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処遊楽

人生は泣き笑い。山あり谷あり海もある。愛して憎んで会って別れて我が人生。
力一杯生きよう。
衆生所遊楽。

地層捜査

2021-05-17 17:27:15 | 

著者 佐々木譲

出版 文春文庫

解説 川本三郎

349頁

 

2010年の新宿荒木町が舞台の警察物。二人の刑事と元刑事が15年前の未解決事件を追う物語。

佐々木譲を初めて読んだのは、『エトロフ発緊急電』。32年も前になる。三代にわたる警察家族のシリーズも読んだかな。

私の勤め先は、40年間がJR駅でいえば信濃町、その後の10年が四ツ谷と市ヶ谷。ともに荒木町の至近である。のみならず、まさにここの料理屋や酒場に出入りをして対外的な仕事にあたって来た。金融筋、メディア、学者、役人など。その半生を知る友人が、この本を教えて呉れたのだった。

町の区画や形状、坂の上り下り、軒下を抜けて歩く狭い路地、往時の名残を感じる店や民家の佇まい、谷底の静謐など、懐かしい情景と臭いが立ち上がって来た。コロナ禍の充実したひとときであった。薦めてくれた友人に感謝である。

最盛期、花街としての荒木町に150人からの芸者が居たというから驚きだ。この小説の時代は盛りを過ぎたあたりか。川本三郎が解説に次のように書いている。「荒木町は都心の飲食街でありながらどこか隠れ里のようなひっそりとした落ち着きが今もある。路地が多い。石畳の坂がある。崖がある。崖下には池がある。芸者はもういなくなったが、花街の残り香が漂っている。神楽坂に似ているが、あの町ほどにぎやかではない。国民的人気俳優がお忍びで来たというのも、この町が、ひそやかな隠れ里だからだろう」と。

私の時代は、それでも微かな往時の名残が感じられたが、さて今はどうだろう。コロナの直撃を受けて一変してしまったろうか。時々顔を出していた馴染の店は、ランチだけになっていたが・・。ワクチン終えたら訪ねてみよう。

例によって映画になった時の配役遊び。

しかし、この二人、この種の刑事物では珍しく呼吸が合っている。違和感とか不安定感が無い。スッキリ気持ちがいい。

刑事(警部補) 柄本 佑   元刑事(相談員)三浦 友和

シリーズの自作品『代官山コールドケース』も読んでみようか。

 

 

 

 


盤上の向日葵

2021-04-28 10:45:31 | 

著 者 柚月 裕子

出 版 中公文庫

頁   上巻 342頁  下巻 322頁

作品のために作家は取材をする。その際には厚い壁や高いハードル或いは差別・偏見などがあるだろう。性差もその一つ。警察物は男の世界、それを女性作家が取材する苦労は並大抵ではなかろうと思う。加えて今回は将棋という特殊な世界、より狭小な棋士に纏わる物語である。

事件の捜査について「鑑取り(かんどり)」、「地取り」「品(なし)割り」などの専門用語、将棋界の構造や棋士の生態、奨励会のシステム、盤上の駒の動かし方、ゲームの展開の予知、エトセトラ。これらを素人にも理解を進めつつ、推理小説としての興趣を高め、読者に満足感をもたらす技量は、さすがにこれまで数多くの文学賞を与えられてきた著者の面目躍如である。

読み進み、途中でホシのめぼしは容易につく。だからと言って面白さは減らない。どういう道筋でそこに落ち着くか。案の定、アッという予想外の展開があったりするのだ。

残念ながら、同名のNHKの番組は見逃してる。果たして映像化された時の俳優は如何なものか。そのイメージを楽しみながら読んだ。以下は、ブログ主が選んだ配役である。今回もお遊び。

石破刑事:佐藤二郎、 佐野刑事:神木隆介、 圭介:松坂桃李、 唐沢:小日向文世、 その妻:原日出子、 庸一:江口洋介、 東明重慶:永瀬正敏。

 

 

 

 

 


任侠浴場

2021-04-20 14:24:05 | 

著者 今野 敏

出版 中公文庫

377頁

        

任侠シリーズの4作目を読む。著者は相変わらず快調に飛ばしている。それが気持ちいい。

昔気質の親分が率いる吹けば飛ぶような組の構成員の面々と現代世相とのギャップが、このシリーズの魅力。時にあんぐり口を開け、時に抱腹絶倒、時にハラハラ、時にイライラとこの組の日常に没入するひとときは、実に精神衛生上宜しいのではないかと思っている。

ここに登場する人物たちの言説は、警句に満ちている。再建依頼を持ち込んだ銭湯側の小松崎。「利益を追求するために、情けもへったくれもなく、余計なものを斬り捨てて行く。それがビジネスだと、いつの間にか思い込まされてしまっているような気がします。でもそれはおそらくアメリカのビジネスを真似しただけのことでしょう。日本の商いというのは、もっと血の通ったものだったはずです」

ノスタルジーもこのシリーズの魅力の一つだ。著者は昔の銭湯の風景を代貸・日村の思い出として次のように書いている。「いつかあの茶色がかった飲み物(コーヒー牛乳のこと)を飲んでみたい。いつもそんなことを思っていた。湯上りの火照った銭湯を出ると、町が夕焼けに染まっていた。その景色はありありと覚えていて、今まで見た度の景色よりも美しかったと、日村は思っている」

現代世情を次のように表現もしている。「飲食店でも、客がちょっとしたことで文句をつける。子供が怪我をしたら、親が学校に怒鳴り込む。今どきの親はとんでもないらしい。運動会の勝ち負けを決めるのがいけないとクレームをつけると聞いたことがある。それを受け入れる学校があるというのだからたまげる。そんなイチャモンは、昔はやくざの専売特許だった。飲食店の従業員も、学校の教師も生きづらくなっている。おそらく、営業マンもコンビニのバイトも、建設業者も、タクシーの運転手も、誰も彼もが生きづらくなっているにちがいない」

著者の小説の魅力について、〈解説〉の関口苑生が適格かつ正確に纏められている。全くの同意である。さすがである。

さて、このシリーズは、来月にも新作が上梓されるようだ。

主人公の小所帯のやくざの構成員を纏めておこう。各位の紹介内容は、上記関口「解説」のパクリである。

組長 阿岐本 雄蔵:いまどき珍しく任侠道をわきまえた、地元地域住民からの信頼も厚い正統派ヤクザ。

代貸 日村 誠司:オヤジの文化志向に困りながらも、絶対忠誠で一切の仕事の切り盛りをする。若い衆の面倒もよく見ている。

組員 三橋 健一:かつては不良世界でビッグネーム。どんな喧嘩でも三橋が駆け付ければピタリと収まった。日村も絶大の信頼を置いている。

組員 二之宮 稔 元暴走族。その族の解散で組長に拾われた組で一番の跳ねっ返り。日村も随分と手を焼いたが、今は大人しくなった。

組員 市村 徹:坊主刈りのジャージ姿。中学生の引きこもり時代にパソコンをいじり始め、いっぱしのハッカーで省庁のサーバーに侵入して補導され、阿岐本が面倒みるようになった。

組員 志村 慎一:20歳になったばかり。優男で出入りの役には立たないが、やたらと女にもてる。

 

 


一億円のさようなら

2021-04-11 16:09:37 | 

著者 白石 一文

出版 徳間文庫

674頁

  

著者の作品を読むのは初めてである。なので、まず巻末の解説を読んだ。WOWOWのプロデューサー岡野真紀子がその冒頭に書いていた。「なぜドラマの制作者たちは白石一文の小説に魅了され、自らの手で映像化したいと切に願うのか」と。

「そういえば、NHKが宣伝していた番組の原作だった」かと期待のうちに読み始めたのだった。読み進むうちに描いていたイメージとは異なっていった。リズムあるテンポでシークエンスがハッキリしてリアルな会話表現などの今風の他作家の作品群とは異なっていた。

心理解説というのか行動解説というのか、読者の納得や合点への過程をきちんと踏んでいるからだろうと私は理解した。回りくどいというかモタモタの印象はそのためではないかと。

それにしても、読んでいて茫漠たる不安というか先の見えない不気味さが消えない。読者の予測しえない展開が待っている。加能が疑惑を抱く妻夏代の言動は、読者を「アッ」と云わせるインパクトがある。

ところどころに、世情への警句があるのは面白い。年頃の娘と息子それぞれのもつれた結婚のために福岡と長崎と鹿児島を結んでスカイプで家族会議やろという若者世代、「お金だったら幾らでも欲しいだけやる、きみはもう一生お金で苦労することはなくなったんだ」と断言してやれば、どんなうつ病患者もたちどころによくなる、などの話だ。

会議の時間と回数が増えれば増えるほど生産性が落ちるというのは、いわば ”会社あるある” のたぐいだった。人間が立ち直るきっかけというのは案外そうした小さな出来事なのかもしれない。大切なのは事の大小ではなく、あくまでタイミングと実感のほうだ、という部分も著者を表す部分だろう。

441頁からの夏代から鉄平宛に書いた手紙は、圧巻である。この部分だけ文庫の活字のポイントが違っている。著者の力が入っているのがわかる。

鉄平に比べ夏代の出番は多くはない。著者が謎に包んでいるのだろう。その構成のためかどうかはわからないが、私は夏代のタイプは好きである。

例によって、キャスティングをして遊ぼう。NHKは加能鉄平を上川隆也、妻夏代を安田茂美。

私の配役は、鉄平役を渡部篤郎、妻夏代を井川遥。

 

 

 

 


JR上野駅公園口

2021-04-05 16:11:16 | 

著者 柳 美里

出版 河出文庫

初版 2021年2月 181頁

文庫181頁という軽小な形態とは裏腹に、随分と中身の重厚な本である。

フィクションを読んでいるのを忘れるほどのノンフィクション的構成と展開。東北農村からの出稼ぎ生活からホームレス生活に変わりゆく様相を現代天皇家の家史を所々に絡めて秀逸。しかしそれが声高には語られているわけではない。

この点を中心に原武史が巻末に「天皇制の〈磁力〉をあぶりだす」のタイトルで解説を載せている。蓋しすべて納得。正鵠を射る。この解説から読むことを薦めたい。

今思うのは、アメリカという国は大したものということ。帯にあるように全米図書賞を授賞した。受賞無かりせば、どれほどの人が読んだであろうか。私もその一人。結果、良書に出会えて得をした思い。大いに満足している。

 

 

 


読書と人生

2021-03-15 16:58:37 | 

著者 寺田 寅彦

出版 角川ソフィア文庫

碩学とは、これほど深く物ごとを考えるものか。専門の物理学を離れて、というより斯界と異なる場だからこそ、専門の理詰めの志向方法を駆使しての自由な発想・発展ができるのだろうか。

時代と社会を考察し、実に鮮やかに病巣を摘出する。そして治療の方途について自らの考えを述べる。しかし語り口は極めて柔らかい。その硬軟が特徴か。

         

残念なり。今頃読んでる自分が残念なり。我が高校生の時代、岡潔は読んでいたのに。

以下は、往時、評判になった随想の抜粋である。ジャーナリズムのあり方についての考察。あれから100年。益々狂風の募るメディアの昨今。思うところ多し。

「発明発見、その他科学者の業績に関する記事の特権は、たった一日経過しただけで、新聞記事としての価値を喪失するという事実がある。この事実もまたジャーナリズムのその日その日主義を証拠立てる資料となるであろう。学者の仕事は決して一日に成るものでなく、それを発表した日で消失するものでもないのであるが、新聞ニュースとしては一日過ぎれば価値はなくなる。しかも記者が始めて聞き込んだその日を一日過ぎるとニュースでなくなるのである。それで、誤ってジャーナリズムの擒となった学者はそのつかまった日一日だけどうにかして遁れさえすればそれでもう永久に遁げ了せることができるのは周知の事実である。

こういう実に不思議な現象の原因の一つは新聞社間の種取り競争に関連して発生するものらしく思われる。その日の種にしなければどこか他の新聞に出し抜かれているという心配がある。しかし翌日の新聞をことごとく点検する暇などはない。そうして翌日は翌日の仕事が山積しているのである。

このようなただ一日を争う競争はまたジャーナリズムの不正確不真実を助長させるに有効であることもよく知られた事実である。他社を出し抜くためにあらゆる犠牲が払われ、結局は肝心の真実そのものまでが犠牲にされて惜しいとも思われないようである。事実の競争から出発して結果が嘘較べになるのは実に興味ある現象と云わなければならない。

新聞社の種取り競争が生み出す悲喜劇はこれに止まらない。甲社の特種に鼻を明かされて乙社がこれに匹敵するだけの価値のある特種を捜すのに「涙ぐましい」努力を払うというのは当然である。嘘か真かは保証できないが、ある国でこんなことがあった。すなわち「あったこと」のニュースが見つからない場合に、面倒な脚色と演出によって最もセンセーショナルな社会面記事に値いするような活劇的事件を実際にもちあがらせそれがために可愛相な犠牲者を幾人も出したことさえ昔はあったという噂を聞いたことがある。ジャーナリストの側から云わせると、これも読者側からの強い要求によって代表された時代の要求に適応するためかもしれないのである。

昔はまたよく甲社で例えば「象の行列」を催して、その記事で全紙の大部分を埋め、そのほとんど無意味な出来事が天下の一大事であるかのごとき印象を与えると、乙社で負けていないで、直ちに「河馬の舞踏会」を開催してこれに酬ゆるといったような現象の流行した国もあったようである。

またある「小新聞」である独創的で有益な記事欄を設け、それがある読者サークルに歓迎されたような場合に、それを「大新聞」でも採用するようにと切望するものがかなりに多数あっても、大新聞では決してそれはしないという話である。これも人の噂で事実は慥かでないが、しかし至極もっともありそうな話である。これも強者の悲哀の一例であろう。

こういういろいろの不思議な現象は、新聞社間の生命がけの生存競争の結果として必然に生起するものであって、ジャーナリズムが営利機関の手にある間はどうにも致し方のないことであろうと思われる。

ジャーナリズムのあらゆる長所と便益とを保存してしかもその短所と弊害を除去する方法として考えられる一つの可能性は、少なくとも主要な新聞を私人経営になる営利的団体の手から離して、国民全体を代表する公共機関の手に移すということである。それが急には実行できないとすれば、せめて、そういう理想にすこしでも近づくようにという希望だけでも多数の国民が根気よくもち続けるよりほかに途はないであろう。

現在のジャーナリズムに不満を抱く人はかなりに多いようであるが結局みんなあきらめるよりほかはないようである。雨や風や地震でさえ自由に制御することのできない人間の力では、この人文的自然現象をどうすることもできないのである。この狂風が自分で自分の勢力を消尽した後に自然に凪ぎ和らいで、人世を住みよくする駘蕩の春風に変わる日の来るのを待つよりほかはないであろう。

それにしても毎日毎夕類型的な新聞記事ばかりを読み、不正確な報道ばかりに眼を曝していたら、人間の頭脳は次第に変質退化(デジェネレート)していくのではないかと気づかわれる。昔のギリシア人やローマ人は仕合せなことに新聞というものをもたなくて、その代わりにプラトーンやキケロのようなものだけをもっていた、そのおかげであんなに利口であったのではないかという気がしてくるのである。

ひと月に何度かは今でも三原山投身者の記事が出る。いったいいつまでこのおさだまりの記事をつづけるつもりであるのかその根気のよさには誰も感心するばかりであろう。こんな事件よりも毎朝太陽が東天に現れることが遥かに重大なようにも思われる。もう大概で打切りにしてもよさそうに思われるのに、そうしないのは、やはりジグスとマギーのような「定型」の永久性を要求する大衆の嘱望によりものであろう。しかし、たまには三原山記事を割愛したその代わりに思切って『古事記』か『源氏物語』か『西鶴』の一節でも掲載した方がかえって清新の趣を添えることになるかも知れない。毎月繰返される三原山型の記事にはとうの昔に黴が生えているが、たまに目を曝す古典には千年を経ても常に新しいニュースを読者に提供するようなものがあるような気もする。昨日の嘘は今日はもう死んで腐っている。それよりは百年前の真の方がいつも新しく動いているのである」

寺田 寅彦

 


秘録 公安調査庁 アンダーカバー

2021-03-01 19:02:14 | 

著者 麻生 幾

出版 幻冬舎文庫

頁数 499頁

 

     

友人からこの本を薦められ著名を聞いた時は、一瞬、官公庁の出す年次報告書いわゆる白書の類と思ったのだった。「”アンダーカバー”とサブタイトルを付けるとは、近頃の役所はやるもんだわい」とも。

アマゾンで検索したところで小説であることを知る。この著者なら面白さ・迫力は請け合いだろうと俄然読む気になる。

これまで公安調査庁に抱いてきたイメージは、戦時中の特高。左翼の政党や団体・学生運動組織に対して人脈とカネと情報を巧みにしての監視・取り締まりをする隠密の国家機関。スパイ、盗聴、尾行、酒、煙草、裏切りが日常の世界。ところがこの小説の主人公は独身女性。男の世界に女を置いた。これが面白かった最大の要素かな。

冒頭は、中国系の男とどちらも尾行を撒きながら会うシーン。アウディS5、溜池交差点、アイボリーのノースリーブ・ブラウス、スタイリッシュな屋上ビアガーデン、美しい白髪の男、バラの花束etc.。さしづめ映画のプロローグのよう。

芳野綾37歳、ノンキャリア。上席調査官を経、今は本庁の分析官。組織での生き方をよく理解しており想像力が豊か。言うべきことは言う。自分自身の考えを持つ。落ち込むことはあっても諦めない。

描かれているのは、尖閣諸島周辺の領海侵入する中国公船・漁船団の出撃を巡るインテリジェンスの現在。公安調査庁の組織や仕事の実態を知ることが出来、実に興味深い。危機管理と閣議の機能や海上自衛隊との連携なども普段目にしている新聞などでは知りえないだけに納得がいく。

これは、時を待たずに映画になるのではないか。それほど面白い。結構ハードな政治アクション(そんなジャンルあったっけ)になる。

芳野綾はどの女優が相応しいか。キャスティングを試みた。柴咲コウでどうかな。


日没

2021-01-26 16:57:05 | 

著者 桐野夏生

出版社 岩波書店

 

 

恐ろしい内容の作品である。普段の生活が絡めとられてゆく。「何故だ!」。その理由が明らかにされぬまま、やがて「お前は悪だ!」と聞かされる。「改めろ!」と迫られる。抗うが敵の圧倒的な力の前に心身がボロボロになる。助かるために妥協するか自己を貫いて死の道を選ぶか。

理不尽に拘束された一人の作家が、国家権力によって次第に朽ち果てていく数か月の過程が、克明に刻まれていく。その描写は身の毛がよだつ。息苦しくなってくる。頁の先が怖ろしくて何度読むのをやめようと思ったことか。それは、私自身が同じ状況下に置かれた時、きっと、いとも簡単に転向してしまうであろう自分であることを知っているから。それが辛いし悲しい。とてもこのマッツ夢井のようには戦えないからだ。

著者は、朝日新聞への『不寛容の時代』と題した寄稿文の中で次のように述べている。「小説は、自分だけの想像力を育てる。言葉は目に見えないものだから、読者一人一人が想像することでしか、その小説世界を堪能することはできない」と。

その著者の想像力によって描かれる”療養所”の更生生活の凄まじいこと。その力の前に私はノック・アウトされてしまった。戦意喪失である。

世界も日本も、分断と差別が指摘されて久しい。自由の抑圧、思想の弾圧、人間性の破壊。近未来にあり得るかもしれない日本社会の姿。

数年前、誰かが新聞に書いていたのを思い出す。「大事なのは、なにかの仕方で、常に国家や戦争に対峙する姿勢を準備すること。観念の旗の大きさより、その底にある態度が重要だ」

著者に刺激されて、こちらも想像力を逞しくして未来への力を蓄えて行こうと思う。

 

 

 

 


風のかたみ

2020-12-24 10:35:05 | 

武家社会に生きる女たちの哀切極まりない生きざま。

名誉と主従に生きる男たちを支えつつも、運命に抗って生きる女たち。その凄まじいまでの覚悟が行間から伝わってくる。きぬの凛とした姿は、さもありなんと往時を思わずにはおれない。これが日本の国だったのだと矜持が湧く。

  

初の青色に沈んだ艶やかさは、物語の展開とともに違った側面を見せて来る。よくぞここまで心の襞を、それも女性の心の懊悩まで描き切れるものだと感心するしかない。

この女性群像、やがて紅涙を絞る動画になるかも知れない。で、遊びで配役を考えてみた。以下の通り。

・女医師伊都子 : 二階堂 ふみ

・上意討ちにあった佐野了禅の妻きぬ : 戸田 恵子

・佐野家の長男の妻芳江 : 指原 梨乃

・二男の妻初 : 川口 春奈

・目付方椎野吉左エ門  :福士 誠治

《 著者:葉室 麟、出版:朝日文庫、288頁 》


句集

2020-12-03 13:29:00 | 

長年の友人から句集を戴いた。詠み始めたのは定年後から。七年間の作句のうち編まれているのは百十一句。

大学も社会人の仕事も工学部系だった筈。著者「あとがき」によれば、退職後、大学の通教で経営学を3年、大学院で社会経営科学を6年間学んだという。その傍らで句作を学びこの偉業。見事という他ない。

妻、母親、学友、旅行、自然など身近を対象にして心のままに詠む、その在りようが素直に伝わってくる。どれも温かい。

私の周りには、退職後の俳人が十人とは下らなく居る。国際友好をきっかけに中国人と詠み合う先輩、写真俳句で日々高得点の同期、ツイッターに句と背景をアップするベテラン・ジャーナリスト、自らのボランティアを詠む元会社社長、ひたすら川柳で楽しく生きる元無頼漢、エトセトラ。皆さんお人柄が大変宜しい。

で、私も「ボケ防止にでもやってみようか」と思わないではないが、生来が短気。イライラが生じてどうも向かないようだ。残念ながら。

この句集は”第一句集”。次作を楽しみに待つことにしよう。