Death & Live

いわゆる日記とは違うようで。死に様や心の疲労について、つれづれなるままに書き綴るだけ。

映画 『サルバドールの朝』

2007-09-29 20:30:28 | 映画 「あ段」
『サルバドールの朝』  2006年
原題 : SALVADOR-PUIG ANTICH
監督 : Manuel Huerga

こういう映画を観ると
自分はこんな世の中では生きていけない、と
どうしても考えてしまう。

もちろん、今現在フランコ政権があるわけではないし、
スペインに強い思い入れがあるわけでもない。

でも、人は所詮悪人なんだ。

人が人を殺し続ける。

彼らのデモのシーン。
警官隊の撃つ催涙弾。
デモ隊の投げる火炎瓶、石。

現在のミャンマー状勢を思う。


同僚を殺されたことで、
相手を殺そうとする刑事。

首相を殺され、
見せしめに、主人公の死刑執行を急ぐフランコ政権。

職務として、極力淡々と事を進めようとする、
死刑執行官。

ただの職人として人を殺す、執行人。

主人公の彼だって、
善人なわけではない。
自分の信じる道の為として銀行強盗もする。
武器も持つ。

ただ、彼の裁判が不当であったこと。
そして、刑が執行されてしまったこと。
悪が集約されている。


映画の予告編だと、
看守の彼に対する心の変化を強く描いているのかと
思われたけれど、
その辺の表現は最小限だったように思う。
主人公が人を惹きつける存在であったことを
表現するために描かれた交流だった。

でも、その看守の最後の叫びが、
たまらなく、心臓をエグッてくる。

そこに人間の良心があって欲しい。
そこに人間の美しさが残っていて欲しい。

悲しすぎる彼の死と、
ダニエル・ブリュールの好演が、
一人で映画を観終わった自分には、
あまりにも心に重すぎた。


やはり、死刑は存在してはいけない。
人が人を殺してはいけない。
そこに間違いはない。



そして今日も自爆テロにより、
カブールで30人近い人々が亡くなっている。

世界の涙は枯れてしまったのだろうか。

職場と人と

2007-09-27 21:09:31 | つれづれなるままに
今の会社に入社した当時、
大変お世話になった方が辞めることになった。

非常にショッキングな出来事である。

自分は今、出向という形で、
同じグループ内の別会社にいるため、
その人と職場が離れて1年半以上になる。

自分が2年前頃に異動を願い出たのは、
とある人物の
あまりにも傍若無人な態度に耐えかねた為だった。

そして今回、
その大変お世話になった方が辞める理由も
その傍若無人な人物のためらしい。

会社としては、
大勢の社員の中の一人や二人の動きなんて、
どうでもいいことなんでしょうがね。

ちと、空しいですな。

千段万段の心

2007-09-25 20:58:55 | 言葉・本
 生涯の心の働は、千段にも万段にも区別して、千状万態の変化を見るべし。
 古今の学者、この理を知らずして、人物を評するに当り、その口吻として、某は幼にして大志ありといい、某は三歳のときにこの奇言を発したりといい、某は五歳のときにこの奇行ありといい、甚しきは生前の吉祥を記し、または夢を説て人の言行録の一部を為すものあるに至れり。惑えるもまた甚しというべし。
今後数千百年にして、世界人民の智徳大いに進み、太平安楽の極度に至ることあらば、今の西洋諸国の有様を見て、びん然たる野蛮の歎を為すこともあるべし。これに由てこれを観れば、文明には限りなきものにて、今の西洋諸国を以って満足すべきにあらざるなり。
『文明論之概略』
著 : 福沢諭吉

映画 『アーサーとミニモイの不思議な国』

2007-09-24 20:09:33 | 映画 「あ段」
『アーサーとミニモイの不思議な国』  2006年
原題 : ARTHUR ET LES MINIMOYS
監督 : Luc Besson

子どもだけに観せておくのはもったいない。

大人も充分楽しめるファンタジー。

3Dは見慣れてしまったかも知れないけれど、
そこはハリウッド映画ではありませんので、
キャラもヨーロッパの絵本に出て来るような、
ちょっとキモカワイイ感じですかね。

まぁ、こう言っておきながら、
元々こーゆー映画にはあんまり興味なかったのですが、
敬愛するRobert De Niro様と、
成長を見守っている(気分の) Freddie Highmore君
が出てますから、観る気になったワケでして。

はぁ、面白いんですね、この手の映画も。
フランス映画だからですかね?

色使いも鮮やかで、
スヌープ・ドッグの雰囲気もよろしくて、
何でも殺して解決する米映画とは全然違います。

どこか、さわやかで、風を感じる、かな。

映画 『ファンタスティク・フォー 銀河の危機』

2007-09-23 22:10:30 | 映画 「う段」
『ファンタスティク・フォー 銀河の危機』  2007年
原題 : FANTASTIC FOUR: RISE OF THE SILVER SURFER
監督 : Tim Story

好きなんですよねぇ~、こういうコテコテ・アクション(笑)

邦題の 「銀河の危機」 っていうのもかなり大げさで(笑)

コテコテっぽくていいですよねぇ(笑)

元々コミックですから、一話完結みたいなことろも、
解りやすくていいですし、
頭使わないで、スピード感楽しめますから、
サイコーですよ。

こういうのがヒットしてくれると、
楽しいんだけどなぁ。
なかなか日本人向けじゃないですよね。
あまりにもブッ飛びすぎてて。

こういう映画はね、
ストーリーとか追いかけちゃダメなんですよね。

ただただ、たいしてカッコ良くない4人が、
すごいスーパーヒーローなんだぞってとこがいいワケで、
それも、世界中に知れ渡っちゃってるとこが面白い。

よくある「魔法使いは魔法を使えることを内緒にしてる」
みたいなのじゃないんですよね。
この4人は世界中の人気者。

だから、彼らがいきなり飛んで来ようが、
何かを壊しちゃおうが、とりあえず許されてるみたいです。
後で請求書が来たりするようですが(笑)

なんか、いいんだよなぁ、こーゆーの。

太平安楽の夢

2007-09-22 21:43:37 | 言葉・本
 
 西洋諸国を文明というといえども、正しく今の世界にありてこの名を下だすべきのみ。細にこれを論ずれば足らざるもの甚だ多し。戦争は世界無上の禍なれども、西洋諸国、常に戦争を事とせり。
(中略)
今後数千百年にして、世界人民の智徳大いに進み、太平安楽の極度に至ることあらば、今の西洋諸国の有様を見て、びん然たる野蛮の歎を為すこともあるべし。これに由てこれを観れば、文明には限りなきものにて、今の西洋諸国を以って満足すべきにあらざるなり。
『文明論之概略』
著 : 福沢諭吉
諭吉先生!
世の中、太平安楽どころか、
人間は今だに戦争をしてますよ...<涙

自分を信じる

2007-09-21 23:21:44 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
ちょっと考えてみたんですがね、
生まれてこの方、
一度でも自信を持ったことあったかなぁ、と。

先日、友人と話をしてまして、
「自分は凹んでばかりだ」 みたいなことを言いました。
そうしたら、友人は
「zooquieは凹む必要なんかない」 と。

Blog上で活字にしてしまうと、
ちょっとキツいこと言われたみたいに
読めるかも知れませんが、
そうではないです。

「いいところが沢山あるのだから、もっと自信を持て」
という意味で言ってくれました。

「ほのぼのした、暖かい雰囲気を持っている」
とも言ってくれました。

んんん...
それでも、なかなか自信は持てないのですね。

この友人のことを信用していないワケではないのです。
別におだてようとして言ってくれているワケではないことも
分かっているのですが。

自信を持つのは難しい。

子どもの頃から "ダメ人間" だと刷り込まれていると、
どんなに人が褒めてくれても、
それが自信に繋がらない。

今、気が付いたんですが、
「自信」 って、
「自分を信じる」 って書くんでしたね。

自分で自分を信用できるほど、
自分が成長できていない。

人に褒めてもらってどうにかなるものではないのかもな。

自分の物差しで測った上で、
信用できる人間になれたとき、
自信が持てるのかもしれない。

Gospel Live @ Motion Blue

2007-09-18 23:19:00 | つれづれなるままに
Motion Blue で Gospel Live がありまして、
行って来ました。

塩谷達也プレゼンツ
「ゴスペル・エクスペリエンス」

熱いLiveでしたよ。
Shout しまくりでしたよ。

感動でしたよ。

自分はクリスチャンではありませんが、
ああいう、魂の叫びは好きですね。

メンバー全員、日本人とは思えない歌唱力で、
パワフルでしたね。

いやいや天晴れ!

映画 『ストンプ・ザ・ヤード』

2007-09-16 22:09:33 | 映画 「う段」
こいつら何者なんだ!!!

『ストンプ・ザ・ヤード』  2007年
原題 : STOMP THE YARD
監督 : Sylvain White

ありがちなダンス・バトルもので、
ありがちなストーリーで、
ありがちな結末で。

だからって、ちっともつまんなくないですよ。

ヤツらは凄いのです。

ダンスものをついつい観てしまうのは、
やっぱり、その身体能力の限界を超えた技かね。

彼らがオリンピックの床運動とか出ちゃったら、
大変なことになっちゃうよ。

それはそれは凄いですよ。
身体のキレが半端じゃない。
リズム感なんて、本能から来てる感じ。

『RIZE』 思い出しますね。

友情とか団結とか伝統とか、
大切にしなくちゃいけないものも、
たくさんあるのかも知れない。

でも、そんなことより何より、
熱いんだよね、ヤツら。

声とかも迫力あってね。

パワフルでエネルギッシュで、
それでも、ダンスの完成度は高い。

完全に重力に逆らってるよ(笑)

カッコいいねぇ。

映画 『ミルコのひかり』

2007-09-15 18:16:17 | 映画 「い段」
『ミルコのひかり』  2006年
原題 : ROSSO COME IL CIELO
監督 : Cristiano Bortone

実際に目が見えない子どもたちも出ているそうで、
目が見えるとか、見えないとか、
そういうことは関係なく、
子どもたちの瞳はキラキラしているのですな。

どんな子どもたちにも可能性がある。
その可能性を広げられるのか、狭めてしまうのか、
それは周りの大人たちにかかっているのかも。

視力が衰えた中で、
希望の光を失ってしまうのではなく、
返って輝きを増した。

視力を失ったからこそ、
それまで見えなかったものが見えてくる。

それが、生きるエネルギー。

できなくなったことを嘆くより、
自分の可能性の奥行きを広げていく。

人間の感覚は5つある。五感。
ひとつを失ってもまだ4つも感じる力がある。


いい加減、いい歳して、凹んでばかりいる自分は
平手打ちを喰らった気分ですよ。

最悪のタイミング

2007-09-13 22:04:07 | つれづれなるままに
昨日、おお騒がせのひとがやっと辞職。
一日経ったくらいで、冷められては適わんので、
色んなところから、色々ひっぱって来ました。



国民の厳しい審判を真摯(しんし)に受け止め、反省すべきは反省しながら、そして謙虚に、改革、国づくりに向かって責任を果たしていく
彼がこの発言をしたのは8月27日でしたよねぇ。


彼の辞任のニュースが駆けめぐる中、霞ヶ関を中心に
いろんな言葉をひろってみました。

内輪から自民党元幹事長↓
「言われていることが事実なら本当に国民に申し訳ないという気持ち」と語った。「責任放棄との認識か」との問いに「その一言に尽きる。政治は国民のためにやっているのだから、私は許されていいとは思っていない」

次は社民党衆議院議員↓
「こんな中途半端な辞め方をした総理大臣はこれまでなかったし、これからもないだろう。到底、美しい国や規範意識を語れる器ではなかった。政治家どころか社会人としての基本も欠いた極めて幼稚な辞め方に恥ずかしい思いだ」

分かりやすいこの人も↓新党日本代表
「シドニーでブッシュに激励されたら『職を賭す』と強がりを言い、国内で反発を受けると『辞める』という。お坊ちゃん気分で発言する人は首相のみならずどんなリーダーにも向かない。美しくない政治、日本を世界に発信して辞任するとは語るに値しない」

お坊ちゃん論続く↓民主党代表代行
「しょせんは坊ちゃんだったんだねえ。いや、お坊ちゃん以下かも。国際公約などと言っておいて、この辞め方は国際的に通用しないだろう」

空振りも出来ないらしい↓民主党党幹事長
「1番打者としてバッターボックスに入ろうと思った瞬間に、投手(党首)がいなくなった」

残念に思ってる人もいるのです↓北朝鮮拉致被害者
「今、北朝鮮は手をたたいて喜んでいますよ。残念の一言です」

自民党はおしまいだそうで↓国民新党代表代行
「あり得ないことだ。一国の首相が簡単に異常な形で辞めるのは、いい形ではない。支えきれなかった自民党の責任もある。かわいそうだ。もう自民党はおしまいだ」

末期症状ですよ↓共産党委員長
「所信表明演説を行った後にこういう形で政権を投げ出すのは無責任の極みだ。自民党政治の末期症状極まれりという感を強くする。どういう後継政権であれ、自公政権に対する審判があった以上、衆院解散・総選挙に追い込む」

仲間・・・だよね?↓経団連代表幹事
「職責にかんがみて唐突の感は避けられない」

ホラーかもよ(笑)↓国土交通省幹部
「なんで今なんだ。ミステリーのミステリーだ」

最後はこの人かな・・↓民主党党首
「40年近くこの世界にいるが、初めてのことではないか。本当のところ、安倍首相自身がどういう心境かということはよく分からない」

いや、こんな面白い奴もいた!↓民主党員
「あっちがずっこけているんだから、冷静沈着に推移を見守ればいいんだよ」




自分は自宅でTVを観ないので、
会社でかじりつくように観ましたよ(笑)



最後に海外から一言!↓スペイン語サイト
「翼の短かい鷹のようだった」


死ねない。

2007-09-13 00:15:28 | 死・自死
自分なんかはね、
なかなか変わり者ですから、
やっぱり、生きるだ、死ぬだってことも
変な考え方持ってたりするんですね。

このBlogでも、
幾度となく書いてきましたが、
せっかくこんな辛い世の中生きてるんだし、
死ぬときくらい幸福感の中で死にたいと、
そう思うんですね。

だから、死ぬ時は自分で選びたいと、
そう思って来ました。
このBlogにもそう書いてきました。

その他にも、色々死ぬことについて書いて来ました。

でも、最近、少しだけ、
考え方が変化したかも。


生まれたくて生まれたワケじゃない。

そう思うのです。

生まれたくて生まれたワケじゃない。
だから、
自分は、「生きている」 のではなく、
「生かされている」 のだと。

自力で生き続ける気力など、無いに等しいけれど、
自分の力など到底及ばないところで、
「生かされている」 のだと。

そんな風に感じるのです。

だから、
「死ぬときくらい幸福感の中で死にたい」 し、
「死ぬ時は自分で選びたい」 のは山々ですが、
自力ではないところで 「生かされている」 以上、
自力で死んではいけないのではないかと。
というか、自力で死ぬことはできないのではないかと。

「死ねない」 ということ。

だから、
もっと言わせてもらっちゃえば、
「生きる」 ことに無責任でもいいのではないかと。

「生かさせている」 のだし、「死ねない」 のだし、
ってことは、
生き続けるのが辛いのも、
自分のせいじゃないんですよ、きっと。

自分が変わり者なのも、
友人に変わり者が多いのも、
自分のせいじゃないんですよ、きっと。

だから、
辛いなら辛いで、大声で 「辛い!」 と叫んでいいだろうし、
叫ぶ気力も無いなら、
Blogに書いてもいいし、掲示板に独白してもいいし、
それも無理なら、
念仏のように 「辛い、辛い・・・」 と唱えてもいい。

だって、自分のせいじゃないんだから、
好きなだけ愚痴っていい。
自分の思うようにできないんだから、
文句をつらつらと書き連ねればいい。

だって、
死ねないんだから。




そんな風に考えるようになったのですね。




いやいや、Blogを始めて1年8ヶ月、
たかがこれっぽっちの期間で、
考え方が変わってるくらいですから、
また、いつ何時、変わっちまうんだか、
分かったもんじゃありませんが。


とにもかくにも、
そんな風に感じている、今日この頃です。



そして、モタモタしていたら、日付も変わってしまった。。。

Death & Live とは。

2007-09-11 20:30:14 | つれづれなるままに
昨日のマザー・テレサの言葉を書いていて思ったのです。

自分がBlogを始めた理由を。


自分のような変わり者、
なかなか社会生活の中で、
上手くいかないことも多いんですね。
だから、自分を抑えることも多い。
いわゆる、外面ってやつです。

でも、BlogとかのInternetの世界って
不特定多数の人と触れ合えるから、
自分の本音を書くことで、
自分と同じような価値観を持っている人と繋がれるかと。
同じような世界観を持っている人と繋がれるかと。
要するに似たもの "同志" を見つけられるかと。
直接的に言葉の交流ができなくても、
(コメントとかもらえなくても...)
もし、自分のBlogを読んで、
「あぁ、こんな変わり者がいるんだ」 などと、
安心?みたいなものを感じてもらえたら、と思った。

しかし、です。
いざ始めてみると、
ついつい、「毎日更新しなくては」 などと
つまらないことを気にしてしまっていた。

そうすると、昨日のマザーの言葉ですよね。
「たいせつなのは、
どれだけたくさんのことをしたかではなく、
どれだけ心をこめたかです。」

はい、その通りなのです。

つまらないことに自分を縛り付けず、
量より質、というか
量より心、ですね。

ひとつひとつの記事に心を込めようと思っていれば
ネタ探しなんて不要ですね。

ひとつひとつの記事に本音を書こうと思っていれば、
知らずに筆は進むもの。


あんなに偉大なマザーだけど、
天から暖かいご指摘を受けた気分です。<苦笑

心をこめる

2007-09-10 22:01:48 | 言葉・本
たいせつなのは、
どれだけたくさんのことをしたかではなく、
どれだけ心をこめたかです。
マザー・テレサ
9月5日が命日でしたね。
彼女が天に召されてから20年も経つのです。