駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

新国立劇場バレエ団『ホフマン物語』

2024年02月25日 | 観劇記/タイトルは行
 新国立劇場オペラパレス、2024年2月24日13時。

 オペラ座のある街角のカフェで、ホフマン(この日は井澤駿)は友達と酒を酌み交わしながら、オペラ座の歌手で彼の恋人であるラ・テスラ(渡辺与布)の到着を待っている。彼のテーブルには三つの思い出の品があり、問われるがホフマンは答えない。ラ・テスラは公演後の密会の約束を認めたホフマンへの手紙を侍女(益田裕子)に言付けるが、その手紙はラ・テスラに魅せられた邪悪なリンドルフ議員(中家正博)の手に渡ってしまい…
 振付・台本/ピーター・ダレル、音楽/ジャック・オッフェンバック、編曲/ジョン・ランチベリー。1972年グラスゴー初演、新国立劇場では2015年に舞台装置・衣裳を一新して新制作した全幕バレエ。プロローグとエピローグ付きの全三幕。

 なんせチケットを取ったのがずいぶんと前だったもので、会場に着くまでオペラを観るものと思っていました…(笑)が、これは英国バレエ史に残る代表作のひとつだそうです。ピーター・ダレルはスコティッシュ・バレエの創始者で、ケネス・マクミランやジョン・クランコとは同世代で、サドラーズウェルズ・バレエ学校で学んだ仲だそうです。クランコの『オネーギン』やマクミランの『マイヤリング』は観ているので、今回この作品を押さえられてよかったです。
 一幕はホフマンの『砂男』が原作で、自動人形のオリンピア(奥田花純)がヒロイン。二幕は『顧問官クレスペル』が原作で、ヒロインはバレリーナ志望の病弱な娘アントニア(米沢唯)。ここはオペラでは歌手志望の娘となっているそうです。そして三幕は『大晦日の冒険』を原作とし、ヒロインは高級娼婦のジュリエッタ(木村優里)。いずれもホフマンが破れた恋の思い出話で、邪魔をするのはリンドルフを演じたバレリーノが演じるスパランザーニ、ドクターミラクル、ダーパテュートで、要するにこれがメフィストフェレスみたいな存在の悪魔で、ホフマンを破滅に追い込んで回る…というような物語です。
 3ヒロインが有名な物語かと思いますが、女性の描き方が人形、病弱な娘、娼婦と「舐めとんのかワレ」ってなもんですし、ラ・ステラもリンドルフに連れ去られてホフマンが絶望のうちに幕…なのですが、いっそホフマンはリンドルフ/ダーパテュートの腕の中で果てて終わればよかったのでは?とも思いました。だって彼がホフマンに粘着している、そういうBLでしょうほとんどこれは…
 てかオペラ版のあらすじを調べたら、アントニアとジュリエッタの順番が入れ替わっているのはともかく(これはオッフェンバックの作曲が未完に終わり、死後に劇場側が体裁を整えて初演した際にお蔵入りにした楽譜がのちに出てきて…みたいな混乱のせいでもあるそうな)、ホフマンには友人がいて、それがメゾソプラノのズボン役で、歴代の恋人たちはみんな悪魔に持ってかれちゃうけどこの友人だけはずっとホフマンのそばにいてくれて、実は彼がミューズだった…というオチらしいんですけど、ホント都合いいですネ!? でもこれはこれで観てみたくなりました。楽曲も入れ替わっていたり一部補充があったりいろいろされているようですしね。
 そうそう、バレリーノの活躍の場が多いのは目新しくていいな、と感じたんですよね。一幕のホフマンの友人の3人とか、スパランザーニの召使いふたりとか。でも二幕はぐっとクラシカルで幻想的で、三幕はまた退廃的で官能的なムードの中でアクロバティックな大技が披露されて、いろいろなスタイルの踊りが観られるおもしろい演目だな、とも思いました。それをシームレスにつなげてひとつのお話に仕立てているところもいいので、なおのこと、オチというかテーマがもうひとつ欲しいかな、とも感じたんですよね。だってなんでホフマンがこんなにも悪魔に執拗にいじめられるのか、が納得できないので…その点、同じ『砂男』起源でも『コッペリア』のラストのもの悲しさとかの方が印象的かな、とは思うのでした(ちなみにここで初めて見たと書いていますが、検索したら2009年にも観ていたよ自分!)。
 でも、ついつい知っている演目ばかり観に行ってしまうので、新しい出会いはやはり楽しく新鮮で、勉強になりました。もっといろいろチャレンジしていきたいな、と思いました。
 キャストはこれまでも何度か観てきた人たちばかりで、格別印象的だったダンサーはいなかったかなあ…カテコで、男女のバランスもあるのでしょうがセンターがアントニアとジュリエットで、そのサイドにホフマンとリンドルフ、さらにそのサイドにオリンピアとラ・ステラで並んでいたのはちょっとおもしろかったです。指揮者(指揮/ポール・マーフィー、管弦楽/東京交響楽団)が呼ばれてからはやっとタイトルロールのホフマンがセンターになりましたが…まあレディファーストというかプリマファーストではありますよねバレエって。
 群舞もとてもよかったです。客入りも満々席ではなかったけれどいいように見えました。今回のお席は3階1列目センターブロックやや下手寄り、視界も金額もちょうど良く、快適でした。優雅な週末の午後を過ごしました。










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ふらり、ひっそり、ひとり。旅 その10/石川県

2024年02月24日 | 日記
 元日の能登半島地震に関し、何かできることはないかな、と思って金沢に出かけてきました。このあたりは地震の被害がほぼなく、けれど観光客が減っていて大変、と聞いていたので。破格の不支持率を誇る今の政府がやろうとしている旅行支援みたいなのはすぐにでも止めて、すべて直接、被災地支援に回してくれ、と思っています。私みたいなのは勝手にさっと出かけてお金落としてさっと去るんですから…個人的に寄付みたいなものになんとはなしに抵抗があり、私ができることといったらまず自分が楽しむことなのでした。すみません…が、せめて復興のお邪魔にならないようお伺いできれば…と、出かけてきたのでした。
 例によって会社の福利厚生システムみたいなものでおひとりさまプランがあるお宿をテキトーに選んだら、辰口温泉なるところでした。金沢には何度も行ったことがありますが、こちらは初めて。なので楽しみに、いそいそと出かけてきました。

 日曜日、上野駅から北陸新幹線「かがやき」に乗車。朝ごはん代わりに博多座土産のクロッカンなど囓りつつ、2時間半ほどで金沢駅に到着。乗車率は、私のいた車輌は半分くらい? そしてその半分くらいが外国人旅行客グループでした。彼らは地震がどうとかは関係なく、どこにでも行ってくれるのかしらん…
 金沢駅ではコインロッカー三箇所にフラれて、四箇所目にやっと空きを見つけました。まあ改札に近いところから埋まるよね…しかしごく一部しかICカード対応がされていなくて、それこそ外国人観光客にも優しくないのでは、とムムムとなりました。
 ともあれまずはランチだ、と駅ビルの回転寿司へ。とはいえ感染対策かいたずら対策か、タッチパネル注文で個別に提供されるようになっていて、レーンは回っていませんでした。ちょうどお昼時でしたが、十分ほど待ってカウンターに座れました。
 季節3種盛り、富山湾3種、金沢3種などいろいろパクパクいただき、加賀のお酒も一合瓶をぺろり。意外とお高くて豪遊してしまいましたが、百円のシメサバが一番好みでした(笑)。光りものが好きなんです…!
 満腹満足して、東口のバスターミナルへ。経路によるのか、またもICカード非対応のバスでムムム…三十分ほどで終点の石川県立図書館へ。てか途中眺められた建物がみんな四角くてモダンなガラス張りデザインのものが多くて、みんな21世紀美術館みたいなんだな…?と思いました(まあ21世紀美術館は四角くないけど)。図書館の向かいの大学もそんな感じでしたね。
 さて、石川県立図書館は、それはそれは素敵でした。あの円形のすり鉢状になった書架の写真を見たことがある方も多いでしょう。それを実際に見たくて行ったわけですが、まず車寄せとか駐車場とかが広々としていて気持ち良く、四角い敷地に丸い建物が立っているので四隅が空くわけですがそこはそれぞれ公園になっているようで、ベンチも多く居心地が良さそう。周りをぐるりと散策してから中に入りました。
 建物の中は写真で見ていたとおりでしたが、フロアとしては3階建てになっているようで、円形なのでぐるぐる歩き回れますし、真ん中を渡り廊下がつないでいて、半2階、半3階もありました。映えるけど図書館として使いにくくないのかな、とか勝手に心配していたのですが、床が円形だろうと長方形だろうと、分類された本が順に並んでいることには違いなく、問題なさそうでした。
 そして本当にあちこちに椅子、ソファ、テーブル、デスクがあり、ちょっと奥まったブースや小さな会議室みたいなものも多く、どこででもくつろぎながら本が読める、調べものが出来る、勉強やミーティングが出来る感じでした。実際、日曜なのにたくさんの学生さんが勉強していました。これはお気に入りの場所を作って籠もりたくなるよね…!とときめきました。
 ガラス窓も大きく、明るくて日差しがよく入っているのですが、本が焼けちゃうこともないよう工夫されているようでした。本当に気持ちのいい図書館でした。
 私も学校の図書室や学童保育で通っていた児童会館の図書室かもの足りなくなると、市の図書館に通うようになり、中一で引っ越すまで本当にお世話になったものでしたが、その図書館を思い出しました。こんなに素敵なところでは全然なく、古めかしいフツーの図書館でしたが、要するに「図書館」としての機能は同じで、本の愛好家にはたまらない場所だということです。ここで働いている人、ここで本を借りている人、楽しいだろうなあ…てかそもそもここの設計、楽しかったろうなあぁ…
 併設のカフェで自家製プリンなどいただいて、バスで金沢駅まで戻りました。コインロッカーからキャリーバッグを出して、北陸本線でちょいと移動して、お宿の最寄り駅へ。ひとり相手でもきちんと送迎してくれました、ありがたや。
 三十分ほど送迎バスに揺られて、お宿に到着。車寄せからお宿のエントランスまで、大きな池に渡された橋を渡っていく、とても素敵なお宿でした。てか棋聖戦とかをやるようなところだったようです…あわわわわ。確かに代金がちょっとお高いな、とは思っていたんですよね。でも食事がいいのかな、とか思っていたのですが…公式サイトも確認しましたが、こーいうのってよくわからないから…
 担当の仲居さんがついてくれたりして、厚遇っぷりにおたおたしつつもの慣れたふうを装って、お部屋に案内していただきました。前室のついた十二畳ほどの和室で、もうお布団が敷かれていて、大きなテーブルと椅子も出ていて部屋食も万全という感じ。なんとお部屋のお風呂も温泉で、広縁と並んでお庭の池が眺められる窓側にあって、循環加熱ですが檜風呂で24時間入れるということで、私はもう小躍りしてしまいました。
 お茶と羊羹をいただきつつ宿帳に記入などして、早速屋上露天風呂へ…伊香保に続いてまたも貸切状態でした。17時を回ってもまだまだ空は明るく、風は適度に冷たく、いやぁ極楽でした…!
 浸かるだけ浸かって部屋に戻り、夜ごはん。仲居さんがタイミングを見て甲斐甲斐しく給仕してくださり、満足、満腹。
『光る君へ』をリアタイしてわーきゃーし、腹ごなしに今度は大浴場へ。こちらにはおひとり先客がいました。が、こちらにもあるはずの露天風呂は今は中止なのかお湯が抜かれていたので、再び屋上露天風呂へ。やはり貸切状態で、月と星を眺めながらまたまたぐうたら浸かりまくりました。
 部屋に戻って、部屋のお風呂で洗髪し、せっかくなので檜風呂にも浸かって、タオルドライなどしつつ『アストリッドとラファエル』をリアタイして、持ち込んだ缶サワー呑んで、歯磨きして寝ました。布団の下のベッドマットみたいなのがとても良くて、腰が痛くならない寝具でした。

 翌朝は7時過ぎに起きて朝風呂へ。屋上露天風呂は男女が入れ替わって昨日とは違うところでしたが、またまた貸切状態…みんなどこで何をしているの? 空はやや雲っていましたが、気持ち良く浸かりまくりました。
 朝ごはんは8時から。温泉旅館って朝ごはんも豪華なので、朝もお品書きが欲しいくらいですよね…柔らかめに炊かれたご飯が美味でした。『ブギウギ』リアタイ。
 のんびり食休み、のち身支度と荷造りして、10時チェックアウト。カップル二組と男性客ひとりとともに送迎バスで最寄り駅まで運んでいただき、再び金沢駅へ移動しました。
 今日はICカード対応のコインロッカーに入れられました…! そしてバスもICカード対応のものに乗りました。周遊バスは運転手不足で左回りが運休中で、右回りのみとのこと。とりあえずバス停五つほど乗って、ひがし茶屋町へ。芋洗いでもなく閑散としていることもなく、適度な人出でよかったです。いつもはもっともみくちゃなのかなあ…? 可愛らしい小間物屋さんや小洒落たカフェなどたくさんあり、ゆっくり見られてとてもよかったです。昼酒になかなか心そそられましたが、全然お腹が空いていないので、なるべくたくさん歩き回って消化しよう、と裏道もけっこうぐるぐる歩きまくりました。
 そのあとはまたバスで金沢城公園か兼六園にも行こうかな、と思っていたのですが、地図を見るとバス停三つほどみたいだし歩くか、とスタスタ出ました。地図があればどこへでも歩いて行く女Sなのです…お城の石垣など眺めつつガシガシ歩き、しかしどうも道を間違えたか公園入り口みたいなものに出会わなかったので、まあ以前も行ったことがあるはずだしいいか、とそのままスルーして、しいのき迎賓館を眺めて、21世紀美術館へ行きました。
 ここは地震の被害があって一部閉館しているようでしたし、何より今日は休館日だったんですけれど、無料ゾーンには入れました。トイレを借りて、以前来たときもぼーっとしたダレルの部屋でひと息ついて、庭をぐるっと歩いて、見つけたカレー屋さんで豆カレーと赤ワインのランチにしました。
 その後、また周遊バスを待つのもかったるかったのでショートカットして香林坊まで歩き、路線バスで金沢駅へ戻りました。お宿の仲居さんが薦めてくれたホテル日航金沢のティールームに行ってカクテルなぞいただき、ベーカリーでパンなど買い込んで、再び駅に戻ってキャリーを出したら、帰りの新幹線の時間でした。
 新幹線内では爆睡…都内はどんより曇って路面も濡れていましたが、私が家の最寄り駅を出たときには雨が降っておらず、金沢駅のトイレで捨てられているのを見つけて拾ってきたビニール傘が無駄になりました(笑)。ともあれ帰宅して荷解きして、石川県の旅というにはあまりにピンポイントな旅行でしたが、無事終了。ホテルの売店で見つけた九谷焼の『ブラック・ジャック』の絵皿が自分土産となりました。うっとり…

 県知事は大阪万博の方を向いていたり、どうもしょーもないことにしかなっていなくて、復興も遅々として進んでいないようですが、ホテルで見たNHKの番組は未だL字で地震情報が出ていて、まだまだ元どおりの生活になっていないところがたくさんあるのだ、と思い知らされました。この棄民っぷりは本当に異常だし、阪神・淡路からも東日本震災からも何も学んでいなくて、対策が全然進んでいないことに絶望すら感じます。せめて自分の備えはきちんとして、人に頼らずなんとかできるようにしようとは思いますが、ホント国って政府ってなんのためにあるの…?と悲しくなることしきりです。
 被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。1日も早い復興をお祈りしています。そして選挙に行こう、みんな。納税義務を果たしていないような奴らにこれ以上ピンハネされたくないよ、きちんと納めた私たちの税金は正しく使われてほしいよ…今の政府には任せておけません。自分たちの暮らしを、未来を守るために、みんなちょっとでいいからよく考えてみてください。
 私は怖い。このままでは本当に駄目です。
 私がこんなのんきな旅行を続けていけるためにも、どこかで今の政府に引導を渡さなくては…沈む船からは逃げ出したい気満々だけれど、これは私たちの船なのです。追い出すべきは国会で寝てばかりいる脱税議員たちの方でしょう。
 はー、ホント確定申告したくない…でも取られすぎているものは返してもらわなきゃならないから、やります。私には還付金をもらう権利があるのです、裏金を還付金と呼んでいるおっさんたちとは違って…
 プンスコしながら、来月も出かけたいと思っています。

〈旅のお小遣い帳〉
宿泊費(一泊二食) 39,600円
新幹線(えきねっと) 25,140円
クリームパン 238円
バス代(4回分) 940円
コインロッカー代(2回分) 800円
ランチのお寿司代 4,510円
プリン 480円
部屋飲み用缶サワーその他コンビニ買い物 1,277円
入湯税 150円
北陸本線乗車賃(往復) 400円
夕食の冷酒(黒帯悠々デカンタ) 2,200円
自分土産(九谷焼絵皿、金箔珈琲、金箔梅昆布茶) 3,595円
豆カレー&グラス赤ワイン 1,750円
カクテル&ペイストリー 1,620円



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音楽劇『不思議な国のエロス』

2024年02月22日 | 観劇記/タイトルは行
 新国立劇場小劇場、2024年2月21日18時半。

 戦いに明け暮れる男たちに愛想を尽かしたギリシヤの女たちは、敵味方の垣根を超えて立ち上がる。アテネの武将ラケース(高橋ひろし)の妻ヘレネー(松岡依都美)は、女たちを密かに集めて戦争終結を要求するためのセックス・ストライキを提案する。一度は計画に乗る女たちだったが、クローエ(花瀬琴音)は平和を願いつつもアイアス(渡邉蒼)と結ばれたいという思いを抑えられず…
 作/寺山修司、演出/稲葉賀恵、音楽/古川麦。アリストパネス『女の平和』をもとに、浅利慶太の依頼で1965年に書き下ろされた戯曲。全1幕。

 気になっていたのですが取り紛れていてチケットを取り忘れていたところに、割引優待案内みたいなのが来たので、「売れてないのかなー…」など思いつつ出かけてきました。後列ですがフツーにセンタープロックの観やすいお席が来て、よかったです。まあ確かにその後ろ数列は空席でしたが…
 というか休憩なし130分の芝居なら19時開演にしてくれれば、来られる客ももっと増えると思いますよ…平日マチネはそもそも上演が減っているので、あるだけありがたいとも言えるけれど、終演時間が深夜になるんじゃなかったら開演が遅い方がそりゃ嬉しい客は多いはずなんですよ。リーマンがみんながみんな17時に会社を出られるわきゃないんだからさぁ…出演者も劇場関係者も、翌日のためにも早く帰りたい気持ちもわかりますが、やるからにはこの30分を吟味していただきたいです。

 とのっけからうだうだ語ったのは、要するに私にはこの作品のおもしろさがあまりよくわからなかったからです…
 私はギリシア悲劇は好きで機会があれば観ようとしていますが、これはもっとエログロなコメディらしく、それを寺山修司が七五調の台詞と歌詞とで音楽劇に仕立てていて、そこにさらにたとえばエコー(横溝菜帆)がブラウスにリボンにセーターにチェックのミニスカートに紺のソックスという典型的女子高生の制服姿で現れるような演出が加えられているので(衣裳/藤谷香子)、まあ現代日本で日本人の役者が日本語で上演して日本人の観客が観る場合の(この「日本人」表現については今ここでは触れませんが)形になっているのでしょうが、でも私にはその意味やおもしろさ、作品に込められたメッセージ、作品が表現していること…がなんかよくわからなかったのでした。まんま『女の平和』を観た方がわかりやすかったのではあるまいか…イヤどうなんでしょう、戯曲を読んだこともないから判断できないわけですが。
 女たちがセックスを拒否し、男たちは欲求不満で戦争どころではなくなる…というのは、たとえ思考実験としても、はたしてありえることなのでしょうか。古代ギリシア世界はそんなにも男女の性欲なるものに信頼を置いていたのだな…とかしか、私には思えなかったんですよね。
 いや、男の戦争に勝ちたい、とか相手を征服したい、みたいな欲望って結局支配欲とか嗜虐心から来ているマッチョなリビドーで、性欲と近いところにある、というのはすごくよくわかるんですよね。男が純粋に愛情のために、愛する相手と喜びを分かち合うためにセックスすることなどほぼないと言っていいのが現状でしょう。今よりずっと理性的だったかもしれない古代ギリシア世界でも、それはほぼ変わらなかったのではないかしらん…
 女が相手をしてくれないとなると、稚児だの道具だのに走って、でもそれでは満たされないものがあって…というのもわかるし、それでいろいろ手につかなくなって戦争どころではなくなる、というのもわかる気がするんだけれど、結局一発抜いちゃったらスッキリしてまた戦場に出て行くんでしょ?とか思うと、どうにも解決策になっていない気がするんですよね…
 もちろん、我慢させられる女側の問題もある。女にだって性欲はあるのですから。そりゃ男と違って平和、終戦のためにはそれくらい我慢できるのが女というものですが、この犠牲の払い方は正しいのだろうか…?と、まあ私が理屈っぽいだけなのかもしれませんが、どうにも納得できず、ピンとこず、よくわからなかったのでした。
 あと、私がこの作品を観ようと思った要因のひとつにタカラジェンヌの存在があったわけですが、コムちゃんのナルシス(朝海ひかる)は単に男だというだけでなく、せむしという設定の、要するに障害者、差別されている者というキャラクターのようですよね。同じ寺山修司作品の『テラヤマキャバレー』に今カチャが「死」の役で特別出演中ですが(ちなみに体調不良で休演中ですが…これはカチャ会取り次ぎで観に行っている人にはつらかろう。あと公式サイトが休演だけ告知してスウィングによる代役について触れていないのは、ホントどーかと思います)、どうして現役でもOGでもタカラジェンヌはこういう人間でない役とか性別を超えるような役、あるいは差別されたり別格な何かだったりするお役に配されがちなのでしょうか? イヤ似合うんだけど、ありきたりすぎる気もしますよね…明治座キャッツアイのみやちゃんも男装の麗人役なのかな? 素晴らしいらしいですが、しかしあたりまえすぎるだろう…起用した側を含めて、ザ戦でガッツリ働くマイティー、せおっちの素晴らしさはもっと評価されてしかるべきだと思います。
 イヤこのコムちゃんも雰囲気あって素敵だったんですけれどね。注意喚起アナウンスもコムちゃんで、そのままシームレスに舞台が始まるような感じで、全体がナルシスが語る物語のようでもあり、そういう特殊で肝要なポジションを任されるのはこちらもファンとして鼻が高いのですが、しかし引っかからないこともなかったのでした。

 役者さんはみんな達者で、ミュージカルみたいな歌唱ではありませんでしたが歌も特にみんな問題なく、安心して観られました。お衣装にもアイディアがあったと思います。
 でも…でも、なんかよくわからなかったんです、すみません……








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『インヘリタンス』

2024年02月19日 | 観劇記/タイトルあ行
 東京芸術劇場プレイハウス、2024年2月17日13時(前篇)、18時(後篇)。

 モーガン(篠井英介)と作家を目指す青年たちがいる。その中心に、エリック(福士誠治)と劇作家のトビー(田中俊介)、初老の不動産王ヘンリー(山路和弘)とパートナーのウォルター(篠井英介)、二組のカップルを軸とする世界がある。トビーの自伝的小説がヒットし、舞台化が決定。その主役に抜擢された美しい青年アダム(新原泰佑)の出現により、エリックとトビーの仲は破綻するが…
 作/マシュー・ロペス、演出/熊林弘高、翻訳/早船歌江子、ドラマターグ・演出助手/田丸一宏、美術/二村周作、照明/佐藤啓。E.M.フォースターの小説『ハワーズ・エンド』に着想を得た、ニューヨークのゲイ・コミュニティの物語。2018年ロンドン初演、19年ブロードウェイ初演。オリヴィエ賞4部門、トニー賞4部門受賞。上演時間6時間半。サブタイトルは「継承」。

『ハワーズ~』は未読ですが、絶対好きそうなヤツ、と思えて通し券を買いました。『エンジェルス・イン・アメリカ』では分けて買いましたが、そのときいっぺんに観たいな、と感じたので。
 さすが芸劇の椅子の方が断然いいこともあって、小休憩はロビーに出て伸びをし、大休憩は近くのサイゼリヤでエナジーチャージしましたが私のお尻も腰もまったく問題なく、我が身の頑丈さというか鈍感っぷりに感謝です。
 そしてもちろん内容もまったく退屈せずかつ長さを感じさせず、集中して夢中で観ました。作中の時間はエピローグを除けば4年ほどのもので、登場人物もそう多くはない物語なんだけれど、深く濃く一大叙事詩とも言えそうなものなので、そういう意味ではたっぷり長いのかもしれませんが、それがまた深い満足につながりました。全部わかってもう一回アタマから観たい!と思ったくらいでした。2階席でしたが気持ち良くスタオベしてしまいました。とても良かったです。私好みの舞台でした。
 ケチってA席にしたのですが、2階センターブロックからの眺めは遠いは遠いけれどなんの問題もなく、音もよく抜けて快適でした。役者たちはみんな、遠目でも誰が誰か判別しやすい造詣で(二役の人はさっと上着その他のお衣装を変えるのでした。「青年」たちはそのままだったかな、でも佇まいでちゃんとわかるんです。もちろん後ろを向くとか、照明の当たり方なんかにも工夫がありましたが…というか全編ホント照明がよかった!)助かりましたし、みんな声が良くて、それで判別が楽だったというのもあります。もちろん近ければもっと表情での演技なんかもわかったのでしょうが、2階からノーオペラでも芝居としてまったく問題なく、素晴らしいなと思いました。
 というかみんなホント達者で、その人にしか見えませんでしたよ、すごいなあ…ネタバレですが要するにこれはのちにレオ(新原泰佑)が書いた小説の舞台化、というか朗読劇のようなものだった、ということになるのだと思うので、台詞もちょっと不必要なくらいに饒舌だったりするんですけれど、噛んだ人がほぼいなかった気がしました。もちろんそれは丸暗記でできることではないと思う。台詞が全部ちゃんと入っていて、しっかりその役として演技しているからこそ自然に口に出せて、だから観客はノーストレスで物語に没頭できるという、素晴らしいものでした。R15でもあり、カーテンを使いつつヌードを見せたりシーツを使いつつ濡れ場を見せたりといった場面もあったんですけれど、段取り臭さもまったくなく、とてもスムーズだったのも良かったです。
 いい役者さんばかりで、なるべく名前を覚えたいな、と思いました。海外ではオープンリー・ゲイの役者さんが演じ観客もゲイ男性が多いそうですが、日本ではそうなっていないことに対し、批判的な意見も目にしました。プログラムの役者コメントでも「ゲイの男性役なので皆さん自然に繊細で柔らかな空気をまとっているのに、休憩時間になると途端にメチャメチャ男っぽくてラフな空気になり(笑)、」みたいな発言があって、「そういうとこやぞ…」とはなったりしました。
 私はシスヘテロ女性がBLを愛好したりこうしたゲイ・カルチャー作品を観に来たりする心理については理解できているつもりですが、シスヘテロ男性がこうした作品を演出したがったり出演したがったりする心理はよくわかりません。シスヘテロでも男性も生きづらさを感じている、ということなのかな? 単なる冷やかしにはなっていないとは思うのですが、しかし特にお若い方にどれだけ理解が及んでいるのか…はちょっと考えさせられました。この上演に関しても、たとえばエイズに関するアップデート研修のようなものも行われていたようですが、もっと広い人権教育みたいなものがそもそも世間に全然行きとどいていない現状からすると、役者さんにだけ高い意識を求めるのも酷な気もしますしね。でも差別の再生産にならない作品に仕上げること、感動搾取エンタメにしないことは必要だと思います。なのでまあ「処女作」とかは引っかかったかな…
 でも、いい作品だと思いました。もっと男性に観てもらいたいな、とも思いました。ゲイでなくとも。
 ラスト、トビー(の亡霊?)が庭に若木を植えようとして、穴を掘って土をかけているだけでは何度も倒れてしまうところを、エリックとレオが本を支えに若木を囲むと、安定するのです。これもまた「世界には物語が必要だ」がテーマの作品だ、ということです。世界には、というか要するに人間には、ということです。以前はこの「人間」に女性が含まれていないことも多かったんだそうですけれど(これは皮肉で言っています)、劇場に来る人間はほぼ女性なのが日本の現状です。男性は少年漫画は読んでも、劇場にはほぼほぼ来ない。でも舞台でしか、演劇でしか物語れないものもあると思うので、もっと来て触れて癒やされて考えるようになってくれると、世界がより良くなるのが少しは早くなる気がするんですけれどね…ま、欧米の男性は日本なんかよりは断然劇場に出向くのでしょうが。ジョジョミュからでいいので(そして鬼滅歌舞伎が飛んだことが悔やまれる…)少しずつ足が向くようになるといいのにな、と心底思います。

 エリックは主人公だから、あまりくわしい過去とかが語られなくて、典型的なゲイ男性、みたいに描かれているのかなあ。優しくてナイーブで、自己肯定感が弱くて、なよやかな立ち居振る舞いや言葉遣い、好きな人との久々のセックスで(もちろん異性愛カップル同様、多種多様なセックスライフがあるに決まってるんだけど、同棲も7年となると挿入までのセックスはなかなかしないものなのかな、とかもおもしろかったです。ゲスですみません)「結婚して!」と叫んじゃう感じとか、いじらしくてチャーミングでした。そしてとても聡明で、人として譲れないものをきちんと持っている…イヤしかし福士くんホント上手いな、素晴らしかったです。
 それからするとトビーはキャラブレして見えないこともなかったけれど、それだけ彼が未熟で不安定な人間だったということなんだと思います。中の人は映画『ダブルミンツ』で初主演だったとか、おぉう…
 好きなのはジャスパー(柾木玲弥)です。私のツボはいつもこういうタイプの優等生です。声も良かった。ヘンリーの次男ポールと二役なのもおもしろいと思いました。
 そして私はもう老兵なのでヘンリーの生き方、考え方もわかるのでした。ジャスパーとの論戦…にもなっていなかったと思うけれど、あれはきっとどんなに言葉を尽くしても平行線なのではないかと思います。世代間ギャップはそれほど大きいし、ヘンリーは閉じていてエリックもそれは変えられなかったのだし、ましてジャスパーでは無理でしょう。でもヘンリーの時代に、それはフォースターの時代にも近く、ゲイであることをカミングアウトするなんてありえなかったことで、そしてヘンリーは改革運動に身を投じるタイプではなかった、それだけのことです。彼は独力で努力してビジネスで成功し、巨万の富を得て、それで家族を守り、今も仕事が好きで楽しんでやっている。安らぎは欲しくてウォルターの死後はエリックを愛するようになるけれど、セックスは彼とはせず、男娼を買っている。そうした生き方を、彼はもう変えられないでしょう。これまでの生き方を否定することのように思えるだろうから…
 アダムもおもしろいキャラクターでした。彼に才能がある設定になっていて本当によかったよ…もちろん凡百の「才能のないアダム」がこの世にはいるのでしょうけれど。レオとの二役も素晴らしかったです。前日観た『ヤマトタケル』以上の早替わりと声変わり(笑)をしていたと思いました。レオも本当に良くて、私はこういうお役を上手くやるお若い俳優さんにとてもとても弱いので、もうメロメロでした…てか買い忘れていた『エゴイスト』のブルーレイを買っちゃいましたよね(笑)。
 レオに「年配」と言われてショックで倒れるエリックとか、四十歳の誕生日を祝われて改めてその数字にショック受けるとか(『何食べ』のケンジか…(笑))、チャーミングでホントたまらなかったんですけれど、それでも死ぬのはレオが先だったのでした。薬があるとはいえHIV陽性で生きることは身体に負担だったろうし、それにしては長く生きた方だったのかもしれません。でももちろんもっと長くてもよかった、でも彼の人生は充実していたことでしょう。そしてあの家で死ねた…幸せだったと思います。
 そう、これは「家」の話でもあるな、と思いました。彼らは同棲しても結婚しても家族になっても、子供は作れない。だから家庭というより、住み処としての、そして友が集う場所としての「家」が必要で、それを巡る、またそれを求める物語だったのかもしれません。エリックが暮らしていた分不相応なアパートメントといい、お坊ちゃんのアダムの家といい、ヘンリーとウォルターの家といい、またヘンリーのタウンハウスといい…そして「田舎の家」、マーガレット(麻実れい)が整えてくれた家の重要性たるや! 人には居場所が必要なのです。それがないと、トビーのように飛び出して、コンクリの壁につっこむしかない…
 なので私は、依然独身でパートナーもいませんが、四十歳でマンションを買って友など呼べていることには(依然ローン返済中ですが)感謝しているのでした。

 ところでニューヨークの地理的なことはいい解説がないかしらん…23区でいうとどこみたいなイメージ、とかさ。たとえばマンハッタンは中央区でブルックリンは中野、みたいなの…わかるとこうした作品はもっと楽しいのかな、と思いました。出てくる小説や映画のタイトルなんかは、イメージがつかめるものばかりだったんですけどね。
 プログラムはA5で130ページ。半分はキャストの写真集みたいになっていますが、読みでがあり、よかったです。
 このあと大阪と北九州に行くんですね。どうぞたくさんの人に観ていただけますように…!








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虹は架かっているか~『アルカンシェル』マイ初日雑感

2024年02月14日 | 日記
 イケコ…などと愛称で呼ぶべきではもうないのでしょう。小池修一郎氏に関する疑惑の週刊誌報道があり、しかし劇団はスルーを決め込み、けれど集合日は遅れ、配役発表が遅れ、その後も初日直前まで人物相関図が出ず、座談会の掲載は次月号に回され、生徒はスカステや「歌劇」で演出家の名をほぼ口にせず…いったいどうなってんねん、という中での初日開幕だったと思います。
 そこで聞こえてくる評判も、初日はファンが観るものだから…というのを差し引いても、期待値の持ち方にもよるのでしょうがものすごくまちまちでした。「泣けた」「傑作」から「良く出来ている」「まあまあでは」、逆に「退団公演に名作なし、が今回も実証された」とか「ナチス礼賛で言語道断」とかとか…
 これは自分で観てみないとなんとも言えないな、と、初日の手配はつきませんでしたがここなら取り次いでもらえるだろうというド平日昼の回を頼んで、2月14日13時の回をシュッと日帰りしてきました。ちなみにバレンタイン・デーでしたが、アドリブなどは特に何もなかったかと思います。

 で、パリは燃えているか、虹は架かっているか、風は吹いていないか…とどぎまぎしつつ、まずはフラットに観よう、と席についたのですが…

 …なんか…別に…良くも悪くもフツーの出来、じゃなかったですか…?
 目新しさはなくて、こうなるんだろうなーというふうに展開して、でもベタの破壊力とかまではなくて、でもトンチキじゃないし破綻してもないし、まあまあそこそこちゃんとしてません…?ってのが、私の幕間の感想でした。そして終演後も、そんな感じの感想を持ちました。
 名作でも駄作でもない…ってのがどうなんだ、ってのはありますが…もはや貴重なオリジナル作でもありますし、ベテランの手練れ感が奏功した一作、なのではないでしょうか。バックステージもの、というほどではないけれど、ドイツ占領下のパリのレビュー小屋を舞台にして、劇中劇のようにレビュー場面を散りばめて…という構成もハマっていたと思います。
 ただなんか、セットがショボいというか、妙に低予算感がありましたけどね…(装置/松井るみ)お洒落さがない、というか。
 また、ドイツ軍の描写については確かになかなかヒヤヒヤしましたが、でもギリギリでアリだったと思います。ひとこフリードリッヒみたいな、ドイツ国防軍で、芸術に理解があって、エンタメに国境はないと信じて行動できるタイプの人間と、まゆぽんコンラートみたいなゴリゴリに凝り固まったナチスとは、ベタすぎるくらいにきっちり描き分けられていましたし、ナチスの脅威はきちんと脅威として描かれていて、カッコいいものみたいな表現ではまったくなかったと思います。専科で特出してくれているまゆぽんのための場面はあって、そのまゆぽんはもちろんカッコいいんだけれど、でもちゃんと怖いものとして描かれている。あかちゃんジョルジュの顛末といい、妄執や狂信は哀れで怖い、戦争は狂気だ、絶対ダメだ…というのはちゃんと打ち出されていると思いました。
 パリ解放後、連行されるドイツ兵を見送るパリ市民たちが、怨嗟の目を向けはしても石を投げたり手を出したりしなかったところも、いいなと思いました。暴力に暴力で応じたら泥試合で、戦いは新たな戦いを生むだけ、復讐は何も生まないのです。出て行ってくれればいい、そして友として再訪してくれるなら迎え入れる…星空ちゃんアネットでなくても、みんなそうする。そういうことだと思うのです。私はけっこう胸アツでした。
 劇場、ということでメタっぽいあたりはいかにもベタでしたが、これも悪くなかったと思いました。とにかく、フツーに考えたらフツーこうするだろう、というところを押さえているだけのようでもあり、でもそういうことをてんでできていない作品もこちとらたくさん観ているので、「なんか…ちゃんとしていて、いいじゃん?」とか思わされてしまうのが、なんかどうにもちょっと悔しいのでした。

 れいちゃんマルセルやまどかカトリーヌの設定にもちょっと一捻りあって、ただ脚本が追いついていない感じで、あまり描き込まれていないので中の人はまだ役をつかんでいないのではないか…という感じは、しなくもなかったです。役に愛嬌がなくて、あまりチャーミングに見えなかった気がします。ふたりの心が寄り添い出してからはラブのオーラでそれがカバーされるのでいいんですけど。まあこれは中の人たちがここからどうにかしてくるかな。
 対してフリードリッヒは儲け役とまでは言わないけれど、とてもいいお役で、次期トップスターのお役ということもありますし、もちろん華も実もあるひとこで上手い、楽しい! 星空ちゃんも、相変わらずペタンコの靴履いて足下が美しく見えないことだけがネックですが、芝居はホントいいんですよね。アネットがまたヘンに卑屈に弱気にならない、可愛いだけのふんにゃりしたお役になっていないのがすごくよかったです。これはホンからはどうとでも演じられるお役だと思うので、星空ちゃんがこういう役作りをしたんだと思うんですよね。私はホント顔が苦手というのだけを克服すれば次代も楽しく観られるはずなんだ…
 ほのかイブは額縁役で、現代の青年が曾祖父の時代を語るという構成になっている舞台です。曾祖父がヒロさん、祖父が湖春ひめ花ちゃん。舞台にはよくあるギミックで、狂言回しとしてやや便利に使われすぎな気もしましたが、ほのかちゃんはさすがいいバランスで舞台に存在していたと思いました。
 あかちゃんがこじらせ役で、ちょっとパターンすぎてこっぱずかしいくらいなんですけれど、きっちりやってくれています。これでご卒業のほってぃにはもう少し仕事が欲しいところでしたけど、まあこんなものかな。ダンサー兼レジスタンス・グループではらいとが年下役として台詞をもらっている感じ。ちょっと前のかりんちゃんですね。次は3番手なんだしもっと仕事させればできる人ですよ…(パレード、はなこはセンターでだいやはそうでないのにちょっと退きました。これまでもそうでした? てか劇団ははなこを大事にしすぎでは…次代はひとこほのからいとなんでしょ、その次はれいんくんとかまるちゃんとかもっと下へいくんでしょ。ぼちぼち、さあ…)
 娘役は、あわちゃんがポワント履いてダンサー役としての見せ場をもらっていましたが、あとは糸ちゃんみょんちゃんが歌うくらいで、他はほぼ仕事ナシ。みさこはホント大根だと思うのでもういいけど、みこたんには餞別にもっと仕事をくれよー、もったいないよー…
 てかフィナーレの娘役群舞でも、ふたりともいい位置に置きこそすれれいちゃんとのひと絡みも与えないのってナニ? 積んだお金が足りなかったってことですか??
 てか男役群舞も退団者ピックアップがなかったよね、ひどくない?? てか今回の群舞の振付、苦手だわ…それでいうとデュエダンももの足りなかったわ、大階段をもっと使うか、まどかはセンターからのセリ上がりだろう…! 最後はれいちゃんのソロダンスで締めるというなら、まどかはセリ下がりしてもよかったはずです。ちょっと扱いひどくなーい!?とは私はプンスカしました。
 あとパレードのお衣装、ドレスはデコレーションケーキみたいで可愛いんだけど、首のリボンはダサかないか…今すぐ取ってもええんやで…(ToT)

 まあでも総じて組ファンは楽しく通えるのでは…?と思いました。私も楽近くに友会が当たっているので、また行きます。東京公演は一次が外れたから、二次頼み、そしてお取り次ぎ頼みですね…
 てかまどかMSに行きたいんです、ツテある方がいらしたらどなたかそっとご連絡いただけませんか…(ToT)
 プレお披露目と裏の別箱も発表されて、花組のこの先も楽しみな限りです。お披露目は脳天気なラブコメとかでもいいですね。スターに当て書きオリジナル新作を用意できてこそ、ですよ劇団…! 引き続き、もろもろ注視していきたく思っています。






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