Death & Live

いわゆる日記とは違うようで。死に様や心の疲労について、つれづれなるままに書き綴るだけ。

映画 『太陽』

2006-08-31 08:46:37 | 映画 「あ段」
『太陽』  2005年
原題 : The SUN   (Solntse)
監督 : Aleksandr Sokurov

日本人が描けない題材をよくぞ描いてくれたものだ。
日本人が作っていたら、家に火をつけられそうだ。

それも、日本人的には描きにくい視点から、
慎重に、丁寧に描かれている。

彼が人間であるという当たり前の真実。
イッセー尾形は名優だね。

桃井かおりも最後の最後、ワンシーンだけの芝居なのに、
あの存在感はすごい。

けっこう笑ったなぁ。
久々におもしろい映画を観た。


彼はロウソクの灯を消すのが好きみたいだった。
だったら最初から点けなければいいのに。
「私が命じたワケではない」
そう言うのかね。

人間の駱駝

2006-08-30 08:06:38 | つれづれなるままに
「人間(ヒト)の駱駝」   by 大塚ガリバー

大都会という名の砂漠に  人間の駱駝が生きている
汗も脂も乾ききって  背中の瘤は夢ばかり

アスファルトに足を痛めた  人間の駱駝が残されて
親や友や兄弟たちが  振り向きながら遠ざかる

  無口な駱駝の群れだけが
  ひづめをひきずって西に消えた
  生きていたい  生きていたいだけの人間の駱駝
  生きていたい  生きていたいだけの人間の駱駝

摩天楼の黄昏の中で  人間の駱駝のひとりごと
みんなきっと孤独なくせに  何故にいつでも群れをなす

  あてなど無いよな旅だけど
  明日の自分が何故か怖くて
  生きていたい  生きていたいだけの人間の駱駝

  あてなど無いよな旅だけど
  明日の自分が何故か怖くて
  生きていたい  生きていたいだけの人間の駱駝
  生きていたい  生きていたいだけの人間の駱駝




その昔、「青が散る」というドラマがありまして、
その中で唄われていた曲です。

子供ながらに心に残り、書き留めておいたもの。

映画 『暗い日曜日』

2006-08-29 08:01:02 | 映画 「う段」
過去にあったことを忘れてはいけないんだよ。
何をもってここまで人を恨むようになってしまったのか、
考え続けなくてはいけないのではないかと...

『暗い日曜日』  1999年
原題 : Gloomy Sunday - Ein Lied von Liebe und tod
監督 : Rolf Schubel

自分は2002年に観ました。

タイトル通り暗い映画です。

ユダヤ人とドイツ人の話は尽きることなく。

戦争中って人を信じることさえ難しいんだなぁ、と。
そして、その憎しみは戦後も消える事はないんだなぁ、と。


悲しいばかりのテーマ曲が耳に残る.....
この暗さにこそ、この映画の良さがある。

空の下へ

2006-08-28 08:00:57 | 
「空の下へ」

どうしたら大人になれるんだ
なぁ、だれか教えてくれよ
どうしたらこんな気持ちから離れられるんだ

自分の醜さも、まっすぐ見つめられるのに
暗く深い闇を抜けたいんだ
早く助けてくれないか、お願いだ

自分を悔やむことばかり
笑って話がしたいだけなんだ
俺を明るい空の下へ放り出してくれないか

映画 『ユナイテッド93』

2006-08-27 14:34:55 | 映画 「う段」
『ユナイテッド93』  2006年
原題 : UNITED93
監督 : Paul Greengrass

究極のフィクションとでも言えばいいのか。

彼らをハイジャックに突進させたものは何なのか。

彼らはその死の向こうに 何を求めていたのか。

あまりにもドキュメンタリーチックに描かれていて、遺族や関わった人々には、あまりにもリアルなのではないだろうか。
5年では何も解決されていないし、心にも直視するスペースはまだ無いだろう。

それでも、それ以外の人々、我々にはこの映画が必要だ。
こういう、考えることを止めないための映画が必要だ。


自分ならどうするだろう、自分なら...
ずっとそればかり考えていた。

最期の言葉を伝える家族のいない自分だったら、
いったい、何をするだろう...

【21世紀の死】 ヤセル・アラファト

2006-08-26 11:22:37 | 死・自死
この人の顔は非常に特徴がある。
なかなか忘れられない顔だ。

特に印象深いのは、映画『D.I.』の中で風船に書かれた彼の顔。
他の誰にも見えない、間違い無く彼の顔。

その彼が亡くなって、もう2年近く経つのだな。

パレスチナ自治政府、ヤセル・アラファト議長(当時)。
本名はムハマド・アブドル・ラフマン・アブドル・ラウーフ・アラファト・アルクドワ・アルフセイニ。
2004年11月11日午前3時半(日本時間同11時半)、パリ郊外のペルシー軍病院で死去。享年75歳。

パレスチナを率い35年。
イスラエルへの抵抗の象徴として、カリスマ的存在。


以下↓新聞からの抜粋
1929年8月24日、エジプト・カイロで、パレスチナ出身の両親のもとに生まれる。
4歳の年に母親が病死。英国統治下のエルサレムの親類のもとで4年間暮らす。

47年国連総会がパレスチナ地方をアラブ国家とイスラエル国家に分割する決議を採択。
48年イスラエルが建国を宣言。
49年第1次中東戦争。アラファト氏は反イスラエル活動続ける。
戦争後、本格的にパレスチナ解放運動に参加。58年までに後のパレスチナ解放機構(PLO)主流派となる「ファタハ」を創設。
56年にはエジプト軍の下士官となり、スエズ危機や第2次中東戦争に従軍。
65年からはファタハの軍事部門アシファを指揮し、ヨルダンやレバノンを拠点にイスラエルにテロ攻撃を続ける。
69年にはPLO議長に初選出。
72年9月には、「黒い9月」を名乗るアラブ人武装組織がミュンヘン五輪選手村を襲撃し、イスラエル代表団の選手11人とドイツ人警官を殺害。アラファト議長はこの事件についてコメントしていないが、「黒い9月」はファタハの内部組織だったとされている。
1974年には初めてニューヨークの国連総会で演説。

「私は平和のオリーブの枝と自由のための闘士の銃を携えて、ここにやってきた。オリーブの枝がこの手から落ちるようなことにはしないでほしい」

PLOはその後もレバノンを拠点にイスラエル攻撃を続行。
82年イスラエルのシャロン国防相(現首相)が、PLO掃討のためレバノン攻撃を断行。アラファト氏は北アフリカのチュニジアに逃れる。
88年パレスチナ民族評議会(PNC)で、ヨルダン川西岸とガザ地区におけるパレスチナ自治の確立を宣言。
同12月国連総会で、イスラエルの生存権承認とPLOのテロ放棄を宣言した。
90年にはイラクのクウェート侵攻でフセイン政権を支持。国際社会で孤立。
93年9月米ホワイトハウスで、中東和平の大枠を定めた暫定自治宣言(オスロ合意)にイスラエルのラビン首相と共に署名。
94年ラビン首相、ペレス外相と3人でノーベル平和賞を受賞した。
96年オスロ合意に基づいて成立したパレスチナ自治政府の初議長に就任。財政と治安権限を握るワンマン体制を貫き、治安問題などでイスラエルとの対立が再燃した。
2000年7月クリントン米大統領の仲介でバラク首相(労働党)とキャンプデービッドで和平交渉を行ったが、交渉は決裂。
同年9月リクードのシャロン党首によるイスラム教聖地訪問を機に、ガザ地区などで第2次インティファーダが発生。
01年3月にバラク政権が倒れ、シャロン政権が誕生して以来、イスラエルと自治政府の対立は激化。
同年12月イスラエルはパレスチナ武装組織によるテロ攻撃を放置しているとして、議長をラマラの議長府に軟禁。
02年6月アラファト議長退陣を条件にパレスチナ暫定国家創設を容認する新中東和平案、提示される。「アラファト外し」
パレスチナの若い世代からも独裁ぶりや腐敗、不明朗な資産管理などに批判が噴出、晩年の権威は揺らぎがちとなる。

アラファト氏はイスラム教スンニー派で、「私はパレスチナと結婚した」と独身を続けたが、91年にはキリスト教パレスチナ人のスーハ夫人と結婚し、長女ザワフ(ザフワ?)さんがいる。

議長は主義や理論ではなく、世界を飛び回る行動力と天性の政治的嗅覚でいくつもの危機を生き延びてきた。



顔もそうだが、行き方というか人生というか、非常に "濃い" 人だ。

いったい、誰がどこで、オリーブの枝を折ってしまったのだろうか。

映画 『ハッスル&フロウ』

2006-08-25 08:03:08 | 映画 「あ段」
『ハッスル&フロウ』  2005年
原題 : HUSTLE & FLOW
監督 : Craig Brewer

テレンス・ハワードのファンなもので、
レイトショーを観に行ったワケですよ。

彼の演技はどちらかというと大袈裟なんですよね。

コッテコテのストーリーにコッテコテの演技。

大袈裟な芝居はやっぱりワキにいて輝くもので、
主演とかじゃない気がするんだが。

なんでアカデミー主演男優賞なんかにノミネートされたのか。
ちょい不思議ですな。

やっぱり彼は脇役向きだと思われます。
そういうワキにいる彼の芝居が好きなのだなぁと、
この映画のおかげで認識しましたとさ。

【21世紀の死】 橋本龍太郎

2006-08-24 08:07:51 | 死・自死
橋本龍太郎元首相が亡くなったのは、今年。
7月1日。多臓器不全と敗血症性ショック。享年68歳。

1937年生まれ。慶応大学卒。
63年26歳で総選挙初当選。
95年、自社さ連立の村山政権下の自民党総裁選で小泉現首相を破り第17代総裁に就任。
96年1月の村山首相辞任で、首相の座に就いた。
首相時代は中央省庁再編や財政再建に取り組んだっけかなぁ?...
確かに消費税率は3%から5%に上がりましたね。
クリントン米大統領との間で、沖縄県の米軍普天間飛行場返還で合意。←実際はまだまだ道は険しいですが...
98年7月の参院選の自民党惨敗で退陣。
再び01年に総裁選に立候補するも小泉現首相に敗れる。
日本歯科医師連盟からの1億円献金隠し事件の責任を取って派閥会長を辞任。
昨年の総選挙を機に引退。

この人がいい事をしたのか、悪いことをしたのかと言えば、
悪いことをしたのでしょうね。
でも、そんな悪いことをするような人が首相になれるような国ってことですよね、この日本は。

映画 『ヒトラー ~最期の12日間~』

2006-08-23 08:18:00 | 映画 「い段」
上映されていた頃、どうしても観に行く時間が無いまま上映が終了してしまい悔しい思いをした作品。
大学で上映会があったので、行って観た。

『ヒトラー ~最期の12日間~』  2004年
原題 : Der Untergang
監督 : Oliver Hirschbiegel

ヒトラーの台詞の数箇所以外には、ホロコーストについては全く触れられていなかった。

狂気というのは、人ひとりで作り出せるものではないのだな。

ヒトラーの秘書だった女性の自伝を元にした作品。

その本人が映画の最後に言っていた。
碑に刻まれた名前の中に、あの「白バラ」のゾフィー・ショルの名を見つけたとき、
自分が秘書として採用されたのと、彼女が処刑されたのが同じ歳であることを知った。
「若かったから、ということ、知らなかったから、ということは言い訳にならないと、その時思った」


そう。
自分と折り合いをつけてしまったら、そこで終りだ。

純粋さと厳しさ

2006-08-22 07:49:13 | キューバ&チェ・ゲバラ
ドブレ曰く...

「チェの人格はその神話と矛盾がなかった。否、それどころか、もっと複雑であった。腐敗しない正義の人、理想主義的英雄、ロマンチックな冒険家?そのとおりである。しかし、バラの水をロマンチックにした者は、行動の理想主義者をカリタスの修道士にしてしまった者は、誰か。革命家というものは、かつて彼自身が語っていたように、何よりも愛という感情で動く。しかし、個人的な優しさは欠点だとして隠す。キューバの指導部内部では、彼は、『革命の正義』という野蛮な矛盾(疑いのある人間の死刑執行あるいは逮捕を行うべきか否か)においては寛大の側には入らなかった。彼はダントンよりもロベスピエールに近い。もっともファブル・ド・エグランティーヌの側では決してなかった。彼はフィデルとは違う。しかし、伝説に影響され、彼の役割が違ったふうに広まった。神話には勝てないのだ」


翻訳からこれを読み解くのは少々難しい。
原文が欲しいところだ。

『エルネスト・チェ・ゲバラ伝』パコ・イグナシオ・タイホⅡ著
(『Les Masques 仮面』 by Debray)

映画 『オリバー・ツイスト』

2006-08-21 18:59:40 | 映画 「お段」
最近19世紀の戯曲を読む機会がありまして、
そうしたら、この映画のこと思い出しました。

2月に鑑賞。

『オリバー・ツイスト』  2005年
原題 : OLIVER TWIST
監督 : Roman Polanski

原作は読んでいないのです。
何の予備知識も無いまま、観ました。
なので、どこまでが原作通りなのかまったくわかりません。

あの時代のストーリーって、
決して道徳的と言うワケでもなく、
少し残酷だったりもしますが、
やはり子供向けのストーリーっぽかったですね。

大きく心が動かされるシーンが無かった。
でも、それはそれで淡々と、あの時代の生き方を垣間見れて興味深かったですが。

しかし、それより何よりベン・キングスレーですよ!
彼は凄いッ!
圧倒的に凄いッ!
彼はきっと "演技" という名の魔法を持っているのだろう。

映画 『ノー・マンズ・ランド』

2006-08-19 05:50:44 | 映画 「お段」
こうもあちこちで諍いが続くと、どうにもならない歯がゆさで、心臓が震えてくる。

『ノー・マンズ・ランド』  2001年
原題 : NO MAN'S LAND
監督 : Danis Tanovic

途中までは、戦争中とは思えない少々ノホホンとした雰囲気。
それとは打って変わった終盤が、切なさを増幅させている。

人間の持つ明るさ、呑気、無情...
こんな風に描かれている映画はちょっとない。


観たのは2002年だけれど、今思い出してもどうにもいたたまれない、耐えがたい結末。
戦争の狂気をこの様に描かれると、それは決して他人事ではないのだと、痛いほど伝わって来て、やはり今でも心臓が震えてくる。

【21世紀の死】 ローザ・パークス

2006-08-18 07:55:48 | 死・自死

2005年の10月24日、アメリカ合衆国で "公民権運動の母" と呼ばれたローザ・パークスさんが亡くなった。享年92歳。

 ↓新聞からの抜粋
1955年12月1日、アラバマ州モンゴメリで、帰宅中の混雑したバスの中、白人男性に席を譲るよう運転手に強要され、これを拒否したため逮捕された。
この逮捕に対する抗議として、5万人の地元黒人社会がバス会社を1年以上にわたりボイコット。この抵抗運動で頭角を現わしたのが、当時27歳だったマーティン・ルーサー・キング牧師だった。
当時のアメリカ合衆国南部では人種分離政策が施行されていたが、パークスさんの逮捕について連邦最高裁は56年に、バス会社による黒人差別は違憲だと判決を下した。
65年から88年にかけては、民主党下院議員の議員秘書として働いた。全米黒人地位向上協会(NAACP)をはじめ、様々な団体から表彰され、1999年のクリントン政権下では米政府が文民に与える最高の栄誉「自由勲章」を受けた。



たとえ、正しいと信じることであっても、流れに逆らい意志を貫くのは半端な勇気ではできないことだろう。
ましてや、女性が身体を張った抵抗をしたのである。
彼女が多くの変化のきっかけを作ったことは、歴史に記録されるべきことだろう。


今だ多くの人種偏見の残るアメリカ合衆国、そして世界。
人々がお互いを敬いながら暮らすなんてことは、夢のまた夢なんだろうな。


映画 『ネバーランド』

2006-08-17 10:34:39 | 映画 「え段」
人間が夢を見れなくなったら、世の中から善が無くなってしまうような気がしないかな。

イマジネーションって、すごくすごく大切なんだ。

『ネバーランド』  2004年
原題 : FINDING NEVERLAND
監督 : Marc Forster

2004年の年末に観ました。

フレディ・ハイモア君がすばらしいんですな。
彼は『トゥー・ブラザーズ』でも『チャーリーとチョコレート工場』でもすばらしかったな。

心を大切にするからこそ心に壁を作ってしまった少年。

心を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返し成長していく少年。

ピーターパンなんてどうでもいいんだ。

そこには夢を見れなくなることで見えなくなるものがある。

大人になると夢を見れなくなるのか、
夢を見れなくなると大人になるのか、
大人になっても夢を見るのはいけないことなのか、
大人だからこそ夢を見るべきなのか。

【21世紀の死】 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世

2006-08-16 08:11:34 | 死・自死

昨年の4月2日、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世(84)が亡くなった。
2月以降、入退院を繰り返し、最期は心臓・腎臓の機能が低下し危篤状態に。死因は敗血症によるショックと心不全。

本名 : カロル・ユゼフ・ヴォイティワ
1920年5月18日 ポーランドのクラクフ近郊生まれ。
ナチス・ドイツ占領下、地下組織の新学校で哲学・神学を学ぶ
戦後 司祭
67年 枢機卿
78年 第264代目法王
イタリア人以外の法王は455年ぶり。
83年 母国ポーランドにて弾圧されていた自主管理労組「連帯」を支持
在位は四半世紀余りにわたっていた。



 ↓新聞からの抜粋
ポーランドで生まれた法王にはユダヤ人の友が多く、収容所に送られた人もいた。即位後、初の里帰りではアウシュビッツ収容所を訪れ、声を放って泣いた。


改革者にして超保守主義者。

「暴力と武器は問題を解決しない」

世界平和に限らず他宗教との和解にも努めた。

↓新聞からの抜粋
晩年、イエス・キリストの足跡をたどる旅を自らの課題として、病をおしてイスラエルをはじめ、エジプト、シリア、レバノンの中東各地を歴訪。ローマのユダヤ教寺院を訪れたほか、シリア・ダマスカスでイスラム礼拝堂を訪れ、ローマ法王として史上初めて、かつて敵対したこの2つの宗教の礼拝堂で祈りを捧げた。

「空飛ぶ聖座」と呼ばれただけあって、129カ国にも訪問したらしい。
そう、あのキューバにも98年に訪問していたっけ。

81年2月来日し、広島を訪問。
「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うこと。広島を考えることは、平和に対しての責任を取ること」


「ライサ、この方が世界至上の道徳の権威だ」
マルタ会談前日、ソ連共産党のゴルバチョフ書記長(当時)は、ヨハネ・パウロ2世を妻にそう紹介した。


それでも、中絶や離婚など、カトリックの教義については、保守的な姿勢をとり続けていた。


死去から9日間続く一連の典礼。各国首脳の参列。
世界のカトリック信者や政治指導者たちが、死を悼んだ。


クワシニエフスキ・ポーランド大統領(当時)
「悲しい日だ。だが世界に善と知恵と正義を伝えた人を、ポーランドが生んだことを誇りに思う」

そして、あのキューバも3日間の喪に服した。



自分はクリスチャンでも何でもないけれど、何故かしら彼の顔には安らぎのようなものを感じたな。
詳しいことは何も知らないけど、いい人なのかなってね。


まぁ、自分がとやかく書かなくても、偉大な人への賛辞は世に溢れているものだけれどね。