打越通信

日記ふういろいろ

夢のような話

2017-07-28 21:12:48 | 日記ふう
博多に出てきた理由の一つに子育ても終わり親の介護も終わり、やり終えた末の解放というのもある。
やっと子供たちが巣立ち、やっと解放されたかと思えば親たちの介護が待っていた。
今まで愛情を持って育んでくれた両親の老いていく姿は辛いものがあった。
両親の介護を巡って夫婦仲は最悪の状態まで悪化したのは言うまでもない。
親父の後を追うように母が亡くなり、3年間ばかりは何もする気が無くなってしまった。
体調を崩し長期入院、そして療養だった。
ふと気づいてみると一年一年と状況は様変わりをしていた。
子育てと両親の介護も終わり、気が付けば長男の結婚という新しいステージが始まっていた。
就職の話があったとき、この先2,3年は気楽に遊ぶつもりで福岡に出てきたのだった。
仕事がきつければすぐにでも辞めても良いし、面白くもなければ辞める事はできる。
そんな気楽な気持ちで福岡に出てきたわけだ。
仕事が無くてもすぐに困ることは無いし、再び働く気が出れば働くも良いし、とりあえず前に進んでみようと思った。
ふたたび社会に出てみると、これまた一風変わった組織だった。
郷に入らば郷に従えの言葉もあるようだが、朱に染まれば・・・という言葉もある。
嫌で嫌でしょうがなかったが月日はあっという間に流れてしまっている。
この先どうするのかははっきりと決まっているわけではない。
しかし福岡にこの先住むという選択肢はないだろう。
熊本に戻り近所の仲間たちとワイワイと楽しんで暮らすも良いし、実家に戻り自然豊かな緑と海の中、読書と音楽とゴルフに釣りという田舎暮らしも捨てがたい。
そんな些細な夢を見ながら天神の街中を歩いていると家具屋の店頭に引き込まれる。



熊本の自宅を改装し、またまた実家の内装を全面的にやりかえるでも良い、そんな光景を思い浮かべながら家具を見るのは楽しい。
デザインだけでなく、しっかりとした家具はやはり高い。
高いがそれなりの価値はありそうな気がする。
家の図面(改装後の)も引かなければならないが、それに置く家具も需要なものになる。



などと言ってはみたものの、先立つものが無ければ絵に描いたなんとかだ。
はかない夢で終わるのか実現できるのか・・・それは誰にもわからない。
当の私にもわからない。


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