渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

赤色

2024年03月05日 | open


このアライの赤色は凄く深い
赤でいい色出してる。まるで
熟したプラム。

一方、イタリアンレッドレッド
は真紅ではなく、明るい少しオ
レンジがかった赤。
ベスパなどの赤色もこの系統。




『文豪たちが書いた 酒の名作短編集』

2024年03月05日 | open
 


短編15編の文庫本。
なかなか面白い。
ただ、やはり気づいた。
登場する執筆者の文豪たちは
ほとんど50才前後で死亡して
いる。
文士と戦士に長生き者は少な
い。
代議士たちには腐るほどいる。
悪い奴らほど長生きする。
 

足使い大切

2024年03月05日 | open



ロードモデルではこのような
足使いをする。(オフ車は別
な理論あり)

教習所教えのように土踏まず
を常にステップに置くのでは
なく、つま先側親指の付け根
でステップを掴むようにする。
そして、くるぶし下の踵内側
でマシンをキュッと締める。
これが正しい乗車直線走行時
の二輪運転の足の使い方だ。
つま先はまっすぐに前に向け
る。絶対にだらしなくつま先
を外向け外出しにはしない。
それをやるのはド素人だ。
ステップは「足置き」ではな
く、ステアと同じ「操縦装置」
なのである。



YAMAHA XSR700

2024年03月05日 | open

YAMAHA XSR700


6年前の投稿動画である。
このモデルの誕生には私の存在
が深く関与している。
最初は私本人が信用しなかった。
だが、ヤマハの開発総責任者本
人から何度も「重ねて申し上げ
ますが」と開発経緯の説明を受
けた。
そして、メールでのやりとり
だけでなく、本人が開発本部
のイタリアから帰国して浜松
本社に行く時に初めて大阪で
会って長時間共に飲食した。
意気投合した。

人はひょんなことから知己を
得るものだ。(『七人の侍』
片山五郎兵衛の言)

乗り継ぎ、次世代に残し伝える
物。
それは伝家の日本刀のように。
これがこのモデルの開発コンセ
プトの揺るがぬコア部分だ。


身体用法 ~二輪ライディング~

2024年03月05日 | open
 


オートバイの免許を乗りたい、

と言う女の子がどういうフォ
ームなの?と訊くので教えた
時の事。
ヒンズースクワットみたいに
と言ったら背中を伸ばした。

それ、正しいスクワットの方法。
だが、鍛えどころが異なる二輪
乗車においては背筋は伸ばさな
い。これは医学的な意味と実際
の二輪走行の実理からしてそう
なる。
それを説明した。
但し、をつけて。
教習所は教習所用の乗り方があ
るので、嘘だろうと本当だろう
と、「教官に言われた通りに」
やる、という事を付言した。
正否を問う場所ではない。
すんなりと免許を取る場所が
教習所だからだ。
たとえ嘘まみれの事を教えていよ
うとも、その通りにやらないと
免許は取れない。

体幹と筋肉育成のスクワットや
ヒンズースクワット(踵を浮か
せるスクワット)では背骨の使い
方は二輪の乗車姿勢や走法での
身体使用法とはかなり異なる。
だが、このような姿勢で二輪を
運転しようとしている人たちは
非常に多い。それは二輪走法に
ついての考察が浅い、もしくは
誤認のままでいるからだ。
だから誤謬を誤謬と認識できない
昏い位置にとどまっている。

顎を引かずに前に出し、へそも
前に出し、背骨は伸ばし、頸椎
は屈折して起こしている。
それでは酸素不足になって脳が
正常に機能しなくなり、また、
この上掲姿勢で二輪に乗ると非
常に疲れる。いわゆるヤキトリ
姿焼きのカカシ石像載りだ。

第一、瞬息瞬時の身体動作がこ
れではできない。
当然、疲れるだけでなく、咄嗟
の危険回避もできない。
このような姿勢を推奨するのは
大昔の警察とその残滓の今の二
輪普及危
険協会の大嘘広報くら
いだ。


ロードモデルの二輪車の正しい
走行フォームはこれである。

乗れてる女、モデル水野ちぱる。
二輪走行では、上半身は前に前傾
させるのではなく、丸く沈めるの
だ。前かがみになるのではなく、
頭を下に沈めるイメージ。顎は
軽く自然に引く。
直線だろうと旋回過程だろうと、
上半身の背骨を伸ばしての突っ立
ち姿勢などは二輪運転では論外だ。
乗馬の天神乗りじゃないのだから。

当然、コースでもパブリックでも
基本は同じ。背中はごく自然に脱
力させて
丸くする。上半身は下半
身で支えるので上半身は脱力され、
セルフステアを手が外力で妨害す
ることも無い。結果、自由自在に
二輪を操縦できる。



オマケ。
「あかんやつ」を実演する勇士。


実演者は某モトブログ動画に
こんな事書かれてた奴。



乗り方(2023年8月記事再掲)

2024年03月05日 | open

 

乗り方 - 渓流詩人の徒然日記

乗り方 - 渓流詩人の徒然日記

私のロードモデルの旋回の乗り方は、肘とイン側の膝はたんたんたぬきのブーラブラだが、イン側の足はつま先を内側に向けてマシンをホールドしている。マシン制御は外側の脚...

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春の雨

2024年03月05日 | open



このところ雨が続いている。
例年よりもひと月ほど早く
感じる。


低脳は文化を作らない

2024年03月05日 | open

意図的に別字を充てて別意を
含む表現は文章表現の世界で
は多用される。
だが、それを解さない脳の働
きが稚拙な者たちは、匿名掲
示板でその字面のみを摘出し
て鬼の首を獲ったように嬉々
として騒ぎ立てる。
知能が低すぎて話にならない。
レベル低すぎ。
そうした連中は文化を形成する
担い手とは絶対になれない。
悪所で寄り添ってせいぜい匿名
の陰に隠れて喚いているだけだ。

ネットの普及により、それまで
観られなかった現象がここ20年
程で現出した。
それは、普段物も読まない、字
も読めない、文章も解せないよ
うな層が機器により文字を書け
るようになった事だ。
「なげーよ」としか言えず、普
段新聞さえも読めないような層
だ。
それらがあたかも自分が文章や
行間や人間社会の表現を理解で
き、物も書けるかと勘違いして
ネットを流用して社会に登場し
た。
本来は場違いだ。
そして、そうした層は、知性が
著しく乏しいので、「やってい
い事」と「やってはいけない事」
の識別ができない。
結果として、野放しの狂犬のよ
うな事を最近己が得た文字で体
現しようとし始めた。
SNSや匿名ネット掲示板でその
薄汚い野放図な性根を文字を
使って表しはじめた。
本来は社会には出て来れず、
すっこんでろ、の人間が水を
得たカバのように喜んで出歩
き始めた。逆立ちして。
だが、彼らが人間社会で重要
な大衆的幹となる「文化」を
形成する事はできない。
知力無き文化は人類史上存在
しないからだ。
脊髄反応しか持ちえない人の
形をした生物に人の未来は創
れない。





 


考察しない人たち

2024年03月05日 | open

【オタク文化、崩壊】「多様化が
進むことで文化は衰退します」
オタクの王、岡田斗司夫が語る
オタク業界の末路とは【岡田斗司夫
切り抜き/サイコパスおじさん】


先日、飲み屋のおねーちゃんが
私の事を「考察についてのサブ
カル感がとても面白い」(発言
そのママ←一般文学文壇出版評
論業界表現の「ママ」と書くと
ママさんが言ったかと誤解を生
む可能性があるので、あえてく
どい表現でもこう記す)
と言った。

おねーちゃんの店というのは、

ちゃんねーとの会話を楽しむ場
所だ。酒を味わう場所ではない。
そうした店でのメインは会話に

よる対話の成立だ。酒席ながら
酒がメインディッシュではない。
また、そうした会話から発展す

る対話が成立しない店は一つも
面白くも何ともない。互いに
深く掘り下げる「見解」を呈示
し合わない店などは行く意味さ
えないし、おねーちゃんが何の
ためにそこにいるのかさえ不明
だ。ただ外壁のみが可愛いねー
ちゃん
などがいても意味はない
のだ。

それこそ「へー」で終わる。店
がそうならば客側のこちらも。
言葉を発しても糠に釘だし、何
の為に人がそこにいるのかよく
解らない。
だが、そうした店は多い。そう
した店に行くのは時間と金の無
駄だ。息抜きにさえならない。
話をしてもきょとんとするか
全く理解もできないだけでなく
興味さえ示さない女の子も多い。
興味を示す話の方向に持って行
くのは簡単だが、あえてそれを
するつもりはこちとらさらさら
無い。店の人の意向に合わせて
店の人を寛がせる奉仕活動で店
に行く訳ではないからだ。立場
が逆だ、それは。ふとした会話
でさえも、客に精神的寛ぎを与

えない店はおねーちゃんのいる
店としては終了している。
結果、そうした店には行かなく
なる。
過日、友人と飲み歩いた時も、
ある一軒を指して
「あの店は
行く価値が無い。わざわざ金
出して行くとこじゃないな」

友人は言ったが、同感だと
感じ
た店もあった。他人をどーじゃ
こーじゃ、じゃろじゃろけえ
けえし
か店の女が言わない店だ
から
だ。特有の地元感性丸出し
なのだろうが、そうした空間で
時間と金を
使う意味は無い。
ババアの井戸端会議に参加する

つもりも若年店員の薄っぺらな
無駄話につきあうつもりも毛頭
無い。それは岡田先生の言うと
ころのコミュ
ニティズムの問題
として。

だが、今私がいる奇異な特性の
地方都市だけでなく、実は世の
中そうした店がかなり多い。
というか、非常に増えている。

人はそれなりにその人に合った
店というものがある。
飲み屋というのは、客層と店員
の質で決ま
る。銀座のクラブは
銀座なり、
新宿ゴールデン街は
ゴールデン
街なり、というよう
に。

ゴールデン街のように議論ずく
めの論客づくしという客層の店
もコアで癖が
強すぎるが、辟易
とする事は
まったくない空気が
ゴールデン
街にはある。
あれはあれで特殊空間だ。

そして時間を忘れる危険な地帯。
それは銀座のクラブと同じよう

に場末感強いゴールデン街でも
「客と店員の対話」が成立する
場所だからだ。
(ちなみに銀座の店では女の子

が時計を手に着けるのは厳禁。
客に時を忘れさせるのが銀座の
店の基本中の基本だからだ)

こうした事を語っている時点で
既に私は岡田先生の言うところ
の旧式本ヲタなのではあるが、

たぶん、先日の店のおねーちゃん
が私の話を面白い
と感じたのは、
私がカウンターカルチャーとサ
ブカルが分離する以前のヲタク
文化原初時代を体験して来たか
らだろう。ヲタが物を知り尽く
した時代の人間として。
そして、おねーちゃんの中にも
そうした考察系を面白いと感じ
る旧型ヲタ気質があるからだろう。
岡田先生が言う「高級な知性」
としての。

1960年代のアメリカンニューシ
ネマに見られる抵抗文化は、シ

ュールレアリスムの影響を受け
つつ独自文化として開花し、そ
れはパリの五月革命のような世
界情勢の中での全世界の若者文
化と結合した。
やがて、それらは個別撃破により
全世界で消沈して行くのだが、そ
うした趨勢の中で考察系がヲタク
文化を形成したのが1980年代初期
だった。世界のその流れの主導権
は日本人が握っていた。日本から
ヲタ文化は発現した。萌えも日本
発。やがて来る自滅への序章の開
始としての萌え。

それが1980年代前半で、80年代
中期までにサブカルとカウンター
カルチャーの分岐の萌芽が検出
されるようになった。
実は1980年代の日本の空前絶後の

バイクブームは、産業資本のてこ
入れによるものだけではない。
カウンターカルチャーとして存在
した一部の抵抗戦線としての二輪
乗りたちの時代から、サブカルが
ヲタを形成してやがて分離して
行く時代の中で、ヲタ資質を持つ
若者たちが二輪にどっぷりと憑り
つかれる結果となったのが1980年
代だったのだ。その質性保持層が
ドッと二輪の世界に流れたのだ。

ヲタもアイドルも大衆化としての
二輪文化も1980
年代に開花したの
は見逃せない
日本の歴史事実だ。
その時期、同時にアニメに革命が
起きている。

岡田先生は気づいていないかも
しれない。
「考察しない人たち」は、特定
勢力によって作られた存在であ
る事を。
岡田先生のように帰納法として

現象面からの考察アプローチで
はなく、権力を握る勢力が為す
実動行為を歴史的に演繹的に俯
瞰すればそれは見えて来る。
岡田先生だけでなく、その作為
は自主独立の思索という人間の
元来の素地さえも消滅させる恐
るべきものである事も多くの人
たちは気づこうとしないのかも
しれない。
気づこうとしない、である。
気づかない、ではなく。
自らの無意識の意思で、自分で
覚醒する事を自分が回避するの
だ。
今世紀突入以降、そういう人間
たち大発生なのだ
が、それは作
られたものだ。

そのように「考えない人間」を
大量に欲しがる勢力が存在する
ためにそのような現実になって
しまっている。

破壊こそが構造を新生させる、
というのは、どちらの立場側か
らも、一つの再生の定理として
は確実に存在するだろう。
そのような考えない人間たちが
生産されるに至るまでの現象と
それを推進してきた側の立場と、
その状態以降その構造
を消滅さ
せる動きを創生する立
場の両方
において。
破壊こそが新しい命を生む。
新たに建物を建てるには、一度

更地にしないと建物は建たない。


ケビン・シュワンツ 1989 ペプシSuzuki RGV500

2024年03月05日 | open

Kevin Schwantz 1989 Pepsi Suzuki RGV500
Were those 500cc GP bikes unrideable?!


89シュワンツマシン最高。
歴史的に貴重なワークスマシン

なので、壊さないようにかなり
い目にセッティングしてある
ようだ。

なお、日本人が造った「バイク」
いうモーターサイクルを呼ぶ
呼称は
WGPを中心として1980年
代に世界
に広まり、今や固有名
詞として定着
した。
元来バイクとは自転車の事を指
すの
が英語圏での正式な単語だ
った。

motorbike という俗称は米語で
は存
在していたが、単なるbike
とは自転
車の事を英語圏では言
っていたの
だった。
今ではバイクという言葉はモー
ターサイクルの
事にも英語圏で
も使用されるように
なった。
すべては日本が発信源。
世界頂点に君臨し続けた日本の
オートバイによる世界選手権か
バイクという和製単語は地球
上に
広まった。

1983年に続き、1989年は非常に
熱いバトルが世界グランプリで
展開された。史上最も熱い勝負
が二輪士たちによって繰り広げ
られたのが1989年だった。
'89 WGP500
最強三銃士による熱い伝説のシーズン
【前半戦】

'89 WGP500
最強三銃士による熱い伝説のシーズン
【後半戦】


バイク洗車(水洗い)水をかけてはいけない箇所はここだ

2024年03月05日 | open

【Z900RS 50th】バイク洗車(水洗い)!
水をかけてはいけない箇所はここだ!
(50周年 Anniversary)


この横浜の人、極めて丁寧で
適切な洗車方法を紹介してい
る。
最近は嘘情報蔓延の世の中で、
ひどいのになると高圧洗浄機
で水をオートバイにぶっかけ
ているのまで出回っている。
それ、絶対やってはあかんやつ。
今の時代、本当に基本の基本を
知らないのか、無理を超えて無
茶する人が多すぎる。
水は優しい強さで流すようにか
けるのが正解。