「春が来ました。」1月から3月の三か月は自分の心の重さと闘って、そればかりに終始しなんとなくお出掛けやお友達とも疎遠になっていました。肺炎が治り退院した後に夫にはさらに大変な事が起きてしまいまし......
今日などは初夏と言うような気候であったかもしれず、囲みのタイトルはそぐわないかもしれません。それと言うのも、これは昨年の4月28日に投稿したものなんです。
自分のブログの一番の読者はやっぱり自分だと思います。
しみじみと読んで、そして過去の自分に励まされるのです。
>『「春が来た」
ああ、良い言葉だなと、私はしみじみと思います。
凍った大地は緩み流れる水は勢いを増し花々は咲き誇るー。
本当はいつだって不安で心配事がないわけじゃないのです。それでも「春が来た」と言う。
発した言葉は種になって、心のどこかに花が咲くような気がするのです。』
なるほどなるほど。
最近の私ー。
なんだか本当にピーヒャラピーヒャラと、春の祭りのような毎日で遊んでばかりいるような気持ちになっています。
ドラマが楽しくてラジオが面白くて、映画でいっぱい楽しんで、絵画を楽しんだり美味しいものを頂いたり、花を追いかけては遊びに行くと言う毎日。
読む本や漫画もたくさんあって、楽しい事で考えることがたくさんあって(ちょっとだけ自治会の事で雨雲発生中だけど)・・・・・。
毎日本当に「楽しい、楽しい」と暮らしています。
ところがワタクシ、意外と小心者でこんなので良いのかと、今度はそれが不安になる始末です。
そう言えば今思いだした事ですが、私のモットーは「いっぱい働いて、いっぱい遊ぶ。」だったのです。それなのにいつの間にか環境が変わっていて、今までとは自分の生活が違うと言う事に気が付いてなかったのかも知れません。
「いっぱい働いて」は無い今の私。
空いた時間に楽しい予定が入っていきます。だけど小心者の私はやっぱり思うのです。
「こんな事で良いのだろうか。」と。
そこに昨年の私の記事「春が来た」がgooのメールに届きました。
それを読んで、本当に昨年は年の初めからの数か月は真冬の中にいたなあと思いました。その後だって夫がリタイアして無収入の月を乗り越えたりもしたけれど、なんだかそっちは今となっては楽しい想い出。(あの頃出来た節約を今もやれ !! ←心の声)
「生老病死」、苦しみは本当にそこにあると思いました。
そして私は、しみじみと「そうか。そうなんだ。」と思いました。
真冬のような時もあり、春のような時もある。
ただそれだけ。
生きていく毎日では、心砕く悩みがないわけではありません。
老いは確実にやって来ているのに、実感できず。
(横道それますが、今の時代、私のような感覚の人は多いんじゃないかと思います。いつも思っています。『へえ、私って××歳なんだ。へえ』って。)
この時期はいつも体調はすぐれません。ちっとも持ちたくはなかった持病と言うやつの調子がイマイチで。
今の時代は100歳越えが普通と言うくらいジャカスカいらっしゃるそうで、姑は100歳生きられそうでも、私は無理なような気がします。
やはり生きる毎日は、いろいろなものと闘う毎日なのだと思います。
ならば今が「春の祭り」ならば、その祭りのような毎日を楽しんで生きていれば良いのだなと、私は思ったのでした。
連休は、「お片付け祭り」を楽しんでいます♪