この慰霊碑には日清戦争から太平洋戦争までの祇園地区戦死者146名が祀られ、
その中で義勇隊8名、勤労報国隊2名、動員学徒38名、徴用工8名のうち7名、軍人72名のうち6名の合計61名が原爆による犠牲者だそうです。
(祇園地区戦没者)慰霊碑
広島ぶらり散歩「原爆関連慰霊碑等」編
廣島ぶらり散歩
その中で義勇隊8名、勤労報国隊2名、動員学徒38名、徴用工8名のうち7名、軍人72名のうち6名の合計61名が原爆による犠牲者だそうです。
(祇園地区戦没者)慰霊碑
広島ぶらり散歩「原爆関連慰霊碑等」編
廣島ぶらり散歩
5月23日、晴れ (3時前ご近所で火事)
戦没者というより、戦地に出向いた軍人さんたち
のものなのですね。地域において、それらの方だ
けでも大勢の方を失っていますね。
考えてみますと、日清・日露の戦で勝利したこと
が、日本が深みにはまっていく背景の一つにも
なっています。歴史をひもとくと、何でと思うの
ですが、色々な心情の交錯も世論にはあったんだ
ろうと推測してしまいます。
旧祇園町(現在は安佐南区の一部)を形成していたの各旧村に忠魂碑が建立されたそうです。
ここ(旧・祇園村)の忠魂碑は敗戦後碑を廃却したので、改めて、太平洋戦争までの死没者を合祀して慰霊碑が建立されたそうです。
動員学徒の方などは広島市へ動員されたところで原爆にあい亡くなったと・・・