東区東蟹屋町の広島市東区民文化センター1階ロビー壁に展示の「増田勉作品・ヒロシマの風景」です。
1945年第一国民学校教師だった増田先生は、
爆心地から1.5kmの地点で生徒約150名と共に(建物疎開作業中に)被爆(のうち46人を喪った)しました。
まぶたに焼き付いた情景を鎮魂の思いと平和への願いを込めて描いた代表的作品です。また、被爆地「ヒロシマの証言」でもあります。
悲痛な表情は、いまのわたしにはどうしようもない過去の出来事ですが、
作者の作品の言葉の最後の行『平和に向かってつき進もう』という呼びかけには、わたしごとき人間でも何かやらねばと思わずにはおられませんでした。
(増田勉作)ヒロシマの風景
原爆関連慰霊碑・平和祈念碑等地域別画像一覧
1945年第一国民学校教師だった増田先生は、
爆心地から1.5kmの地点で生徒約150名と共に(建物疎開作業中に)被爆(のうち46人を喪った)しました。
まぶたに焼き付いた情景を鎮魂の思いと平和への願いを込めて描いた代表的作品です。また、被爆地「ヒロシマの証言」でもあります。
悲痛な表情は、いまのわたしにはどうしようもない過去の出来事ですが、
作者の作品の言葉の最後の行『平和に向かってつき進もう』という呼びかけには、わたしごとき人間でも何かやらねばと思わずにはおられませんでした。
(増田勉作)ヒロシマの風景
原爆関連慰霊碑・平和祈念碑等地域別画像一覧
9月10,日(安芸区のわが家付近)天候:くもり、はれ