宇品西公園から南に行くと現在は広島市郷土資料館にリニュアルされている旧・宇品陸軍糧秣支廠につきます。
この建物に被爆建物の説明板が新設されていました
(爆心地から3210m、英語の説明文ではthe抜きでした)
いままでは御影石に写真説明板がはめ込まれている原爆被災説明板が45基設置されていましたが、
予算的なことからステンレスの説明板が設置されるようになったようです。
(先日訪れここのブログでも紹介した山陽文徳殿でもこの形式の説明板が設置されていました)
(旧)宇品陸軍糧秣支廠
この建物に被爆建物の説明板が新設されていました
(爆心地から3210m、英語の説明文ではthe抜きでした)
いままでは御影石に写真説明板がはめ込まれている原爆被災説明板が45基設置されていましたが、
予算的なことからステンレスの説明板が設置されるようになったようです。
(先日訪れここのブログでも紹介した山陽文徳殿でもこの形式の説明板が設置されていました)
(旧)宇品陸軍糧秣支廠
今回のものは、被爆建築物としての感慨と、
歴史的観点からの感慨との両方を感じます。
赤煉瓦の建物にはどことなく過ぎ去ってき
た時間の長きを感じてしまいます。
作られた当初は紹介のような運命をたどる
とは..。であったことでしょう。
資料を見ているとレンガの積み方がオランダ積みというものだそうです・・・イギリス積とどう違うのかと。
缶詰工場だというのにその材料の牛の処理場のことはまったく考えていなかった自分に愕然としたのでした。
爆心地から遠く(≒3210m)だったので人的被害は軽微であったと聞きますが、鉄骨の曲がりを見たときはその威力に驚きと恐ろしさを感じました・・・