Death & Live

いわゆる日記とは違うようで。死に様や心の疲労について、つれづれなるままに書き綴るだけ。

自分と人と

2007-07-31 06:41:57 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
完全にどーかしてしまってますね。

自分の存在価値とか、
そんなつまんないことどーでもいいんですね。

現実の世界の中に居られないんですね。

仕事がひとつ入る度に、逃げ出したくて仕方ない。
というか、半分逃げている。

どっかいっちゃってる自分の脳ミソと、
世間の雑踏の橋渡しを、
映画を観ることでなんとかしてる感じかね。

映画館を出て現実に戻る感覚。
これでリハビリ。

「自分に厳しく、人に優しく」
って、正しいことだと思ってたけど、
自分に優しくできないと、
人にも優しくできないね。

自分を好きにならないと、
人も好きになれないんだな。

映画 『魔笛』

2007-07-29 20:08:22 | 映画 「あ段」
『魔笛』  2006
原題 : The Magic Flute
監督 : Kenneth Branagh

オペラってあまり興味無いので。
しかも、普通に観ようとすると高いじゃないですか。

だから、映画とかにしてくれると安く観れて、
いちおストーリーも解るから、
こういう風に超有名なオペラを映画にしてくれると、
助かります。

映画として楽しいかと言われると
全然面白くないです。

自分としてはミュージカルとかの方が好きかな、と。

でも、とりあえずストーリー解ったので、
常識人ぶれるかな、などと(笑)

そうは言っても迫力はありましたよ。
特にパパゲーノとか素晴らしかったです。
歌は上手いし、演技もできて、表情とかイキイキしてました。
スクリーンにも充分映える、あの表情は素晴らしい。
もっと映画でも観たい人ですが、
きっと舞台中心なんでしょうねぇ。

【21世紀の死】 ウルリッヒ・ミューエ

2007-07-28 00:23:09 | 死・自死
ウルリッヒ・ミューエ(Ulrich Mühe)氏が亡くなった。
享年54歳。

あの 『善き人のためのソナタ』 の、
あの人である。

『善き人のためのソナタ』 を観るまで、
自分はこの人のこと知りませんで、
これから注目していきたいと思っていた矢先です。

残念でなりませぬ。

20 June 1953 ~ 22 July 2007
Ulrich Mühe

平和旬間

2007-07-25 22:20:19 | つれづれなるままに
8月6日から15日までの10日間を 「日本カトリック平和旬間」 と言うそうな。
1981年に広島を訪れた教皇ヨハネ・パウロ2世が、
「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことである」
と言ったそうな。
戦争を振り返り、平和に対する意識を行動にするため、
もっとも身近で忘れることの出来ない日々ということで、
広島・長崎への原爆投下、
終戦の時期であるこの10日間を、
「平和旬間」 とされたそうな。
カトリック信者でなくとも、
この時期こそは、平和を祈りたいものです。

映画 『街のあかり』

2007-07-23 21:01:49 | 映画 「あ段」
『街のあかり』
原題 : Laitakaupungin Valot
監督 : Aki Kaurismäki

今回は結構マジメな内容でしたね。
そんなにクスッと来るところも無かったし。

でも、それが返って物悲しさを増してしまった。

カウリスマキはどうしてこういう描き方が好きなんでしょう?

Finlandの人たちが観たら、
「Finlandはこんなにダサくない!」 とか
ちょっとムッとしてしまうのでは、と思うほど、
異常なほどサビれた悲哀な雰囲気を出しますよね。

それにしても、
カウリスマキは美人を使いませんね(笑)
男性は比較的整った顔立ちの俳優さんが多いですが、
女優はなぜかちょっと違う(笑)
個性重視なんですかね??

エルダーズ

2007-07-21 11:28:12 | 言葉・本
7月18日はネルソン・マンデラ氏の誕生日だったそうです。
彼は89歳にもなるんですね。
それでも、カーター米元大統領や前回ノーベル賞受賞してたユヌス氏たちと 「エルダーズ」 という人道グループを立ち上げるという。
社会を良くしようと思案していた人は、
何歳になろうと思案し続けているのですね。
マンデラ氏のコメント
「不安があるところは勇気を支援し、紛争があるところは合意を育み、絶望があるところには希望を与えるだろう」

経験

2007-07-19 07:32:44 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
傷つけられたり、痛かったり、悲しかった経験。

そういう経験が多ければ多いほど、
大人になると、外からの攻撃を避けて通ったり、
重厚な鎧をつけてしまう。

しかし、そのせいで気が付くと傷ついたり悲しんだり、
そういうことから離れてしまっていて、
返って免疫が落ちていたりする。

ちょっと鎧をはずしているときに、
うっかり攻撃を受けたりすると、もう立ち直れないほどに
くさってしまったりする。

そうして今度は二度と鎧をはずさなくなる。
どんなに重くても、どんなに肩が凝ろうとも、
二度とはずさない。

それは殻の中に閉じこもるのと同じ。

他人とのコミュニケーションなんてもってのほか。

もう一度あんな痛みを経験するくらいなら、
だれとも接することなく、一人でいたほうがいい。

怯えて、怖気づいて、震えながら、
鎧の中で一人っきり。


あの 「傷つき」、「痛み」、「悲しみ」 があったからこそ、
今の自分がある。

殻の中にとじこもった自分も、
心の痛みの解る自分も。

そんな自分に自信が持てるようになり、
鎧を脱げる日は来るのだろうか。

心の痛みが解るからこそ、
自分を必要としてくれている人がいるかもしれない。
そういう人とならコミュニケーションもとれるのか?

自信なんてない。
自信なんてない。
自信なんてない。

それでも、いつかそんな日が来れば.....


そんな、夢だけでも見ていようか。

映画 『ゾディアック』

2007-07-17 20:26:09 | 映画 「お段」
久々に映画館行きました。

『ゾディアック』  2007年
原題 : ZODIAC
監督 : David Fincher

暗号の解読とかね、
そういうことに時間を費やすんじゃないかと、
で、だんだん付いて行けなくなって、
疲れちゃうんじゃないかと、
勝手にそんなこと考えてましたが、
全くそんなことありませんでした。

暗号解読の解説とかは最小限で、
ロバートののめりこんで行くサマが、
なかなか面白かった。
男って、ついつい興味を持ち始めると夢中になってしまう、
ただ単純にそれだけの理由でのめりこんで行くサマが、
他人ごととは思えずに、それはそれで面白かった。

あの、消化不良な感じの終わり方も結構好きかも。
実話だからね、勝手に解決できないし、
そこいらへんがホントっぽくていいやね。
こんな映画作っちゃって、容疑者とかどう思ってるのか、
なんて考えたけど、亡くなっちゃってるんですねぇ。

ジェイク・ギレンホールも良いですねぇ。
眼が大きいから、段々夢中になって行く様子が、
ちょっと不気味に見えて、なかなか適役でした(笑)

「卑怯」 を教える

2007-07-15 23:16:05 | 言葉・本
最近図書館で借りた本に面白いというか、
" まったくだ " と思うことが書いてありました。
 例えばいじめがありとします。するとすぐに「みんな仲良く」などと言う。実に分かり易い。
 しかし、少しでも社会生活を送った人間なら、「みんな仲良く」なんか出来るわけがないと分かっている。どんな組織だって嫌な奴だらけです。 (略) そういう自分がいちばん嫌な奴。 (略)
 最近では、いじめがあるからといって、学校にカウンセラーを置いたりする。論理的で分かりやすい。これはアメリカの方が先で、たくさんの学校にカウンセラーとかスクール・サイコロジストがいる。でもいじめは減らない。
 いじめに対して何をすべきか。カウンセラーを置く、などという対症療法より、 (略) 「卑怯」を教えないといけない。「いじめが多いからカウンセラーを置きましょう」という単純な論理にくらべ、「いじめが多いから卑怯を教えましょう」は論理的でないから、国民に受けません。
 しかし、いじめを本当に減らしたいなら、「大勢で一人をやっつけることは文句なしに卑怯である」ということを、叩き込まないといけない。
『国家の品格』 著:藤原正彦

映画 『転校生-さよなら あなた-』

2007-07-12 21:41:55 | 映画 「え段」
『転校生-さよなら あなた-』  2007年
原作 : 山中恒
監督 : 大林宣彦

随分前に試写会で観たのですが、
書くのをすっかり忘れてました<苦笑

男女が入れ替わるというストーリーは変ってませんが、
「ちょっとこれってズルいんじゃないのぉ~」 って感じの展開で、
お涙チョーダイ映画となってました。

あれで泣かないのは無いでしょ、ってくらい
コテコテの涙モノの展開で、
当然のように泣きましたが(笑)
まあ原作もありますし、
過去に映画化とかコミック化とかもされてますし、
普通に作ったら、そのまんまストーリー判っちゃってて
つまらなかったかもしれないので、
これはこれでありでしょう、と。

やっぱりちょっとズルい気はしますが...(笑)

でも、主演の二人はほとんど無名ですが、
なかなか一生懸命で微笑ましかったですね。


加えて一言許されるなら.....
羨ましい死に様だ。

気持ちが軽くなるということ

2007-07-08 20:38:15 | つれづれなるままに
嫌い、と言うワケではないが、
心にいつもトゲを刺されていた人が去った。

本当に、嫌いではないんだ。
でも、同じ時間を過ごすことは正直苦痛だった。

ほんの少し気持ちが軽くなったような気がした。

そんな自分がすごくイヤな奴に思えて仕方ない。
でも、自分は所詮そんな奴なんだ...と思うしか仕方ない。

6月17日

2007-07-05 20:59:00 | つれづれなるままに
ちょっと日が経ってしまいましたが.....

1991年6月17日は、
南アフリカでアパルトヘイト終結が宣言された日。


16年経っても、『ツォツィ』 みたいなのが現実なんですな。

続・ありがとう

2007-07-03 21:48:17 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
6月17日に書いた記事 「ありがとう」 には
実は続きがありました。
著者は
この「ありがとう」のもつパワーは、ちょっと比類がない。
と書いています。
 たとえば、赤ちゃんが生まれたとき。お母さんが、わが子を胸に抱いて言いようのない喜びに満たされ、思わずつぶやく、「ありがとう」。
(略)
 もとはといえば、ありがとうは「有り難い」であり、本来ありえないものがあるという喜び、あること自体が奇跡だという驚きから生まれてくる。
(略)
 生まれたての赤ん坊はまさにありがたく、本来なかったかもしれない存在がたしかにここにあるというこの感動以上に人の胸を打つものはない。そのときあふれてくる「ありがとう」を言うためにこそ、人は生まれてくるのである。であるならば、最もありがたく、最もありがとうと言わなければならない対象は、実は、本来いなかったかもしれないこのわたし、自分自身なのではないか。
 自分自身に、「ありがとう」と言う。しかしそれが、多くの人にとって難しいことであるのは事実だ。だれにとっても、真に自分自身を受け入れることがいちばん困難なことだから。特に、拒否されて育ち、自らを否定して生きてきた人にとっては、決して、できないと思い込んでいることのひとつだろう。ときには、むしろ自分なんかいないほうがいい、消えてしまったほうがいいと思っていることさえある。そんな自分に、どうしてありがとう、などと言えようか。
 だから、だからこそ、このことばがあるのだ。
(略)
 そのひとことで、生きていけることば。どうか、一度でもいい、このことばを信じて、自分自身に向かって、そっと言ってほしい。「ありがとう」と。

映画 『サイドカーに犬』

2007-07-02 08:05:48 | 映画 「あ段」
『サイドカーに犬』  2007年
原作 : 長嶋有
監督 : 根岸吉太郎

カオルが可愛かったですねぇ。
トオルもなかなかパンチのある小僧でしたねぇ。

脇を固める俳優たちもベテランばかりで、
久々に安心して観れる邦画だったなぁ。

ミムラも良かった...

なんかね、あの結末の曖昧感がたまらなく良いね。

最近って何でも善悪の真っ二つに分けたがるでしょ。
そういう言い切ったものが何もなく、
人間の曖昧さというか、
善悪のつけられない不安定感が出ていてね、
そういうのが良いよね。

出て行った母親が悪いとか、
愛人が悪いとか、
どっちつかずな男が悪いとか、
子どもは犠牲者だとか、
そういうこと、ひとっつも言ってない。

サドル盗む話とか、
警察官から逃げちゃったりとか.....

ワケわからんけど、
なんとなく一生懸命生きてるっていうか、
そうじゃなくて、なんとなくダラダラ生きてるっていうか、
力が抜けてていいよね。

トミーズ雅の関西弁はさすがの迫力だし、
それでも、結局相手を心底憎めないっていうか、
でも最後にしっかり喝入れたり、
仲が良くも悪くもいいやね。

面白い映画だったな。