森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

半分、面白い

2019-11-06 01:24:01 | トルコ旅行記

トルコ旅行から帰って来て、友人に

「良かった ?」と単純に聞かれると、少しだけ私は戸惑って

「うん ?     うーん ?」と、首を傾いでしまっていたのでした。

帰国後すぐの時、

「とっても良かったよ~。お勧めできる場所だわ。」と言い淀んでいた私。

「絨毯屋さんがしつこ過ぎて・・・・・・。」

 

あんなにあんなにですよ、カッパドキアの風景に心惹かれ、可愛らしい猫たちと出会い、過去の遺跡に心トキメかしたというのに、開口一番の土産話がそれですよ。

いやいやいや、変な話ですが、私のリアル友達のほとんど、たぶん風景・遺跡・猫の話を誰も聞きたいとも思ってないし、話をしても聞かないと思う・・・・・・・・(^_^;)

だから私はブログを書いているわけですが。

 

で、友人たちとその話で盛り上がったその時、誰かが何でも最初から3分の一の値段から交渉し始めればいいのよねと言いました。

へぇ、そうなんだと私は思いました。

詳しい事を書くと誰かのプライバシーに触れる事になるので書けませんが、結局は、4分の一の値段まで下げて美しい絨毯を買った人がいました。

その売り方のあれやこれやに、私はもろに異文化と言うものを感じ、嫌悪を感じました。

良いものを安く買った人も高額なお金が入った売り手も、後から大きなバックマージンが入るガイドさんも皆満足したのかも知れません。だけどそれは、長い年月をかけた作り手の労働への敬意がぶっ飛ぶような売り方です。

結論から言えば、きっと、その絨毯には買った値段の価値しかないと言えるのだと思います。いや、本来のと言う意味ではありません。本来なんか関係ありません。売値がそのものの価値を決めてしまうような売り方だなと思ったのです。買われた方にとっては別ですよ。『本来の価値』で良いと思います。ただ売り手側にしてみれば、違うなと、私は感じたのです。

これは社会と言う海原に出た時に気が付いたことなのですが、今もそれが通用するかは分かりませんが、昔の私は物を売ることが得意な人だったのです。

だから感じたのです。売り方ひとつで物の価値をこんなに下げるやり方は違うのではないかと言う事を。私が売り手か買い手か、どちらの立ち位置に立ってその売買を見ていたのか、それは誰にも分からない事だったと思います。

黙っていられないので、ガイドさんに言いました。

すると彼は言いました。

「彼らがしつこいのは作り手のためだ。作り手の人々はお金に困っていて、早く現金を渡してあげたいがためだ。」と言いました。

確かにしつこ過ぎるー。

だけど言ったのはそこじゃなかったのです。どことは書けませんが。そのガイドさんの発言から、自分たちでも分かっているんだなと思いました。しつこいって。

 

でもほらっ、私、後からしみじみと考えるタイプなので、私も同じようにしつこく考えてみたら、これは私が日本の貨幣価値を持ち込んで考えていたからなんですね。

きっと今のトルコでは、4分の一になってしまった金額のうちの半分が作り手に入って行くだけでも、その金額で十分な金額なのかも知れません。お客は一人ではなく、それが毎日となれば、残りの半分の収入で売り手の社員一同とガイドのリベートなど十分なのでしょうね、きっと。

だけど・・・・と思います。

じゃあ、この買い方だったら、押しの強い人の勝です。何人かの人がこの絨毯屋さんで買い物をしました。

「30万で。」「40万で。」「二枚で100万で。」と口々に言いましたが、写真など見せあって「これを買った。」と言う人は、あまりいませんでした。中には半額で買った人も3分の2で妥協した人もいたかもしれません。

そこが面白い所じゃんと思う人もいるでしょう。

ただ、私はご免です。意外とそう言うのダメダメな人なんで。

あまりお得に買えそうもありません。誰かが値切った分を値切れなかった私がその分を穴埋めしそうですよ~(/_;)

 

もちろん今回は私はまったく買う予定はありませんでした。でも私は衝動買いが結構多い人。

家がフローリングにリフォームした後だったら、シルクは無理でも15万円ぐらいの小さ目なマットなど買ってしまったかもしれません。でも今は使う所が無いので無事衝動買いクリアできました^^

トルコ絨毯はかなり目の保養になる美しさを持っていました。

 

表と裏

 

 

 

あっ、いつ行ったかと言うと、ギョレメ野外博物館に行った日の出来事でした。これらも含めて観光の一環と思えば、それもまた楽しからずやと言う所でしたね。

 

同じ日に陶器屋さんに行きました。

  

このようなお買い物ツアーの部分では、作る工程などを見学させ、いろいろと工夫している部分が面白いと思いました。

 

 

 

 

かなりの目の保養になりました。

このお店では、私、ちょっと迷いました。食器は買っても後悔しない方です。ここで少々お高めのものを買っても、私はこの先、ずっとそれを大事に使うと思いました。だけど一枚の大きな鉢型のお皿を迷いに迷って、結局止めたのです。大きさが後ほんの一回り大きかったら、きっと買い求めたと思います。その時はかなり心トキメクブルーの色だったけれど、今はその柄も思い出せないので、買わなくても悔いなしと言う所です。

でもここでいろいろと物色したので、エジプシャンバザールでは小鉢やコーヒーカップなどを時間もかけずに買ったのだと思います。

 

トルコのお土産と言ったら、トルコ石なども挙げられると思います。

あのブルーの色には心惹かれるものがかなりあります。

ちょっとここだけは興味があったので行く前に検索しました。で、やっぱりそこで買うのは止めておこうと最初から決めていたのです。

実際に行ってみると、意外と感じのいいお店だと思いましたが、当初の計画通り、私と星子さんはそのお店を抜け出して、隣のタイル屋さんに行ってしまったのでした。私のお土産のタイルのほとんどはそこで買ったのです。

そのお店でも、ちょっと危うい事がありました。凄く素敵な壁掛けを見つけ、星子さんと柄違いで買う事にしました。値段交渉も話が付いて、いざお支払いと言う時に、ふとその壁掛けの下の方の柄が剥がれかかっているのに気が付いたのです。そう、その素敵な模様はタイルに貼ってあったシールだったのです。

もちろんそれはキャンセルさせていただきました。

 

トルコの(要らない)買い物ツアー。

最後は皮革屋さんでしたね。

私、ここはちょっと期待したいと思っていたのです。

何か夫や息子たちの男性陣へのお土産になるものなんかないかしらと思っていたもので。

でもここは革のコート屋さんでした。

私はお肉を頂かない動物の革は使わない事にしているんです。でも羊さんはそのお肉も頂くわけですから、許容範囲。頑張れば買えないお値段ではないし、少しは心は動きました。さっきも書きましたが、意外と衝動買いの人なので。

だけどなかなか気に入ったものが無かったのでした。私はdebu(今は !!)だけれど、決して大柄の人ってわけでは無いので、たいがいは袖が長い・・・・。

しっくりこないのです。デザイン的にまあまあかなと思ったものの裏地がバーバリー柄で、やはりそこが私的にはダメで止めました。途中まで良いものがあったら買うかもしれないという雰囲気が漂っていたので、トルコの方々のしつこさ攻撃にあっていましたが、そこは既に学習していたので、「買うものはナイナ。」と思ったら、その攻撃をササット交わし逃げ切りました。

なんだか疲れます。

「人生はもう長くもないというのに、こんなことで自分の時間を使いたくないものだわ。」と私が嘆くと、

「これが入っているからこのツアーは安いんだ。」と星子さんが言いました。

日帰りバスパックツアーでも山梨なんかは水晶の宝石屋さんやワイン屋さんに行くから安くなっているものもあるでしょう。それと同じって事ですね。

と言うわけで、私は結局、絨毯もトルコ石もコートも無しでガイドさんが連れて行ってくれた陶器屋さんでの買い物も無しでした。

お買い物ツアーの部分は、私的には無駄な時間に感じてしまいました。それでも様々な工夫から半分は面白かったと言うべきなのでしょう。

 

  

 

コート屋さんのミニファッションショー。

観客の人(ツアーのお仲間)も引っ張り出されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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