中区東白島町の円光寺墓苑に建立されている「(原家の墓)原民喜の墓」です。
「夏の花」作者自身の広島での被爆体験を基に書いた短編小説です。
もし読まれておられなければ、短編ですので読んでみてください。
(図書館に行かなくても、単行本を買うこともなく)
いまではNETで公開されていますので。
*2006年訪ねた時は、墓石に刻まれた民喜以外の人たちに注目していなかったのです。
2015年被爆70年に訪ねた時、米軍によって原爆を投下されたその日に亡くなった“文彦 昭和二十年八月六日没七才”と刻まれていた処に目が留まったのです。
良子:守夫:邦彦:民喜:文彦:貞惠
*お父さんは民喜が若いときに亡くなっているから昭和20年に7歳になる弟はいないな、
誰だろう?と「夏の花」に出てきた名前だったかなと帰宅後ふたたび読んでみました。
「夏の花」に文彦は出てき次兄・守夫の子であることがわかりました。
(裕編集の)原民喜の墓
「夏の花」作者自身の広島での被爆体験を基に書いた短編小説です。
もし読まれておられなければ、短編ですので読んでみてください。
(図書館に行かなくても、単行本を買うこともなく)
いまではNETで公開されていますので。
*2006年訪ねた時は、墓石に刻まれた民喜以外の人たちに注目していなかったのです。
2015年被爆70年に訪ねた時、米軍によって原爆を投下されたその日に亡くなった“文彦 昭和二十年八月六日没七才”と刻まれていた処に目が留まったのです。
良子:守夫:邦彦:民喜:文彦:貞惠
*お父さんは民喜が若いときに亡くなっているから昭和20年に7歳になる弟はいないな、
誰だろう?と「夏の花」に出てきた名前だったかなと帰宅後ふたたび読んでみました。
「夏の花」に文彦は出てき次兄・守夫の子であることがわかりました。
(裕編集の)原民喜の墓
残念ながら、作品も作者の名も初めてでした。
そちらでは知られておられるのでしょう。
さて、今朝もありがたいことに穏やかな天候
です。惜しむらくは仕事でなくて遊びで出か
けられたらと..
原民喜、慶応義塾大学卒で、三田文学の編集もしていたようです。
わたしは、平和記念公園に建立されている原民喜詩碑で知ったのですが
http://masuda901.web.fc2.com/page2ax23.html
仕事ご苦労様です。