花好きグランマの独り言

いつの間にか大好きな季節到来。
控え目な花、地味な花など山野草が大好き。
まるで私のよう? 孫も登場します。

プラハ市内観光 (6日目)

2013-10-26 09:45:48 | 旅行

 

10/15 (火) 続き

ドイツのドレスデンでランチを済ませて、再びチェコのプラハに戻ってきました。

ドイツとチェコの国境は建物はなく、交通標識のような物が1本建っているだけで、ちらっと眼を掠めました。

 

プラハの市内観光のトップはプラハ城です。

 

 

イケメン衛兵の二人が守るプラハ城の正門です。

プラハのシンボルのプラハ城は、9世紀半ばに建築が始まり、 14世紀のカレル4世の時代に

現在の偉容がほぼ整えられたと言われています。

敷地内には旧王宮や宮殿、教会などが建っています。

 

 

 

衛兵が守る正門を潜るとプラハ城内です。

プラハ城の敷地内に聖ヴィート教会が見えてきました。

 

 

現れた聖ヴィート教会は圧巻でした。

高さ96.6mの尖塔をもち、内部のステンドグラスが美しい。

 

 

 

教会内入口のすぐ左側に3枚のステンドグラスがあります。

その3枚目のステンドグラスは、チェコが誇る画家ミュシャによる「聖キリルと聖メトディウス」が最も有名な

ステンドグラスです。 約4万枚のガラス片を使用しています。

綱がありステンドグラス正面に行けなかったので、夫が腕を伸ばした状態でなんとか撮影出来ました。

 

ミュシャ(1860年7月24日-1939年7月14日)は、 アール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナーです。

今年の5月に六本木の美術館へ「ミュシャ展」を見に行ったので、余計に身近に感じられました。

 

聖ヴィート教会の建築が完成したのは20世紀に入ってからの1929年。

1344年、ルクセンブルク家のカレル1世 が建築を命じてから、以来戦争や資金不足で何度も中断し、 600年もの

年月をかけて建て続けられた教会ですって。 びっくりです!

ミュシャのステンドグラスが存在するのが納得でした。

 

 

 

 

高台にあるプラハ城は展望がよく、写真スポットの絶好地で、映画のロケ地にもなるそうです。

赤い屋根と白い壁に高い塔、美しい街ですね~

この階段を下ると市街地です。

 

 

  

プラハに住んで16年になると言う、日本人ガイドさんが私の前を歩いている方ですが、

残念ながら半分しか写っていませんでした。 とても感じの良い青年でした。

市街地まで下ると、また新郎新婦のカップルを目撃しました。 この旅行で3組目です。

 

 

  

あの橋塔の下をくぐると、有名なカレル橋です。

カレル橋はヴルタヴァ川に架かるプラハ最古の美しい橋です。

1357年にカレル1世の命により60年の歳月をかけて完成しました。

幅9.5m、16個のアーチが支える全長516mの石橋です。

 

 

 

 

橋の欄干には15体ずつ、合計30体の彫像が並んでいます。 その多くはバロック様式のようです。

この像はカトリックの聖人ヤン・ネポムツキー。

像の下にあるレリーフに触れると幸運が訪れるといわれ、 多くの人に触られたためつるつるに光っています。 

二人で交替で一応撫でてきました~ 良いことあるように~

 

橋の途中で振り返ると、高台にプラハ城と聖ヴィート教会の尖塔が見えました。

橋の上は常に観光客で賑わい、大道芸人がいたり似顔絵や風景画を描いている画家が沢山いました。

 

 

 

 

 

カレル橋の上からヴルタヴァ川沿いの美しい建物を写しました。

ヴルタヴァ川というと、チェスキー・クルムロフを流れていたモルダウ川と同じ川です。

延々とここプラハまでヴルタヴァ川は流れてきました。

こちらが川幅が広いので下流だと思います。

 

ヴルタヴァ川にはクルーズ船が沢山行き交って、観光客で賑わっていました。

船の上から眺めるプラハ城やカレル橋、プラハの市街地はどう映るのでしょうか。

 

 

  

約500mの橋をプラプラと写真を写しながら歩くと、川の反対側の橋塔が見えてきました。

川に白く見えるのは沢山の白鳥が遊んでいました。

カレル橋を渡り終え、プラハ城を眺めました。 あの高台から歩いてきたのです~

 

 

 

橋の袂に再び集合し、現地ガイドさんの案内で旧市街地をくねくねと歩き、高い時計塔がある旧市街広場まで来ました。

時計塔があるのは旧市庁舎で、 正面に小さく見える二つの塔は「ティーン教会」で美しい広場でした。

 

時計表示が分からないと思ったら、天文時計でしかもからくり時計になっていて、1時間ごとに人形が現れます。

1948年に取り付けられた電動装置で動いており、上部の時計は地球を中心に太陽が回る天動説に基づいて作られ、

年月日と時間を示しながら1年かけて1周します。

下部の時計は黄道12宮と農村における四季の作業を描いた暦で、1日にひと目盛り動くそうです。

(黄道12宮とは占星術のことらしいです)

 

 

 

夕方5時だったでしょうか、時計の下で沢山の観光客と共に見守ると、鐘の音と共に二つの窓が開き、

キリストの12使徒が次々と現れ、くるくる回るのが見えました。

 

美しい旧市街広場の一角にある、ボヘミアングラスの店へ案内されました。

 

 

 

店の天井にはボヘミアングラスのシャンデリアがとっても綺麗でした。

私もチェコの記念にペアでワイングラスを買いました~

 

 

 

ホテルに戻り最後の夜を、美味しいチェコビールで乾杯しました。

11世紀末に醸造所が誕生した歴史を持つチェコビールは、今世界で一番飲まれているピルスナー・ラガービールの

発祥の地だそうですよ。

癖がなくて口当たりがよく美味しいビールで、ほとんどランチもディナーでもビールを飲んでいました。

 

観光最終日まで、何とか天候は持ちこたえ曇り空でしたが、雨に降られなかったのに感謝です。

 

 

≪チェコの歴史概略≫
1945年、第二次世界大戦が終わると、チェコスロバキアは独立をとりもどし「チェコスロバキア人民共和国」になります。

1946年、共産党が第一党になり、悪名高いゴットワルト内閣が成立。

西側諸国に不信感のあったチェコスロバキアは、1948年無血革命で共産主義国となり、 60年にはチェコスロバキア社会主義共和国が成立します。

1968年、言論の自由化や市場経済原理の導入など一連の改革を目指した「プラハの春」が起こります が、ソ連のワルシャワ条約機構軍によって鎮圧されます。

ところが、89年に民主化を求める大規模なデモが起きると共産党はあっさり政権の座から降り、 スムーズな民主化(ビロード革命)が実現。

チェコスロバキア連邦共和国の成立です。

1993年、元旦にチェコ共和国とスロバキア共和国が分離独立。ビロード離婚と言われています。

 

 

プラハは奇跡的に第2次世界大戦の空襲や爆撃に遭わなかったそうです。

プラハ城や美しい旧市街地がそのまま現存したのは、その賜物ですね~

 

 

明日は帰国のために、ホテルを7:15にプラハの空港に向かって出発します。

何とか無事に最終日を迎えることが出来ました。

もう少し続きます~