渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

アホ

2016年09月28日 | 文学・歴史・文化


(某ブログから引用)

1960年代~1980年代に大学生が書いたゲバ字の略字を書いて今の
時代に
通じると思っている連中もアホだが、それの歴史を知らずに物知り
顔で貶しているこいつはもっとアホだと思う。
東大や日大や明大のタテカンを見たことないのか? 実見せずとも歴史
画像としてさえも。
慶應なんてのは、タレの下にKOと書いてたんだぞ。
明大卒のうちの会社の元取締役などは、会議資料でもゲバ字略字で
書いていたのは、その文化に触れたことが無い人間には解読不能なので
さすがによせよとは思うが。
俺などは自分のメモ書きで「確認」などは「石K 言N」などと今でも書いてる。
しかし、てめえらの理解が及ばないことや嫌うことはすべて何でも「チョン」で
済ますのか?
日本の歴史も詳らかに知らないくせに日本人ぶりやがって、際限のない
馬鹿。逝ってよし。

東大


京大


明大


左翼だけではない。右翼だってゲバ字だった。
(こりゃそこらの新左翼より気合いの入った覇気あるゲバ字だ。
新左翼でいえば第四インターのフォントに似ている)




つか、こういう歴史的事実も知らずに分別顔でネット上で文字について
物言いをしている民族排外主義のクソ馬鹿ネトウヨは、はよ死ねばいい
のにと
思う。日本の為にならない。

 こいつ

長崎県立大村高校卒業生ってアホウヨばかりなのか?
同窓会ブログらしいが。

こいつこんなこと言って日本人ぶってるのだから、和歌や俳句などはサッ
とちゃんと定式を踏まえたものを即席ですぐに作って詠めたりするんだろ
うな。連歌、相聞歌も自在にこなせての上で言ってるのだろうな。
そういう日本人としての嗜みができることを踏まえて言ってやがるのか。
どうせ、そういうことは何もできない中身スカだろ。
せいぜい交通標語みたいになるのがオチ。
ネトウヨというのは、そういうナンチャッテのくせに本物ぶりたがる大ニセモノ
ばっかなんだよね。まあ馬鹿は馬なりということで。
民族排外主義者は全員一刻も早く死ねばいいと本気で思う。
民族排外主義のレイシストが愛国者と勘違いしているのが甚だ遺憾だ。
遺憾だでなく、イカンやろ、それは。はよこの世から消えろ。

つか、ネトウヨってのは、無知蒙昧まっしぐらというのは全国共通のようだ。
読んでいたらまことによく判る。
アホ以下の言葉って何かないのか?
大坂ではアホより馬鹿のほうがマジモードできついというが、アホ以下の
表現というのはないのだろうか。
パア?

大体ねえ、日本人自身が起こす行動に「反日」というのは存在し得ないん
だよ。論理的に。
ではお前は「親日」なのか?
根本から物事の道理が解ってねえよな。話にならん。論外。
やっぱり、とことんパアだ。

ゲバ字とはこれである。これは私が前職の時に職場のデスクの透明な
ビニールシートの下に入れていた物だ。手書き。


日本文化におけるゲバ字について、ウィキペディアでは、「1960年代
の学生紛争当時、大量のビラを作成するのに謄写版が使われていた。
そのため、筆跡で身元が割れてしまう可能性があり、公安警察や敵対
党派の追及をかわすために開発されたものといわれている。」とあるが、
甘い。解析が甘すぎる。
ゲバ字自体は内ゲバ発生時代以前から存在したし、ゲバ字の原初は
日本軍のプロパガンダ広告等に見られる特殊フォントだ。
つまり、「見やすさ」が第一で開発されたものだ。同時にインパクトを狙う。
さらに、「誰が書いても同じ文字」という系統性は、日本文化の中で祐筆
が書く青蓮院流=御家流の書体にその発生をみることができる。
そして、ゲバ字は青蓮院流の祐筆文字のデフォルメであり、字体の近似
を見れば、それが数百年の時を超えて復活した日本文化の象徴である
ことが読み取れるのである。
ウィキの解析はたぶん「共産趣味者」が記述したのだろうが、まだまだ甘い。

青蓮院流。限りなく四角く限りなく丸い。


文字は「この字体を使っているからこいつの思想は◇」などというように
決めつけられるものではない。
そういう決めつけは、映画『キネマの天地』で、特高警察がガサ入れして、
書棚にある喜劇俳優「マルクス兄弟」の書籍を見つけて、「こいつマルクス
なんて読んでやがる」と言うような特高木端役人のアホぶり丸出しと同質
である。
特高の木端役人などは、日本軍中枢部が実はトロツキーをかなり研究し、
満州某所にて講義科目とせんとしていたことなどは知りもしないだろう。
それはさておき、事実、時代の中にあっては、新左翼も右翼も同質のゲバ
字を情宣には使用していた。
文字文化はイデオロギーに規定されない。これは歴史の中でいつの時代
においても。
そうした本質を見定められない前出のブログ主は限りないアホチンである。

馬鹿ブログのこの表記に至っては失笑を通り越して開いた口がなお開く。


こういうのが理解できないというのは、1969年10月21日に新宿西口
広場に集まったフォークゲリラの替え歌とか、三一新書から出た『戯歌
番外地(ざれうたばんがいち)』(俺の友人が主幹執筆だ)などに掲載
された当時の替え歌文化なども、今読み知ってもサパ~リなのだろうなぁ・・・。
当然、東大学園祭の「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いて
いる」だって、意味不明なのだろうし、背中をセナカとか読んじゃうんだろう
なぁ・・・。
しかし、この「戦争ヘンタイ」の風刺を例の朝鮮人の「反省しる」と茶化して
揶揄するのと同じレベルでマジ捉えしているとはイタすぎるにも程があるし、
脳味噌バカすぎて笑いのネタにさえならない。
ネトウヨってのは、基本的に知能高くないわ。やっぱ、これガチやね。
てか、どうせ底辺2ちゃんねらーだろ、このブログ主。
「反対という字がかけなくて、反対という日本語をカタカナでヘンタイと書い
ている。」としながら、「かく」のか「書く」のかはっきりしろや、書けないのか?
という突っ込みはあえて置いておく。知能が高くないアホであることは文章
を読めば即判断できるからだ。
要するに、自分の国語の表記においても識別と弁別が出来ていない。
統合的な整合性を有する思考回路でないことはすぐに読み取れる。
馬鹿にバカというのは可愛そうだが、馬鹿は馬鹿だ。

背中の銀杏の代紋背負ってるからにゃ、やむにやまれぬ男の意気地、
という当時の東大生のてめえのガッコはてめえでなんとかしなければ、
という日本人としての心意気などは、このブログ主には到底理解不能
だろう。

東大全共闘は「反東大」ではない。また、自分の国をなんとか変えようと
している日本人は、右も左も「反日」などというのはあり得ない。
自民党に「反自民」が存在し得ないように、日本人に「反日」という定義は
成立しない。反日とは、それは海外の連中が日本政府等の動向に反対
することを指すのだ。
この物事の道理がまったく理解できずに、日本人に対して反日反日と騒い
でいる連中は、結局は海外勢力の反日派と同じ論調なわけで、それこそ
自らの民族排外主義とも矛盾するというこの論理的な体たらく。
やっぱり、とことんアホの極みやで。


ちなみに居合道の六段七段の高段者で学生時代に「元新左翼」という人を
私は多く知っている。全員きちんと就職して、中には独立起業して成功して
いる人物も何人かいる。
なぜ居合の世界にも「元新左翼」などがいるのか。
それは、武術・武道は、本質において右翼の単独独占物ではないからだ。
このことは、戦後の民主主義勢力に士族の血筋の者が多くいることと同一
線上にある。
武術の本質はそうした表層現象とは別な次元にあるのだ。

そうそう。俺の友人の本物の元右翼(街宣右翼じゃないよ)の奴が怒ってた。
「ネトウヨと一緒にしてくれるな。あんなレイシストの馬鹿どもと一緒にするな」
と。
いかさま、御意に御座る。


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