1909(明治42)年 広島水上警察署の新庁舎として建設されました。
1945(昭和20)年8月6日被爆当時(爆心地から≒4640m)は宇品警察署の庁舎となっていました。
1965(昭和40)年 ~1981(昭和56)年は広島港湾事務所として使用されましたが現在空家となっており痛みも激しいようです・・・
旧広島港湾事務所・ディテール
1945(昭和20)年8月6日被爆当時(爆心地から≒4640m)は宇品警察署の庁舎となっていました。
1965(昭和40)年 ~1981(昭和56)年は広島港湾事務所として使用されましたが現在空家となっており痛みも激しいようです・・・
旧広島港湾事務所・ディテール
いつもありがとうございます。
寒い日々が続いていますが、お元気でしょうか。
「更新の一枚」「旧広島港湾事務所」は文化財として保存されているように見えますが、「傷みがはげしい」とのこと、残念ですね。
ブラックニッカ
修復されていくのでしょうか?
私はこういうの出来る事なら残してもらいたい。
駄菓子やの話じゃ無いけど、私の生まれた家も未だ残っているんです。
痛みは激しいと思うけど、私達が引っ越した45年前からアパートとして使われているみたい。
今も近くを通ると、その路地の奥のオンボロボロボロボの家を覗きます。
当時の仲間や今は亡くなったであろう大人達の息づかいが聞こえてきそうです。
使用されていませんので、年々傷みがひどくなる一方ではと・・・
2年ほど前にみたときは破風板があったのが今回片方が飛んでしまっているようでした。
木造2階建て百年になろうとしている建物ですので保存しようとすればそれ相応の修復が必要とおもいますが。
爆心地から遠いというものの被爆建物が取り壊されて少なくなってきていますから保存をと思いますが、広島県広島市とも予算的には厳しいのでしょう・・・
生家が残っていますか、お父さんの思い出がよみがえってくるでしょうね、職人さんの声が聞こえてくるのでは??・・・
とても良い建物ですが、残念です。
手入れされないものでしょうか?
無くなると寂しいものです。
雰囲気も良く、長く保存して欲し
いような建物と思います。
建物というのは、利用される事でその意味があるのでしょうが・・
陸軍被服支廠(跡)、
http://yutaka901.web.infoseek.co.jp/page7xaa.html
旧広島文理科大学(跡)
http://yutaka901.web.infoseek.co.jp/page7xbe.html
など空家となったままの被爆建物も多いのです。
建物を何に利用するのかの知恵が要るのでしょうが・・・
昔なつかしい建物です・・。
空き家というのが気になります。看板も入り口にあるようですが・・・。
最近、行政の施設があまり気味になっているようです。新築して組織が消えた・・などという笑えない話もあります。こんな建物を有効に使うことを考えないんでしょうね・・・。
何に使うかの知恵がわたしにない情けなさですが・・・
博物館とすぐに浮かびますが、人々が度々訪れるようになるかは??ですし・・
器を作りすぎて、ランニングコストというか維持費がかかりすぎてもてあまし気味とも聞きますから・・・