中区中島町の平和記念公園に移植されている「被爆アオギリ2021年版」です。
※1945年8月6日当時基町の広島逓信局中庭(爆心地≒1,300m)で被爆しました。
12月9日(木)11時半前でした。晴れていました。
先月に続いて今月12月も修学旅行が行われていました。
昼食には少しばかり早かったのでここ被爆したアオギリ前に集合して弁当とお茶を配るには早いようでした〔が、東側道路には(違う会社の)弁当屋さんの2台の車が留まっていましたので〕。
アオギリたちは黄葉も早々に枯葉が目立ち落葉の季節をむかえているようでした。
北側(裏側)からアオギリたちをみました
ことしのこの被爆したアオギリたちの四季の撮影はこの日で終わりです。
ことしもみていただきありがとうございました。
(裕編集の)(被爆した)アオギリ2021年
※1945年8月6日当時基町の広島逓信局中庭(爆心地≒1,300m)で被爆しました。
12月9日(木)11時半前でした。晴れていました。
先月に続いて今月12月も修学旅行が行われていました。
昼食には少しばかり早かったのでここ被爆したアオギリ前に集合して弁当とお茶を配るには早いようでした〔が、東側道路には(違う会社の)弁当屋さんの2台の車が留まっていましたので〕。
アオギリたちは黄葉も早々に枯葉が目立ち落葉の季節をむかえているようでした。
北側(裏側)からアオギリたちをみました
ことしのこの被爆したアオギリたちの四季の撮影はこの日で終わりです。
ことしもみていただきありがとうございました。
(裕編集の)(被爆した)アオギリ2021年
12月11日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
アオギリが言葉を発することができるとしたら、
『これからの季節はわたしをみないで、しかし原爆の恐ろしさをあなたが知りたいと思うとしたらしっかり見てね。』と云うのではと思うのです。
ここにある被爆したアオギリ2本とも、被爆の影響で幹が割れそれでもそれを隠そうとしているかのように成長しているからです。
アオギリではなく人間だったらと想像できる人間ならば二度と核戦争はだめだと思えるのではと。
5月の青々としたアオギリから落葉し始めたアオギリを見ますと
一回りも二回りも小さくなったように感じます。
来春の芽吹きのため落葉してエネルギーを蓄えるのでしょうね。
被爆アオギリ一年のサイクルを見せて頂きました。
被爆アオギリの一生も見てみたい無理だと知りつつもアオギリと共に元気でおられますようにと願っております。
昨日も思いましたが一朝一夕には出来ない貴重な記録です
お元気でこれからも記録を観察を続けられますようお願い致します。