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処遊楽

人生は泣き笑い。山あり谷あり海もある。愛して憎んで会って別れて我が人生。
力一杯生きよう。
衆生所遊楽。

流されるにもホドがある

2018-07-28 15:34:30 | 

著者 北大路 公子

発行 実業之日本社文庫

  

2014年から3年間にわたる流行りモノのについてのエッセイ集。

この著者にこのテーマで原稿依頼をする編集部の、カケとセンスとコンタンに心からリスペクトを白状する。そしてそれに合っていようがいなかろうが、一生懸命応えてマイペースで書き綴った著者に尊崇の念を抱かずにはおられない。

この作者の著作を読んだのは、これが二冊目。一体全体如何なる作家か? 何か知る手立てはないか? ん? たしか自前のブログが評判になって出版界に引っ張りだされたのではなかったか? 

で、ブログを探してみたら、有った。居た。そのタイトルは《趣味は読書ですーひたすら読んだ本たちの記録ー》。つぶさに追う。やっぱりそうか。ただものではなかった。

本書に『走れハロウィン』と題する一章がある。その展開と目配りと表現は、あの太宰の『走れメロス』を模している。というかチャレンジしている感がある。著者は芥川も漱石も春樹も、もっと遡って式部もみんな掌にしているのだ。あの余裕に満ちた生活ぶりと筆致は、ここに由来があったのか。

今日から早速、《趣味は読書ですーひたすら読んだ本たちの記録ー》を【お気に入り】に加えよう。

 

 

 


生き上手 死に上手

2018-07-15 23:09:19 | 

著者 遠藤周作

発行 文春文庫 95年第4刷 316頁

     

基督者で作家の遠藤周作のエッセイ集。1979年から85年にかけて、新聞・雑誌・文学誌・専門誌に寄せた47編が5つに分類されて整理・転載されている。

人としての心の在り方や生き方について、自身の洞察や体験を踏まえての思索を、気負わず衒わず率直に綴っている。テーマはどれも重い。著者はあとがきで「読者も寝っ転がって、気楽な気持ちで読んで下さい」と言っているが、とてもそうはいかない。

ソフトな語り口なので、スーと読み進んでしまうが、名言や金言に値する意味深い語句や文章が点在している。その幾つかを挙げよう。

信仰とは思想ではない。意識で作られる考えではない。信仰とは無意識に結びつくものなのだ。

目先に役に立つことを追いかけるのは文明であって文化ではない。東京には文明はあるが文化が乏しいのはそのためだ。我々の人生にとっても同じことがいえる。さしあたって役にもたたぬ集積が人生をつくるが、すぐに役立つことは生活しかつくらない。生活があって人生のない一生ほどわびしいものはない。

自分の中にたった一つのチャンネルしか回さぬ人は、職場の友人、仕事関係の知己は持てても、それ以外の別世界の人と付き合うチャンスは少なくなるだろう。人生にとって各種各様の友人を持つことが何よりも大きな倖せの一つなのに、これではどうしても寂しいというものだ。

つきあいの第一法則は「笑顔と好奇心」との二つにつきる。

 

 


傍流の記者

2018-06-18 19:20:27 | 

著   者  本城雅人

出版社  新潮社

定   価  1728円

250頁

  

私はかつて、ここに描かれているメディアで働く記者達を相手とする仕事をしていた。よって、彼らの生態を比較的よく知る。しかし、此処までリアルな認識は持ち得ていなかった。あくまで外からの観察者だったから。

この本は本物の記者が書いている。新聞社の日常が書かれている。トップー編集局長ー部長ーデスクークラブ記者というタテ系列。政治部ー社会部ー経済部ー運動部ー人事部というヨコ系列。東京本社と地方本社の関係と相克。記者個人の取材力、スクープ力、人心掌握力、協調力などの資質と人事を巡る構想や思惑。特ダネを巡るライバル社との分秒の争い等々新聞社における総てが盛りだくさんだ。

2年間の地方の支局勤務を終えた記者の本社の配属を決める場面が出て来る。何十名かの記者を本社の各部が指名する。いわゆるドラフト会議。優秀な記者はどの部も指名したい。そこで決められた順番は、《①東京社会部②東京政治部③大阪社会部④東京経済部⑤東京政治部⑥大阪整理部⑦東京整理部・・。上位評価で本社に戻ってくる記者は、即戦力であり、将来の幹部候補なのだ》とある。そうやっているのか。面白い。

また、こんな部分もある。著者が記者だからこその表現だろう。

《社会部のデスクは首相と呼ぶのに、政治部は総理だ。総理は内閣総理大臣という正式名称を略した呼び名、首相は通称である》

社会部の黄金世代と言われた5人の記者は、やがて社の明日を支える部長となっているシーンで小説は終わる。これが何とも希望の未来を感じさせ気持ちがいい。東京運動部長、大阪経済部長、九州文化部長、九州社会部長、大阪生活部長。加えて彼らの筆頭だった総務局長。

本書のタイトルには英語表記がある。Five plus one newspapermen。

 

 


円満退社

2018-06-05 21:47:52 | 

著者 江上 剛

出版 幻冬舎文庫

 

 

        

友人に内館牧子『終わった人』を薦めた。その友人から「面白かった」の読後感のコメントとともに、これを逆に薦められた。で一挙に読む。

大過なく銀行勤務を終えて定年を迎えた支店長の最終日の一日が、時間を追って進行する。

登場人物は、デフォルメされて、もうドタバタ。コミックの展開は、もう殆ど三谷幸喜の世界。ひょっとしたらもう映画になっているのかしら。

しかし一方では、経済小説としても面白い。市井の庶民の生活感や銀行への反感、行員群像などを描く中で、金融の仕組みに理解が及んでくる。とはいえ、それは自営業者などには日常そのものであり、私のような勤め人世界の方が異次元なのかも知れない。

著者が、多作の作家であることを知らずにいた。銀行時代、会社経営、テレビ・コメンテイター、と多彩な経歴が、現在の文筆活動に生かされている。

高齢化の日本、気力体力の充実にも拘わらず働く場のない同世代に比べ、著者は何と幸せなことか。羨やんでも詮なきこととは判っているのだが。

 


屈折率

2018-05-30 07:31:52 | 

著者 佐々木 譲

出版 光文社文庫

549頁

定価 950円

 

抽斗の整理中、思いがけずに図書券が出てきた。計3000円分。

近年、本はアマゾンで廉価の中古本を求めている。本屋で選ぶのが苦痛になってきたのと、ハードカヴァーは高いのがその理由。しかし、図書券は本屋まで行かねばならない。そこで、前日、新聞広告で見た佐々木嬢のこの本。コピーが巧みだったのか、著者の新分野の意欲作と思い込み、久しぶりの新刊定価購入に至った。

ところが、実は、講談社が99年にハードカヴァー03年に文庫で出していた。池上冬樹の解説で知る。

これまで読んできた、第二次大戦物や警察小説とは異なった世界ではあるが、佐々木節は快調。テンポがよく人物描写も判り易い。配置もぬかりない。何より会話シーンは映画を観ているようだ。

とりわけ、商社マンのなれの果てのガラス工場社長・安積啓二郎とガラス工芸家・野見山透子、二人の描写は、読む者(私だけかしら)に、憧憬と羨望を抱かせて止まない。この部分、息を詰めて読んでいたと言ったら言い過ぎか。

 


ながい坂

2018-05-20 22:08:16 | 

著者 山本周五郎

出版 新潮文庫

頁数 上巻550頁  下巻555頁 

版  平成18年5月3日第66冊

値段 上巻 18円下巻1円(アマゾン)

 

 

山本周五郎、重厚ですね。人間を見つめる眼が透徹している。「生きるとは何か」を問い、示す。

本は読む側の環境によって、興趣が違ってくる。

絶望と孤独の中で覚悟の戦いに突き進む主人公三浦主水正の生き方は、世代によって共感や実感は大きな差があるだろう。例えばこの小説の場合、青年は「こういう生き方もあるのか、私ならこうする」、壮年  「そうだ、この通りだ。俺も負けない」、熟年「我ながらよくやった」と。

中でも、企業で言えば、中間管理職には辛い読み物であろう。と同時に自らを鼓舞する、勇気と元気の本でもある。

以下、部分の抜粋。

《心を労することのない生活に慣れた人たちに特有の、無気力さと、消極的な自己主張がよくあらわれていた》

《攻める力はいつも、守る力に先行する。攻め口がわかるまでは、守る手段も立てられえない。いまどこがどのように攻められているか、敵の力がどれほどのものか、それを知ることができたらと思い、主水正は溜息をついた。山に近づくにしたがって、雪の降りかたはますます激しくなった。彼はそのまっ白なとばりの中で、絶望的な孤独感におそわれた》

《条件によって生活を支配される者と、どんな条件の中でも自分の生活を作ってゆく者とがある。大きく分けてその二つの生きかたがあり、そしてそのどちらも人間の生きかたなのだ、と彼は思った》

《彼はまざまざと、時の足音を聞くように思った。(中略) これらのほかにも老いたり死んだりした人は少なくないだろう。時は休みなく過ぎ去ってゆき、人はその時の経過からは逭れられない》

《そうだ、人間が自分の好ましいように生きられることは稀だし、平安な一生に恵まれることも極めて少ない。(中略) しかし仕事はこれからだ、始末を見届けるまで死ぬことはできない》

《石を運び、土を掘る人足たちと少しも違いはない。一文菓子を売り、馬子、駕籠かきをしても、人間が生きてゆくには、それぞれの苦しみやよろこびがある。そのありかたはいちようではないし、どっちが重くどっちが軽いという差別も評価もでききない》

 奥野健男は解説で、次のように述べている。

『ながい坂』の主水正の生き方は、山本周五郎の作家、売文業者として生き方、処世術の自叙伝だと思う。こういう細心な生き方をしながら、ついに裏街や挫折から浮かび上がることのできない貧しい庶民のあきらめに似た哀感を、絶品ともいうべき短編にうたいあげている。そういうことを描くためには、文学者はこういうふうにながい坂を辛抱強く、ずるく生きなければならない、その舞台裏を書きながらそれを感動ある長編小説に昇華した作者の小説家根性は、見事であり、余人の追随を許さないものがある。

”逃げるな、真正面から挑め!”  この本から汲んだ。


中国古典一日一話

2018-05-10 07:34:49 | 

著者 守屋 洋

出版 PHP文庫

頁数 409頁

 

                       

      

文字通り、1年365日の一日一日に、中国の歴史書からの言々句々をあてがった日めくり書。旧版のまえがき(昭和59年11月)には、本書を編んだ意図として、《多忙なビジネス社会の人々に、中国古典のエッセンスをわかりやすく紹介した》とある。

私の座右の書である。職場の机上左脇の手の届く場所に置き20数年。毎朝開いている。

ちなみに、今日5月10日の頁にはこのように書かれている。

 

                        ♯♯♯♯  ♯♯♯♯ ♯♯♯♯ ♯♯♯♯ ♯♯♯♯

 

衆怒は犯し難く、専欲は成り難し

                             ------衆怒難犯、専欲難成      『左伝』

「大勢の人間の怒りには抵抗しがたく、自分一人の欲望を遂げようとしてもむずかしい」という意味。昔、鄭の子孔という宰相が、自分かってな改革案をつくって重臣たちに押しつけ、総スカンを食らった。子孔は反対する者を皆殺しにしようとした。このとき子産という人物がこのことばを引き、「二つの難きを以て国を安んとするは危うきの道なり。専欲は成ることなく、衆を犯さば禍を起こさん」と説得して、改革案を撤回させたという。

子産は後に鄭の宰相に登用されて開明的な政治を行い、名宰相と称されたが、二千数百年も前に、このような認識をもっていたとはさすがである。民主主義の今日、これはもはや常識と言ってよいが、しかし、子孔のような例が依然として跡をたたないのはどうしたことか。為政者たるもの、もって自戒としてほしいところだ。

 


羊と鋼の森

2018-05-05 08:09:03 | 

著者 宮下奈都

出版 文春文庫

頁 274頁

定価 409円(アマゾン)

 

   

2016年本屋大賞受賞。

瑞々しい感受性に溢れた本。

地方都市の楽器店で調律師をつとめる青年の音探しの物語。登場する人物たちは10人を満たない。皆優しくて思慮深くて繊細。それらとの空間の雰囲気と会話が印象的。音探しが自分探し。

調律という音の世界を活字で表現した筆力は相当なものだと思う。来世、就く職業の選択肢の一つは、調律師にしよう。

 


天才

2018-04-25 05:06:24 | 

著者 石原慎太郎

出版 幻冬舎文庫

頁数 222頁

初版 2016年1月

  

 

2016年発売のベスト・ワン。年間90万部が売れた。なぜ石原慎太郎が田中角栄を書いたのかに興味があって、文庫になるのを待って読んでみた。

慎太郎が、角栄の立場で自分史を書いているのだが、読む方にとっては不思議な感覚。あくまで小説(フィクション)でありながら、事実に沿って進行する。圧巻はロッキード裁判と創誠会発足の下りか。

著者自身による、”長い後書き”と氏に一人称書き小説化を進めた森元孝(早大教授)による ”解説”で、上梓の意図がよく判る。

角栄は、アメリカに頼らない資源外交に突き進んだためにメジャーの虎の尾を踏み、姦計に嵌められた。アメリカの国策によって葬りさられた。未曾有の天才、紛れもない愛国者の存在の歴史的事実を改竄してならない、と言うのが慎太郎の意図のようだ。「アメリカにNO!と言え」と我が国民に檄を飛ばしてきた主義主張と軌を一にする作品であろう。


妻に捧げた1778話

2018-04-10 07:34:41 | 

著   者  眉村 卓

出 版 社  新潮新書

頁    数   208頁

定    価   730円

 

  

目下評判の本。

夫婦の愛の形は、夫婦の数だけ在る。その膨大な中の一つの愛の軌跡である。

余命いくばくかの終末期の妻に、作家の夫は、妻だけに一日一話の作品を書く。枚数、内容にルールを設けたのは、妻への気遣いと作家としてのプライドか。

書いた原稿は5年間で1778本。ここに紹介されているのはそのうちの19本。それぞれに著者の《自己注釈》が添えられている。これが素晴らしい。夫にしか分からない妻の思い、心の揺れ、病への希望と絶望、書かれた作品の感想、夫への感謝。それらを夫が綴っているのだ。そして、それを気遣い、汲み上げ、応える夫の思い。心打たれる。

読後、まず、「さて・・」となる。自分はどうするか。どうなるか。何をすべきか。

何ともならんだろうと思う。それでいいのかとも思う。複数の出版社からロング・テイルで売れている。団塊の世代が思案しているのだろうか。