Death & Live

いわゆる日記とは違うようで。死に様や心の疲労について、つれづれなるままに書き綴るだけ。

【21世紀の死】 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世

2006-08-16 08:11:34 | 死・自死

昨年の4月2日、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世(84)が亡くなった。
2月以降、入退院を繰り返し、最期は心臓・腎臓の機能が低下し危篤状態に。死因は敗血症によるショックと心不全。

本名 : カロル・ユゼフ・ヴォイティワ
1920年5月18日 ポーランドのクラクフ近郊生まれ。
ナチス・ドイツ占領下、地下組織の新学校で哲学・神学を学ぶ
戦後 司祭
67年 枢機卿
78年 第264代目法王
イタリア人以外の法王は455年ぶり。
83年 母国ポーランドにて弾圧されていた自主管理労組「連帯」を支持
在位は四半世紀余りにわたっていた。



 ↓新聞からの抜粋
ポーランドで生まれた法王にはユダヤ人の友が多く、収容所に送られた人もいた。即位後、初の里帰りではアウシュビッツ収容所を訪れ、声を放って泣いた。


改革者にして超保守主義者。

「暴力と武器は問題を解決しない」

世界平和に限らず他宗教との和解にも努めた。

↓新聞からの抜粋
晩年、イエス・キリストの足跡をたどる旅を自らの課題として、病をおしてイスラエルをはじめ、エジプト、シリア、レバノンの中東各地を歴訪。ローマのユダヤ教寺院を訪れたほか、シリア・ダマスカスでイスラム礼拝堂を訪れ、ローマ法王として史上初めて、かつて敵対したこの2つの宗教の礼拝堂で祈りを捧げた。

「空飛ぶ聖座」と呼ばれただけあって、129カ国にも訪問したらしい。
そう、あのキューバにも98年に訪問していたっけ。

81年2月来日し、広島を訪問。
「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うこと。広島を考えることは、平和に対しての責任を取ること」


「ライサ、この方が世界至上の道徳の権威だ」
マルタ会談前日、ソ連共産党のゴルバチョフ書記長(当時)は、ヨハネ・パウロ2世を妻にそう紹介した。


それでも、中絶や離婚など、カトリックの教義については、保守的な姿勢をとり続けていた。


死去から9日間続く一連の典礼。各国首脳の参列。
世界のカトリック信者や政治指導者たちが、死を悼んだ。


クワシニエフスキ・ポーランド大統領(当時)
「悲しい日だ。だが世界に善と知恵と正義を伝えた人を、ポーランドが生んだことを誇りに思う」

そして、あのキューバも3日間の喪に服した。



自分はクリスチャンでも何でもないけれど、何故かしら彼の顔には安らぎのようなものを感じたな。
詳しいことは何も知らないけど、いい人なのかなってね。


まぁ、自分がとやかく書かなくても、偉大な人への賛辞は世に溢れているものだけれどね。