渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

映画の不整合 『たそがれ清兵衛』

2013年12月14日 | open

DVDの映像をチェックしていて、ふと疑問に思った。

上意討ちのために立つ前夜、清兵衛は刀を研いだ。
それを清兵衛の幼い娘以登(岸恵子)が回想しながら語る。
「異様な音がして、その音で私は目を覚ましました。
音のする方を見ると、父が土間で刀を研いでいました。
その姿は、いつもの父とは到底思えないほど不気味でした。
あの夜の光景は、今でもまざまざと覚えております。」

清兵衛は小太刀の名手で、差し料も薙刀直しのような豪壮な脇差だ。


刃の状態を精査する。

それを研ぐ。砥石は1000~1600番程度の青砥か。
ここは斬るための刃をつけるから、カマボコ形でなく平砥石で正しい。


しかし、どう見ても、平地を研いでいる。
さらによく見ると、刃先が浮いており、これでベタ研ぎしたら
鎬地を蹴りまくってしまう。


しかし、研ぎ具合を見る場面では刀の平地はツルツルで仕上げ化粧研ぎ状態。
これは絶対にあり得ない。


さらに、物打(ものうち)付近を研いでいく。


刃を立てた後に寝た刃を合わせるのが目的だろうが、どうも解せない。
寝た刃合わせならば、音声もこのような包丁研ぎのような長いストロークで
荒砥のような音はしないからだ。
これは監督はじめ演出の方々が実用刀剣に対しての知識が乏し過ぎるから
起きた誤謬だと私は思う。多分刀とは常に美術刀剣のような化粧研ぎされた
状態だという刀剣に暗い人特有の固定観念があるのではなかろうか。
刀剣を扱う人でさえも、刀の焼き刃を白く化粧研ぎで刃取りした部分を
刃文だと思っている人がかなり多い。刀術高段者でさえ、刀の焼き刃がどこで
あるのか皆目見当がつかないという刀剣について無知な者も多い。
刀剣のことを詳しく知る人は意外と少ないのだ。
大多数の現代「剣士」たちでさえも、刀のことをほとんど知らないのであるから、
一般人が詳しく知る筈もないのかもしれない。


そして、清兵衛は研ぎ上げた小太刀抜いて稽古し、上意討ちの
討手(うって)の役目に備える。




まさにこの清兵衛が差し料を研ぐシーンこそ、この作品のポスターや
DVDの表紙になっている。


しかし、「不気味な」斬るための白研ぎをしたはずの刀の刃文部分の
化粧研ぎの刃取りが綺麗に出ているのだ。

細かいことではあるが、こういうのはとてもおかしい。
例えば、ドリフトで秋名を走りまわったハチロクのタイヤが新品そのもの
であるくらいにおかしい。

とても大切なシーンだけに、演出にはこだわってほしかった。

だが、ここで映像表現の齟齬を読みとる映画好きの視聴者は見逃さないだろう。
このポスターで清兵衛は目釘を咥えている。
つまり、砥石に刀を当てて研ぐ前のシーンなのだ、と。
中砥で研ぐ前なのだから刀が化粧研ぎであってもシーンとしての不整合はない。
だが、しかしなのである。
地を黒く刃を白く際立たせる金肌拭いという化粧研ぎは、実は明治以降に
開発された現代研ぎなのだ。江戸時代の日本刀が現代と同じように地が
青黒く刃を白くすると思ったら大間違いで、対馬砥での拭いはあるにせよ、
武士の刀は、現代の観賞用の化粧研ぎとは別な研ぎ方をしていた。
『たそがれ清兵衛』のこのシーンは、シーン描写の不整合ではなく、
時代考証に問題があることがご理解いただけるだろうか。

Amazon→DVD『たそがれ清兵衛』


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