映画が始まっても画面は暗いまま。日付は2001年9月11日。小さく、そして大きく会話だけが聞こえてくる。同時多発テロの被害者の肉声だ(そのことで製作者は訴えられることになる)。911(日本で言う119番)を受けた消防署員の「なんてこと」とのつぶやきが重い。
オサマ・ビン・ラビンを追いつめ、殺すまでの物語。ついこの間の話である。
主人公はCIAの女性職員マヤ(近ごろ八面六臂の活躍のジェシカ・チャスティン)。一種のサクセスストーリーなので、さぞやアメリカ人はお喜びであろう……はずがなかった。
CIAが拘束した容疑者への拷問は徹底してリアルに描写され(特に怖かったのが小さい箱に強引に押しこむってやつ)、ビン・ラビンの隠れ家に突入したステルスヘリコプターは墜落し、無能な上司はマヤの意見を容れることなく任地を離れる。およそカタルシスとは無縁なつくり。
実際にも、襲撃成功によってオバマの支持率が劇的に上がることはなかったし、アメリカの存在感は低下したままだ。
「ハート・ロッカー」でオスカーをとったキャスリン・ビグローは、それを承知の上で撮っているはず。彼女が描きたかったのは、国民的高揚への過程よりも、地道な諜報活動や、軍事攻撃、じゃなかった警察行動のリアルな部分だろう。突入の際に、前にいる隊員の肩をトントンとたたいて行動をうながすあたり、細かい細かい(こだわりは彼女の昔の亭主に似ています)。
宗教的熱狂に裏打ちされたテロリストに、CIAをはじめとした公務員たちは死と隣り合わせで立ち向かう。その動機の最初の部分は確かに愛国心ではあるだろう。しかしそれだけで説明できないのが人間というものだ。
高校を卒業し、ビン・ラディンを追い求めることしかやってこなかったヒロインは、作戦終了後「どこへ行きます?」とパイロットに質問されても答えることができない。「ハート・ロッカー」の主人公が戦地でしか生きられなくなっているように、彼女もまたどこかが壊れてしまっている。
圧倒的に濃密な157分。ジェシカ・チャスティンがめちゃめちゃに魅力的なので、「ハート・ロッカー」よりも好きかな。わたし、彼女みたいなタイプに弱いんですよ。