飼い商人のジュパン(汝鳥伶)は使用人オトカー(明日海りお)に命じてあらゆる場所を掘り返させていたが、財宝は一向に見つからなかった。そこへ、無実の罪で亡命を余儀なくされた大地主バリンカイの息子シュテルク(霧矢大夢)が戻ってくることになった。幼くして両親を亡くし、世界中を放浪していたシュテルクは、20数年ぶりに政府の役人カルネロ伯爵(越乃リュウ)に見つけだされ、父の領地を継承することが認められたのだ。ふたりはテメシュバールに向かうが…

 脚本・演出/谷正純、作曲・編曲/吉崎憲治。ヨハン・シュトラウスⅡ世のオペレッタをリメイク。
 グランド・レビューは作・演出/中村一徳。

 特に予備知識なく観にいったのですが、とても楽しかったです。
 単純におもしろい。
 さすがオペレッタ原作という感じ。
 
 最初のうちは、本当にオペレッタふうに歌い継いで場面が展開し、いつもの宝塚調とはちょっとちがく感じられたので、観客もとまどうのではないかしらん、などと心配しながら観ていたのですが、だんだん取り込まれました(^^)。
 真の悪人が出てこないあたり、いかにもオペレッタで、今のからりと明るい月組のムードにも合っていたのではないでしょうか。

 なんでもできるきりやんにはこうした役は楽々でしたよね。朗々とした歌声も聞かせて、たいそういい感じでした。
 野生的かつ繊細なジブシー娘ザッフィ(蒼乃夕妃)はまりもちゃん。これまたニンですね。実はトルコ総督の娘…というのは、結局ヒロインをジプシーにしたくないってことじゃん、という、当時の民族差別をやはり感じて、いらない設定だなあと思わなくもないですが、凱旋後の宮廷にドレス姿で登場するのはやはり華やかでよかったので、ま、いいか。
 それに父親はトルコ貴族でも母親はジプシーだったんでしょうしね。ともあれ自由を愛し束縛を嫌うシュテルクとは似合いの恋人同士なのでした。

 冒頭に「ロマの男女」として6分間のダンスシーンがあるのですが、これは本当に圧巻。
 特にまりものドレスの裾裁きと、スリットから覗く筋肉質の脚の美しさといったらありません。出色。ダンサーのトップコンビならではのシーンでした。

 まさおはジプシーの青年パリ(龍真咲)。主人公に反感を持つというべたべたな二番手の役所でしたが、やはり色濃い役が似合って好演。
 シュテルクの雅量を認めてからは、従軍することになってしまった彼のあとを追って、ともに戦うため、そしてハンガリー市民としての立場を得るため、前向きに入隊を宣言し、泣かせてくれました。
 パリはザッフィのことが好きで、それは周知のこと。しかしザッフィの方ではその気がないことも周知のことで、そしてそんなパリにずっと片思いしているヴィオルカ(愛希れいか)、というややみそっかすな女の子の存在も周知のことのようです。
 このヴィオルカがいじらしくてひたむきで、儲け役だったなあ。とても良くて、若い男役にしては大健闘していたと思いますが、娘役ちゃんでも見てみたかったかな。
 あと、もうちょっと「みそっかす」感があった方が、かえって収まりがよかったかな、とかも思いました。
 パリはシュテルクを認めるとともにザッフィへの想いを振り切ったように見えました。
 というか、シュテルクがジュパンに対して
「俺の花嫁はジプシーだ、この娘だ!」
 とザッフィの手を取って宣言して見せたときに、双方まるごと認めたのではないでしょうか。
 ではヴィオルカについてはいつ結婚まで考えるようになったかというのは、残念ながら描かれていないわけですが(^^;)。
 オトカーがアルゼナ(彩星りおん)にプロポーズすると、パリもヴィオルカにプロポーズするのですが、このくだりは多少の演出変更が大劇場と東宝であったそうですね。

 オトカーはややしどころがない役でもありますが、天然っぽい真面目でちょっとおとぼけで…みたいな好青年をみりおは過不足なく好演していたと思います。美しすぎたかもしれないけれどね(^^)。
 オトカーの主人の三女にして秘密の恋人アルゼナは、元男役だけあってただの美少女には収まらず、気が強そうな頓知の効く小娘って感じでよかったです。
 フローリカ(憧花ゆりの)と歌い継ぐ銃後の歌もとてもよかった。これは大義とか友情とかのために戦場に命を投げ出しに行っちゃう男どものことを「バカ!」と罵りつつ案じて歌う愛の歌なのですが、とても大事な視点だと思います。
 ところでフローリカはトボル(桐生園加)とラブラブってほどではないのかな…喜んだカルネロがフローリカに飛びついたあと、トボルが取り返していたけど、あとは別にいちゃいちゃしていたわけではなかったような…残念(^^;)。

 カルネロはさすがの芸達者ぶり。
 侍従長の一色瑠加とか船頭の研ルイスとかマリア・テレジアの花瀬みずかとか、ツィプラの美鳳あやとか脇を固める上級生パワーは大事です。そしてこの組には健在。
 ホモナイ伯爵(青樹泉)もよかったけれど、ジュパンの使用人頭イシュトバン(星条海斗)はやややりようがなかったかなあ。

 あとは、やはり新公を見られてなじんだから、というのもありますが、としちゃん、ゆりやくん、ゆうきくん、たまきちなんかはジプシーの中でも目立って見えました。

 新公では、主役のとしちゃんがとてもはつらつと明快に演じていた印象で、とてもよかったです。
 みくちゃんも歌が良くて、大健闘だったのではないでしょうか。
 ゆうきくんは本役が鮮やかすぎただけに、やや余裕がなく見えたかなー…黒い役というのは難しいものです。
 逆に何もない役もやりづらいでしょうが、ゆりやくんはほんわか上手くやっていたと思います。
 前回の主演から一転して今度は本役が専科さんというたまきちくん。でも教育法としてはとても正しいと思うし、すごくよかった。ちゅーちゃんとの夫婦なんて美しすぎる…!
 ゆめちゃんはもっと線の細い娘役かと思っていましたが、意外にパンチがあって、本役とはまたのりのちがったアルゼナでよかったです。
 マリア・テレジアのりっちー、カルネロ伯爵のさやかちゃんはさすがにカタい。
 モブが減る分、貴族やジプシーが少なくて寂しい、という以外は、大健闘でよくできた新公だったのではないでしょうか。
 …実は新公を観るのは二度目、しかも前回は『スカピン』と、月組しか観ていないので比較ができなくてアレですが…

 
 さてショーの方は…
 …すみません、タイクツしました…
 だって見せ方がずっとずっと同じなんだもん…
 大人数を舞台に乗せるのはいいけど、ずっと続くとマスゲームを眺めてるみたいで、催眠効果が…(><)
 …あと、言っても詮無いことだけど、きりやんやっぱ小さいな、と思ってしまった…
 あと赤ってタイプじゃないと思う…本人は喜んでいるようだけれど、アサコはトップだから赤を着ていたわけじゃないと思うんですよね。似合う色がそれぞれあるってことだと思うのですよ。

 まりもの脚には目を見張ったけどね! タコ足サイコー!!
 
 …おしまい。
 すみませんこんなシメで…
 
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ネタバレ『誰鐘』感想追記

2010年11月14日 | 日記
 一幕ラスト、エル・ソルド隊全滅についてのくだり。
 加勢に向かっても間に合わないし勝てないから、見殺しにすることを決断するのですが、はっきり言ってかなりデリケートな問題だと思うので、もっとていねいにやってほしかった。
 ぶっちゃけて言えば、ロバートが卑怯に見えないように、もっと気を使ってほしかった。
 たとえば、見殺しにすることを決断するのはアグスティンにさせたっていいと思う。その方が彼の、的確な状況判断が下せるという面が表現できたかもしれないわけだし。
 襲われて負けていくエル・ソルドたちを舞台では見せられないだけに、ちょっともやんとしたんですよね…

 それからニ幕ラスト。
 生き残っていたのはロバート、パブロ、ピラール、マリアの他にはアグスティンとラファエルプリミティボでした?
 ではフェルナンドもエラディオも死んだわけですよね。その死ぬシーンを見せてほしかった。
 生きようとして、助けようとして、それでも死んでいった彼らを描いてこそ、一方でパブロが、馬に乗せる頭数をそろえるために仲間を切り捨てて殺したことの対比が出るのではないの?
 それを見せないならいっそ、パブロのこの行為は後味が悪いだけなんだから、カットしちゃってもよかったんだよね。
 というか、フェルナンドもエラディオもしどころなさすぎなんだから、せめて最期の見せ場くらいあるべきだとも思うわけですよ…
 さらにロバートが打たれて倒れてからも、盆とか使って位置を移してくれませんかねえ。
 撃たれた位置でずっとあれこれやっているように見えて、おかしいじゃんとつっこみたくなってしまう。
 そして大ラスは、絶命するまで見せた方が、宝塚っぽいかな、と思いますけれどね…
 多分、原作小説も映画も、その直前で終えているのって、ヘミングウェイのマッチョっぽいことろが一番出ている演出だと思うんですよね…ううーむ。

コメント
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