Death & Live

いわゆる日記とは違うようで。死に様や心の疲労について、つれづれなるままに書き綴るだけ。

映画 『バイバイ、ママ』

2006-04-30 21:40:56 | 映画 「あ段」
『バイバイ、ママ』 2005年 Kevin Bacon監督

親子の愛とかは良く分からない。
この子は幸せなのか、この母親は幸せなのか、理解を超えていて分からない。

自分は実の母親に育てられなかったことを、心から良かったと思っているし、面倒を見てくれた伯母を心から尊敬している。
今、大人になってみても、そこに何の疑問も無いし、そんな環境を振り返り不満を感じたことも無い。

親は無くても子は育つのでは?
そして、この映画のことは本当に良くわからないのです。
ただ、少年ポールがマット・ディロンを "パパのようだ" と慕う気持ちだけは良く分かった。

映画 『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』

2006-04-28 07:33:37 | 映画 「え段」
『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』 2005年 Tommy Lee Jones監督

トミー・リー・ジョーンズの好きそうなストーリー。

汚ねぇ男の二人旅。
メルキアデスも天涯孤独だったのだろうか。
偽りの家族を語ることで、少しは癒されたのだろうか。
人の良さそうな笑顔だったな。
終着点のヒメネスに人間の求め続けるものがたまらなく描かれている。
そこまで来てもなお、更に銃でガンガン脅されて初めて、マイクはメルキアデスに対する謝罪を口にする。

マイクがピートにかける最後の言葉が彼の変化を現している。
「You're gonna be alright?」
トウモロコシ剥きを手伝う彼も良かったけどね。

バリアな人

2006-04-27 01:33:45 | 言葉・本
おとといの本『壊れた脳 生存する知』に、高次脳機能障害を持つ著者が社会生活を送る中での戸惑いが書かれていた。

 今日もいた、バリアな人。私たちの命綱でもある手すりを握って、立ちどまっている人だ。私は階段を踏みはずさないよう気をつけながら、その人を回り込んで前に出る。普通の人には取るに足らないことでも、私にはものすごくむずかしい。バンジージャンプするくらい緊張する。次の瞬間、転落していく自分がちょっと頭をよぎったりして……。
 ・・・・・・・・・
 最低なのが、歩きタバコをする人だ。以前、「火を振り回しているのと同じだ」というテレビスポットがあったが、火を避けようにも、とっさに体が反応しない人がいることを、この人たちは考えたことがあるだろうか。


建造物がどんなにバリアフリーで設計されたとしても、人間自身がバリアフリーにならなくては意味ないようです。
無意識の内に、「バリアな人」 になってはいないかと、省みる。

映画 『博士の愛した数式』

2006-04-26 01:17:39 | 映画 「あ段」
『博士の愛した数式』 2005年 小泉堯史監督

1月に観ました。珍しく邦画です。

あの大ゲサな演技も、深津絵里なら許せちゃうかな(笑)
寺尾さんは七変化な役者ですな。

予想通りの感動もので、予想通り泣きました。
が、数日来の鼻炎のせいで、必要以上にというか、不自然に鼻が詰まってしまい、まるで号泣したあとのようで。
"コイツそこまで泣いたんかぁ?" と思われてやしないかと、変なことを気にしてしまった次第です。

記憶の続かない恐怖。
すごく子供を大事にしていたな。

内側から語る「高次脳機能障害」

2006-04-25 00:00:52 | 言葉・本
どんな人にもプライドはある。
にも関わらず、いとも簡単に人のプライドを傷つける人もいる。

以下、高次脳機能障害を障害者自身の視点から書かれた著書からの引用。

 高次脳機能障害では、子どもでもできるような簡単なことができなくなったり、思ったことをうまく表現できなくなるケースがよくある。だからといって、知能や精神まで子どもに戻るわけではない。
 ・・・・・・・・・ 
大人としてのプライドは、心の中にしっかりと残っている。どなられれば悲しいし、どうせ聞こえないだろうとベッドサイドでいやみを言われれば悔しい。人間としての誇りまで、どこか遠い過去に置き忘れたわけではないのだ。それを守るために、私たちは自分の障害と向き合い、落ち込みながらも、なんとかがんばろうとしている。そこのところをわかってもらいたい。ひとりの人間として扱ってもらいたい。


後遺症で文字を書くことが困難だった著者が、ある教授の高次脳機能障害について書かれた本に感激し、必死の思いで手紙を書いた。
↓その教授は確かに "わかっている人" だったことが返事を読んで確信された。

「あれだけの長文、さぞかし大変だったでしょうに」と書かれていた。
「わかっている人」でなければ、そうは書かない。わかっていない専門家は、トンチンカンな失敗を繰り返す高次脳機能障害の患者が、「自分」というものを持っていることさえ知らない。そういう相手に、「大変だった」という感情があるとは思っていない。

↓更に、著者の母親はこう考えていた。

 東京で初めて脳出血を起こしたとき、母はそれがいかに私が不まじめで、ふとどきな人間であるかの証明だと、私を責めた。親に隠れて何かをしたことへの、天誅だと言う。

『壊れた脳 生存する知』
著者:山田規畝子


人は死ぬために生きている。
死に意味を持たせるために、必死に生きている人々の気持ちを、踏みにじるようなことだけはしたくない。

映画 『クラッシュ』 2回目

2006-04-23 12:41:25 | 映画 「う段」

『クラッシュ』

2004年
原題 : crash
監督 : Paul Haggis

どうしても、もう一度天使に会いたくて、行ってしまった。
3月の終わりに、スカラ座の大スクリーン。

やっぱり良かった。

いいところばかりの人なんていないんだ。
悪いところばかりの人だっていないんだ。

相手のどの部分を受け入れるか。
自分のどの部分を相手に見せるか。

あちこちにぶつかりながら、それでも自分を信じたくて、
前へ進むために生き続ける。


"ポジティブ・エキスパート" マイケル・J・フォックス

2006-04-21 23:06:56 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
あのマイケル・J・フォックスが、91年にパーキンソン病を発症してからの自伝『ラッキーマン』発売当初、テレビで語っていた。

「ある朝、起きると小指がぴくぴく震えたんだ。何が起きたのか見当も付かなかった」
98年に告白するまで、テレビ番組にレギュラー出演しながら、病気にかかっていることを隠し通した。
「役者だからね。少しずつ(不自然に見えないような)しぐさのレパートリーを増やさなきゃいけなかったけど」
やがて、それではいけないと思い直した。
「病気であることを受け入れると、世の中が違って見えるようになった。病気は、治療し続ける必要がある『贈り物』だ」
「寿命が来るまでに治療法ができると信じているよ」

その著書の中に書かれている。

「この病気にならなければ、ぼくはこれほど深くて豊な気持ちにならなかったはずだと思うと、ぼくは自分をラッキーマンだと思うのだ」

映画 『ヴェラ・ドレイク』

2006-04-20 23:25:56 | 映画 「う段」
『ヴェラ・ドレイク』 2004年 Mike Leigh監督

1月に観ました。

"優しさ故の犯罪" すごい表現力。
とても演技とは思えない台詞。そのまんま。圧巻。

人は時に正義と犯罪の境界線が見えなくなることがある。

女性は時にものすごい強さを持っているが、受身である以上守らなくてはいけないこともまた確かだ。

凸凹(ヘンペコ)たちへ

2006-04-19 22:20:29 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
思い続けていることがその通りになるには、
自分のエネルギーのベクトルが、
そっちへ向かい "続ける" ことが大事なのではないかと。

しかし、凸凹ヘンペコたちには "続ける" ことができないワケで、
.....落ち込む。

そういう時には思いきり下を向いて、
自分がいかにちっぽけな人間かを噛みしめている方が、
結構安心したりする。

安心というのとは違うかな。 ..."性に合ってる" って感じだな。

ちょっとした喜びも長続きしない。
またすぐ新たに落ち込む要因を見つけてしまう。
それがネガティブ・エキスパートの凸凹ヘンペコたち。
はっはっは!

治らない性格を無理に矯正しようとしたって絶対に反動が来る。
だから、 "あーあ、またやっちまったぜ" ぐらいに思って
自分を振り返ったりせず、落ち込んでおこう。
ちっぽけな自分を噛みしめて、さんざんに泣いてみる。
無理して上を向いたり、前へ進もうなんてしない、
下を向いてイジける。

そんなにしてると、いつの間にかマイペースな自分がそこに戻ってる。

映画 『NOEL』

2006-04-18 23:43:55 | 映画 「お段」
『NOEL』 2004年 Chazz Palminteri監督

観たのは12月。

クリスマスの話。
イブの夜、自分を見失いつつあった人々のまわりで、
偶然というにはあまりにも奇跡的な出会いがある。
まるで、自分を取り戻せとでも言うように、誰かが仕掛けたかのような神秘的な出会いばかりだった。

クリスマスとは、世界中の人が知っているであろうイエス・キリストという人の誕生日。

普段は死ぬことや死に方、死に様なんてことばっかり考えている自分も、クリスマスくらいは "生きる" ことについて考えてみようか、などと思ってしまった映画でした。

自分への言い訳

2006-04-17 22:30:07 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
何かを断念するとき...と言うか、要するに途中で投げ出すとき、凸凹(へんぺこ)な自分に必要なのは、"人から何言われるか" を気にすることより、いかに自分自身に言い訳できるかの方が大切だ。
後で凹む原因はなるべく少なく、ちょっとでも頑張った記憶を残しておく。
何かをやろうと決めたのも自分、それにお金をかけたのも自分、だから途中で止めて、お金が無駄になったとしても、誰にも文句は言わせない。
まぁ、そんな捲くし立てたところで、やっぱり凹むんだけどね。
ただ、ちょっと考え方を変えて、気が楽になるなら、思考回路を組替えてみる。
何かを始めたときだって、何かを始めた自分に酔っていただけで、自分が変われるるなんて思ってなかったし、そんなに簡単に自分が変わることなんて無理だと知っている。
もう三十数年生きてきて、今更そう簡単に変われないしな。
そんなに簡単に変われたら、今までの自分て何だったんだって事だし。
辛いこととか後悔とかに記憶の比重が行ってしまうのは、もうどうしょもないことなんだな。

なんでこうなったのか分からない。
"誰かが悪いってワケじゃないんだなぁ~ ってことは、自分も悪くないんだ"
そう自分に言い訳しよう。

映画 『ブロークバック・マウンテン』

2006-04-16 21:32:26 | 映画 「う段」
『ブロークバック・マウンテン』 2005年 Ang Lee監督

先月観ました。

特に言う事はありません。

世間での評判通り、いい映画だったな、と。
観終わった直後より、時間を置いてから、感動がジワジワと来る。

ところで...
映画を観る態度としてはあまりいいことではないけれど、どうしても考えてしまう。
"ジャックは殺されたのか?..."

"偏見" と言うものは、人に殺人までさせてしまうものなのか。
イニスのエピソードだけでも強烈だったのに、ジャックまで?

どうしても考えてしまう。

"偏見" のバカヤロー!
くたばれ "偏見" !

マイナス思考

2006-04-15 21:05:46 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
この究極のマイナス思考が人生をもマイナスに向けているんだろうな。
わかっちゃいるけどやめられない。
自分で自分に言い訳してるしな。

一体自分はどこにいったら、安心?落ち着けるのだろうか。
自分の居場所について考える。

過労で体調を崩した自分に言えるのは、無理は禁物。
でも適度な無理は必要とも思う。
時間は沢山あるから、何が大切で何がいやかを、天秤にでもかけてみるか。

そんなことしたところで、ヤなものはイヤなんだがね。

とまぁ、ネガティブな自分には、ポジティブな人生は歩めないのか?
永遠のテーマだな、こりゃ。

自分は子供の頃から常に、決意とかユルユルだったから、
1番にもなれないし、ビリになる度胸もない。
イイ子なんだけど、優等生でもない。
悪いこともするが、不良じゃないし。
それは昔も今も変わらない。成長がない。
だから何であれ、1番になれる人ってスゴいと思うし、
貯金なんかできる人っていうのもスゴいと思う。
自分には何も残るものがないからな.....
まぁ、ここで自分の人生振り返ってもしゃーないがな(笑)
こんなこと書いてると凹んでくるぞ。