渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

ロードレース オランダGP 日本人優勝

2016年06月27日 | スポーツ・武道など


2016.06.26
日本人ライダー中上貴晶がMoto2クラス史上初優勝
RIDINGSPORT

 MotoGP第8戦オランダGP、Moto2クラスは、オランダのアッセンで決勝
レースを行い、中上貴晶(カレックス)が優勝した。

 Moto2クラスの決勝レースは周回数24周、ドライコンディションでスター
トしたが、残り2周で雨により赤旗が掲示され、21周通過時点の順位でレース
成立となった。

 中上は序盤からトップ集団につけ、積極的に前に出るレースを展開。9周目
にフランコ・モルビデリ(カレックス)を交わしてトップに立つが、モル
ビデリもすぐにトップを奪還。

 しかし、中上は続く10周目に再びトップに立つと、その後、後続とのリー
ドを広げていく。レース終盤の15周目になるとその差は約3秒まで広がった
が、20周目に雨が落ち始めたことを示すレッドクロス旗が掲示される。

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日本からのエントリーでの世界戦の総合チャンピオンは1977年の350cc片山
敬済(250ccクラスでは2位)、日本人初の世界GP世界チャンピオンは1993年の
250cc原田哲也、それ以降最高峰排気量クラス以外では日本人の世界チャン
ピオンが続出したのが1990年代だった。

しかし、日本国内でバイクブームも去り、モータースポーツでも国内の選手
層が薄くなった現在、なかなか世界戦での単発優勝さえ日本人の名が登場
することは久しく無かった。
ただ、MOTO 2の2スト250ccクラスでは、日本人青山博一が2009年に歴史上
最後の250cc世界チャンピオンになっている。

モーターサイクル・レースにおいて世界戦に出場して世界戦を全戦戦い、
総合優勝=世界チャンピオンになるということは、各スポーツの中でも最高峰
級に難しいことだ。
四輪F1で世界チャンピオンになるのとほぼ同等に近い。
バイクブームが去った後なので、今のところ日本人最後の世界チャンピオン
である青山選手も、一般世間では名を知られてはいないが、とてつもない
偉業であるのだ。

レギュレーションが変更され、中型クラスとなるMOTO 2は2ストローク250ccから4ストローク4気筒600cc(ホンダのワンメイク規定)となり、各メー
カーが究極のマシン開発にしのぎを削ることはなくなった。
現在は世界戦でもエンジン消耗率も勘案するエコレースとなっている。

それでも、2009年以来、日本人が新レギュレーションのレースで初めて単発
優勝をした。
これは歴史的なことだ。
世界戦は各国を転戦してまだまだ続くが、このオランダグランプリでは、
日本人中上選手が一番でゴールまで走った。つまり、日本人が世界最速だっ
たということである。
今後の中上選手の活躍に期待したい。


先進国におけるモーターリゼーションの発達具合とは、モータースポーツの
世界戦での選手層と戦績に比例するように思える。
かつてモーターサイクルスポーツの世界戦=世界グランプリでは、1970年代から1990年代末期までアメリカ黄金
時代があったが、当時までのロードレース世界戦出場選手の主要国はイタリア、イギリス、フランス、アメリカ、
日本だった。
ただし、世界戦を戦ったマシンで、トップを占めたのはホンダ、ヤマハ、
スズキ、カワサキの日本製バイクだった。外国人の世界チャンピオンたちは
全員日本製バイクで世界王者になった。
車はイタリアやドイツが抜けているが、バイクは世界の中で日本製が接戦
でのトップではなくダントツに図抜けて4位以下メーカーをぶっちぎっていた。
日本車が世界の頂点を極めていたのである。
そして、80年代のバイクブームの時に子どもだったライダーたちが青年にな
って90年代に何人も世界チャンピオンになった。
少年時代にネタ番組でたけし軍団とミニバイクレースに出ていたようなまだ
年端もいかないチビンコたちが後に成人して世界選手権で世界チャンピオン
になったりしていた。
世界一というのは、地球で一番速い人ということだ。
この凄さ。

だが、やるからなれる。
やらなければ、なれない。





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