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処遊楽

人生は泣き笑い。山あり谷あり海もある。愛して憎んで会って別れて我が人生。
力一杯生きよう。
衆生所遊楽。

少年と犬

2020-09-19 19:10:39 | 

著者  馳 星周

出版社 文藝春秋

308頁 1760円

直木賞2020年上半期受賞作

 

”多聞”と名付けられた雑種犬とそれに縁する人間との関わり或いは暮らしを描いた短編六つの連作集。

"多聞"の仕草や想いは人間の側の語り口によって読者に伝わってくる。人の心をフィルターにして犬の賢さと愛情が表現されている。犬と暮らしている読者にはそれらの一つ一つのディーテイルがすべて肯定できることだろう。嬉しい本である。

ただ、"多聞"に関わる人達が皆ネガティブな人生なのが引っかかるが、大きなお世話か。まあ、哀切調の方が、読み物としては印象に残るのかな。

ウィキペディアによると、日本には動物文学というジャンルがあるそうで、57の作品が分類されている。誰もがよく知る『イソップ寓話』をはじめ、『フランダースの犬』『シートン動物気』『野生の呼び声』『昆虫記』など我々が幼少期に親しんだ作品も多い。どういう事情か、日本人によるものは数として少なく名として小さい。

漱石は一人称で猫を書き、星周は三人称で犬を書いた。ヒトとの共同生活の歴史はネコ6千年,イヌ1万5千年になるそうだ。ビッグな動物文学が登場した。世界中の愛犬家には日本を代表す新しい動物文学書を読んでもらいたいものである。


南相馬メドレー

2020-03-03 16:03:44 | 

著  者  柳 美里

出版社  第三文明社

定 価   1,650円

     amazone

何と心温まる本だろうか。”人間ていいな!” ” 人生は素晴らしい!”という思いが素直に湧いてくる。

東日本大震災の被災地南相馬に移り住んでからの5年間を綴ったエッセイ47編。被災地の人々との交流や我が家族との日々が、時に熱く時に苦しく時に希望溢れる未来となって心に迫ってくる。
ここに収められた一つ一つの世界が、なんと貴重で繊細で印象深いことか。それはきっと、著者の強い覚悟と高い見識と豊かな表現力によるものだからだろう。

著者は書く。

「わたしは四十七歳にして初めて自分を生活者として位置付けている気がします。いま、小説に書きたいのは、日々繰り返される生活です」


「傷つき、痛み、苦しみ、悲しんでいる魂を感知する。魂に触れ、魂の脈をとる。脈を聴くことに心を集め、痛み、苦しみ、悲しみを引きうける。わたしは、苦痛や悲しみから魂を解き放つよう物を書きたい」


「2011年3月11日から、わたしは自分の重心を自分の外に置いてきました。自分が場所や人を選んだのではありません。臨時災害放送局で、六百人のお話を収録する中で、他社との偶発的な出遭いが次々と生じて、その縁に引き寄せられるように鎌倉から南相馬に転居して、本屋を開き、芝居を創ってきました。自分が語る言葉ではなく、自分が聴く言葉によって導かれたものといます」

 

 

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著者は考えた。

どうしたら自分が住む小高地域に「暮らし」と「賑わい」を取り戻せるだろうかと。縁あって講演や教壇に立った小高産業技術高校の生徒、保護者、教職員の皆さんに必要なものは何だろうかと。考え抜いた末に行き着いたのは書店だった。そして、作家が経営する前代未聞の本屋を開店する。


この《フルハウス》の開店一か月のベストセラーは次の通りだった。
『貧困旅行記』つげ義春
『「待つ」ということ』鷲田清一
『東北学/もうひとつの東北』赤坂憲雄
『写真』谷川俊太郎
『詩のこころを読む』茨木のり子
『悲しみの秘義』若松英輔
『おばけのバーバパパ』アネット・チゾン
『ざんねんないきもの事典』今泉忠明
『わたしが正義について語るなら』やなせたかし
『死なないでいる理由』鷲田清一
『倉本美津留の超国語辞典』倉本美津留
『長いお別れ』中島京子
『縄文の思想』瀬川拓郎
『幼年の色、人生の色』長田弘
全国的なベストセラーとは全く異なっており、著者は「この地が地震、津波、原発事故によって大きく傷ついた地域」とコメントしている。

15年前に逝った伴侶東由多加氏のこと。猫との生活。落款にまつわる因縁。北アルプスでの遭難未遂。三陸鉄道の縁、などなど。一編一編の陰影に富んだ生活の描写は読むものを飽きさせない。


著者に、多くの誤解を抱いていたことをお詫びします。トラブル・メーカーで尖がった人というのが私の抱いていたイメージでした。覆りました。著作をもっと読んでいれば起こりえなかったことです。
最後に、著者にこの言葉を贈って感謝の心を表そう。


「良い本との出会いは、自分の「こころ」に触れることができるから」。この作品の中で綴っている言葉です。

 


ルーズベルトの開戦責任

2019-12-04 11:46:31 | 

著者 ハミルトン・フィッシュ

訳者 渡辺 惣樹

出版 草思社文庫

 

 

        

フランクリン・ルーズベルトと言えば、ニューディール政策。これによって、アメリカを強大な国へと導いた偉大な大統領と教わったし、そのイメージは今までずっと変わらないで来た。それは間違いだというルーズベルト告発の本である。

ニューディールは失敗だった。その挽回をすべくルーズベルトが打った手が、アメリカのヨーロッパ戦線への参戦であり、日本を開戦に追い込むことだった。そしてそれは見事成功した。

著者は同時代の共和党所属下院議員のハミルトン・フィッシュ。彼は元来、外国での戦争にアメリカが参戦することに反対の非干渉主義者だったが、日本の真珠湾攻撃を機に対日戦争容認派に転じ、ルーズベルトを擁護し対日戦線布告を支持する演説をしたのだった。名演説と言われた。これによりヨーロッパの戦争はアメリカとアジアを巻き込んだ世界大戦になったのである。

大戦勝利の直前1944年4月ルーズベルトは脳卒中で死去する。終戦後、ハル・ノートなどにより、彼の対日外交の詳細が判明し、フィッシュは、対日戦の本質が、窮鼠(日本)に猫をかませた(=真珠湾攻撃)のはルーズベルトだったことを知る。

        

     フランクリン・ルーズベルト       ハミルトン・フィッシュ

 

戦後の研究でルーズベルト外交の陰惨さが明らかになるにつけ、彼の怒りは日に日に増した。その怒りを公表したのがこの著作である。上梓は1976年。真珠湾から35年、ルーズベルトの死から31年、フィッシュ87歳であった。このタイムラグは、大戦後の国際情勢、すなわち母国アメリカが世界の各地で共産主義と対峙している事実と自国大統領の失敗を糾弾できないというフィッシュの見識の上に立った辛抱だったのだろう。

終章では、ドイツ降伏の報を受けたローマ法王ピウス12世のラジオ演説を引用し、続けてこう記す。「我が国憲法は人類最高の英知の結晶である。自由の理念が保証され、自由であることを謳歌出来る国である。宗教や民族で差別を受けない。それがアメリカである。その精神を微塵たりとも毀損してはならない」と。なんと格調高く誇り高いことか。

実に読み応えのある本だった。その因の一つは渡辺惣樹の訳にある。上手い。ウィキペディアは彼を《日本の歴史評論家》と分類しているが、一級のアメリカ近現代史家とも言えるだろう。山本七平賞奨励賞を受賞している。

本書の原題は『FDRThe Other Side of the Coin』。コインの表側『正史』に対するコインの裏側『外史』の意である。一方この草思社文庫版のタイトルは『ルーズベルトの開戦責任』。ちょっと直截過ぎないか。日本の読者に真実を知らせたいとの思いがそうさせたものだろうが。私なら、正題『ルーズベルトの犯罪』副題『アメリカを戦争に巻き込んだ男』としたいところ。

最後に、本書を教えて戴いたのはラスベガス在住の日本人ミュージシャンのノブヤス・ウルシヤマさん!!素晴らしい良書でした。トランプ・ニュースにうんざりの毎日。本来のアメリカの精神に触れて希望が蘇って来ました。勇気と力が湧きました。有難うございました。

 

 

 


忘れ難き歳月

2019-11-13 13:20:55 | 

サブタイトルにある通り、本書の筆者は中国と日本の両国の約20名、その多くが長年にわたって両国の報道や研究に携わり、それぞれ駐在記者としてお互いの国に派遣された経験を持つベテラン記者たちである。

記されているのは、私たちが聞いたり見たり経験した両国関係の重要な出来事であり、語られているのは戦後の中日友好事業の礎を築いた人や井戸を掘った人たちである。

取り上げている時代は、1959年の日本の長老政治家松村謙三氏の戦後初の中国訪問から2007年の中国の総理温家宝の来日までの約半世紀。出版は国交回復35周年の2007年9月に中国の五洲伝播出版社から。

 

                         

半世紀にわたって自ら報道してきた記者たちが、少なからずの人数で書き編んだドキュメント。事実の重さがずっしりと伝わてくる。日中両国の現代史を綴った類書は数多くあれど、ユニークさと貴重さでは群を抜くのではないか。

繰り返し繰り返し読み続けて行きたいと思う。学習したいと思う。

本書の制作で中心的役割を果たしている劉徳有氏とは一時代を共有している。国交回復前、中国からの駐日記者が3人だった時代。

新華社、文匯報、光明日報から、劉徳有、王泰平、高地氏。誰がどこのメディアだったかは失念したが、気軽に往来をしていた。語り合うのは、両国の将来。そうした歴史の一幕になるが、結婚式を迎えたある日、お祝いとして額絵を戴いたのだった。

ネットで本書を知り、購入を試みたが "在庫無し" か "絶版"。無理もない、もう12年前の出版物である。ところが"あった"のである。中国書籍専門の内山書店(東京神田)。棚にある筈のものが無く、倉庫にあった、しかも大量に。1冊9千円余。中国語と日本語となれば致し方ないか。

 

 

 

 

 


朝、目覚めると、戦争が始まっていました

2019-06-23 13:32:28 | 

出版社 方丈社

解 説 武田砂鉄

2018.8.14第一版第一冊

 とても価値ある本である。1941年12月8日、我が国が太平洋戦争に突入した日、我が同胞はそれをどうとらえていたか。その印象、感想、想いを集めたもの。と言っても対象は当時の作家・知識人・文化人など55名。頁の間には当日の展開を報じるラジオ・ニュースが時間を追って8本が挿入されている。

一人につき2頁を割き、人によりポイント・フォント・レイアウトが異なる贅沢な作り。

      

 

    

 

 

       

これらの発言は、それぞれの齢により仕事により思想によるところの本人の真実である。しかも元原は、その日に書かれたものから、後年の著作あとがきや全集などで初めて加えられたものまでさまざまだ。それらを一堂に集め横並びに置いた。価値ある所以である。賛成したのは誰で反対したのは誰か、それは読んでからのお楽しみ。

どうだろうか? 同様に、この開戦を報じる当時の新聞の見出しや社説を、同列に並べて見ることは出来ないものだろうか。それを、毎年8月15日に私たち日本人が確認する。ブックレット形態でいい。

朝日、毎日、読売等の中央紙、各県紙、会社・団体・組合などの機関誌の開戦の記事をを毎年8月15日敗戦の日に紹介するのだ。水に流す資質に富むわが民族。この10年、いつか来た道をひた走る昨今、歯止めの手立てにならないか。フッと考えに及んだ。

 


戦艦大和ノ最期

2019-05-08 11:11:10 | 

著者 吉田 満

出版 講談社文芸文庫

1994年8月10日第1刷

201頁

 

  

慟哭の書である。同時に無念の書であり憤怒の書である。そして何より鎮魂の書である。

昭和20年4月7日14時23分、鹿児島県坊ノ岬沖でアメリカ軍の300余機の攻撃を受けて沈没した戦艦大和の終焉とそれに殉じた将兵の姿を描いている。

軍の無謀な作戦により戦死者2,740名、生存者269名。その一人が著者である。この惨劇のすべてを後世に残さんと、歴史の神様は、この著者を生かしたのだろうか。

カタカナ漢字による文語体と豊富な語彙、的確な表現が、この作品を戦争記録文学の最高峰に仕立て上げているのは、誰しも認めるところだろう。

物書きの戦争作品は数多ある。しかし、この吉田満は本来、プロの作家ではなかろう。復員後、吉川英治に薦められて書いた本書が評判になり、引き続き関連の戦争物それも自身の実体験のドキュメントとして綴ったに過ぎない。

戦後日銀に入行しニューヨーク駐在、青森支店長、仙台支店長、国庫局長、最後は監事まで上り詰めたその後の足跡を見た時、むしろ、有能なビジネス・マンととらえられる。不思議な巡りあわせの奇跡の書でもある。

戦後74年、令和開幕の奉賀に浮かれる世情下にあって、この名作を読むことが出来たことを感慨深く思っている。


任侠学園

2019-04-10 10:15:25 | 

著者 今野 敏

出版 中公文庫

     

シリーズの第2巻。357頁を二日で読む。この上ない気分転換。構成員5人、極小のヤクザの組が高校経営をするドタバタ物語。暴力団ではなくヤクザ。ここが肝。彼らの生態を筆者は実に巧みに描写する。実に笑える。今の時代を浮かび上がらせる。実に怖い。その部分を集中的に拾ってみよう。

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・理事というのは曖昧な言葉だと思っている。なんだか偉そうに聞こえるし、公務員の天下り先としても便利な役職だ。

・「最近の子供は脆い。俺にはそう思えてならねえ。簡単に人を殺したり、自殺したりしちまう。親を殺すバカもいる。心にバネがねえ。こらえ性がねえんだ。我慢てものを知らねえ。この先、この国はどうなっちまうんだろうって、不安になること、ねえかい?」

・だが、教頭は勘違いしている。ヤクザは時間を無駄にしない。二度手間になることはしないのだ。

・我慢が足りなくてはヤクザはつとまらない。ヤクザは簡単には手を出さない。実は、しきたりやら約束事やら義理やらでがんじがらめなのだ。その上、最近は暴対法ときている。そのかわり、やるときは徹底的にやる。本気でやる。相手を完膚無きまでにやっつける。

・ヤクザの仕事というのは、調停や交渉事が多い。人と人の間に入って揉め事を収めたり、金の話をつけたりする。当然、信用がものを言う。信用というのは、日々の地味な仕事の積み重ねでしか得られない。戦後の混乱期のように、一発当ててのし上がるというわけにはいかない。真面目じゃなければ、ヤクザもつとまらないのだ。

・命じられたらすぐに実行する。それがヤクザだ。やらねばならない仕事をだらだらと明日に延ばしたりしない。明日は何が起きるかわからないからだ。そして、すぐにやらなかったがためにチャンスを逃すこともある。ヤクザにとってチャンスを掴むか掴まないかは、それこそ死活問題なのだ。だから、何かを命じられた時、何かを思い立った時、何か問題が起きた時などは躊躇したり面倒くさがらずに行動するように習慣づける。

・それにしても(教師が)、ノイローゼになったり、職場のストレスで病気になって死んでしまうというのも凄い話だ。ヤクザが驚いてしまった。登校拒否だの学校崩壊だのとマスコミは騒いでいるが、そんなのは今始まったことじゃないと思っていた。だが、現実は想像をはるかに超えているようだ。

・ガーデニングをするヤクザなど、普段はそう見かけることもないだろう。

・「今はそういう時代じゃないんです。生徒に掃除など無理強いしたら、それこそ虐待だと言われてしまいます。理由もなく労働を強いた、とね。学校は勉強するところであって、強制労働の場ではない。それが今の親ごさんたちの言い分です」

・ならば、子供たちは一体どういう育ち方をしてしまうのだろう。学校は何もしていないのに等しい。これなら、ヤクザの行儀見習いのほうがよっぽど世の中の役に立つ。

・教師たちもどうしたらいいかわからないのだ。彼らも学校の掃除などしたことがないのかもしれない。

・「ここが学校で、生徒が預かりものだと思うからいけねえんだよ」「ここの教師たちもそうだ。三年間何事も無く学校に居させて、卒業証書を渡して出て行ってくれればそれでいい。そんな風に考えているのかもしれねえ。それじゃ、子供だって舐めてかかる」「いいかい、預かりものなんて思わず、生徒全員が自分の舎弟だとおもってみな」

・親(分)に命じられたことは、無理だとは言えない。無理難題はヤクザの常だ。知恵を使わなければならない。そのためには、この学校のことをもっとよく知らなければならない。

・素人を手にかけたヤクザが組にいられるはずがない。たいていは元組員だったり準構成員だったりするはずだ。

・本物のヤクザというのは、姿勢がシャンとしているものだ。猫背でがに股、肩で風を切って歩くようなやつはチンピラだ。

・ちゃんと返事をするようになってきた。躾をすれば多少ましになるということだ。今のガキどもの問題は、躾をされていないということなのだ。

・若い衆が茶を運んでくる。客が来てから茶が出て来るまでの時間で、その組の教育の程度がわかる。

・「私は二つの大きな時代的な要因があると思います。一つは戦後の民主教育、一つは七十年安保闘争や学園紛争です。双方とも旧秩序を破壊したのです」「新たな価値観を獲得したのかも知れませんが、同時に重要なもの失くしてしまった」

・「いつの頃からか、日本人は恥を知らなくなりました。昔はよく言われたものです。恥を知れってね。人間として恥ずかしくない行いというものがあった。だが、今の日本人かあらはそれが欠落している」

・善悪の区別を教わってこなかっただけかもしれない、そして今の世の中、誰もが善悪の基準を見失っているのだ。

・ヤクザは、相手を説得する時に、考える暇をあたえない。

・彼は気が気ではなかった。敵のアジトに連れ込まれたというだけで、勝負はあらかた決まっているものだ。交渉事は自分の縄張りでやるというのが鉄則だ。

・確かに美人でスタイルがいい。だがそれだけだ。可愛げはないし品性も下劣だ。ヤクザに品性を疑われたら終わりだ。

・ヤクザは、憎まれたり嫌われたりすることには慣れている。逆境に強いのだ。だが、感謝されることには慣れていない。

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手練れの運びに乗って筆者とともに、腹を立てたりほろりとしたり、納得したり憂いたり。最後は大甘の

センチメンタルなジ・エンド。カタルシスになりました。

 

 


「昭和天皇実録」を読む

2019-03-14 09:58:39 | 

著 者 原 武史

出 版 岩波新書

264頁

        

 

読もうと思ってから早4年も経っていたとは。改元を前にしていい勉強になった。

『実録』は、皇室の研究者や専門の学者にとっては、自身の研究の検証や正誤の確認作業をする上で最高の資料であり、その結果が我が国の正史となる。

宮中祭祀の多さには驚くばかり。平たく言えば神への祈りと報告と感謝が宮中祭祀。その多さには驚くばかり。これにかかる労力たるや半端ではない。知るに付け高齢では土台無理と理解できた。

敗戦か継続か、決断をめぐる逼迫した時系列は、生半可なドキュメントより生々しい。

現在日本の最大の平和勢力は天皇(皇室)と認識している。果たして安倍政権への思いは如何なるものか。20年後に次天皇の実録を読んでみたいものだ。

そうそう、読み進むうちに、小学生の頃、街道筋に並んで天皇の車列に日の丸の小旗を振ったことを思いだした。懐かしい。

今さらと無知を晒すことにはなるが、学んだ点或いは初めて知って吃驚の内容は、次の如くになる。

                   

                   

 

序論

丸山眞男は、西洋や中国の政治では権力は上から下へという構造になっているが、日本は真逆で下から上への『奉仕』あるいは『献上』の関係にあり、昭和天皇を見るとき、その図式が当てはまる。

第1講

明治天皇の子どもは男子が五人、女子が十人。すべて側室から生まれている。生き残ったのは男子が一人、女子が四人。他は満二歳までに夭折。

宮中が一夫多妻的な世界であることをいつ知ったのか。裕仁は訪欧後女官制度の改革に乗り出す。人数の大幅削減、源氏名廃止、通勤可、家庭持ち可などである。

裕仁はどこか女性的なところがある。甲高い声や話し方、なで肩や猫背のなどだ。それは四人の内親王、養育係担当など「女」に囲まれた環境で生まれ育ったことによるのではないか。

学習院初等科時代、華族女学校(後の学習院女学部)助教の野口幽香との面会が多く見られる。彼女はキリスト教徒。香淳皇后には戦時中に12回にわたり聖書の講義をしている。また、裕仁は07年のクリスマスには両親からクリスマス・プレゼントを貰うなどしており、この時から宮中にキリスト教の風習が入っていたことがわかる。

  

 

第2講

皇室の正統の帝を証するのが三種の神器。草薙剣(在熱田神宮)、八尺瓊勾玉(在伊勢神宮内宮)、八咫鏡(在伊勢神宮内宮)をいう。14歳初の行啓で三種の神器にまつわる重要な神社に参拝した。

宮中三殿の賢所は外陣・内陣・内内陣からなる。外陣は外側、内陣は中に入ったところ。さらに御簾で隔てた奥が内内陣で神鏡(八咫鏡の分身)が奉安されている。

成年式を迎えるまでは宮中祭祀に出てはならい決まりになっている点について、筆者は、高松宮日記における宮の言い分を取り上げ、「成年になって突然宮中祭祀に出たところで、それまで全く宗教的な教育を受けていないのに、急に信仰心が生まれ心から神の存在を信じることなどできるかどうか、出来るわけがない」と紹介している。若い皇族のさまが伝わってきて面白い。

新嘗祭は夕方から未明までかかる重要な祭祀。しかも夕の儀と暁の儀がある。同じ事を2回行う。この間、天皇と皇太子は正座で臨む。

福岡の香椎宮と大分の宇佐神宮は、勅祭社といい、天皇の勅使が派遣される特別な神社。他に埼玉県大宮の氷川神社、靖国神社、出雲大社も勅祭社となっている。

二十歳の初訪欧。ローマ法王ベネディクト15世とは20分に渡り話す。急遽の実現は山本御用掛(山本信次郎海軍大佐:熱心なカトリック信者で法王と篤い信頼関係があった)によるもの。裕仁は、カトリックとプロテスタントの違い、カトリックが日本の国体を変更することはあり得ないこと、将来カトリックと日本国が提携することもあり得る暗示をうけるなど、法王が念入りに準備して待っていたような中身の濃い対話だった。

21年、摂政になったのを機に、洋館の東宮仮御所での日常は西洋風に改まった。洋服しか着ない、ベッドで眠り、テーブルで執務をし、洋食を食べるという具合に。

久邇宮良子との結婚は‘24126日、宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)で執り行われた。三殿は1888年建設以来修繕を繰り返し、今も当時の姿を整えている。この年の8月には猪苗代湖畔の高松宮別邸に滞在、いわゆる新婚旅行生活。夕食後、二人でモーターボートに乗り、ベランダで月を見、良子がピアノで歌を歌い、裕仁の手綱で馬車の散歩をしたりした。

三韓征伐をした神功皇后(199269執政)を天皇に加えるべきかどうかは長らく論議されてきたが、正式に外れることが決まったのは昭和改元の二か月前だった。これで初代神武から大正まで123代の歴代天皇が確定した。

       

第3講

1926年(大正15年)に大正天皇が死去、皇太子裕仁は天皇となるが、‘27~’29年にかけて天皇への直訴が頻発する。中でも‘28年などは毎月のように起こる。何故か。大正天皇が見えなくなった”天皇なき時代”が5年続いていた。それが終わりをつげ正真正銘の天皇が現れたという背景が一番の理由。二番目が政治に対する不信。立憲政友会と立憲民生党の二大政党にはなったが、女性と植民地には参政権は与えられず、労働者代表の無産政党は数議席しかなく、改正された治安維持法により一層追い込まれ、政治から疎外された人たちの声が反映されないということがあった。

天皇になって以降、地方行幸は更に大掛かりになってゆく。一例、①玉座着御②敬礼③君が代④参加各員の分裂行進⑤挙手答礼⑥奉迎歌(女子奉唱隊)

天皇は選挙結果に大きな関心を示した。侍従に候補者一覧に赤・青の印をつけさせ、夜はラジオの選挙成績結果放送を聴取された。これは、無産階級がどれだけ進出するかを見るにあった。社会民衆党や日本労農党など無産者のための政党が躍進することが望ましいと考えていたよう。

元老西園寺公望は、皇太后が敬神の念が強く政治に口出しをすることが多いことに強い警戒感を抱いていた。日中戦争が行き詰まり政権を投げ出そうとした近衛文麿が皇太后に激励されたとたんに舞い上がったが、これを西園寺は厳しく叱咤したいう。

天皇は映画好き。'32~34年に皇后や内親王などと鑑賞した映画の一例。パラマウント・ニュース、人情劇「奇跡の人」、漫画「我らは狩りに行く」、「赤頭巾さん」、紅の国の兎さん」、文部省製作「皇国の栄」、ニュース映画、東郷元帥に関する映画など。大戦中には「マレー戦記・進撃の記録」「ハワイ・マレー沖海戦」「シンガポール総攻撃」など。宮中では最も調子のよかった時の映画を見続けていたになる。戦局を見誤らせたことにならなかったろうか。

第4講、第5講は割愛。

 

               

 

 以下二編は当ブログの天皇関連物。

「終戦のエンペラー」

「畏るべき昭和天皇」

平成31年3月14日付「朝日新聞」が『昭和天皇実録』に5000カ所の誤りがあると報じた。日付、地名、人名などで、史実に大きな影響を与えるミスではないが、今後正誤表を作成すると宮内庁。驚くべきは、完成2年後の2014年10月に、昭和天皇の御製について詠んだ情景が違うことを今上天皇が指摘されたこと。

【雑学エピソ―ド】

アップ間際に下記のメールが飛び込んできた。これも参考に。

 ☆リンカーンとダーウィン。同じ誕生日の二人の胸像が、昭和天皇の書斎に戦前から飾られていた。昭和天皇は生物学の研究者でダーウィンの「進化論」は愛読書だったが、二人の誕生日が同じだと知っていたのかは不明。共に1809年2月12日生まれ。
 (進化論→昭和天皇)
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☆かつてのお正月の定番、染之助染太郎は80年代末に「お染めブラザース」と呼ばれ人気があった。実はその時『おめでとうございます』と言う曲を発表!しかしその直後昭和天皇が倒れ半年後に崩御したので人前で歌えず終わった。
 (昭和天皇→定番)

国家と教養

2019-02-15 17:03:40 | 

著者 藤原正彦

出版 新潮新書

定価 740円

198頁

 

     

10年前の『国家の品格』以来の著者の本。素晴らしい。国の成り立ちには然るべき(その国の民の)教養が有らねばならない。自らのその強い思いを、古今の国々の歴史を辿りながら判り易く説く。本業は数学者のはずだが、余程の識見と豊富な知識がなければ、ここまでの叙述はできまい。ひょっとしたら独断なのかもしれない。しかし、それを見破るのは至難である。スッと納得できる構成であり、何より著者の書きようが自信に溢れているから。

文章がいい。数学者は名文家が多い。かつて岡潔と森毅がそうだった。手元に置いて、時々は自身の教養の深化を顧みるには恰好なテキストになる。少なくとも私には。

つい最近、朝日新聞《折々のことば》で鷲田清一が福田恆存 を引用していた。『日常的でないものにぶつかった時、即座に応用がきくということ、それが教養というものです』と。これは難しい。凡夫はオロオロするだけで終わってしまう。


日本思想史の名著30

2019-01-29 22:43:15 | 

著    者 苅部 直

出    版 ちくま文庫

頁   数  268頁

第一刷 2018.7.10

 

 

    

“恥ずかしくない程度には常識として身に着けよう”と殊勝な思いで読んでみた。何しろ思想史などとは無縁の来し方なのだから。しかし、なかなかに興味深く読めた。著者が“まえがき”で述べているように≪名著≫には定義もランクも領域もない。自分で勝手に≪名著≫と決めればいいのだ。果たして第三者が≪名著≫と認めようとなかろうと。そう理解したら気楽に読めた。

30の作品(論文)が、一編に6~12頁にかけて紹介されている。時代の古いものから現代への順で取り上げている。最初は『古事記』、最後が相良亮『日本人の心』。

『日本霊異記』、北畠親房『神農正統記』、新井白石『西洋紀聞』、福澤諭吉『文明論之概略』、丸山眞男『忠誠と反逆』等、多くの人に知られる有名諸論の中には、日蓮『立正安国論』、 『教育勅語』、『日本国憲法』なども含まれている。

聖徳太子『憲法十七条』のように、近年、中学学習指導要領に聖徳太子を厩戸王という名に変える案が盛り込まれたなどという近時の動向などにも視野が行き届いているというべきか。

それにしても、研究者というのは凄い。千五百年余の歴史に登場した書物を渉猟し分析・研究し、その成果を世に問うている。その内容は精神史であり魂ともいうべきもの。畏敬の念を抱かずにいられない。

本筋ではないが、この著作の意外な骨太さに感動をした。それは、中国を「チャイナ」と呼称しているのだ。その理由を12行にわたって記している。“「中国」という名称は、シナ人が自分の国を天下の中央の最も優れた国として誇って言う称、従って、我々外国人の立場の人がシナを中国というのは大義名分上おかしい”と『新明解漢和辞典』を援用した上で、「支那」「シナ」は、1946年、連合国の一員であった中華民国の要求による外務省通達で廃止されたが、占領後も踏襲する必要はない。アメリカなどにはzhongguoと呼ぶようには求めず、敗戦国に対してのみ要求するのは不公平な懲罰措置よぶべきではないか。しかし、「支那」「シナ」が差別語であるという誤解が定着してしまった今日、それを使うのはやはり不適切であると考え、「チャイナ」とした、と断っている。一歩を引いた上で正面から物申しているのだ。果たしてこう述べているは、著者なのか編集部なのか出版社なのか。リスペクトに値しよう