いずれ、と言いながらすぐにアップしてしまいました。何事も油断は禁物です。
前稿に歩いている写真がありましたが、あれはクムジュン村へと向かっている時のものです。クムジュン村は私がこのツアーの出発前に紹介した、故植村直己さんが69年から70年にかけてエベレストへのアタック前に越冬しトレーニングを積んだ、標高3800メートルにある静かなシェルパの村です。
クムジュンはエベレストBCへと続く街道の本道からも外れているので、余計静かです。谷を挟んだ反対側には大きなゴンパのあるタンボチェがあり、カラパタールやBCへ向かうトレッカーでにぎわっています。
村の全景。住宅の作りや色合いが統一されています。なかなかやりますね。そういえばクムジュンでは電線も地中に埋められていました。
村の入り口にある仏塔。背後にはアマダブラム(左6,812m)とカンテガ(右6,685m)がキレイに見られました。
村を歩くと畑には堆肥が積まれていました。春の準備を着々と進めているようです。
早い畑ではジャガイモを植えていました。鍬で掘った穴に種イモを放り込んでいます。
寒冷な所でも採れる(小さいですが)ジャガイモは、クムジュンなど高所の村での大事な主食になります。米はとれませんので、ジャガイモ以外ですと大麦などの雑穀を食料としてきました。
村を歩いていて角を曲がると、突如目の前にタムセルクがそびえていました。迫力のある山ですねぇ。
クムジュンから最もよく見える山はアマダブラムでしょうか。植村さんは“クーンブのピサの斜塔”と呼んでいたように思います。大変美しい山で、わがガイド氏は世界で最も美しい山と言っていました。
クムジュンにはエベレストを初登頂したエドモント・ヒラリーの寄付で建てられた学校があり、校庭にはヒラリー卿の像が立っています。日本や韓国の寄付で校舎がさらに増えつつあります。背後の山はシェルパにとっての聖なる山クーンビラ(5,761m)。
クムジュンの隣村クンデには、これもヒラリー卿の寄付で建てられた病院もあります。山奥の村にとって、病院と学校は大変貴重です。
さて、村の一番奥まった所にあるクムジュン・ゴンパに着きました。チベット仏教のお寺で、小さいですがクーンブ地方でもっとも古い16世紀のものと言われています。そして、このお寺に、問題のイエティ(雪男)の頭の皮と伝えられるモノが安置されているのです。
いやー、わくわくしますねぇ。子供のころに読んだ本を思い出します。実物は一体どんなものなのでしょうか。
それがこれ。薄っぺらい金庫のようなものの中にありました。
・・・・・。
微妙ですねぇ。
イエティに関してウィキペディアで調べてみますと、下記のようでしたので参考までに。
イエティは、シェルパ族の言葉で、岩を意味する"Yah"と動物を意味する"Teh"が語源である。現地では、伝承としてその存在が伝えられていたが、1887年、イギリスのウォーデル大佐が足跡を発見したことで、世界に知られるようになった。
それ以来、足跡だけでなく実物を目撃したとの報告もあり、1954年にイギリスのデイリー・メール紙に組織されたのを皮切りとして、各国より何度となく探査隊が派遣されている。日本では1959年に東京大学医学部で小川鼎三教授を代表とする「日本雪男研究グループ」が結成され、毎日新聞社をスポンサーとして、6名の学術探検隊がエベレスト山麓に派遣された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%86%E3%82%A3
それではまた。
※本ブログで掲載している全写真の著作権は㈱キャラバントラベルに帰属しています。念のため。
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前稿に歩いている写真がありましたが、あれはクムジュン村へと向かっている時のものです。クムジュン村は私がこのツアーの出発前に紹介した、故植村直己さんが69年から70年にかけてエベレストへのアタック前に越冬しトレーニングを積んだ、標高3800メートルにある静かなシェルパの村です。
クムジュンはエベレストBCへと続く街道の本道からも外れているので、余計静かです。谷を挟んだ反対側には大きなゴンパのあるタンボチェがあり、カラパタールやBCへ向かうトレッカーでにぎわっています。
村の全景。住宅の作りや色合いが統一されています。なかなかやりますね。そういえばクムジュンでは電線も地中に埋められていました。
村の入り口にある仏塔。背後にはアマダブラム(左6,812m)とカンテガ(右6,685m)がキレイに見られました。
村を歩くと畑には堆肥が積まれていました。春の準備を着々と進めているようです。
早い畑ではジャガイモを植えていました。鍬で掘った穴に種イモを放り込んでいます。
寒冷な所でも採れる(小さいですが)ジャガイモは、クムジュンなど高所の村での大事な主食になります。米はとれませんので、ジャガイモ以外ですと大麦などの雑穀を食料としてきました。
村を歩いていて角を曲がると、突如目の前にタムセルクがそびえていました。迫力のある山ですねぇ。
クムジュンから最もよく見える山はアマダブラムでしょうか。植村さんは“クーンブのピサの斜塔”と呼んでいたように思います。大変美しい山で、わがガイド氏は世界で最も美しい山と言っていました。
クムジュンにはエベレストを初登頂したエドモント・ヒラリーの寄付で建てられた学校があり、校庭にはヒラリー卿の像が立っています。日本や韓国の寄付で校舎がさらに増えつつあります。背後の山はシェルパにとっての聖なる山クーンビラ(5,761m)。
クムジュンの隣村クンデには、これもヒラリー卿の寄付で建てられた病院もあります。山奥の村にとって、病院と学校は大変貴重です。
さて、村の一番奥まった所にあるクムジュン・ゴンパに着きました。チベット仏教のお寺で、小さいですがクーンブ地方でもっとも古い16世紀のものと言われています。そして、このお寺に、問題のイエティ(雪男)の頭の皮と伝えられるモノが安置されているのです。
いやー、わくわくしますねぇ。子供のころに読んだ本を思い出します。実物は一体どんなものなのでしょうか。
それがこれ。薄っぺらい金庫のようなものの中にありました。
・・・・・。
微妙ですねぇ。
イエティに関してウィキペディアで調べてみますと、下記のようでしたので参考までに。
イエティは、シェルパ族の言葉で、岩を意味する"Yah"と動物を意味する"Teh"が語源である。現地では、伝承としてその存在が伝えられていたが、1887年、イギリスのウォーデル大佐が足跡を発見したことで、世界に知られるようになった。
それ以来、足跡だけでなく実物を目撃したとの報告もあり、1954年にイギリスのデイリー・メール紙に組織されたのを皮切りとして、各国より何度となく探査隊が派遣されている。日本では1959年に東京大学医学部で小川鼎三教授を代表とする「日本雪男研究グループ」が結成され、毎日新聞社をスポンサーとして、6名の学術探検隊がエベレスト山麓に派遣された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%86%E3%82%A3
それではまた。
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