この著書の中で、木村敏の言う、
「リアリティ」と「アクチュアリティ」の違いに触れられている。
「リアリティ」は事物に関する静的な現実で、「アクチュアリティ」は
動きや行動などの活動中の現実で、関与している人が行動で対処するしか
無いものを指すとのことだ。
日本語の「甘え」は、明らかに後者だが、日本語以外には無い言葉、
表現なので、その動きについては、外国の文献を読んでも
ほとんど触れられていないか、解りにくい記述で伝わりにくいのでは
ないだろうか。
日本語にはせっかく、「甘える」「甘えさせる」などのアクチュアリティを
表現することばが多くあるのだから、臨床家は様々な臨床場面で見たことを、
「甘える」「甘えたがる」などの表現を使って記述するほうが、
患者とその周りとの関係で何が起こっているかが伝わり、
役に立つのではないだろうか。
「甘えれないから心細い」「甘えれないからフラストレーションを感じている」
などの記述の仕方をすれば、その後に起こる様々な事が
理解可能になるのではないだろうか。
「リアリティ」と「アクチュアリティ」の違いに触れられている。
「リアリティ」は事物に関する静的な現実で、「アクチュアリティ」は
動きや行動などの活動中の現実で、関与している人が行動で対処するしか
無いものを指すとのことだ。
日本語の「甘え」は、明らかに後者だが、日本語以外には無い言葉、
表現なので、その動きについては、外国の文献を読んでも
ほとんど触れられていないか、解りにくい記述で伝わりにくいのでは
ないだろうか。
日本語にはせっかく、「甘える」「甘えさせる」などのアクチュアリティを
表現することばが多くあるのだから、臨床家は様々な臨床場面で見たことを、
「甘える」「甘えたがる」などの表現を使って記述するほうが、
患者とその周りとの関係で何が起こっているかが伝わり、
役に立つのではないだろうか。
「甘えれないから心細い」「甘えれないからフラストレーションを感じている」
などの記述の仕方をすれば、その後に起こる様々な事が
理解可能になるのではないだろうか。
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