駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

草川為『龍の花わずらい』

2010年04月30日 | 乱読記/書名や・ら・わ行
 白泉社花とゆめコミックス全7巻。

 龍の一族の次期当主・シャクヤには、婚約者がふたり。最初の婚約者ルシンが行方不明になったあと、代わりにクワンが許婚になったが、ルシンが記憶を喪失して戻ってきたのだ…三角関係ドラゴン・ファンタジー。

 作者によればラストは「三角関係の形が変わっても関係が続いていくというふうにしたかった」とのことで、白黒はっきりさせたがるタイプの(おそらくは多くの)読者にしたら不満だったかもしれませんが、私は嫌いじゃなかったかなー。
 私はもちろん最初からクワン派でした。
 しかしそれはもちろんシャクヤがクワンと結ばれればいいと願うということではなくて(^^;)、お話の流れから言ってもシャクヤはルシンとくっついて、クワンは当て馬・フラれ役なんだろうけれど、だからこそ私が代わりに愛してあげるから!と肩入れするという、難儀な愛の形なのでした(^^)。

 しかし三角関係ものというのは描くのは存外に難しく、どちらかが明らかに当て馬になってしまうとおもしろくないものですし、かといって完全に対等に魅力的に描いてしまうと、ヒロインにどっちをどう選ばせるかが難しくなる…という問題があります。
 もちろんセリフにあるとおり、「人の心は一人しか愛せないわけじゃない」のですが、少女漫画は保守的なのか哲学的なのかフィデリティを貫くものですし、だからこそなおさら今回のヒロインの「だからこそ私は一人を選んで愛したい」という選択が美しく感じられるのです。
 というわけで、冒頭ではルシンが戻ってきてもクワン、クワンと言っていたヒロインが、今後はクワンがちょっかいかけてきてもルシン、ルシンと言っていく、というようなラストは、美しいし、このお話にふさわしいように感じられたのでした。
 なんといっても、死亡フラグが立ちまくりだったクワンが生きていてくれただけでうれしいよ…
 これまた物語においては妊娠同様キャラを死なせちゃうのが一番簡単な展開だったりしますが、「死者には勝てない」というのもあってこれまた恋愛の勝敗に関しては微妙な決着になるものです。そんなふうにならなくてよかった…

 個人的には、クワンとアマランスの過去エピソードをねちねち読みたかったのですが、きっとその余裕も、そこまでの支持もなかったんだろうなあ(^^;)。
 アマランスとは子供のころからのつきあいで共犯者意識もあって、本当の愛情はシャクヤによって教えられたのです…とするのは簡単だけれど、おそらく実際にはそんなに割り切れたものではなかったはずで、そこにこそ萌えますけれどね。だって絶対クワンとアマランスには肉体関係があったに決まっているもん(^^)。白泉社の漫画だからそこまで話が及ばないけれど、恋愛において肉体の問題というのは絶対に不可欠です。今はシャクヤがまだ幼いけれど、今後は特に。それはルシンにとっても同様なわけですが。
 まあそれはいい。そういうところをねちねち補完して妄想して楽しむのは、ファンに任せておいていただきましょう。

 作品として残念だったのは、やはりクワンの真意が暴かれたりするあたりから、話が錯綜してきて、やや整理が追いついていなかったこと。アマランスにしろインジェイにしろ、立場、意図、真意などについてもっと抑えながら話を進められればなおよかった。ときどき、「誰と誰が何を争ってるんだっけ?」とおいていかれそうになったので。
 それからインジェイとの戦いのシーンは、アニメで観たかったねーというか、作者の頭の中の映像をうまく漫画として表現しきれていない気がしました。もともと殺陣のシーンですら表現はそんなに上手いタイプではないと見えたので、ハードルは高いのでしょうが…
 もちろんページが足りなかったのか大ゴマなどのはったりも利かせられなかったのが残念でした。

 ともあれ、ヒロインが特殊能力を持った「姫」であり、ステキ男子ふたりないしそれ以上にかしずかれる、という構図は少女漫画のファンタジーの一ジャンルと言っても過言ではないくらいに、少女読者のイージーな願望を尽くしたものなのですが、きちんと成立させられているものは意外に少ないので、そこをちゃんとがんばったという点においてははなはだすばらしい作品だと言えると思います。
 特にシャクヤがチャーミングなヒロインに描けているところがすばらしい。ステロタイプな主人公キャラでもないところがまたいい。
 ときめき重視の普通の女の子っぽいところがあり、がんばりやで真面目で、ちゃんと歳相応な感じ。自分の義務や能力に関してもきちんと自覚していて、考えていて、重く思うときもあるし役立てる喜びに顔を輝かすときもある(後半の肝として力をなくすようになるまでは、あまり自分の力のことを嫌だと思っていないところもいい。ルシンの宿で客の心無い言葉に傷ついたり、という表現はあるのですが)。そのバランスの良さ。
 おそらく作者がこのヒロインをちゃんと好きで描いているんだと思います。これも、設定や世界観先行でキャラクターはステロタイプで情熱ナシ、となりがちなファンタジー作品においては大きいことです。すばらしい。

 「LaLa」連載作品にしては珍しく、アニメ化なりなんなりのメディア展開がなされないままに完結してしまったようですが、佳作だったと思います。
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『ローマの休日』

2010年04月29日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 銀河劇場、2010年4月28日マチネ。

 1950年代、イタリア、ローマ、初夏の夜。とある理由から、シナリオライターとして活躍していたハリウッドを追われ、今はローまで新聞記者をしているジョー・ブラッドレー(吉田栄作)は、ベンチで眠りこけていた風変わりな娘と出会う。明日にはヨーロッパ各国を表敬訪問しているアン王女(朝海ひかる)の記者会見が控えていたが、朦朧としている彼女を放り出すわけにもいかず、面倒を見ることに。翌朝、親友のカメラマン、アーヴィング・ラドヴィッチ(小倉久寛)がやってくるが…オリジナル脚本/イアン・マクラレン・ハンター、ジョン・ダイトン、原作/ダルトン・トランボ、演出/マキノノゾミ、脚本/鈴木哲也、マキノノゾミ。1953年にアメリカで公開された映画『ローマの休日』をキャスト3人のストレート・プレイとして舞台化。

 キャラクターはとてもニンに合っていて、とてもよかったです。まあ3人しかいないんだからあたりまえのセレクションなんでしょうけれど。
 特にコムちゃんの姿勢の良さ、立居振舞の美しさはザッツ王女様。宝塚OGならこの程度のお行儀の良さは当然なのかもしれませんが、やはり名ダンサーたる彼女ゆえのものかしら、と思いました。
 カフェに座ってお茶したい、雨に濡れて歩いてみたい…ささやかな、けれど決して叶うことはないだろうと彼女自身が信じてしまっている夢を、声震わせながらとつとつと語るいじらしさには、思わず涙してしまいました。

 けれど、なあ…どうもこの劇場は遠いくせに上演時間の長い作品が多いというイメージがあって、今回も映画本編より長いし、冗長というほどではないにしろ、展開が悠長だなあと感じてしまいました。
 物語としてはほとんど誰もが知っている話だけに、さっさと進んでほしい、というじれったさを感じました。現代人がせっかちすぎるから?

 そして、よくできていたけれど、やっぱり、舞台ならではの良さがあったかと聞かれると、疑問なわけで…映画でいいんじゃない? 超えられていない、ちがう良さを持ったものにはなりえていない、かな…と思ってしまいました。
 企画としては、おもしろかったと思いますけれどね…やはり原作映画ができすぎているだけにね…
 たとえば同じ名作クラシック映画『カサブランカ』の宝塚歌劇団でのミュージカル化を考えると、あれはやはりミュージカルとしての強みがあったし、奇跡的に成立したものなのかなーと、身びいきにも(^^;)思ったり、しました…
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『十二人の怒れる男』

2010年04月28日 | 観劇記/タイトルさ行
 シアターコクーン、2009年11月19日マチネ。

 蒸し暑い夏の日の午後、父親殺しの罪でひとりの少年が裁かれようとしていた。三日間の審理が終わり、いまや少年の運命は、事件のために無作為に選ばれた十二人の陪審員に委ねられている。不確かすぎるアリバイ、確信に満ちた目撃者の証言、提出された証拠と証言はどれも少年に不利なものばかり。劣悪な環境で育った少年には逮捕歴もあり、陪審員の多くは彼の有罪を確信していた。陪審員室に移った十二人は…作/レジナルド・ローズ、翻訳/額田やえ子、演出/蜷川幸雄。1957年、テレビドラマを元に作られたシドニー・ルメット監督、ヘンリー・フォンダ製作・主演の映画が有名で、何本ものリメイクやオマージュ作品が作られた法廷ものの傑作。

 私は最初に好きになった推理小説が、裁判で証言者の口先八丁によりやがて真実が暴かれていくという法廷ものだったこともあって、リーガル・サスペンスなんか大好き。
 この作品も、映画やオマージュ作品など観たことはありませんでしたが、陪審員がいろいろモメる話、ということは知っていたので、絶対に好みにちがいないとは思っていましたが…どんぴしゃでした。

 客席は舞台を四方から囲む形に作られています。裁判長のアナウンスがあって、陪審員たちが舞台である陪審員控え室に入ってきて、評決を取り、出ていくまでの芝居です。
 確かに脚本があればあとは役者の芝居だけで、演出のしようもないような、できあがった作品だなーと思いましたが…その分役者は大変かなー。憎々しい人を演じるのって、本人も疲れるでしょうからねー。圧巻でした。
 一幕ラスト、陪審員八号に乗せられた三号が、本気じゃなくても「ぶっ殺してやる」と言わされてしまう下りで、客席からは笑いが漏れました。でも私は泣いてしまった。確かに父親に対し「ぶっ殺してやる」と言ったことがあり、だけど実際には手を下さなかったかもしれない、本当に無罪かもしれない被告の少年の命が、救われたかもしれない瞬間だったからです。
 殺されてしまった被害者の命はもう取り戻せないけれど、容疑者の命に対しては、誠心誠意やるべきことがあるはずだ、という八号の主張は確かに正しいのです。それが明らかにされた瞬間だったのでした。
 物事は確かに単純ではないし、人は期せずして嘘をついてしまうことがあるし、それに惑わされ騙されてしまう人もいる。だからこそ、おちついて、理を尽くして、真実を問いただしていこう…という、八号の真摯な態度の崇高さに、泣きました。
 この舞台には十二人の陪審員のほかに、もうひとりが確かに存在していました。被告の少年です。
 父親に暴力を振るわれて育ち、「ぶっ殺してやる」と言い、いつか本当に殺してやると思っていたであろう少年。けれど今は父親を失って途方にくれ、自分が容疑者として逮捕されても、否定するどころかほとんどしゃべることなく、ただうなだれている少年。悲しいし、悔しいし、呆然としているのでしょう。どうしていいかわからないでいるのでしょう。
 そんな少年を、八号の理性が、救った…そんな瞬間でした。

 八号は中井貴一、三号は西岡徳馬。ニンにぴったり。

 私の目当ては六号の筒井道隆。私の席からは中井貴一の背中に隠れて見えづらい場所に席があったのには涙。
 でも、ネクタイはしているけどボトムはジーンズで、上着もおそらくGジャンで、被告と同じスラム育ちで、自分はなんとか這い上がったけれどそれをことさら喧伝することもなく、でも被告と自分をただ同列化することもなく、すねたようでもひねたようでもなく、でも真面目にしかつめらしく参加しているのでもなく、淡々と、正直にその席にいる彼が、本当にすばらしかった。『12人の優しい日本人』との両方に出ているのは自分だけ、というのは十分誇っていい、役者としての勲章です。いい役者さんだなあ。
 舞台の最後に、スポットライトを浴びて残されるナイフ。凶器にもなる、でも便利な道具でもある…心にしみました。

 そして仰天したのが、ニ号を演じていた柳憂怜。多分一番普通っぽい男の人、ということなのだと思うのですが、あの柳ユーレイがこんないい役者さんになっていたなんて、不覚にも知りませんでした!

 それにしてもすばらしい脚本です。マッチョでみんな同じ、と思えていた八号以外の陪審員の個性がだんだん見えていき…という展開もすばらしい。
 今年のベスト3ステージは、これと『サロメ』『怪談牡丹灯籠』かなあ…宝塚歌劇は別枠で(^^;)。
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宝塚歌劇花組『外伝ベルサイユのばら/EXCITER!!』

2010年04月28日 | 観劇記/タイトルは行
 東京宝塚劇場、2009年11月10日ソワレ、11月18日マチネ。

 1763年、フランス・プロバンス地方。両親を亡くしたアンドレ(真飛聖、子役は大河凛)は、祖母マロングラッセの仕えるジャルジェ将軍家で暮らすため、ベルサイユへ向かうことになり、幼なじみのマリーズ(桜乃彩音、子役は天咲千華)に見送られる。再会を約束して…それから20数年後、ブルボン王朝にも翳りが見えていた…原作・外伝原案/池田理代子、脚本・演出/植田紳爾。ジェローデル編、アラン編、ベルナール編と展開した外伝三部作に続き、今年2月に中日劇場で宙組で上演した外伝アンドレ編のブラッシュアップ再演版。

 中日劇場版を観ていないのでなんとも言えませんが、はたしてどこがブラッシュアップされていたのでしょうか…
 ジェローデル、アラン、ベルナールという、原作でも明らかに脇役で、だけど魅力あるキャラクターに焦点を当てた新ストーリーを展開する外伝三部作、という企画はよかったと思うのです。一本も観ていないけど。

 でも、アンドレというのは立派な主要キャラクターです。
 もちろん原作はオスカルとアントワネットとフェルゼンの三角関係、という要素が一番大きいかもしれないけれど、オスカルに常に寄り添っているアンドレはその三人に次ぐ大きなキャラクターであり、主役格です。彼を主役に据えた時点で、それは外伝ではない。

 なのに、アンドレの幼なじみという原作にないキャラクターを無理に作ったって、そら無理があるに決まっています。アンドレはオスカルにその運命を結び付けられてしまっているキャラクターなんですから。
 仮にもトップ娘役が演じるヒロインが、かくも無惨に失恋する宝塚歌劇なんて、はっきり言って意味ないと思うんですけれど…

 序盤は、それでも、フォローはしているな、と思ったのです。マリーズ自身も、あれは幼いころの小さなはかない口約束にすぎなくて、いまは心が離れてしまっているかもしれないし、ふたりが進む道がすでにちがっていたとしても仕方がない、でもただもう一度だけ会いたいだけ…と言っています。マリーズと再会したアンドレの言葉や態度にも一定の誠意は感じられる。
 けれどそのあと、マリーズに意地悪女を演じさせるのは本当に納得がいきません。「あなたが憎い」なんて言わせないでよー。オスカルとアンドレを死に追いやるような真似を、ヒロインにさせないでよー。そこだけは明らかに脚本家のミスだと思うし、糾弾したいです。

 あとは…たとえばブイエ将軍家の縁戚に、マリーズに惚れる若者でも作っておいて、四、五番手あたりに演じさせて、アンドレ亡きあとマリーズは彼と幸せになるのかもしれない…とか思わせてくれる展開があったらベストだったかもしれませんが、でももうそれって『ベルばら』じゃないよね…という痛恨の問題点が…

 ううーむ、やはりこの企画はずばり間違っていたのだと思う。宝塚の『ベルばら』に関しては再三言っていますが、オスカルがフィーチャーされすぎる嫌いがあると私は思っていて、原作の主役であるアントワネットをもっときちんと扱うべきだと思うんですよねー。アントワネットが出ていない『ベルばら』ってなんなのよ。アヤネはアントワネットを演じるになんの問題もないトップ娘役だし、というか必ずいつかはやるべきな(しかしそれは宝塚歌劇の終わりを意味するものなのかもしれない)娘役によるオスカル、というのもやってのけられる人材だというのに…

 『愛のかたち』も『愛の記憶』もいい曲だと思うけれど、なじみの『ベルばら』名曲群がまったく登場しなかったのも残念でした。

 …あとは、まあ…ユリカーテンでぶつ切りにされるストーリーにいちいち文句を言っていても仕方がないし、二度目はあきらめて生徒のたっぷりした芝居を楽しんでしまったので、いいんですけれどね…

 しかし「この脚本家、バカちゃうか」と思うのは、「星が綺麗だ」「結婚しようなどと思ってはいない」「知らないではなかった」というこれまた有名なセリフを、何故か二度ずつ言わせることですよ。しかも「結婚~」というアンドレのセリフ意外は、ちがうキャラにちがうシチュエーションで言わせているんですよ。もしかしてわざとで粋なつもりなの? ひとつの芝居でそのシーン、そのキャラの口からだけ出る言葉だからこそ重みがあるんでしょ?
 あと、未遂に終わったからいいとはいえ、いわゆる「今宵一夜」を外にした理由はなんなの!? 結果的にアンドレとオスカル(愛音羽麗)のキスも省かれているわけですが…確かにそのままそこで始められるよりはいいんですけれど!!!

 というわけで三番手のみわっちがオスカルに回って当然の儲け役かつどう見てもヒロイン(ただし一番の見せ場である革命シーンはなんとアンドレに譲っている…)。本人は『太王四神記』に続く女性役で思うところはあったでしょうが、中世的でフェアリーアイドルタイプだから、まあニンです。それでも初見はまとぶんの押し出しのいいアンドレに比べて凛々しさが足りなく見えて、アンドレより格下のオスカルなんてイヤ…と思ってしまったものでした。

 二番手の壮一帆はアラン役になったので、開演して40分くらいたたないと出てきません。
 これまたファンにはつらいでしょう。
 しかもアンドレとのシーンばかりでオスカルとのシーンはない、これも苦しい。でもアランや衛兵隊たちは元気で暑苦しくてとてもよかったですけれどね。「おまえ、若いな」とアランを笑うアンドレもとても素敵でした。

 ちなみにアンドレが霞む目を押してでも隊と一緒に出撃したがったのはもちろんオスカルのそばにいるためなのですが、そのセリフがなかったため、アンドレが土下座してまで何をアランたちに頼んでいたのか観客にはわかりづらかったのではないかとヒヤヒヤしました。

 未涼亜希のベルナール、衛兵隊のアルマン華形ひかる、シャロン朝夏まなと、フェルゼンの真野すがたはすべて役不足。

 逆に専科が大活躍で、マロングラッセ(邦なつき)のセリフが全編通して一番多かったのではなかろうか…星原美沙緒のブイエ将軍が出色で、箙かおるのジャルジェ将軍はややアットホームタイプな作りでした。

 その他上級生が酒場の女主人や伯爵夫人たちに扮するので、下級生の娘役はほとんど出番なし。大変かわいそうでした。

 一転して、スパークリング・ショーの作・演出は藤井大介。こちらは何度でも見たい!赤と黒と金と白の弾ける濃くて艶やかで華やかで熱いショーでした。
 トップトリオのバックに若手男役四人口、というのはよくある構成ですが、私は今回この中ではまっつのダンスに釘付けでした。カウントのとり方が好み! 上手い!!
 『太王四神記』ではヒョンゴだったので、どちらかといえば歌手かと思っていたのですが、実はダンサーだったのですね。ごめん、青龍のダンスとか、ユウヒしか観てなかったからさー。
 そしてホゲママだった花野じゅりあちゃんの意地悪そうな顔に惚れた。華耀きらりちゃんがすごく楽しそうに嬉しそうにくねくね踊るのにも惚れた。
 もちろんアヤネの本来の魅力全開エキサイトトールSやセクシードールSも絶品、まとぶんはMr.YUの歌がとてもキュートでした。チェリーを落とすところまでやるのかなーと思ったけれど…

 マチネのときは最前列どセンターの招待席でミッチーご観劇。『相棒』楽しみです!

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NHK交響楽団メンバーによる室内楽シリーズ

2010年04月27日 | 観劇記/クラシック・コンサート
 浜離宮朝日ホール、2010年4月23日ソワレ。

 演目はアントニオ・ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲「四季」、ゲオルク・フィリップ・テレマン「ドン・キホーテ」、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの合奏協奏曲イ長調。
 ソリストは「春」が青木調、「夏」田中晶子、「秋」齋藤麻衣子、「冬」宇根京子。チェンバロは曽根麻矢子。
 アンコールもヴィヴァルディの「4つのヴァイオリンのための協奏曲」より。

 初めてのホール、初めての室内楽でしたが、とても綺麗でこじんまりとした美しく優しい空間で、癒されました。
 コンマスさん司会の簡単なトークもあったりして、楽しかったです。
 ソリストは誕生日から担当季節を決めたそうで、それぞれグラスグリーン、スカイブルー、ワインレッド、スノーホワイトのドレスを着てとても素敵。それでもみんなホールドの仕方や演奏に違いがあって、これまたおもしろかったです。
 しかし私がヴァイオリニストだったら、絶対チェリストに惚れるな! 伴奏をしてくれる感じというかフォローしてくれる感じ、通奏低温をずっと支えていてくれる感じの渋さがたまりませんでした。
 リサイタルは退屈とか思ってしまい、フルオケばかり通ってきましたが、こういうのもいいなと思いました。大人になっているね、私!
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