麦田山八幡神社裏路は、各地への主要道路の分岐点にあたり、
東は備前・備中・備後路へ、西は周防の山口・津和野方面へ、南は海上を利用し九州路へ、北は出雲・山陰路への別れの道となり行き交う人々が多かったと云われています。
福島正則が藩主になってから(いわゆる)西国街道が広島城下を通るように経路替えをしましたが、
その前までは、現在の安佐南区大町辺りを通っていたと聞いていましたので、
その名残の一つとしてここに鎮座しておられるのかと・・・このお助け地蔵尊にお参りしました。
(麦田八幡神社境内の)縁結び地蔵、お助け地蔵
広島ぶらり散歩「神社仏閣など」編・全体
東は備前・備中・備後路へ、西は周防の山口・津和野方面へ、南は海上を利用し九州路へ、北は出雲・山陰路への別れの道となり行き交う人々が多かったと云われています。
福島正則が藩主になってから(いわゆる)西国街道が広島城下を通るように経路替えをしましたが、
その前までは、現在の安佐南区大町辺りを通っていたと聞いていましたので、
その名残の一つとしてここに鎮座しておられるのかと・・・このお助け地蔵尊にお参りしました。
(麦田八幡神社境内の)縁結び地蔵、お助け地蔵
広島ぶらり散歩「神社仏閣など」編・全体
11月5日、晴れ
なるほどと思います。大名が城下の繁栄の
ことを考えて主要道路の付け替えをする。
あり得そうですね。福島政則。そうでしたね。
ある意味徳川幕府に反した藩主だった福島正則ですので、よく云われていないようです。
神社では社領を取り上げられたとかいう由来の神社が結構あります。
わたしが知っているだけの話ではありますが、いい方の由来は八剣神社くらいしかないようですがhttp://yutaka901.web.infoseek.co.jp/page9zz24.html