どうしたんでしょうかね。
自分でも不思議なのです。
先日、電車に乗っていて、ふと思ったのです。
例えば、自分がもし、
大体満席になっている電車に乗り、
座っていたとする。
そのまん前に杖をついたお年寄りが来たとすると
席を譲ったりしますよね。
電車とかじゃなくても、
どこかで、ちょっと何かあったら、
やっぱり他のデレデレ若者とか、
ギトギト親父よりも、
やさしく接しますよね。
そんなことを
地下鉄の真っ暗なガラスを見ながら考えました。
そして、何かが吹っ切れた。
自分がずーっと恨んでいた、
大嫌いな、子育て放棄した母親。
あの人がもし他人で面識がなかったら、
やっぱり自分は優しく接するのだろうか?
そう、もうそれくらいの年寄りなはず。
10年以上会っていないので、
かなり薄いイメージしかありませんが。
自分はそんな人を恨んでいたのか?
そうしたら、そんな風に思っていた自分から、
「恨んでいた感情」が、
地下鉄の風に乗って自分から離れていった。
「大嫌い」と「恨む」感情は別モノで、
やっぱり大嫌いという感情は残っているのですが、
もう「恨む」必要なんて無いような。
何があったワケでも無いのに、
自分に、フッとそんな風が吹いた。
自分でも不思議なのです。
先日、電車に乗っていて、ふと思ったのです。
例えば、自分がもし、
大体満席になっている電車に乗り、
座っていたとする。
そのまん前に杖をついたお年寄りが来たとすると
席を譲ったりしますよね。
電車とかじゃなくても、
どこかで、ちょっと何かあったら、
やっぱり他のデレデレ若者とか、
ギトギト親父よりも、
やさしく接しますよね。
そんなことを
地下鉄の真っ暗なガラスを見ながら考えました。
そして、何かが吹っ切れた。
自分がずーっと恨んでいた、
大嫌いな、子育て放棄した母親。
あの人がもし他人で面識がなかったら、
やっぱり自分は優しく接するのだろうか?
そう、もうそれくらいの年寄りなはず。
10年以上会っていないので、
かなり薄いイメージしかありませんが。
自分はそんな人を恨んでいたのか?
そうしたら、そんな風に思っていた自分から、
「恨んでいた感情」が、
地下鉄の風に乗って自分から離れていった。
「大嫌い」と「恨む」感情は別モノで、
やっぱり大嫌いという感情は残っているのですが、
もう「恨む」必要なんて無いような。
何があったワケでも無いのに、
自分に、フッとそんな風が吹いた。